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みんな分かっているはずだ。失う悲しみを。だから俺に何も言わない。
「沙織さん。連れてってください。煮るなり焼くなり好きにしてください」
「ええ、さあ皆さーん。痛い目に会いたくなかったら素直に伏見について行ってください〜」
「お嬢。伏見にお任せ下さい」
「頼みましたよ〜」
「おいお前らぁ!大人しくついてきやがれ!!」
恐怖を植え付けたのは効果的だったようで、部下たちは沙織さんの指示に従い素直に立ち上がると、先を歩く伏見さんに続いて歩いていく。もう反抗しようとする気配はない。
「君……本当に済まなかった……あの女の子にも伝えて欲しい」
焼肉屋で助けてくれた紳士的なおっさんは、1度俺の前で立ち止まり、深く頭を下げ、列に戻って行った。
「おっさん!!」
俺はおっさんを呼び止めた。
「どうしたんだい?」
「おっさんは……。そいつらと一緒んとこに行く必要はねえよ」
脅され、奪われた痛みは分かる。だからと言っておっさんが麗奈にした事を許すとは言わないけど。
「でも……ボクは……」「おっさんが居なくなったらおっさんの奥さんと娘さんはどうするんだよ」
特におっさんの奥さんは精神的な恐怖でトラウマを抱えてしまったかもしれないし、娘さんも人質に取られて怖かっただろう。
おっさんまで居なくなったらやっていけないだろ。
「それでも、ボクは娘と同じ年頃の女の子に暴力を振るってしまった……そんな自分を許すことが出来ない。そんな自分を家族が受け入れてくれるとは……思えないんだ……」
そんな自分の気持ちなんかより、やる事があるだろ。
おっさんに掴み掛かろうと1歩踏み出した俺を、親父が止めた。
「俺にも可愛い妻と可愛い娘と息子がいるが、そんな家族に手を出されたら俺もいても立っても居られないだろうな。だから君も、今すぐ家族のところに帰りなさい。帰って君にできる最善のことをやりなさい」
「……恩にきります。本当に、すみませんでした」
親父がおっさんを諭した。既婚者子持ち同士、通じ合うところがあるのだろう。
おっさんはお礼と謝罪を述べると、服を着て去っていった。
親父の言う事に引っかかるところはあるけど、おっさんが納得したならそれでいいだろう。
麗奈の心の傷は俺が癒す。だからおっさんはさっさと帰って自分の家族のケアに時間を費やしやがれ。
「さて、と、後はこいつだけだな」
親父が言った。こいつと言うのは気絶した内藤。
「どうするつもりですか〜?」
引き取る事を決めたはいいが、悪逆非道を尽くした内藤の処分を決めあぐねていた沙織さんが口を開いた。
「お嬢さん。安心してくれ。こいつの身柄はこちらで引き取る。息子の大事な人に手を出したなら、俺もそれなりに手厚くもてなしてやらないとな」
親父は狂気じみた満面の笑みを浮かべ、沙織さんに向けて言った。
俺の真似をすんなって言いてえけど、その迫力はヤクザ顔負けで少しムカつく。
「ふむ〜。そんな威圧されると〜私も引くにひけなくなりそうです〜」
口調は崩さず、沙織さんはいつもの温和な笑顔のまま凄んだ。
何この笑顔合戦。
「すまない。そんなつもりはなかったんだが、ついつい。昔の血が騒いでしまったみたいだ」
先に折れた親父が謝った。あれがわざとじゃないだと……?いや、あれを素でやるから俺達にも強く当たるんだろう、納得だ。
「勘弁してくださいね〜私も気が立ってますから〜。意地っ張りなところ以外にも悠太くんはお父さん似なんですねえ〜」
「んなわけねえだろ!」「本当か!?」
藪から棒に沙織さんが発した言葉に、親父がとった反応は俺とは真逆のものだった。