届かない腕
最短距離で流星のごとき速度を叩き出していたソウザブに異変が起きる。心の奥底から湧き上がるのは誰かの祈りと願い。
神とは信者がいなければ神足り得ないのだ。一方的に恩恵を下賜するのでは、強者に何の見返りもないではないか。だが、ここに若き神がいる。そして己の宿命すら打ち捨てて、その恵みを享受する使徒となった青髪の少女がいる。
そう。古今東西、いついかなる時代でも言われること。
――信じる者は救われる。
サフィラから伝わるソウザブへの信頼。ソウザブから発信される友愛。双方向へと発展したことによって神の権能はここに正しく機能した。
これまで神としての力を鍛錬してきたが、殆どが失敗であった。その理由……最初から履き違えていたからだ。敏捷神が行使する力は速さにあらず……“早さ”だ。
「顕神発揮――縦横無尽」
「……なに?」
死闘の最中、突然現れたソウザブにエタイロスは決定的な隙を晒していた。それは失敗でもなんでも無く当然のことだ。こんな事態を事前情報無しに予測することなどできない。
ソウザブの使用する権能……それは常識を越えた加速ではない。それは神として覚醒したことによる単純な身体能力の大幅な向上であり、それ以上ではない。
神の権能とは不条理の塊。ソウザブが所有するデタラメの正体は“ニ点間への瞬間移動”である。それを使って点から点へと飛び移り、神速すら越えて魔人の元へとたどり着いたのだ。
ソウザブの味方であるグライザルすら困惑する中、エタイロスはそれでも攻撃を二人へと割り振った。ソウザブは狙って背後に転移してきたために、その攻撃を食らうことは避けられない。避けられないが、相打ちを狙うことはできる。
エタイロスの背中から生えた腕は現在、十六本。それが怒涛のように攻めかかる。エタイロスの持つ恐ろしさはその全てを同時に操れるという点だ。
「なるほど、扱いが難しい……だが便利極まりない」
八本ずつ二人に割り振ったはずの腕は、その全てをソウザブ一人に叩き切られていた。
「貴様……馳走法神ではないのか……?」
「それは祖先にござります。それがしはそれがし。それを納得すれば……何事かあらん。この通りに我が神域となるわけで」
歴戦のグライザルはソウザブの変貌に驚きながらも、豪剣を構えて再びの隙を突く構え。一方のソウザブは神としての力を悟ったゆえに無形の構え。
二人の神を前にして、エタイロスはようやく全てを捨てることができた。葛藤すら投げ捨てて、道具へと立ち返る。
「……ありがたい」
短いが感謝の言葉が異形の魔人の口から漏れる。それを最後に全ての生命力を、己の機能に回した。断ち切られた十六本の腕が再生する……のみならず倍々とまだ増える。
途中から破綻を来したのか、増加の勢いは衰え出すが意識を放棄したエタイロスは止まらない。背中を腕で埋め尽くすと、まだ足りぬとばかりに、腕から小枝のような触腕を枝分かれさせた。
「……あの化け物の腕は本数が増えるほど、力を割かれるようだった。あそこまで増やせば、あの巨躯に見合った力は出せないだろう」
「とは申せ、岩を砕く力なぞそれがし相手には不要。捕まえることを重視したと見るべきにござるな」
「では、俺が前に出る。今のヤツの打撃ならば受け止められる。お前が捕まらなければ……我々の勝利は成る」
グライザルが処刑剣を構えたまま、ゆっくりと歩き出す。それと同時にソウザブは文字通り消えた。権能を使うソウザブの方が面倒な相手ではあるが、単純に硬いというグライザルも手を抜いていい相手ではない。
黒緑の腕、否、もはや大樹に生い茂る枝葉となった全身が回転する。本能が導き出した戦闘方法であり、それまでのエタイロスとは別物だった。
手数を重視した腕はグライザルが言ったように威力を欠いており、鋼の肉体を越えられない。また、ソウザブは既に転移しており回転の範囲内にはいなかった。
空中に出現するソウザブ。先に届く打撃を受けて健在のグライザル。魔人のあがきは無駄に終わる。そのはずだった。
「貴様っ……!」
「……」
グライザルの苦悶。エタイロスの枝葉はグライザルの口や鼻を狙って、伸びていた。まさに樹のように、鋼鉄の神へと根を張ろうとしていた。
無敵の外皮を持つグライザルだが、その内側からはどうだ? 少し前のエタイロスなら口走っただろうが、既に道具へ戻った魔人は何も言わない。ただひたすらに神へと傷を付けることに執着する姿こそが正当な魔人の在り方。
「グライザル殿!」
敏捷神ソウザブが幾度も現れては消える。瞬間移動を連続することで相手が伸ばした手を全て切ろうとするが、間に合わない。エタイロスは首を始めとした急所にも自身の触腕を巻きつけて防御していた。
未だ目覚めきっていない神ならば相打ちに持っていける。己一体で神が討てるならば安い買い物だと、魔人の本能に従っていた。
……エタイロスに失策があったとすれば、それは単純にグライザルという男を見誤ったことにある。
――ふざけるな。相打ち狙いだと? 失望したぞ。魔人エタイロス。
グライザルは魔人エタイロスを対等の敵とみなしていた。葛藤を抱え、力に惑い、あるべき姿を目指すエタイロスは戦士だと認めていた。
道具という立場を目指していることが癇に障ったわけではない。道具になりたいと言いながら、自分との相打ちを狙う……それは道具ではない。ただの道具は自死を選ばない。
ゆえにグライザルは思う。こいつは諦めたのだ。
口へと侵入する枝を食いちぎる。グライザルは権能など知らない。だから全ては力任せに……かつての神々が作った魔人を捕食する。それで得た活力でまとわりつく敵を引きちぎり、大剣を振り上げる。
同時にソウザブの剣が首への道を開いた。処刑剣が振り下ろされる。
一時的に魔人と混合した神の膂力をもって、グライザルは裁きを下した。
最も純粋なる魔人はこうして、その苦しみから解放されたのだった。




