第二章 召喚獣のざわわな夏休み。〈15〉
「は~い、みんなお待たせ~! お腹すいたでしょ? たくさん食べてね~!」
杏條学生議会長こと朱音さんがごきげんな口調でローテーブルへ乗せたのは、大皿てんこ盛りのナポリタンだった。
キッチンで朱音さんの調理アシスタントを担当していたオレだが、みんなの分のとり皿やフォークを用意している間にほどこされたトッピングに意表を突かれた。
「……ナポリタンに納豆っすか?」
しかも、あと乗せネバネバである。
「カオルちゃん知らないの? 納豆って基本どんなパスタにもあうんだよ。あ、ナナミン! まりるちゃんの分とりわけてあげて」
「はい」
オレは菜々美ちゃんへふたり分のとり皿とフォークを手わたしながらたずねた。
「まりるにはスプーンとかもあった方がいいかな?」
「あ、うん。一応、おねがい」
「る~! るる~!」
「ちょっと待ってて、まりるちゃん。今とりわけてあげるから」
ローテーブル上の大皿料理に興奮する記憶喪失童女まりるをなだめるように菜々美ちゃんがほほ笑んだ。
慈愛にみちた聖母のような大いなる母性で、記憶喪失童女まりるへ接する菜々美ちゃんの姿に見ているこちらも癒やされる。
朱音さんはと云えば、ウチへ着くなりキッチンをあさって勝手に昼食の支度をはじめ、瑞希はソファーの定位置へ腰かけると、ほっそりとした指を頬にあて、弥勒菩薩半跏思惟像のような姿で沈思黙考しはじめた。もっとも、瑞希はミニスカートゆえ、足はキレイに組んだままだが。
そこそこの時間、記憶喪失童女をおぶって背中を中心に汗まみれだったオレがシャワーを浴びて着替えている間、不安げな記憶喪失童女にやさしく話しかけ、相手してくれていたのは菜々美ちゃんだった。
「乗りかかった船だし」と思ったのか、下船するタイミングを逸したのか、自分のジャージに固執したのかさだかではない。
しかし、これまたなしくずし的にここまでつきあってくれた菜々美ちゃんのおかげで、記憶喪失童女まりるの緊張や警戒心が解きほぐされたことは云うまでもない。
なんでも菜々美ちゃんには5歳はなれた弟がいるらしく、それで小さな子どものめんどうをみることに慣れているのだそうだ。
ヘレン・ケラーに言葉を教えるサリヴァン先生のような献身さ(?)で、自分の名前を教えた菜々美ちゃんは記憶喪失童女の名前らしきものをゲットした。
それが〈まりる〉である。
おびえる記憶喪失童女の背中にやさしく手をそえ、自分を指さしながら、ゆっくりはっきりした口調で何度も、
「な・な・み」
と自己紹介した。
すると、どうやら頭の回転はそこそこよいらしい記憶喪失童女が、菜々美ちゃんを「ナナミ」と認識した。
記憶喪失童女が菜々美ちゃんの顔をじっと見つめて云った。
「……ナナミ」
「そう。菜々美」
「ナナミ」
「菜々美」
うなづきながら云った菜々美ちゃんの言葉に記憶喪失童女が笑顔をみせた。「ナナミ」と云う音が菜々美ちゃんをさす言葉だと理解した笑顔だ。
「ナナミ! ナナミ!」
記憶喪失童女が笑顔で菜々美ちゃんへ抱きついた。オレは自分がどうやって言葉をおぼえていったかなんておぼえていないが、きっとはじめて音の羅列に意味を見出した時は、今の記憶喪失童女のような感動と興奮をおぼえたにちがいない。……はてさて、英単語をおぼえるのに苦痛しか感じないのはどう云うわけだろう?
自分を指さした菜々美ちゃんが、
「菜々美」
と云って、記憶喪失童女へ指さした。
「あなたは?」
菜々美ちゃんのさした指の意味をいぶかしむように首をかしげた記憶喪失童女がぽつりとつぶやいた。
「……まりる?」
「まりる?」
記憶喪失童女の発した音をくりかえした菜々美ちゃんへ記憶喪失童女が云った。
「まりる!」
「まりるちゃんって云うのね!?」
菜々美ちゃんがいささか興奮した面もちで記憶喪失童女へ言葉をかえすと、記憶喪失童女がうなづきながら云った。
「まりる! ナナミ! まりる!」
そのようすをカウンターキッチンから料理片手にながめていた朱音さんがつぶやいた。
「やるじゃん、ナナミン。……しっかし、マリルンかあ。存外キラキラネームだね」
たしかに、ちょっと日本人らしくないひびきだが、外国人っぽい感じもない。
これだけ短時間で自分の名前を思いだしたのだから、記憶がよみがえるのもはやいかもしれない。
どうでもよい話だが、名前つながりで云うと、朱音さんとオレたちの間でよび方がかわった。
学生議会室での事情聴取の際、瑞希がオレの名前を連呼していたので、さすがの朱音さんもオレの名前がセバスちゃんではないことを悟ったらしい。
セバスちゃんからカオルちゃんへ呼称はいささかバージョンアップしたものの、実質的なレベルアップは果たせていない。
また、ウチまでの道すがら、面識のなかった朱音さんと菜々美ちゃんがおそまきながら自己紹介をかわした。
菜々美ちゃんのことを一方的に〈ナナミン〉とよんだ朱音さんが云った。
「私のことはアカネでよいよ。名字でよばれるのってホントはなんか他人行儀な感じでヤなんだ。……あ、カオルちゃんは私のこと女王さまってよんで」
「……アカネさんで」
と云うことになった。




