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EP08 ぷー太郎、異世界にて識る

 程よく空腹を刺激する前菜を食べ終えた食卓の上には、食前のスープが並べられている。湯気を立ち昇らせるそれは、黄色がかっており、コンソメ風味の芳醇な香りを振り撒いている。


 向かいにはノエルさん。俺とノエルさんとは直角の辺にはアドリアンさんが、そしてその左隣にはロランさんが腰を掛けている。


「いただこうか」


 アドリアンさんの一声で、食事は始まった。低く、よく通る声は人の上に立つ者然としたものであり、在り方はロランさんに近いのだろうけれど、より冷やかに感じられる。

 スプーンを手に、スープを掬う。半透明な液体はスプーンの光沢を奥に映し、唇に近付けて、軽く開けた隙間から流し入れて転がせば、深い肉や野菜の溶け込んだ旨みが口から鼻を支配する。


「ライトさん……もう、大丈夫なんですか?」


 努めて冷静であろうとするノエルさんであるが、二人のように感情を完全に制御するには至っておらず、俺への心配がひしひしと伝わってくる。感情なんて制御せずに伝えてくれた方が、可愛げがあるし素直に嬉しい。


「ええ、もう大丈夫です。取り敢えず、前に進むことにしました」


「そうですか。目的は、持たないと迷子になってしまうようにも思いますが、二の足を踏むよりは断然良い選択だと思います」


「目的があっても地図が読めずに右往左往するんじゃないか? カンダなら」


「ちょっ、酷くないすか? いやまあ、違うと言い切れない自分もいますが」


 否定もし切れずにたはーっと苦笑しつつも後頭部に手を回せば、ノエルさんがロランさんに厳しい視線を向けて注意してくれる。果たしてそれが効いているのかはわからないが、その心遣いが嬉しい。


「魔族の件、報告書を読ませてもらったよ。手を貸してくれたらしいじゃないか、感謝を」


 飲み終えたスープの皿を下げさせたアドリアンさんが、卓上に指を絡ませた手を乗せて語る。


「いえ、沢山……被害も出てしまって」


「被害の責任を感じる心は重要だが、責任そのものは総指揮を務めたロランにあることを忘れてはいけない。これからも頼むよ」


「やれる、範囲内で」


 続けて運ばれたのは、白身魚のローストに山菜が添えられた一皿。かけられたソースは、香りからして焦がしたバターを元にしているのだろう。

 フィッシュナイフとフォークを用いて一口サイズに切り出した魚肉に添えられた山菜を寄せてフォークで刺し、ソースを絡めて口にする。口に入れた瞬間に広がるのは焦がしバターソースの強烈な香り。咀嚼し、味わうがこれが一体何の魚であるのかはわからない。臭み抜きがしっかりされており、癖も無いように思えるが、これは一体何の魚なのだろうか。訊いたところでピンと来なかったら恥ずかしいので、わざわざ訊くことはしない。


「しかし、今回はまた遅かったな」


「魔族の脅威に、ようやく国も重い腰を上げたって訳だ。その結果が巡り巡って俺に回ってきたのだから、笑えんがね」


「流石にウォンレイ領の一件で、動かざるを得なくなったんだろうな」


「あるいは、デカイ事件が起こったからこそ、動けたという側面もあるんだが……果たして」


「ウォンレイ領の一件、ですか?」


 魚料理を平らげれば、皿が片付けられた。

 ウォンレイという家名は初耳だが、国の決断の一端に関与するのだから、相応に大きな家柄なのだろう。政治・法律関連についてはとんと知識を持たない俺ではあれども、前々から施行しようとしていた法律を何か関連の事件をきっかけとして実施に移すケースがあることくらいは知っている。


「ああ。内容は、ここでの魔族騒ぎと大差ない。街に魔族が紛れていて、暴れた。だが、大きな違いとしてロランや君のような人間が居らず、被害は比にならない程のものとなった。それがウォンレイ領での魔族事件だ」


「それに加えて、ウチでの魔族騒ぎもある。侯爵と伯爵領が立て続けに被害を出したとなれば、そりゃ、動かざるを得ないって話だ」


「成る程……」


 口直しとして出されたのは、桃のソルベ。カットされた桃を冷凍し、半溶のシャーベット状にしたものが二切れ並べられた一皿。

 小さなフォークで突けば、最初は軽い抵抗があるもののすぐに奥まで刺さった。片手で皿を作り、果汁が落ちないように口に運ぶと、冷たさと共に桃特有の柔らかな舌触りを残しながらもしゃりしゃりとした食感が口に広がる。甘い香りは噛む程に広がり、同時に内に秘められた果汁も飛び出してくる。

 二切れなど、あっという間だ。


「こちらにも花街の捜査があるというに、面倒な仕事は俺の元に回せばいいと思っている。公爵共も堕ちたものだ」


「魔族への対応、父様が任されたのですか?」


「ああ。正確には、対応策によって生じた問題の対応だがな。先代の隊長が捜査だけでも終えていてくれれば楽だったものを、放置された問題が肥大したところにまるで違う問題も投げられては、人手など幾らあったところで足りたものでは無い」


「花街、ですか……」


「興味があるのか?」


 揶揄するつもりもないらしく、ただ鸚鵡返ししただけの俺の言葉に敏感に反応してアドリアンさんは問うてきた。


 花街が正直どういうものなのかはイマイチだが、遊郭とかに近いものなのだろうと勝手に思っている。もし、この解釈が合っていたとして、ここで興味があると言えば女性に興味があると同義であり、ノエルさんやロランさんに悪印象を持たれる可能性が大いにある。では、無いと否定するのはどうかといえば、あのアドリアンさんの人の心の内に土足で踏み込んで来て検分する視線により、正直な話メチャクチャに興味があるものだから嘘を吐いていると看破され、他人に対して嘘を吐くような奴なのだと思われかねない。家族、それも妻と娘の近くにそのような奴、それも男が居るのは看過できない筈だ。


 となると、俺が今取るべき対応は……。


「はい。捜査とは、一体? 何か違法性のある場所なんですか?」


 興味はあるが、その対象を花街から逸らす。

 女性の前で女性に興味がありますなどと、言えるものか。


「……ふっ」そんなところでやって来たメインの肉料理の皿が、各人の前に並べられる。「あの手の商いは、どうしたって後ろ暗い連中と連まざるを得ない。だが、後ろ暗い部分なんてものはそうそう表には出ないからな。常に目を光らせておく必要があるんだ。特に今、王都の負の側面を取り仕切っている男はどうにも上手くやる奴でな……噂じゃ魔族とも手を組んでるって話だ」


 白いソースに絡められた鶏肉。色合いにほうれん草が添えられており、白の濃淡と緑にまとまった一皿は見ているだけでも空腹を刺激している。

 米が無いのが悔やまれる食事の日々が続き、この頃は常にして日本人としての理性が暴走を続けている。


「そこに、また別の仕事が……大変ですね」


「まあな。これで一応は騎士隊長なものだから、やることが多くてこうして帰ってくる時間も貴重だ。しかも、今回の件に関してはハッキリ厄ネタなものだから、苦労もひとしおと来た。上手いことやれれば俺の苦労は抑えられるが、変な方向に飛んでいかなければ、だな」


「お前が賭けとは珍しいじゃないか」


「今のままではいかんせん刺激が足りないからな、良い薬になればいいが、オーバードーズに陥らないかだけが心配なものだよ」


「モースか?」


「ああ、奴の刺激になればと。大任を任せた」


 一口大に切った鶏肉にソースを絡めて、口に運ぶ。

 チーズの芳醇な香りがまずガツンと鼻腔に抜けて、柔らかな鶏肉は噛むと解けるようにして広がっていく。濃口のチーズで鶏肉の味などはわからないが、このチーズの味がまた複雑怪奇であり、幾つかのチーズを混ぜて使っているのではないだろうか。甘み、塩み、そして僅かな酸味があるチーズは美味いのだけれど、どうにもしつこい。


 流し込もうとグラスを手にして口をつけるが、グラスの中身は赤ワインとこちらも濃口であり、異世界の濃い味に濃い味をぶつけるスタイルに満足の行き過ぎは毒になるともう何回めかもわからない学びを得た。


「……そうだ。カンダ、君の身体についてなのだが」


 最後に、デザートとして持ってこられたのはタルト生地の上にバターと砂糖でくたくたになるまで焼かれた林檎が敷き詰められたタルト・タタンであった。甘い香りを撒き散らすそれは、部屋を照らす明かりを反射しててらてらと輝いている。


 しかし、アドリアンさんが喋り始めているのもあって、ついついタルト・タタンを目で追いながらも必死に彼に視線を合わせていると、微笑を崩さず、軽く手を挙げて食べるようにと勧められた。無論、遠慮などすることはせずに俺は軽く頭を下げて感謝を伝えると、中心点の一片であったであろう角を切り、口に運ぶ。


 口に入れた途端、林檎と砂糖の甘さの暴力が口内で進軍を開始した。熱を通された林檎が持つ糖分に、ただの糖分でしかない砂糖が合わさり、その甘味は二倍ではなく二乗となる。こちらの味に慣れ始めているから耐えられたが、このソフトクリームに砂糖を塗すが如き所業、来たばかりではえずいていたかもしれない。


「ノエルと話し合い、娘の先生に診てもらうことになった。結果は、どうか俺にも見せておくれよ」


「先生に……やっぱり、健康的に良くないんですか?」


「それは、よくありません。前にもお伝えしましたが、本来、体内から魔力が完全に抜け切る状況はあり得ないのです。なので、一度、しっかりと調べるべきだと考えました。勝手な話だとは思いますが、どうかお付き合いください」


 ナイフとフォークを置いて、淡々と、しかしハッキリと俺の目を見て話すノエルさん。

 人形のような表情は、モニカちゃんやリェンちゃんが語るようにどこか冷たい孤高を感じさせてしまうかもしれないが、今だって、彼女は俺の身を案じてくれている。

 思うに、貴族令嬢あれたしと、自らを律しているのだろう。俺が、彼女の前ではカッコいい自分でいようとするのと、同じように。


「勿論、大丈夫です。いつであれお供致しますとも……注射とか、ありませんよね?」


「採血はするかもしれませんね」


「……予定が入る予定があるので、ちょっと、予定を合わせるのが難しいかもしれません」


 彼女から視線を外して言えば、視線の端で、口角が上がる瞬間を映した。


「我が儘はいけませんよ」なんて言って叱る彼女に、俺は少し頭を傾げて、眉の端を下げ微笑みを返す。


 ノエルさんとの会話で気が緩んだのも束の間、席を立ち上がったアドリアンさんは俺との距離を詰めて、側に立ち背もたれに手を置く。身体は薄く、鍛えられている風はないのだけれども、纏う雰囲気とでも表すのだろうか、存在感に気圧される。


「最後にひとつ、質問を良いかな?」


 俺を覗き込むようにしながら言い、俺のタルト・タタンを一口大に切り分けて口に運ぶアドリアンさん。自然、自らのデザートを奪われたことで彼の方へと目を向けて、刹那、視線が交差したことで誘われたと理解する。


「勿論、断るだなんてしませんよ……」


「君は、魔族をどう見たかな? 別に、格式張った答えなんて求めていないさ。無論、ある程度伝わるようにはして欲しいが、今は、情緒に語り掛けている」


「……別に、どうってことは。でも、話せましたし、多分、わかり合えると思うんです。だから、人ですよ。あの人は、少なくとも人でした」


「成る程。だから、闘うという訳だ」


「しませんよ、俺はもう、戦いなんて……! あれは、知らなかったのに、ロランさんに参加されられたからやっただけです。もう、戦いだなんて、俺はやりません」


「戦いは、嫌いなのか」


「嫌いですよ。誰かが、泣かなくちゃいけないことだなんて、俺は嫌いです……」


「泣いている誰か、か。外に理由が欲しいのならば、魔族は、人を泣かすぞ」


「……わかってます。泣いている声、聴きましたから」


 だから俺は、もう泣いていて欲しくなくて戦った。あの時は、そうだった。

 あんなヤツのせいで、誰かに泣いて欲しくなかったから。


「さて、短い間だったが、帰って来られて嬉しかったよ」


 俺の席から離れて、使用人の一人が持ってきたジャケットに袖を通すアドリアンさん。朝食というにやけに豪華だと思えば、彼は、もう仕事に出るらしい。

 つば広のハットを被り、振り返る。


「ロラン、君の目は信じているが、あまり虐めてやるなよ。潰れたら元も子もないと、昔から言っている」


「わかっている。だが、私はお前程に人を上手く操れなどしないんだ」


「人を操るだなんて、人聞きの悪い……」


 鼻を鳴らして笑うと、視線はノエルさんへと移る。


「ノエル。先程の話、直にまとめて寮の方へと送っておく。悔いの残らない方を選ぶといい」


「はい……」


 最後に俺を一瞥すると、アドリアンさんは「それじゃあ」と一言告げて屋敷を後にした。使用人により扉が開かれ、一度顔だけで振り向いて軽く手を振ると、廊下へと出ていく。


 ロランさんとは異なる、軍人といった印象。

 冷たい鉄のような、そんな人物に思えた。

 残ったタルト・タタンを口に運び、何か当たり障りのない会話を行い、デザート・カフェを終える。何か一つ、二つアドリアンさんについて話はしたが、それだけで別の話題に移ろい、紅茶を飲み終えて最初に席を立ったのはノエルさんであった。







 数日後、学院が始まるらしくエアラインによって吹き飛んでいくノエルさんを見送るべく聖堂塔へと赴く際、不意にロランさんから手荷物を渡されて発射台に蹴り入れられた。最早抗うことも危ないからとノエルさんに止められて、俺は、健康診断に連れ出されたのであった。







 ウィタ・オルクス魔術学院は王都の一区画を占有している魔術研究所兼教習施設であるらしい。魔術の総本山とも言えるこの学院は、魔術主体社会であるドゥ・ローにとって最重要機関とも言え、これにより三権のどこにも属さず、しかして同時に三権の全てから監視される立場に置かれているそうだ。


 黄ばんだ白の壁の材質は砂だろうか。四角四面な箱型の建物と尖塔が乱立する学院には建築美など存在せず、ただ場所が足りなくなったから付け足していった結果のように見える。


 九龍城のようでいて、建物に統一性があるためにそれが逆に不気味さを引き立てている。現代怪談に於ける異世界、と言った雰囲気だ。

 一度離れれば迷子になると確信した俺は観光気分はそのままに、ノエルさんから決して離れることはせず、後をついて進む。研究機関であるためか、ノエルさんら学生が休みの間も絶えず人が居たようで、壁や床に埃が溜まっている様子は見受けられない。


「何だか……やけに見られますね。俺って、そんなに珍しいんですか?」


 チラチラと、不躾にも俺達を目で追う構内の人々に、俺はつい溢してしまう。

 俺とて、街を歩いていて美人さんを見つけてはどうしようもなく目で追ってしまうので、道行く人を目で追うなとは決して言わないが、だとして、もう少し隠す努力くらいはすべきではないだろうか。あるいは、視線を受ける側にはどれだけ上手く隠蔽しているつもりであれこれだけ筒抜けだというのか。言いそうだな。


「そうですね。珍しい、と言わざるを得ません。ですが、そこではないと思いますよ」


 歩調を変えず、目的の教室へと進みながらに語るノエルさんについて行きながらも、俺は言葉の意味を掴みかねて何も返せなかった。


「商工会の発刊している新聞に載ったそうです。魔族退治の英雄として……」


「何? ……どこで、そんなことを」


「大規模な作戦でしたので、魔族討滅それそのものが話題に上がるのならばわかりますが、ライトさんのことまで……まして、持ち上げる形で掲載するのは。それに、今更となると……」


 言葉尻を濁したとても、そこまで口にされれば予想は付く。

 常に俺を邪魔してくる現実というものに呆れて、ふっと、一つ息を吐こうかとも考えたが、しかし今ため息をついてしまえばノエルさんに対して不誠実なように思えて、ぐっと奥歯で噛み殺した。俺は頭が特別良くはないから心で動くので、頭でモノを考えて動く人の気持ちは理解できない。


 感情的であり、傷つきやすく、融通が利かない。

 俺は、俺自身をそういう人間だと評価している。列挙してはロクな奴ではないと思ってしまうが、それでも、どうしても変われないのだから仕方がない。二十年近くこういう人間として育ったのだから、曲がり難いのだ。


 箱型の建物同士は渡り廊下で繋がっているものや、建物間に尖塔が立ち、その中を通るものがあった。正門から施設へと入り、箱型の建物を二つか三つ抜けた先。立ち入るための設置面以外がどの建物にも接していない尖塔に、彼はいた。


「こちら、材料魔力学を担当しています。リント・グレイマン准教授です」


「ご紹介に預かった、リント・グレイマンだ。よろしく」


「よろしくお願いします」


 色素の薄い金髪は全て後ろに流され、同じく色味の薄い肌はいっそ日に当たらぬドラキュラを思わせる。瞳は濃紺で、切れ長なためにどことなく愛想が悪く受け取れる。


 服装は頓着がないのか皺の目立つシャツにジーンズとラフなもので、そのどちらにも青や赤の染みが点在していた。この染みは挨拶に際して差し出された手にも滲んでいたため、何か実験に使用した薬品の類いによるものなのだろう。


 室内に視線を向ければ、来客を見越してか作業は行われていないものの、様々な器材が見て取れる。理科室を思わせるこの教室は、あるいは事実同じようなモノであるのかもしれない。

 魔術学院の生徒とは、所謂ところの理系学生なのだろうか。


「担当している授業は材料魔力学ですが、ゼミでは魔術式の逆演算を行っているなど、手広く魔術的知見を持っている方なので、ライトさんの身体についても、何かわかるかもしれません」


「はぁ……」


 魔力・魔術というもの、それも学問の域に達するともなれば、俺の手に負えるレベルではない。門外の智慧など、語られたところで声色から是非を察する程度でしかないのだ。

 故に出た曖昧な返事に、グレイマン准教授は微笑で応える。


「迎えは、十六時半でよかったかな?」


「はい。ですが、最後が応用術理なので、多少、前後するかもしれません……」


「ああ、イディアム先生の。あの人も学ばない……」


「ライトさん。では、私は行きますので、ちゃんと良い子で待っているんですよ?」


「もしかして、ノエルさん……俺を犬か何かだと思ってません?」


 おや? と小首を傾げて、レフさんのようにはいかないと微笑する。そんな彼女を見て、俺は彼女の心遣いを踏み躙ってしまったとナイーブな気分となった。

 ノエルさんが塔を後にすれば、この場に残るのは俺と准教授だけとなる。

 教授の転職に伴う退職に歓喜して浴びるように酒を呑んだ末に、目を覚ましてこちらへとやって来た俺が再び教授と名の付く者の前に来ようとは。学生の俺には、数奇な運命の存在を感じずにはいられない。


「さて。じゃあまずはこれに着替えてきて貰おうか」


 彼女を見届けてしばらくの沈黙を挟んだ後に、グレイマン准教授は病衣にも似たラフな服を寄越してそう口にした。俺はそれに従い、案内された恐らく物置の類いであろう埃っぽい部屋で衣服を着替える。


 戻ると、先程は仕舞われていたらしい調査器具のセッティングが済まされており、進められるがままにベッドに横になると、軽い触診による健康チェックの後、何やらハンコのようなものを押し当てられた。ひんやりとして、身体も大人のものとなり健康面で不調を抱えることがなくなったために最近はめっきり行くこともなくなった診療所を思い出す。


「成る程、確かにまるで魔力がないな。面白い……手を動かしながらいくつか質問をするが、構わないかな?」


「はい。大丈夫です」


 しかし俺が答える前から何やら微振動する次の機具を押し当てており、この人も大概な人物なのか、と疑念が芽生える。


「キミについては、ノエルさんやアドリアン氏から聞いているよ。それに、新聞でも読ませてもらった……大活躍だったらしい。羨ましい限りだ。人として生きて、やはり舞台をやり遂げてこその満足というもの……俺は、どうにも役が回ってこなくてね」


「配役が、羽織りたいものとも限らないでしょう……」


「だとして、舞台上か否かは大きな違いに思えるがね」


「そういうものですかね……」


「そういうものなのさ。歳を経る毎に、焦りは増えていくばかりでいかん……身体は、ますます動かなくなるばかりなのだがね。脚を上げるぞ」


 言うや早く右膝を折り曲げて、立たせられた。こちらの返事を待たずに動かされる様に、ムッとならないと言えば嘘だ。だが、経験上理系などとそういうものかと諦めにも似た心根に落ち着く。


「キミは、魔族についてどれだけ知っているんだい?」


「何も……大体、戦いだって、やりたくもなかったんですよ」


「はは。彼女、母君は似ていないからな。父君には似て、似せているらしいが」


「ですかね? 俺には、親子だと感じられますが、どちらも」


「上辺ばかりの話だからさ。キミとは、いかないものでね」


 そこまで言って、グレイマン准教授は、ふぅむと何やら納得したらしい声を漏らした。

 気になり、頭を上げようとすれば伸びてきた手に抑えられて、じっと天井ばかりを見上げ続ける。


「教授らしく、講義といこうか」


「准教授ですよね?」


「うるさいなキミは、黙りなさい」


「ッス……」


 俺の軽口に、脚をつねる嫌がらせで対抗してくる准教授。

 そんなだから准止まりなのだ。女の子ならば絆されかねない自尊心だが、相手が見るに三十そこそこの男ともなれば煩わしいだけに過ぎない。


「では、まず大前提として魔族とは何か……法律上、生物学上、社会通念上と解釈は様々あるが、大きな特徴として体内の魔力循環器系の異常肥大・異常活性が挙げられる。見た目は人間と変わらないが、この異常な魔力循環器系から常時魔力による身体強化が行われていて、筋力で言えば五倍前後、再生能力はまちまちだがそれでも十二倍はあるだろうさ。あと、わかりやすい特徴として、簡単な魔力操作以上を行う際に頭部に余剰魔力の放出装置たる角が生成される点だね」


「……まず、魔力循環器系って、何なんです? 何となく、はわかるんですけど、感覚的に」


「魔力循環器系……要は、魔力を流すための血管だね。まあ、俺達は魔力を生成する器官を持っていないから、魔石という外部リソースに頼らざるを得ないのだが……」


「体内で魔力を生成できる生き物がいるんですか?」


「ああ、いるとも。木国の獣の様を持った人……種としてテリアンスロープというのだけれど、彼らや魔物・魔族が持っている。まあテリアンスロープの持つ器官は、厳密には魔力濃度の濃い木国の食べ物が成長過程で取り込んだ魔力を食事により接種、これを貯め込んでおく器官なので生成とは異なるのだがね」


「では、魔族は?」


「ああ。魔物・魔族は、体内での魔力生成器官を保有している。こちらはテリアンスロープのものとは異なり、貯蓄ではなく正しく生成さ。無論、元となる材料は取り込む必要があるが、体内に持つ特有の器官で魔術反応を起こして体内に常に魔力が巡る状態を作っている訳だ」


「……ですが、魔石から魔力を得られるのであれば、人でも、魔石の携帯を怠らなければ変わらないのでは?」


「そう、思うかい?」


 准教授の質問に、俺は短く「はい」と答える。


「多く、勘違いされる部分でもあるが、そこには明記な違いがある。それこそ、魔力循環器系の時にした血管の例えがわかりやすいだろう……自身の体内で生成された血液と、他者から輸血された血液。どちらがより当人の身体に馴染むのか」


「それは、自分の身体で作られた方……ですよね?」


「ああ、勿論だ。これが、魔力にも言える。魔石から魔力を得た場合、これを体内で純化、身体に適した波形へと調整される工程が挟まる。その分、体力は消費するし純度も下がる訳だ。だが魔族にはこれが発生しない。魔術師共が羨ましがる作りだろう?」


「ですね……准教授も、魔族になりたいんですか?」


「……あー、そうだね。身体だけならば」


 困ったようにしばしの沈黙を挟み、准教授は口角を緩く上げて答えた。

 魔術を扱うにあたって理想的な身体の魔族……では、


「なぜ、人の脅威としてあるのか――言い換えれば、人に害を成すのか。キミの次の質問は、それと見た」


「……それも、魔術ですか?」


「大人の知恵というものさ。経験則ともいう」


 右脚の検診を追えたのか、立ち上がり逆方向へと移動した准教授は、右脚を寝かせると左脚の膝裏へと手を回して起立するように示してくる。俺は、その無言の指示に従い膝を曲げた。


「俺の出会った魔族は、狂気が正気を蝕む……そう、言っていました。であれば、正気の状態であれば、それは少し魔力が特殊なだけの、人なんじゃないですか?」


「かもしれないが、では、熊をペットにできるかという話だ。人を襲う可能性がある以上、社会に取り込むことなど不可能といえる……キミは、魔族がどこから来るか知っているかい?」


「いえ……」


「ここドゥ・ローに、ネブ・ノウブ王国という王政国家があった。彼らは、そこから来るのさ」


「あった……?」


「……まあ、現状、十余年に及び通信途絶の状態にあるので滅亡の有無は確かではないのだがね。魔族は、そこから来ているのさ」


「どうしてわかったんですか?」


「理由は大きく二つ。姿と、分布だ――魔族は多く、人の形を取り群衆に紛れるが、その姿というのがネブ・ノウブの人のものなのだよ。ミミック、という生物を知っているかな? 箱や壺などの暗所に身を潜め、その物と同化して狩りを行う動物なのだが、魔族の本質は、このようなモノなのではないかと考える説が学会では有力とされている。人の姿を真似ているのか、あるいは宿主として寄生しているのか……まあ、調査過程で判明し、国は秘匿しようとしてんだがね。商工会のマスメディアがどこからか掴んで、広めてしまった……その結果が今のネブ・ノウブ人への軽差別なのだから、嫌なものだね」


 ネブ・ノウブ人への差別、と聞き、俺はふと出会って間もない時、共に受けた取り調べの場でレフが行ったネブ・ノウブ云々のやり取りについて思い出す。国という大きな括りで纏めて、一緒くたに扱われる……不愉快な話だが、しかし、行う側の気持ちもわからないとは言えない。


「次に分布についてだが、これに関しては簡単で、明確に魔族によるものであるとされる事件の被害件数がネブ・ノウブを中心として広がっているからだね。隣接するドゥ・ロー、ボーデンが多く、隣接するものの山脈を挟む木国が次に。そしてボーデンを挟むイグネウスは比較的少なく、ヨードゥ神聖帝国は……外と関りを持たない国で、不明。そうなっているのさ」


「……ネブ・ノウブが滅んでいるかわからない、と言っていましたが、調査などは行かないんですかね」


「ドゥ・ロー、ボーデンで協力して二、三度送っているが、どれも引き返して来ているのさ」


「どうして?」


「国の地脈に沿って結界が張られていたんだ。王都を中心に、周囲をすっぽりと覆う形でね。だから、踏み込んで調査できずにいる。魔族という脅威に最初に直面したのがネブ・ノウブで、これに対するカウンターだったのか何なのか……地脈を利用されている以上、無理やりに突破して入るなんてできやしないし、結界を中和する魔装を研究しているって話をいつだかに……誰先生から聞いたんだったかなぁ」


 うーんと唸りながらも脚を下げられ、次いで上体を起こされると背中に手を当てられる。

 そうして、微かにだが身体に魔力が注がれ出す。


「……どうにも、わからないことが多いんですね」


「そうで無ければ、今ほど脅威としては扱われはしまいさ」


 軽く開かれた魔力循環器系だが、身体に変化は起こらない。

 脚も、変わらずにそのままだ。


「……キミの身体についてだが、魔力循環器系が常人よりも多くあること以上におかしな点は見当たらないな。それも、変化するという脚部の循環器は異常と表せる程に密集している、魔術師型の配分だが、全身に巡るものも常人程度にはある……言わば魔術戦士型の配分になっている。珍しいが、ノエルさんの母君も似た配分だから、珍しいの範囲は出ない……ふぅむ、ゾクゾクするねぇ」


 ベッドから降りて机に向かいながらも語る准教授のそれは、しかし俺に語っているようでありながらもどこか独り言じみて聞こえた。頭の中を口に出してまとめているだけのような、そんな雰囲気。


「魔力活性による賦質魔術の自動発動……? いや、だとしたら肉体に魔術痕が残るはず。それが無いとなれば――」


 仮説の組み立てと否定を繰り返しながらも机の引き出しを開けた准教授は、何かを取り出すと椅子を回してこちらへ振り返り、俺に手渡してきた。先細りする筒状のそれは、先日、リェンちゃんが俺に刺そうとした注射であった。


「それは……」


「おや? 知っている様子。ならば、説明は不要か。恐らくだが、これを用いればノエルさんが居らずとも例の変化というもの、やれると思う。他者の魔力循環器などと繊細なものを扱える魔術師、そういないからね。お守りというヤツだ。キミならば、太腿にでも刺して内部の液体を身体に取り込めば、効果は充分だろうね」


「ありがとう、ございます」


 注射嫌いとして複雑な気持ちになりながらも、言葉通りにお守りとして持っているに越したことはないと断じて、嫌々受け取る。守るべき身体を傷つけて体内に金属を差し込み、訳のわからない液体を体内に注入するだなんて本当に本当に御免だが、こんな注射を刺さねばならない事態が今後起こるかもしれないのが、恐ろしい。

 ……なんか見覚えがあると思えば、山田が刺していたインスリン注射に似ているのか。なんだか、別の嫌さが発生することを思い出してしまったぞぅ。


「ちなみにそれ、許可のない持ち出しは禁止されているものだからバレないようにね」


「何渡してくれてるんですか! 要らないですよ!」


「まーまー、持っていなさいな。ノエルさん、この間も大変だったらしいじゃないか。保険、というものだよ」


 敢えて口に出してぐぬぬと言って、俺は致し方なくこれを受け入れる。

 確かに、今後何かノエルさんの身に起こったとして、使うことになるかもしれない……そんな事態に陥らないに越したことはないが、領主の娘という立場上、創作ではよく誘拐されたり移動中に野盗に襲われてピンチになるし。誘拐は、実際にされていたか。


 もう着替えていいと言われ、私服に戻って軽く准教授と話していればノエルさんが迎えに来た。准教授へ挨拶を済ませて塔を後にすると、空は、段々と朱に染まり出す頃合いであった。


「どうでしたか?」


 またしても注目を集めながらも廊下を歩いてしばらく経った頃、思い切ったという風な勢いでノエルさんが訊いてきた。


「何か、身体の魔力循環器系が脚を中心に多い以外は特に、って感じらしいです」


「そうですか……脚の変化は、そのせいかもしれませんね」


「ですね」


 微笑み、ノエルさんの顔を覗くが、彼女の顔は真剣そのもので、どうにも実験動物な気分になってしまう。まあ、魔術師ならば気になる議題なのかもしれないけれど、俺にその気持ちはわかりかねる。


「今日の夜、一緒に食事でもどうですか? そんな金はないので高いものは奢れませんが……」


「いえ。私は、寮で出ますので……ライトさんの夕食も、家の方にあると思いますよ」


「……え、一緒に下校するのではないので?」


「……? はい。私は学院の寮に入っているので、そちらに。ライトさんは王都の屋敷へ」


「そんな……」


 俺が頭の片隅で描いた青春ジュブナイル群像劇などと、そんな都合の良い世界観は、ここには無いらしい。悲劇だ。


「そうですね。今、渡してしまいましょうか」思い至ったという風に呟いたノエルさんは、ポケットから折り畳まれた紙を取り出すと、俺へと差し出した。受け取り、開いてみればそれは王都の一部を切り抜いた地図であるらしく、学院から赤い線が伸びている。「屋敷への地図です。大通りを通るように書いているので、少し遠回りですが、迷わないと思います」


「あーりがとうございます」


 学院を囲う塀の切れ口。正門まで雑談をしながらも歩いた俺達は、そこで別れた。

 この時の俺は、まだ気付いていなかったのである――王都、屋敷と来て、そこにいる人物が誰であるのか。どれだけ俺の胃を痛める日々がやってくるのかを。

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