EP21 ぷー太郎、異世界にて崩れる
今は昔の話である。ドゥ・ロー王国、ボーデン間で戦争が起こった。
始めは、軍事力で圧倒するボーデンが優勢であった。だが、当時十五歳だったカーナクト・メリーマアトの参戦により状況は一転。ただの三ヶ月で、停戦へ持ち込んだ。
カーナクト・メリーマアトの賦質魔術は【憧憬鉄火】。召喚魔術の亜種にあたるこの魔術は、魔力によって造られた兵士のみを召喚・使役できる。数を、一人から最大で千人に至った。
壁の異名は、その侵攻の様子からだ。横一列に並んだ兵士によって侵攻する姿は、敵から見れば越えられぬ壁に喩えられた。
それが——
「……カーナクト・メリーマアト…………」
今、眼前にいる。
誰が語るでもなく、彼が語るでもなく。眼前の対象が壁のカーナクトであると、空気が語る。
絶望という甘い言葉は嫌いだし、最悪だなんて簡単な言葉を憎んでいる俺ではあるが、それでも、そんなチャチな言葉に頼りたくなるようなぐちゃぐちゃの感情だけが俺の内面を塗り潰す。圧倒的な存在感に圧迫されて、呼吸は不定期なリズムで行われた。そこにいるだけ、何もされていないにも関わらずこれだけの存在感を撒き散らしているのだから、ただ者でない……噂の独り歩きや大言壮語による産物であるか否かなど、語るまでもない。
「……王立騎士隊に魔族殺し、そして冒険者…………あの小僧も、必死のようだ」
視線を向けられた俺達は、咄嗟、完全な無意識で防御の姿勢を取った。それだけの威圧感、それだけの存在感。
そこにあるだけの向かい風のように、正しく歩むべき道行きに横たわる壁として、カーナクト・メリーマアトは立ち塞がる。笑う膝を手で抑えて、取り繕っても取り繕い切れない自身の肉体が、意識すらも呑み込まんとしていた。
「——モースさん、ニホニさんを頼みます」冷静になれずとも暖動になってはいけないと、頭の中でやるべきブロックを積み重ねていく。「やれるか? レフ」
「僕もか……まあ、いいさ。それでは皆様、ここは任せて先に行け! もしくは、ルート14に行け! ってな」
集団の前に出て相対したカーナクトは、さながら現世と地獄の境界線であり、越えてはいけない死線そのものに向き合っているような恐怖。
「いや、しかし………………ッ。感謝する、カンダ・ライト」
「ライトさん! 一緒に帰るんじゃ!」
腰のポーチに手を当てれば、薬剤の数には余裕があるとわかった。一本を手に取り、腿に押し当てるが、その手が震えていると認識させられる。
これでは、調子に乗る余裕もない。
「すみません、ニホニさん。……さあ、行って!」
「いやッ——————!」
ニホニさんが否定の言葉を口にするよりも早く、モースさんが彼女を小脇に抱える形で掴むと、遠く彼方へと走り去って行った。残ろうとする一番隊にも、レフが視線でニホニさんを優先するようにと伝え、残ったのは俺達と冒険者の二人、そしてベーカリーさんの五人となった。
カーナクトは一番隊を追うでもなく、俺達に手を出すでもなく、ただそこに在る。
「行ってもらって構いませんよ、スィクルさん。ミウトさん。……ベーカリーさんも」
「あら、優しい。でも、大丈夫よ。挑む者、と書いて冒険者ですもの」
「ふぁい、おー……」
「うおぉ! やってやらァ!」
あまり期待できない感じの声を受けながらも、どうしてだろう、こんなにも頼もしい。よく知らない人達と、よく知りたくもない阿保だけなのにな。いやはや、愉快痛快と言うか何というか。
「靴紐は結んだな?」
俺が返さなかったように、俺の言葉にも返事は無かった。これは信頼として受け取るとしよう。
「…………それで。おたくは、どういった要件でここにいるので? カーナクト卿」恐れがないのか、レフが問う。
「今の私は、自らをナイトと定めているのだがな……」と、呟くカーナクト。「主君よりの命にて、人探しを。そして今、見つけた。共に来てもらえるかな、錬金術師レフ・トールギスト。そして、魔族殺しカンダ・ライト」
それは、予想外の回答であった。
これが真実だとして、目的を達したならばカーナクトは撤退の選択を取るだろうか。勝手で悪いが、レフも含めて俺達がついて行けば、この場は丸く収まるだろうか。角が立たずに終わるのならばそれ以上はないが、真にそうなるかが問題だ。
ニホニさん達が逃げる時間を稼ぐのは大前提として、残ってくれたスィクルさんとミウトさん。そしてベーカリーさんにも怪我はさせられない。
「………………」
信じられるか? カーナクト・メリーマアト——ナイトを。
「……それと、ベーカリー。君も連れて帰らせてもらう。家を出るのは勝手だが、親との話くらいは済ませなさい」
「カーナクトおじさん…………ライトさん! やりますよ! 今、ここで!」
「家出したんですか、ベーカリーさん⁉︎」
「今はそんなこと、どうでもいいでしょう!」
「何とぉ⁉︎」ベーカリーさんの理不尽な怒鳴り声に気を落とされつつ、俺は複雑な心にうにゃりながらも、視線をカーナクト一点に仕向けた。
「一応訊きますが、我々が大人しく貴方に付いて行けば、先の人らには手を出さないでもらえるので?」
「——否定で返させて頂こう。君の逃した彼女が、来訪者ニホニ・フォニィだろう? 彼女も、また私の職務の範疇にある」
その否定の言葉には、付け入る隙など一分とてありはしなかった。だが、逆にそれが、カーナクト・メリーマアトという魔族が未だ人間的理性で動いており、狂気など孕んではいないのだと主張する。
つまり、正真正銘の伝説と諍いを起こすことになったのだ。堕ちてもいない、ホンモノと。
「なら……戦うしかない、な。ライト、とっておきを使わせて貰うぜ」
「そうかい、レフ。気色の悪いことに、俺もなんだ」
口にして、レフが取り出したのは不可思議な装置であった。長方形の板と左右に延びるベルト帯から成るそれを左の二の腕に巻き付ければ、カシュッとガス圧によって内針が突き刺さる。
レフのとっておき——名を【グッドラック・ドリーム】と言う。准教授との共同研究により開発されたそれは、使用者の体内魔力環境に直接的に働きかけ、変化を生じさせる。俺の服用している〈レイズ〉の亜種となる薬剤が板の内部に仕込まれており、その薬剤の注入の加減で魔力循環器系に手を加えるのだとか。
つまり、魔力循環器系による戦闘適性を、自由に弄れる訳だ。
「——転職ッ」板にカードを差し込めば、記録されていた量の薬剤が内針から注入される。
「キバっていこうか」
俺も負けじと腿に注射器を刺し、【ダブル・ダウン】を発動させた。いつになっても慣れない脚部の変質の傍ら、隣に立つレフが潰れた蛙の断末魔のような声を上げている。
当たり前だろう。どれだけカッコよさげにキメたところで、結局、行われているのは麻酔無しでの手術のようなものなのだから。体内で内臓を移動させていたら、そりゃ、死ぬ程痛い。
「突破力が欲しいです。誰か、お願いします」
そんなレフは置いておいて、俺は背後三人にそう伝え、返事を待たずに駆け出した。「了解よ!」そう答えたのは、スィクルさんの声。瞬間、背後が光った気がして姿勢を屈めると、頭上を光の帯が通過した。
「盾兵、前へ」
「【父たる太陽よ《オーサン》】……それがワタシの魔術よ、上手く使って頂戴」
背後は振り返れないが、その破壊力の程は眼前が物語っていた。光帯の通過の一秒前、展開された身の丈二メートル近い盾兵はカーナクトの前に現れると、遊びの感じられない大盾をどっしりと構えた。しかし、光帯はそんなものはつゆ知らずと、易々盾を焼き溶かし、展開された盾兵を穿ったのだ。
カーナクトは盾兵の稼いだただの一瞬で身を捻り、この光帯を避けたが、鎧の形口を僅かに光帯に接触させていた。ドロリと溶解し、空気によって冷やされた鎧は流れ出る溶岩のような形で固定される。よもや冒険者、これ程とは。
続けんと地面を踏み締めて加速を掛けた俺に、カーナクトは「弓兵、斉射」と矢の雨を馳走した。数としては十数人程……避けられる数ではないと判断した俺は「クリスタル・ストライク……!」更に加速をかけることで強行突破を狙う。
ダンジョンという性質上、俺も知り得ぬ話であったが、脚部から放出された魔力は加速力として転用されるに留まらず、ダンジョン内部に未だ秘められた未発掘の魔石に作用。保有魔力量の限界を迎えた魔石は炸裂し、俺に更なる速さを与えた。
「歩兵隊、掛かれ」
「嫌いだなァ! 公のフレアディアと言い、白痴のロマと言い……雑魚をばんばか出すボスってのはさァ!」
行く手を阻む形で出現した歩兵の間を、極力勢いを殺さないよう心掛けながらも抜けた先、掻き分けた先には盾兵が待ち構えていた。
「一体じゃないのか! そういうカードは!」
「トランプですら、ジョーカー以外は四枚入っているのだぞ」
「ですかい、クリスタル・ストライク!」
抜けられないと察した俺は、盾兵に対して二度目の魔力放出を行う。【ダブル・ダウン】の制約、一度の変身での魔力放出は各脚で一度の計二回のみ。
だから温存したいが、そう言っていられる状況でもない。一瞬でも出し惜しみすれば、やられるだけの実力差が目の前にはある。
だから、賭けた。
「ヒットだ!」
〈レイズ〉、初の二枚ギメ。
脳がチリつく。視界が点滅する。耳鳴りが酷い——だけど、成った。最悪の気分の中でも、最高の結果を手にした。
二度目の【ダブル・ダウン】……これでいくつになるのか。何度使えるのか。バーストの回数がわからないのが不安だが、やるしかない。
「術兵隊、挟撃」
しかし、再使用の隙は隙。左右に展開された魔術師により、礫が放たれる。回避は困難、完全な回避となると不可能。
ならば——受けてでも前に出る。
しかし、礫の着撃は発生しなかった。全ての礫が、空中で不自然な挙動を取り、見当違いな方向へと飛んでいったのだ。俺の背後に立つ、壊れかけのボロ人形によって。
「——誰⁉︎」
「アタシの〜、【方便使い《ネフティス》】。魔術は当たらな〜い」思わず漏れた声に、現状を理解しているのかわからない落ち着き払ったゆったりとした声でミウトさんが答えた。
スィクルさんの魔術は、高出力だがこの閉所では扱い辛い。現に、スィクルさんは初撃で警戒されてカーナクトとの間に俺が置かれるように立ち回られている。
逆にミウトさんの魔術はそこにあるだけで有り難い魔力逸らしバフだが、防ぐのではなく逸らすという性質上、あの軍勢の中では術兵の攻撃にしか反応しないと見るべきだろう。
「遅いぞ、レフ」
「抜かせ。こっから取り返す」
追い付いて来たレフと短くやり取りをして、左右に散開する。兵士の召喚という物量に対する以上、こちらは固まるべきかもしれないが、耐久戦となると不利はこちらが被るのは道理。一秒でも長く生き残るならその選択だが、今求められているのは、俺が求めているのはこの場にいる全員の生存。そしてニホニさんが逃げるに足る時間稼ぎ。そこそこ長く、それでいて素早く。ならば賭けに出て、勝つしかない。機動力を活かした短期決戦以外ない。
右手に直剣、左手に盾のレフのスタイルからして選んだのは戦士特有の全身に巡る魔力循環器での純粋な身体強化か。シンプルだが、継戦能力に長けるし機動力もある纏まった形態だったハズ。挟撃にはもってこいだろう。
「スィクルさん‼︎」
「オーキードーキー!」
同時、左右に展開したためにカーナクト、スィクルさん間が開けたために、光帯が飛翔する。
「盾兵よ」
そんな光帯に対して再び盾兵を召喚するカーナクトであったが、その数は前の比ではなく、縦並びに六人もの盾兵が構え、前に出た。光帯は二人までの盾兵は容易に貫いたものの、続く三人目から先細りを始め、六人目に至るには最早、虫眼鏡で集めた光程度にしかその姿を残してはいなかったのだ。
「その魔術、本質は擬似的に太陽光を再現するというだけのものだろう? その光を別の魔術で収束・発射することで、今の光帯を発生させていると見たが……どうだろうか?」
「……ザンネン♡ ちょっとハズレよ」
その質問にスィクルさんは答えなかったが、小さく聞こえた舌打ちが、カーナクトの観察眼の程を語っている。よく言われる話で、何か道を歩むに当たり最も必要なものは"眼"であると。であれば、覇道の究極にいるカーナクトも持っていて当然のものではあろう。
恐らく、スィクルさんの言うハズレとは、太陽光が擬似的なものではなく本物であるという点。俺は、そう判断した。だが、だとしたら何が変わる? 何も変わらない。
左右からの挟撃を、召喚した盾兵と槍兵から受け取った武具によって受け切られながらも頭を回す。突き崩すには、どこを狙うべきか……チラリと映る視界の端では、歩兵隊がスィクルさんらを襲っている。斧に人形、その中で見え隠れする炎はベーカリーさんの魔術だろうか。凌げてはいるが、長くは持たないだろう。
カーナクトの召喚する兵士は、雑魚であっても雑魚敵ではない。熟達した腕を持っているし、盾兵にまで至れば片手間の相手ではどうにもならない。ボスキャラが中ボスを無限に召喚してくる、くらいに考えればわかりやすいだろう。
「合わせろよ! バカ!」
「人に命令するな! アホ!」
誰もが息を上げている中、カーナクトのギアすらも上げられていない現実が突き刺さる。
二体一で左右から仕掛けているにも関わらず、的確に対処されるどころかじわじわと追い詰められているのを感じた。歩兵隊に手をこまねいて、スィクルさんらに協力は仰げない。
刹那——レフと視線が交差した。
一呼吸、
姿勢を屈めてから一気に上昇した俺に対して、レフは更に低く身を落とす。左右から同時に仕掛ける形から、上下での挟撃に転向。俺は強化された脚部により天井をも床として扱い、注意が上に向いた瞬間に下方を攻める。魔族とて、人間の延長にあるハズなのだから空間認識能力としては平面よりも立体のがわかり辛いだろう。
天井を蹴り迫った俺の一撃を盾で受けたカーナクトは、続くレフの斬り上げを槍で受ける。しかし、今まで弾く形でいなしていたというに、カーナクトとレフの武器はそれぞれ拮抗した力を加えられ、鍔迫りに至った。
「やれるな……異邦人!」
初めて上げた感心の声が鼓膜を揺らすよりも早く、セカンドにギアチェンジしたカーナクトの手は下された。
背後に気配を感じるや否や、何か強い衝撃を受ける。肺の空気が吐き出され、それでも足りぬと胃の内容物が逆流して喉を灼く。
薄れゆく意識の中で、果たして俺は何を思ったのか。
今では、とても思い出せない。




