364日目
朝の1時。私はいつものようにソファーで目を覚まし、テーブルの上のメモ帳に「364」と数字を書く。
そして室内着を脱ぎ、シャワーを浴び、念入りに身体を洗う。まるで神聖な儀式に挑む巫女のように。
この日のために、何度もシミュレーションをしてきた。
天環は好奇心が強く、基本は面白がり。楽しそうなことにはすぐに飛びつく。
私とマイちゃんが「この後、〇〇のお店に行く」と流行りの場所を話せば、「13時までだけど」と一緒に楽しもうとする。
享楽的とも言える生き方。過去も未来も関係なく、今この瞬間を全力で楽しもうとする人。
その瞬間瞬間のパッションが、彼女に力を与え、創作にも力を与えているのだろう。
ある意味で天才肌。周囲の戸惑いなどおかまいなしに、自分のルールで生きる。悪意はなく、陽気で無邪気そのもの。だから憎めないし、ある意味羨ましい生き方だった。
バスルームから髪を拭きながら出ると、スマホが震えていた。マイちゃんからだ。
「マイちゃん、おはよう」
「……おはようございます! いよいよ今日ですね」
私は大きく深呼吸する。
「そうだね。
マイちゃん、これは私のわがままだから、あなたまで付き合うことはないよ。
万が一怪我でもしたら嫌だし。初版本を渡してくれたら、私が天さんと会ってくる。
マイちゃんまで罪を犯す必要はない」
なぜだろう。土岐野を巻き込んだときは罪悪感などなかったのに、マイちゃんと一緒に天環を死に追いやることには、ためらいを感じてしまう。
「いえ! 私も行かせてもらいます!
病める時も健やかなる時も、いかなる時も一緒にいたいので!
そういうものでしょ? パートナーって」
「マイちゃん、でもこれは私の身勝手な行動だし……」
「一人で、そうやって背負わないでください!
私は、ナオコさんの全てを受け入れています。
むしろ、こういうところもゾクゾクするほど好きなんです」
「……ありがとう。マイちゃんは、私の最高で最強のパートナーだよ」
フフフフ。そんな笑い声が聞こえた。
「その言葉で、私の“殺る気スイッチ”はオンになりました!
張り切って頑張らせてもらいます♪」
私はそんなマイちゃんがたまらなく可愛く、愛しく思えた。
二人とも家にいても落ち着かないので、銀座の早朝からやっている喫茶店で待ち合わせ、最終打ち合わせをした。
天環のこの日の行動は把握している。
十時四分に日比谷線の改札から出て地下通路を通り A2出口から出て、銀座ノックスへ。
店内を気儘に巡りながら上の階へと登っていく。
大きな書店の売り場でギャラリーを楽しんだり、様々なコーナーの本の世界を巡る。
そのとき、店の他の客の会話から近くのELEVENタワー事故の話を聞き、その様子を見に向かう。
遠方から写真を撮り投稿。そうやって過ごしている。その後またブラブラとウィンドウショッピングを楽しみ、寿司屋を堪能。そんな感じに過ごしている。
だから私たちは、地下道を歩いている段階で声をかけることにしている。
彼女は話題のショップの話にはいい感じに食いついてくる。
そして、まだ喫茶店【Onze bonheurs】に行ったことがなく興味があることも確認している。
だから大丈夫。
地下通路を、鮮やかなブルーのワンピースを着た天環が改札を出てご機嫌な様子で歩き出すのが見えた。
私とマイちゃんは顔を見合わせて頷き、近付いていく。
「あら? 天先生?」
私は声をかける。私たちを見て首を傾げる天環。
彼女の目には私たちはこの時どう映っていたのだろうか。
黒いガーリーなブラウスに黒いパンツの私、白いワンピースを着たマイちゃん。
天環にとっては、死に誘う天使と悪魔のようだ。
改めて彼女の背後にある金属の扉に映る三人を見て、そう思ってしまった。




