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第三章



 第三章 浮遊都市エレアス



 眼前に一筋の光が差してきた。もうすぐ俺達の世界に戻れる。

 全身をまばゆい光が包み、次の瞬間、見慣れた景色が眼下に広がった。フロンティア養成学校、その上空を今降下している。

 別世界から帰還する際、決まった場所にゲートが出現することが数々の実験により分かっている。ある一定範囲内で生じたものは、絶対に同じポイントに帰還用ゲートが発生するのだ。そして俺達の学校で受け持つ任務は全て、この学校の上空にゲートが現れるようになっている。それは、ここに現れるのが判明したのちに、この場所に学校が立てられたからだ。

 重力が身を引き、風を切りながら落下。六号館屋上を目指し、左方向へ進路を変える。

 先に着地した人とぶつからない、安全な位置をキープしながら、さらに降下していく。右太股に付いたアームから反重力球を外し、親指をスイッチに掛ける。床が近づき、重力場を展開させると、緩やかに降り立った。

 後続の邪魔にならないためにも、速やかに出口へと向かう。階段を下り、六号館をあとにした。

「あーお腹すいたー。早くがっつり食べたいわー」

「何があっても平常運転だな、お前は。もっと初任務の達成を喜んだらどうだ?」

「喜ぶ、ってのは二秒だろうと、二時間だろうと結局は同じことでしょ」

「……つまり、その心は?」

 俺の頭では理解不能だ。脳がエラーを発している。

「あんたの頭にはコンクリでも詰まってるの?」

「いや、カニミソが詰まってる」

 杏華は、はぁ、と盛大にため息をつく。出来の悪い息子を見る母親のような目を向けられた。あれ? 一瞬、俺の母さんの面影が……。

「いい? まずは二時間くらい喜んだのを想像してみて」

「お、おう。…………ああ、やったー。嬉しいなぁ」

「じゃあ、次に二秒で喜んでみて」

「……よっしゃ」

「どう? 分かったでしょ」

「んー、何となくなら」

 要するに、過ぎ去ってしまえば同じということか。例えば好きな食べ物を、一気に十食べた時と、一ずつ食べた時を比較してみよう。食べきってしまえば、両方結果的には十食べたことになる。若干違いはあると思うが、簡単に言えばそういうことだ。

 話しながら歩いていると、あっという間に出撃用ヘリポート横の装備保管庫にたどり着いた。大きく開け放たれたスライド式の扉から中に入る。銃、アーマー、道具が所狭しと並べられ、奥には輸送用のトラックが止まっていた。

 使用後の装備を置くスペースにどさっ、と音を立ててバックパックを下ろした。その脇にアサルトライフルを置き、左脚からホルスターを外す。ハンドガンと共に静かに置いた。ベストを脱ぎ、ポーチが上になるようにしてバックパックに載せる。

 体が軽くなり、一息つく。任務が終わり肩の荷が下りた。

 二号館に行ってアーマースーツから制服に着替えると、時刻はすでに四時をまわっていた。何やかんやでエレナ達の世界には六時間もいたのだと、今になって実感する。

「で、これから何をするんだ?」

「ご飯を食べるわ。お腹すいたし」

「晩ご飯にはちょっと早くないか?」

「お腹が減った時に食べるのが、あたしのライフスタイルなのよ」

「夜中に腹減ったらどうするんだよ」


「見つけましたわ神林杏華! 私と勝負しなさい!」


「もちろん、食べるわよ」

 背後から声がしたが、杏華が振り向かないので俺もそれに合わせる。

「太らないのか?」

「太らないからこんなにもナイスバディなんじゃない」


「ちょちょちょっと! 無視しないでくださる!?」


 二度目の声で俺達は同時に振り返った。

「やっとこちらを向きましたわね。まったく、どれだけ難聴なんですの」

 そう言葉を発したのは、前髪をヘアピンで二つに分けた女子だった。肩にかかるくらいの髪で、目はパッチリと大きい。言葉遣いと相まって、どこぞのお嬢様のような雰囲気を醸し出している。しかし、残念なことが一つ――。

「あんた、胸ないのね」

 そう。彼女は貧乳だった。何もしなくても男には困らなそうなほどの美人なのだが、かわいそうなくらい絶壁なのだ。

「う、うるさいわね! こっちの方が好きだって言う男の人もいるのよ! べ、別に気にしてなんかいませんわ!」

 動揺を隠しきれていませんが。

「よくもまあ初対面の相手にそんなことが言えますのね。さすがは私のライバルですわ」

 だって初対面のパートナーにブサイクと言うほどですし。

「それで? あたしに何の用?」

「神林杏華、私と勝負しなさい!」

「どんな勝負よ? 内容は?」

「シミュレーターのエンドレスで勝負よ!」

「いいわ。その代わりあたしが勝ったら、千円いただくから」

 杏華は口元にニヤリと笑いを浮かべる。おお黒い黒い。

「決まりですわね。では早速行きますわよ」


 七号館シミュレーター室。仮想空間内。広大な白い空間の中に俺達四人は立っていた。

「そういえばあんた、名前は?」

妹尾美沙せのおみさよ。しっかり覚えておきなさい」

 杏華と妹尾はお互いに向き合い、激しく火花を散らせている。同時にウインドウを呼び出して手早く操作すると、二人とも勢いよくダイアログボックスの『はい』を叩いた。

 時間の経過とともに体の透明度が上がっていき、最後には視界から消え去る。

 対決方法であるエンドレス射撃というのは、的を一つでも撃ち漏らすと即終了するモードのことだ。条件はシングル射撃テストと何ら変わらず、ただ永遠と続くのが唯一の違いだ。しかし、ターゲットを五十個破壊するごとに0・5秒ずつ出現のタイムが短くなる。最終的には出現して一秒で消えてしまうようになるが、どう頑張ってもそこまでたどり着くのは不可能だ。せいぜい三秒が限界なのである。

「ウインドウ」

 俺が声を発すると、目の前にホロウインドウが現れた。タブの右端にある観覧をタッチし、リストに表示された二人の名前を選択。確認ダイアログにはい、と答える。

 消えたはずの二人の姿が、再び見えるようになった。今は射撃の準備をしていて、目は真剣そのものだ。どちらも負ける気はないらしい。

「……あなたは、どっちが勝つと思いますか?」

 隣から急に声を掛けられて、俺は少し驚いた。妹尾のパートナーの女子だ。髪はボブカットで、背はそれほど高くない。割とおとなしいタイプの子。中でも印象的なのは、半開きになったその目、いわゆるジト目というやつだ。

「杏華が勝つと思う。だってあいつは存在がチートみたいなもんだからな。普通の人じゃまず敵わない気がする」

「……そうですか」

 ジト目の女子は俺の方に体を向け、丁寧に会釈をした。

「……申し遅れました、私、桜井舞さくらいまいと言います」

「俺は百崎諒」

「……入学記念パーティの時にステージに上がられていた方ですよね」

「ああー、うん。そうだな」

 そこで一度会話は途切れ、しばし沈黙が続く。何を話そうか迷っているうちに二人の準備が完了し、エンドレス射撃の開始を告げる鈴の音が二重に鳴り響いた。

 俺から十メートル離れた位置で、二人はアサルトライフルをぴたりと構える。そして現れたターゲットに瞬時に反応し、的確に撃ち抜いていく。聴覚・視覚を研ぎ澄ませ、コンマ数秒でも早く体を動かしながら次々とスコアを重ねていった。

 序盤は優劣がつきにくい。勝負の分かれ目となるのは、150を超えた辺りからだろう。さて、妹尾がどこまで食い付いてくるか楽しみだ。

 二人ともほぼ同じタイミングでリロード。古い弾倉を抜き取り、ポーチから出した新たな弾倉を叩き込む。エンドレス射撃では、ポーチから弾倉が出された瞬間に次の弾倉がセットされるので、弾切れになる心配はない。

 スコアが五十を突破し、出現タイムが0・5秒短縮された。杏華は当然の如く余裕そうだが、妹尾も勝負を挑むだけあってまだまだ脱落する気配は見られない。

「すごいな妹尾さん、相当訓練したんだろうなぁ」

 動作、体の運び方、銃の扱い、照準を合わせる速さ、どれを取っても無駄がない。

「……神林さんに勝つためだけに、寝る時間を削ってまで訓練していましたから」

「思ったんだが、何で彼女はそこまで杏華にこだわるんだ? 恨みでもあるのか?」

「……『私より目立っているのが許せない』んだそうです」

「目立っている?」

「……はい。あのパーティのあと、彼女はちょっとした有名人になったのですよ。美沙はそういった人から注目されるのが好きな性格なので、自分より有名で目立っている彼女が妬ましいのです。だから彼女と勝負して勝てば、自分の方が有名になれるのではないか、そう思ったようです」

「人を動かす原動力は、何だか分からないもんだなぁ」

 依然として機敏に動き続ける二人。スコアが八十を超えていく。

 ふと、妹尾の動き方に違和感を覚えた。よくよく観察してみると、その正体が判明した。普通なら、ターゲットが現れてから反応をし、射撃に移る。しかし妹尾はターゲットが出現する前から、その場所に銃口を向けているのだ。まるで現れる場所が分かっているかのように。

「……気づきましたね」

「妹尾さんって、超能力者の末裔か何かか?」

「……違いますけど、正夢はよく見るそうです」

「あれ完全に予測して動いているよな?」

 もちろん全てというわけではない。だが確実に、先読みして動いている時がある。

「……美沙は、的の出る位置が分かるそうです」

「え? マジで?」

「……マジです。だから予測して動くことができるのです」

 これは杏華もやばいんじゃないか? 反応速度なら右に出る奴はいないと思うが、相手はまさかの予測者だ。今はまだ予測の力が十分に活かされておらず、差がないように思えるが、果たして終盤にはどうなるか……。

 いよいよスコアが120を突破する。ここで、妹尾の動きがわずかではあるが鈍くなってきていた。疲労の色が見え始めている。本気の集中というのはそう何十分も続かないからな。

「……神林さん、無尽蔵な体力してますね。まったく疲れている様子がないです」

「あいつそこら辺の男子より体力あるからな。もちろん俺よりも」

「……女の私から見ても、あの体力は羨ましいです。どうやったらあんなふうになれるのでしょうか」

「そうだな。朝食にハンバーガー、オムライス、パフェ、ラーメンを食べていれば、いつかはなれるかもな」

「……私には無理そうです」

 ついに大台である150を超え、出現時間がさらに0・5秒短縮された。ここからは一瞬でもミスをすれば、即終了に繋がってしまう。今まで以上に神経を研ぎ澄まし、最速で的を撃ち抜かなければならない。

 妹尾の予測が次第にその効果を発揮し、動きが劣っていても未だ対等に戦えている。どっちが優勢なのかほとんど見分けがつかない状態だ。

「……あっ」

 二人とも同時にアサルトライフルの弾が切れた。リロードしようとポーチに手を掛けた瞬間、三つの的が新たに出現する。急いでハンドガンをホルスターから抜き、照準を合わせて引き金を引いた。

「……駄目」

 妹尾の方のハンドガンは、一発撃ったあと遊底が後端で停止した。なす術がないまま三秒が経過し、ビィィー! と終了の合図がけたたましく鳴り響いた。

 一方、杏華の方も立て続けに三発撃つと、同じように残弾がなくなった。ハンドガンから手を離し、悪あがきのつもりで最後にショットガンをぶっ放す。

 再び終わりの合図が聞こえ、ようやく決着がついた。

 二人はホロウインドウを操作し、俺と同じ空間に戻ってくる。辺りを見回して俺と桜井の姿を発見すると、こちらに向かって歩いてきた。

「お疲れさん。かなりいい戦いだったぜ」

「もちろん私が勝ったに決まっていますわ!」

「は? あたしの勝ちに決まってるでしょ」

「何ですって!?」

 杏華と妹尾はお互いに顔を近づけ、私が勝った、あたしが勝ったと言い争う。

「まあまあ、二人とも落ち着け。ガイドに結果を聞こうじゃないか」

「そうよ。早く結果を聞きましょう」

「言われなくてもそのつもりですわ」

 二人は上を見上げると、

「結果は?」「結果は!?」

 一斉に口を開いた。

「神林杏華様、168点。妹尾美沙様、165点。神林杏華様の勝利でございマス」

 一瞬の間ののち。

「よっしゃああああぁぁぁぁ――――!!」「ええええええええぇぇぇぇ――――!?」

 杏華は右拳を突き上げ、妹尾は両手を床についた。

「嘘よ……。これは悪い夢に違いありませんわ」

 妹尾は床を見つめたまま、ふるふると首を横に振る。相当ショックが大きいんだろう。

「ねぇ――」

 杏華がしゃがみ込み、妹尾の肩にそっと手を置いた。対決のあとの友情が芽生えるシーンか。感動的だな。一体どんな言葉を掛けるのか。

「――あたしの勝ちだから、千円、よろしくね」

 満面の笑みでそう言った。

 ……………………………………………………………………………………………………。

 俺を含め、杏華以外の全員がその場に凍りついた。


 翌日。

『全生徒に告ぐ。新たな任務要請が出された。出発できる生徒は、至急ヘリポートへ向かうように。繰り返す――』

 俺は放送の声で目を覚ました。枕元の時計で時刻を確認すると、六時四十七分だった。

 ……寝よう。とてもじゃないが休みも入れずに早朝から任務に出れるほど、俺の体の回復機能は高くない。ここは他のまだ任務に出たことがない人に譲っておこう。

 掛け布団を引っ張り、肩に掛け直すと頬を枕にうずめた。

「ダーリン、起・き・て(はぁと)」

 !?

「うおおっ!?」

 耳の穴に水をたらされた。気持ち悪さに思わず飛び起きる。

「何すんだよ!」

 梯子に上っていた杏華を睨みつける。右手にガラスのコップを持っていた。

「当ホテルではモーニングウォーターサービスを行っております」

「いらねぇサービスだなぁおい!」

 モーニングコールの亜種とでも言いたいのか!? 

「まあ茶番はこれくらいにして。諒、任務に行くわよ」

「だが断る」

「は?」

 顔に水をぶちまけられた。

「ごめんなさい。行きます。許してください」

「そうそう。いい子ね」

 ……何だろう、すごく悲しい気持ちになった。

 寝巻のまま部屋を飛び出し、駆け足で二号館へと向かう。手早くアーマースーツに着替え、出撃用ヘリポートに足を運んだ。

 ヘリの近くでは、前と同じように菅原さんが待機していた。

「おっ、また君達か」

「おはようございます。菅原さんも朝早くから大変ですね」

「眠いよー。少し運転が荒くなるかもしれないから注意しといてね」

「墜落はやめてくださいよ」

「さすがにそれはないさ。もしそうなったら私クビだよ」

「頼みますね」

 菅原さんと別れ、俺達は後部から機体に乗り込む。内部に他の生徒の姿はまだなく、どうやら再び一番乗りをしてしまったようだ。

 装備を整え、バックパックに予備の食料と弾薬を詰める。

「今回もお前は持っていかないのか?」

 俺の様子をじっと見ていた杏華に声を掛ける。

「あたしがあんたの分まで攻撃するから、あんたはあたしの分の食料を持って行ってちょうだい」

「意地を張らないんだな」

「あんたに迷惑だと思ったから。感謝しなさいよ」

「ありがとうございます」

 その後、続々と他の生徒がヘリに乗り込んできた。出発の時間が近づいてくる。

 最後に乗ってきた人は、俺の知る奴だった。こちらに気が付き、生徒の間をくぐり抜けて近づいてくる。

「おーい、諒!」

 声を掛けてきたのは、中学時代のクラスメイトの西原圭介だ。隣にはパートナーの小島もいる。

「いやあ間に合って良かった」

「お前は初の任務か? 俺達は二回目だが」

「ああ、昨日やっと必須訓練が終わったんだ。これでようやく活躍できるぜ!」

 圭介のテンションは最高潮だ。

『時間だ、出発するよ。揺れるから注意しといてね』

 機体内に菅原さんの声が響き渡り、同時に後部が閉まっていく。プロペラが音を立てて回転を始め、すぐに浮遊感が生まれた。

 目的地に向かって飛行し、あっという間に到着する。初回は興奮していたからか、長く感じたが、今回はそれほどでもなかった。

『ゲートに到着したよ。みんな頑張ってねー』

 機体後部が開き、日の光が差し込む。助走をつけて勢いよく飛び出し、前の生徒が次々に大空へと舞っていった。

「諒、どっちが任務を達成できるか勝負しようぜ。負けたら食堂で飯をおごるってことで」

「いいだろう。受けて立ってやる」

「約束だからな。忘れんなよ!」

 圭介はニッ、と笑いを浮かべ、白い歯を見せた。ゴーグルを掛け、振り返る。

「よし、友弥行くぞ!」

「う、うん」

 先に圭介が飛び出し、友弥が続く。機内に残っているのは俺達だけになった。

「さて、あたし達も行きましょうか」

 杏華はおでこに装着していたゴーグルを目の位置にずらす。眼下に広がる景色を一通り見回すと、俺の方に顔を向けた。

「圭介に勝って、たらふくおごってもらいましょう」

「え? お前の分もおごってあげるなんて、一言も言ってなかったぞ?」

「何言ってんの? あたしのことだからおごってくれるに決まってるでしょ」

 ……圭介。君の財布は現時点をもって0円になる運命に変更されたよ。

「それじゃあ、レッツゴー!」

 杏華の掛け声とともに、同時にゲートへ向けて飛び降りた。安定姿勢をとって速度を上げながら落下していく。ゲートの周りには住宅地があるが、人はまったくいない。

 やがて内部に侵入し、光が遠ざかり視界が暗闇に包まれる。数十秒の自由落下のあと、一筋の光が差し込み、瞬く間にそれはまばゆい光に変貌を遂げた。

 ――次の瞬間、目の前に広がったのは、砂漠と岩山だった。

 ゴツゴツとした岩石の山の間を埋めるように砂漠が広がっている。植物は見当たらない。気温は今まで体感したことがないくらいに高く、太陽がじりじりと照り付けてくる。

 岩山を避けて降下し、重力場を展開。砂を踏みしめて大地に降り立った。

「あっっっっつ!!」

 杏華が大声で叫んだ。

「これは焼き肉になるのも時間の問題だな」

「早く洞窟でも見つけて入りましょう。このままじゃ無駄に体力だけ奪われるわ」

 近くの山に向かって、俺達は波打つ砂漠を歩き始める。


「……はぁ、はぁ、はぁ」

「……ふぅ、ひぃ、はぁ」

 十五分後。俺達は二人とも息を切らせていた。

「何か、やけに疲れない?」

「砂に足を取られて、歩きづらいせいだと思う」

 固い地面を歩く時よりも、数倍筋肉を使っている気がする。

「ラクダのレンタルってやってないのかしら……」

 そのあと、再び黙ったまま歩き続けた。喋ると大事な体力が削られるし、そもそも喋るだけの体力が残っていなかった。

 どれくらい歩いただろうか。この暑さで体感時間もおかしくなり始めている。

 砂丘を上りきると、見晴らしが良くなった。岩山も良く見える。

「あっ! あそこ! 穴がある!」

 杏華が指差した方向には、人が入れそうな大きさの洞窟があった。距離は百五十メートルほど。もうひと踏ん張りだ。

「中に入って少し休憩しよう。水分を取らないと」

「そうね。干物にはなりたくないわ」


 ――ズズッ……。


「ん?」

 足元に違和感。砂が動いているような、そんな感覚がした。一瞬流砂かと思ったが、違う。砂が徐々にせり上がってきている。

「杏華、洞窟へ急ぐぞ。嫌な予感がする」

「ええ、あたしもそんな気がするわ」

 身の危険を感じ、早足になる。岩山にぽっかりと開いた穴に向かって一心不乱に進む。

 突如、ズバァ! と背後で豪快な音が響いた。振り返ると、砂が空中に舞い上がっている。盛大にまき散らされた砂が地に落ち、視界が良くなって見えたのは――

 ――巨大なサソリだった。

 見上げるほど大きい体、どんな物でも両断しそうなハサミ、鋭い毒針。未だかつて見たことのないスケールのサソリが、その場に存在していた。

「何なの、こいつは!」

 隣に立った杏華がアサルトライフルを構え、トリガーを引いた。音速で弾丸が射出され、サソリ目掛けて飛翔していく。しかし弾丸が、外殻を貫くことはなく、表面に少し傷をつけただけだった。

「ダメ、硬い!」

「どうする!? また逃げるか!?」

 サソリは八本の足を器用に動かし、俺達との距離をじわじわと詰めてくる。

「逃げるしかないでしょ!」

 俺達は脱兎の如く、駆け出した。

「疲れたから走りたくないのにぃ!」

「でも走らなきゃ死ぬぞ!」

 サソリは足の回転を速め、俺達を追ってきていた。体格がでかいために一歩の移動距離がかなり大きい。人間で、しかも不慣れな砂の上では、追い付かれるのは目に見えている。

 それでもがむしゃらに走るしかない。無我夢中で砂を蹴り、足を動かす。

「どうすればいいのよ!」

「またフラッシュでも使ってみたらどうだ!?」

「無理無理! そんな余裕ない!」

 そうこうしているうちに、サソリは俺達のすぐそばにまで接近し、鋭利なハサミを振るってくる。

「きゃああああ!」

「あっぶねぇ!」

 頭を下げて何とかかわし、体勢を立て直す。

 洞窟まであと八十メートル。このまま避け続ければ、もしかしたらいけるかもしれない。

 上から潰すようにしてハサミが振り下ろされる。思いっ切り右に飛び、再びぎりぎりの所でかわした。肝を冷やし、心臓が跳ね上がる。

 サソリの行動に合わせて、何度も何度も体を動かし、攻撃を回避していく。避けるたびに俺達は情けない悲鳴を発していた。近くに知り合いがいなくて良かったと、心の底から思った。

 残り三十メートル。ここでついにサソリは鋭い毒針を俺の方に向ける。狙い澄ました一撃を、恐るべき速度でお見舞いしてきた。空気を切り裂きながら高速で飛来し、左肩を掠める。幸い当たったのが尾部の膨らんだ部分だったので、毒の心配はなさそうだ。

 傾いた体を元に戻し、残りの力を振り絞って走る。半ば飛び込むようにして洞窟の中に入った。

 目と鼻の先にまでハサミが接近してきたが、それ以上こちらに来ることはできないようだった。しばらくハサミを振り回すが、意味のないことが分かったのか、くるりと方向転換をして姿を消してしまった。

 一気に緊張が解け、体から力が抜ける。その場にへたり込んだ。

「助かった……」

 俺達は言葉も発せないほどに疲れていた。荒く呼吸をする音だけが洞窟内に響く。

 やがて落ち着きを取り戻すと、バックパックから水筒を取り出した。

「ほら」

 杏華に向かって投げる。受け取ると、ふたを外してかぶるように飲み始めた。俺も二本目を手に取り、渇いたのどに流し込む。ああ、生き返る……。何の変哲もないただの水が、こんなにも美味く感じられるとは思わなかった。

「これからだけど、どうするべきかしら」

「とりあえず洞窟を抜けよう。何か進展があるかもしれない」

 俺の言葉に杏華は頷いた。

 体力が十分に回復したのを見計らって、俺達は立ち上がる。装備の確認済ませ、洞窟の脱出に向けて再度歩みを開始した。

 内部は緩やかな上りになっているが、それに伴って天井もカーブしていた。人工的に造られた可能性が高いようだ。入った時からすでに出口も見えていて、それほど長いわけではない。通り抜けるのにも時間は掛からなかった。

 外へ出ると、驚きの光景が広がっていた。

 オアシスだ。砂漠には珍しい水溜りがあり、その周りには草木が根付いている。俺達は引き付けられるようにオアシスへと足を運んでいた。

「すごいわ。こんなものを見られるなんて」

「確かにすごいが、不気味なくらいに水がきれいじゃないか?」

 南国の海のような済んだ色をしている。

「あれよ、あたし達には分からない力が作用しているのよ。魔法みたいな」

「さすが魔法。何でもありだな」

 杏華が水溜りの中に足を踏み入れた。腰を曲げ、両手で水をすくう。

「この水、飲めるのかしら?」

「さあ、まったく分からん」

「まあ鉄の胃袋を持つあたしなら大丈夫よね」

 杏華が水を飲もうと決意した瞬間、上空から大きな声が聞こえてきた。

「おーい!! そこにいるのは誰だー!?」

 見上げると、銀色をしたドラゴンが空を飛んでいた。首の辺りに誰かがまたがっている。ドラゴンはどんどんこっちに近づいてきていて、そばまで来ると次第に速度を落とし始めた。やがてふわりと着地し、俺達の前までやってくる。

 ドラゴンが首を下げると、乗っていた人が飛び降りた。

「よお。見たことない顔だな」

 すらりとした長身の男で、顔立ちから察するに二十歳くらいだろうか。肌はこんがりと焼けており、ツンツンに尖らせた髪が印象的だ。

「こんな危ない所で何してるんだ?」

「人が多くいそうな場所を探しているんです」

 俺は当たり障りのない言葉で答えた。

「へぇ、そうか。だが一つ言わしてもらうと、下なんかに人はいないぜ」

「下……とは?」

「この砂漠のことさ。オレらはみんな下って呼んでる」

「その、下、に人がいないのなら、あなた達はどこに住んでいるのですか?」

「ん? そりゃあ、もちろん――」

 長身の男は真上を指差し、

「――空に、だよ」

 意味が分からなかった。つまり天空の城のように浮いているとでも言うのか?

「ところでお前さん達、人の多い所に行くって言ってたな。もし仕事を手伝ってくれたら連れて行ってやってもいいぜ? どうする?」

「……やります」

「よし、決まりだ! っと、そうそう。オレはキリク、よろしくな」

「俺はも、……諒です」

 フルネームで名乗っても良かったが、ややこしくなりそうだったので名前だけにしておいた。

「私は杏華と言います」

 俺の意図を察してくれたのか、杏華も名前だけ名乗った。

「リョウとキョウカだな。さっそくで悪いがこっちに来てくれ」

 キリクはドラゴンの横っ腹に括り付けられた樽の所まで移動する。一つを外し、俺達の目の前に置いた。樽は膝より少し高く、直径は四十センチくらいの大きさだ。上部に取っ手が二つ、横方向に伸びていた。

 キリクがふたを掴み、ひねるように回す。簡単にふたが外れた。中には当然だが何も入っていない。

「この樽に水をいっぱいに入れてきてくれ」

「分かりました」

 俺達は全ての装備を一旦砂の上に降ろし、樽を持つと水の中に足を踏み入れた。じゃぶじゃぶと音を立てながら太股の深さまで行くと、手に持った樽を傾けて水を入れる。いっぱいになるとふたを閉め、腰に力を入れてキリクの元まで運んだ。

 何度も何度も往復し、手伝いが終わる頃には俺はくたくたに疲れていた。気力を振り絞って最後の一つを運ぶ。半ば乱暴に置くと、そのままその場に座り込んだ。

「いやーお疲れ。ご苦労さん」

 樽をドラゴンに固定すると、再び俺達に向き直った。

「約束通り、お前さん達を街まで連れて行ってやるよ。ほら、早く準備しな」

「……ちょっと、待ってください。体が、もたないです……」

「貧弱だなぁ。男ならもっと力をつけようぜ」

「そうですよキリクさん。もっとこいつに言ってやってください」

 杏華がいつもの仁王立ちで隣にいた。いやお前ももっと女の子らしくしてくれ。初対面の人にゴリラに間違われて困るだろ。

「さっさと準備よ、諒。早く立って」

「分かった分かった。急ぎますよ」

 砂を払いながら俺は立ち上がった。それから装備を回収し、手早く準備を整える。

 万全の状態でキリクのそばまで戻ってきた。

「おし、準備完了だな。じゃあ早速背中に乗ってくれ」

 ドラゴンが頭を下げると、キリクは慣れた手つきでその体を上っていく。首筋にまたがると手綱を握った。

 俺達も同じようにしてドラゴンの体によじ登り、キリクの後ろに座る。

「よし、行くぞ! しっかり掴まっておけよ!」

 ドラゴンが翼を羽ばたかせ、大空へと舞い上がった。ぐんぐん高度を上げていく。みるみるうちにオアシスが遠ざかっていった。

 母さん、父さん。俺は今、ドラゴンに乗って空を飛んでいます。こんな貴重な体験をすることができたのも、あなた達がここまで育ててくれたおかげです。本当にありがとう。でも出来の悪い息子でごめんね。あと、冷蔵庫に取っておいた高級プリン食べたの、実は俺です。ごめんなさい。

 風を切りながら飛翔し、一つの大きな山を越える。その先に広がっていたのは、まさしく『空にある街』だった。

「何だ、あれは……」

 山をそのまま引き抜いてきたかのような大地の上に、家や草木、人や家畜が存在していた。浮遊していることを除けば、普通の土地に暮らす人々と何ら変わらない世界だった。

 俺達を乗せたドラゴンは街の上空を飛行していく。商店で立ち話をする女性、駆け回って遊ぶ子供達、座って休憩している老夫婦、そこで生活する様々な人の姿が視界に飛び込んできた。

「結構発展しているんですね」

「発展、ねぇ。オレには良く分からないが、お前さんが言うんだからそうなんだろうな」

 街の中心には大きな宮殿がそびえ立っている。その横を通り過ぎ、ドラゴンはさらに飛び続けた。

 やがて街の外れにたどり着くと、一軒の家に向かってドラゴンは高度を落としていく。

 芝の上に緩やかに着地し、数歩歩いてから立ち止まる。首を下げてもらい地面との距離が縮まると、俺達は地に飛び降りた。

「さあ着いたぜ。これからどうするんだ、お前さん達?」

「聞き込みに行こうと思っています。俺達は黒いクリスタルのような物を探しているんです」

「黒いクリスタル? んー、どこかで聞いたことがあるような……」

「え? 知っているんですか?」

「何だったかな……。…………ああそうだ! リルがそんなこと言ってたっけか」

「リル?」

「そう。俺の嫁さんだ」

「えーっ! 結婚してるんですか!?」

 意外にも杏華が大声を発した。確かに俺も驚いたが、そこまで驚かなくても。

「おうよ。来月でちょうど一周年になる」

「いろいろお話聞かせてもらってもいいですか!?」

「いいぜ。リルを待つ間の暇潰しにもなるだろう。立ち話もあれだし、オレの家に来いよ」

 俺達はキリクに案内され、立派なレンガ造りの家に足を運んだ。


「へぇー、そんなことが」

「まったくひどいもんだよ。もう少しであの世に行くところだった」

 椅子に座り、木製のテーブルを挟んで会話を始めてから十五分が経過していた。その間、キリクさんの話は一度も途切れることはなかった。杏華も相槌を打ちながら楽しそうに聞いていて、完全に任務中であることを忘れていた。

「ただいまー」

 その時、背後にある扉が開き、一人の若い女性が中に入ってきた。

「おう、リルおかえり」

「ん、この人達は?」

 キリクさんの妻、リルさんは線の細い人だった。服の上からでも分かるほどに体が細く、指先も白くて美しい。小顔で、少し長めのまつ毛。髪は艶やかで良く手入れされているのがはっきりと見て取れた。

「お前に用事だそうだ。いつだっけか、黒いクリスタルの話してくれただろ? そのことについて聞きに来たんだとさ」

「! ……そう。分かったわ」

 何だ? 今の一瞬の間は? 

 リルさんはキリクさんの隣に座ると、俺達に目を合わせた。間近で見るとその美しさが一層際立って見える。こんな美人と結婚したキリクさん、やるな。

「まずはいらっしゃいませ。キリクの妻のリルと申します」

 恭しく頭を下げた。

「俺は諒です」

「あたしは杏華と言います」

 俺達もつられて頭を下げる。

「それで、黒いクリスタルについて聞きに来たんですよね」

「はい、そうです。詳しく聞かせていただけますか?」

「そうね、あれは二日前だったかしら。ミレイ島に出掛けていたんだけど、上空に変な黒いクリスタルが浮いていたの。特に害になる様子もなかったから、そのままにしてきてしまったわ」

 ふむ、これはコネマテである可能性が高くなってきたか。

「何か身の回りで変わったことは起こりませんでしたか?」

「次の日、私の相棒のドラゴンが行方不明になっていました。今までそのようなことは一度もなかったのですが……」

 その話を聞いて俺は確信した。エレナの時の猿人と同じように、リルさんのドラゴンがコネマテに侵食を受けている。主人の所に戻ってきていないことから、猿人とは違い、自我を失っている可能性がある。

 何にせよ、まずはそのドラゴンに会ってみなくては。杏華に目をやると、どうやら同じ考えに至ったようで、頷きを返してきた。

「ミレイ島まで連れて行ってもらえませんか? もしかしたらそこに、リルさんのドラゴンがいるかもしれません」

「本当ですか!?」

「あくまで予測なので、絶対とは言い切れませんが」

「……分かりました、行きましょう」

 と、それまで話を聞くだけだったキリクが口を開いた。

「気持ちは決まったか? なら今すぐ出発だ」

 がたんっ、と椅子から立ち上がり、キリクは早足で家を飛び出していった。

「ごめんなさいね。あの人、行動が唐突な時があるから」

「いえ……」

 本当に、思い立ったら即行動、だったな。

「それでは俺達は、キリクさんに手伝いがないか聞いてきます」

「お願いします。私も用意ができ次第、そちらに向かいますので」

 俺達は銃や道具を装備し直し、家を出た。

 外では、水の入った樽をドラゴンから外しているキリクさんの姿があった。

「何か手伝えることはありますか?」

「そうだな、じゃあ一緒に樽を外してくれ」

 固定具を緩めて樽を外し、芝の上に置いていく。その間ドラゴンは一切嫌がるそぶりも見せず、ただじっと動かずに作業が終わるのを待ち続けていた。俺達が近くにいても平気なところを見ると、かなり人間慣れしているようだ。どうやったらこれほどまでの信頼関係を築くことができるのだろうか。

 全て外し終わると、ちょうどリルさんが合流した。

「よし、みんな乗れ! 出発するぞ!」

 キリクさんを先頭に、リルさん、杏華、俺、という順番でドラゴンの首筋にまたがった。

 バサッ、と大きな翼を広げ、そして力強く羽ばたいた。空気を叩き、巨大な体が徐々に浮かび上がる。バランスが安定すると、目的地であるミレイ島に向かって進み始めた。

「リルさん。ミレイ島には何分くらいで着くんですか?」

 杏華が尋ねる。

「十分ってところね。そんなに遠くはないわ」

 砂漠と岩山を眼下に見下ろしながら、ドラゴンは飛行を続ける。どこまで行っても砂漠しかない。景色が変われば少しは面白味も増すのだが……。いやいや、何を考えているんだ。俺達は景色を楽しみに来たんじゃないんだぞ。

「諒! 山のあそこ見て! ハートマークになってる!」

 ……こいつは思いっ切り景色を楽しんでやがるな。

 やがて遠くの方に、小さな島が見えてきた。小さいと言っても、キリクさん達が住む街のある島に比べて、というだけで、それ自体は相当大きい。

「あれがミレイ島ですか?」

「そうよ」

「リルさんはあの島に何しに行ったんです?」

「花を摘みに行ったの。ミレイ島にしか咲かない花で、希少価値が高くて高値で取引されるのよ」

 近づいていくと、島の様子が分かるようになってきた。

 円形の大地になだらかな山が存在しているだけの島で、草木はほとんど見当たらない。水源もなく、動物が棲んでいる気配もない。環境の厳しい島だった。

「少し旋回してみるか」

 キリクさんの指示で、ドラゴンは上空を旋回し始める。そのままぐるりと一周するが、リルさんのドラゴンの姿はどこにもなかった。

「いないのか……?」

 俺は焦りのあまり、無意識に呟いていた。もしいなかったら、期待させてしまった二人に申し訳がない。額を擦りつけて土下座をしても、許してもらえるかどうか……。

「見て!」

 山の頂上を越えるように飛行していた時、杏華が思わず声を上げた。

 指差した方向を見る。山を上から見ると、頂上に穴が開いているのが分かるのだが、その内部に白銀に輝くドラゴンが――。


 「「「「いたああああぁぁぁぁ―――――!!」」」」


 興奮して全員が叫ぶ。俺は同時に安堵した。推測を信じてここまで連れてきてくれた二人を、裏切るようなことにならなくて本当に良かった。

「どうやったらあそこに行けますか!?」

 興奮覚めやらぬ様子で杏華が訊く。

「山に一か所、中へと繋がる洞窟があるわ。キリクお願い」

「まかせろ!」

 洞窟の位置を把握しているのか、キリクさんは迷わずドラゴンの進行方向を変えた。

 目的地に到着し、ゆっくりと高度を下げていく。着地と同時に急いで飛び降りた。洞窟はもう目の前に見えている。

「よし、行くぞ!」

 キリクさんの掛け声と共に、俺達は洞窟に足を運んだ。

 中はひんやりと涼しく、天然のクーラーのようだった。一本道で、それほど遠くない位置に出口が見えている。その奥には白銀の色をしたドラゴンの姿がはっきりと確認できた。

「ドラコ……」

 前を歩くリルさんのスピードがだんだんと速くなっていく。待ちに待った再会の瞬間。

 ほとんど走るような速度で出口を抜ける。

 そこには、広大な空間が広がっていた。上部が切り取られた円錐の地形で、向こう側の半分近くが湖のようになっている。ドラゴンは空間内のおよそ中心の場所で横になって倒れていた。

「ドラコ!」

 リルさんがドラゴンに向かって駆け出す。まずい、危険だ!

 俺が頭で理解した時にはすでに、杏華はリルさんを追いかけていた。差はすぐに縮まり、左手首を掴む。

「何ですか!?」

 半ば激昂した様子でリルさんが声を荒げる。

「危険です! 不用意に近づかないでください!」

「危険!? 私のドラゴンが、私に危害を加えるとでも言うの!?」

「はい! その可能性があります!」

「ありえないわ! そんなこと、あるわけがない!」

 杏華の忠告を無視してドラゴンの元へ向かう。頭のそばまで行くと、リルさんは優しく顔を撫でようとして――。

 ――その瞬間、ドラゴンがぎょろりと目を開けた。

 次の瞬間には、リルさんが激しく吹き飛ばされ、宙を舞っていた。落下地点に入った杏華がリルさんを受け止めるが、勢いを止めることはできず、一緒に地面に倒れ込んだ。

 ドラゴンが殴ったのだ。人の何十倍もの力を発揮する強靭な前足で。

 体を正面に向けたドラゴンが、なおも二人を凝視する。その目は血走り、明らかに正気ではない感じがした。

 俺は即座に走り、二人を追い越す。何とかドラゴンの注意を二人から逸らそうと、

 間に割って入った。目の前には巨大なあぎとがあり、鋭い牙が見え隠れしている。ぱくりと食べられてしまうのではないか、という恐怖で、体中から嫌な汗が噴き出した。

「諒!?」

 後ろから杏華の声が聞こえる。だが今は振り向くことができない。そんな暇はない。

 ドラゴンが喉元で何かを溜める動作をする。炎でも吐くのか、と俺が身構えると、

 耳をつんざかんばかりの咆哮が、その口から発せられた。

 とっさに両手で耳を塞ぐ。しかし、一度大音量で聞いてしまったために、耳の感覚が麻痺していた。キーンと不快な音が耳の中に残り続け、周囲の音が聞き取りづらい。でも鼓膜が破れなかったことが不幸中の幸いだろう。

 ドラゴンは翼を上下させて浮かび上がると、天井に開いた穴から外へと飛び出していった。その時、胸の辺りにコネマテが存在しているのが、しっかりと視認できた。やはり間違いない、俺達が倒すべき目標はあのドラゴンだ。

 ――リルさんの相棒のドラゴンを殺す。

 分かってはいた。話を聞いた時から。……やるしか……ない。

「………………すか!? リルさん!?」

 耳の麻痺が回復し、杏華の声で俺は今の状況を思い出した。振り返り、倒れた二人に駆け寄る。

 リルさんがみぞおちを押さえ、荒い息を吐いていた。苦悶の表情を浮かべ、必死に痛みに耐えている。杏華はその傍らに膝をつき、何度も声を掛けていた。

「諒! 手当てできる物はないの!?」

 歯を食いしばり、今にも泣きだしそうな顔だった。

「ない。擦り傷、切り傷程度の処置をできる物しかない」

「何でっ……。何でよッ……!」

 拳を握りしめ、わなわなと肩を震わせる。

「もしあっても無理だ。知識も経験もないんだぞ」

「だったら見殺しにするって言うの!?」

「そうは言ってない! ……俺達に今できるのは、急いで医者に連れて行くことだけだ」

 口論が一旦おさまり、静寂に包まれる。

 その時、リルさんが声を発した。

「私……なら……、大丈……夫」

 途切れ途切れの声のあと、無理矢理上半身を起こす。体が悲鳴を上げて激痛が走っているはずなのに、顔にはほとんど出していなかった。

 今度は手をつき、腰を浮かせる。そのまま両足を地につけ、誰の手を借りることもなく一人で立ち上がった。

「リルさん!? 本当に大丈夫なんですか!?」

「ええ。もう少しすれば全回復するわ」

 ありえなかった。俺達の理解をはるかに超える現象が、この数分の間に起こっていた。

「オレ達の体は、普通の奴らとは少しばかり違うんだ」

 いつの間にか近くに来ていたキリクさんが説明をしてくれた。

「死ななければどんな外傷だろうと、すぐに元通りになる。たとえ骨折や内臓破裂であっても、だ」

 なるほど、リルさんが倒れても一向に慌てる様子がなかったのはそのためか。

「でも体調は崩すし、病気にもなる。寿命だってある。特殊なのはあくまで外傷に対してだけで、それ以外は普通の人と何ら変わらないんだ」

 リルさんがあとに続いて言葉を発した。

「これは私達がドラゴンと付き合うための、言わば呪いよ」

 異なる世界では俺達の常識が通用しない。改めてそう実感した。

「あの! ――」

 杏華が目をキラキラさせて何かを言おうとしていた。これは……まずい!

「――その半不死身には、どうやったらなれますか!?」

 ……………………………………………………………………………………………………。

 空気が、がらりと変わった。

「ご、ごめんなさい。これは先天的なものだから、あとからなるのは無理……かな」

 リルさんが言いにくそうに答えた。

「そうですか……。残念」

 声のトーンを落とし、杏華は残念がるそぶりを見せる。

 その後、誰も声を発さず、場に変な空気が流れ始めていた。俺はその変な空気を打開するために、意を決して話を切り出した。

「早くリルさんのドラゴンを追いかけましょう。手遅れになる前に」

 俺の言葉で、場の雰囲気が先ほどの緊迫した状態に戻っていく。

「そうだな。みんな、早く行くぞ」

 言い終わるとすぐに、キリクさんは出口に向かって走り始めた。リルさんもあとに続く。

「諒、あたし達も行くわよ」

「はいよ」

 俺達は二人を追って地を蹴った。

「くそぅ。半不死身になりたかった……」

「まだ諦めきれてなかったのか」

「当たり前でしょ。誰もが憧れる、夢のような体質なのよ」

「お前にはピッタリだな」

「は?」

 杏華が眉をひそめて俺の方を見た。

「ほら、お前って無茶をして死ぬ確率が高いだろ?」

「失礼ね、あんたはあたしを何だと思ってるの」

「あの状況で不死身のなり方を訊くお前も、大概失礼だけどな」

 軽口を叩いているうちに、洞窟の外に出た。すぐさまドラゴンの背中に乗り、急いで飛び立つ。リルさんのドラゴンは、上空を大きく旋回していた。それはまるで、俺達を待っているかのようだった。

「諒、ライフルを使う準備をして」

「ああ、分かった」

 俺達を乗せたドラゴンはぐんぐん高度を上げ、リルさんのドラゴンに近づいていく。

「ドラコ!」

 同じ高度に達した時、リルさんは大きな声で名前を呼んだ。

 リルさんのドラゴン――ドラコは制動をかけ、その場にホバリングする。器用に体を回転させ、こちらに向き直った。

「あなたどうしたの!? 私のことが分からないの!?」

 必死に言葉を投げかける。しかし、その言葉は届いていない。

 帰って来たのは、小さな咆哮ただ一つ。

 ドラコはいきなり方向を変えると、俺達から遠ざかるように飛んでいった。

「追うぞ!」

 こちらのドラゴンも、加速のために翼で空気を叩いた。

「キリクさん、できるだけ近づいてください。あたし達があの子を倒します」

 杏華が迷いのない指示を飛ばす。同時にセレクタ―レバーを安全から連射に切り替えた。

「倒すって、どういうことですか!?」

 リルさんが取り乱した様子で杏華の方に振り返る。

「あの子は変な病気にかかっていて、もう治る見込みはありません。周りに被害が及ばないように、今すぐ倒す必要があるんです」

「病気ならあなたよりも私の方が詳しいはずよ!? だからまだ手はあるはず……!」

「いえ、この世界の住人であるあなた達では、病気を治すどころか、この事態の収拾も不可能でしょう」

「………そんなはずはっ………!」

「最後にもう一度だけ言います。あたし達は、あの子を、殺します。息の根を、止めます」

 杏華の押し殺した言葉に、リルさんは顔をしかめる。

「…………っ!」

 杏華から視線をそらし、唇を噛んだ。

「分かり……ました」

 歯切れの悪い返事だった。

 ドラゴンはドラコの右横まで追い付き、平行しながら飛んでいく。俺はアサルトライフルのストックを肩に当てた。

「諒! 翼を狙って!」

 鋭い指示と共に、杏華のライフルから弾丸が発射される。空気を切り裂いて飛翔した弾丸は、ドラコの背中を掠めて後方に流れていった。

 狙いをつけ、俺もトリガーを引き絞る。連続した反動が体を叩いた。

 右翼に二発着弾し、赤い鮮血が風に乗って糸のように流れる。がくっ、と体勢が崩れるが、すぐに立て直し、ドラコは飛行を続けた。

 俺達は考えることをやめ、ただひたすらに引き金を引いた。弾が雨の如くドラコの体に突き刺さる。そのたびに痛々しい悲鳴を上げて、何度も何度もバランスを崩していた。

「ぁ……あっ…………」

 リルさんの目から涙がこぼれ落ちた。その涙はしずくとなって、眼下にある広大な砂漠へと、静かに落ちていった。

 空になった弾倉を抜き、ポーチから新たな弾倉を取り出す。ライフルに叩きこんでボルトリリースレバーを戻すと、遊底が元の位置にスライドした。

 手を止めることなく、次弾を撃ち込む。飛ぶスピードが明らかに遅くなってきていた。翼を動かすのも、浮かび上がるのも、もはや限界なのだろう。

 命中した箇所から鮮血がぶしゅ、と噴き出す。ドラコの体は血の斑点にまみれ、見るも無残な姿へとなり変っていた。

「キリクさん! 真上に着けてください!」

 杏華の指示で、キリクさんはドラゴンを一層高く上昇させる。

 ふらふらとした姿勢のドラコの頭上にたどり着くと、杏華はライフルを背中にまわした。

「何をするんだ?」

「飛び移る」

「マジかよ」

「マジよ。遠距離じゃ致命的なダメージを与えられないもの」

 下を確認し、飛び出すタイミングを計る。飛行が一瞬安定した時を見計らって、バッ! と空へ身を乗り出した。

 左手で腰からナイフを抜き、右手で反重力球を握る。五メートルほど落下し、重力場を発生させて翼の間に着地した。着地と同時に左手のナイフを背中に突き立て、バランスを保つ。

 重力場を消し、杏華は背中のショットガンのグリップを掴む。右手でナイフを握りながら、左手に持ったショットガンで左翼の付け根の所に狙いを定める。

 バシュン!!

 無数の小さな弾丸が、ピンポイントで直撃する。ぐらりと体が傾き、斜めに落下し始めた。右手を離して素早くリロードし、再びナイフを掴む。

 今度は右翼の付け根に銃口を向け、トリガーを引いた。銃声が鳴り響き、翼の動きが完全に停止する。

 揚力を失ったドラコは重力に引かれ、下に広がる砂漠へと落ちていく。

 杏華はショットガンを背中に戻し、ナイフを引き抜いた。重力場を展開して背中から離れる。

「キリクさん、杏華の所に近づけますか?」

「大丈夫だ」

「彼女を引っ張り上げます」

 ドラゴンは翼を折り曲げ、滑空を開始。じりじりと杏華との距離を詰めていく。間近まで接近するとスピードを緩め、ぶつからないようにする。

「杏華! 手ぇ伸ばせ!」

 俺の言葉を聞き、杏華が左手を伸ばしてくる。がっちりとその手を掴み、力強く引っ張った。通常の何分の一かになった重力のおかげで、スッと体が持ち上がり、簡単に乗せることができた。

「助かったわ、ありがと」

「どういたしまして」

 俺達を乗せたドラゴンは、落ちていったドラコを追って高度を下げる。すでにドラコは砂漠の上に墜落しており、最後の力を振り絞ってもがいていた。

 数十秒もしないうちに自分達も砂漠に降り立ち、急いでドラコの元へと向かう。

「いい気分じゃないわね……」

 杏華がぽつりと呟いた。

「ああ」

「でもやらなきゃいけないのよね。あたし達の世界のために」

「そうだな」

「…………」

 杏華はそれきり黙ってしまった。こいつもただ任務を遂行するだけのマシーンではない、心のある人間なんだと思わせる瞬間だった。

 目の前に横たわるドラコは瀕死の状態で、荒く呼吸をするのが精一杯のようであった。

「リルさん。最後に言っておきたい言葉はありますか?」

「…………はい……」

 静かに涙を流しながら、リルさんは弱々しく答えた。

 一歩前に出て、何か言おうと口を開く。しかし、言葉は形にならず、静寂に包まれたまま長い時間が経過していた。


「…………ありがとう」


 ようやく、最初の言葉が紡ぎ出された。

「急に……こんなことになっちゃって……何を言えばいいのか……全然思いつかないよ」

 また一歩、踏み出す。

「言いたいことがあるはずなのに……頭の中が混乱してて……上手く、まとまらない。はは……ダメだね、私……」

 さらに、一歩。

「……でも、こんな私でも、あなたは裏切らずに付いて来てくれた」

 徐々に言葉に震えが混じり始める。

「……嬉しかった。あなたが相棒で、本当に……本当に良かった」

 思いを、魂をぶつけるように、言葉を紡ぐ。

「もうお別れだけど、会えないけど、泣かないで。最後くらい、笑顔でいようよ、……ね?」

 その言葉は、ドラコだけじゃなく、自分に対しても言っているのかもしれない。

「……さよならは悲しいから、言わないよ。私があなたに言うのは――」


「――ありが


 それは、一瞬の出来事だった。

 ドラコが最後の力を全て使い、前足を振り上げる。危機を察知した杏華が、驚異の反応速度でリルさんのもとに向かう。彼女を押し倒すのと同時に前足がなぎ払われる。二人は砂漠に倒れ込む。

 あまりに一瞬で、俺は反応することができなかった。慌てて二人の所に駆け寄ろうとする。

「撃て諒! 早く!!」

 杏華の鋭い叫びが、辺り一面に響き渡った。

 俺はわけも分からず、腰だめのままドラコのコネマテに向かって弾丸をばら撒いた。

 無数の弾丸がコネマテに溶け入り、表面に波紋が発生する。弾切れになるまで撃ち込むと、次第にひびが入り始めた。

 そのひびは全体に広がっていき、コネマテの端にまで達すると、バキンッ、と音を立てて割れた。内部から黒い霧があふれ出し、ドラコの体を包み込んでいく。

 霧は命を持っているかのようにもぞもぞと動いた。その中で何が起きているのかはまったく分からない。

 やがて霧は薄まっていき、ドラコの姿が見えるようになってきた。

 先ほどまで弾痕で見るも無残だった姿は、一変して傷一つない、きれいな姿へと変わっていた。魂だけが抜き取られたかのように、静かで、まるで眠っているかのようだった。

「大丈夫か?」

 俺は倒れた二人のもとへ向かう。

 上に被さっていた杏華がゆっくりと立ち上がり、リルさんに向かって手を差し伸べた。その手を掴んでリルさんも立ち上がると、服に付いていた砂を払った。

「ありがとうございました。二度も助けても……――ッ!?」

 リルさんが目を見開く。一気に驚愕の表情に切り替わった。

「キョウカさん!? その傷はッ!?」

 ん? 傷……?

 俺は杏華の顔が見えるように、正面に回り込んだ。そしてその様子に思わず息をのんでいた。

「あはは、ごめん。避けきれなかった……」

 杏華の閉じた右目から、大量の血が流れていた。

「おい! よく見せてみろ!」

 両肩を掴んで顔を近づける。目の周りには目立った外傷はない。どうやら眼球をやられてしまったらしい。

「目、開けられるか?」

「無理……かも」

「だったら閉じたままにしておけ」

「うん」

 声にいつもの元気がなくなっていた。表情も不安そうで、今にも押し潰されそうだった。

「あっちの世界に戻るまで頑張れるか?」

「当たり前……じゃない。あたしを誰だと思ってるのよ……」

 不安を掻き消すように、強気で言い切った。

「じゃあ大丈夫だな。止血用のガーゼを出すからちょっと待っててくれ」

 俺は肩から手を離す。

「あ、それなら私のハンカチを使ってください」

 リルさんがポケットからハンカチを取り出す。それは隅に花柄の刺繍が入った、純白の物だった。

「こんな高そうな物、もったいないですよ」

「いいの、いいの。使って」

 杏華はリルさんの言葉に押され、しぶしぶ受け取った。右目に当てると、みるみるうちにハンカチが血に染まっていく。

 次の瞬間、俺達の足元にゲートが現れ、帰還までのカウントダウンがスタートした。

「あ、あれ? 何か早くない?」

「エレナの時は十分近くあったのにな。気分によって変わるのか?」

 出現の早さもさることながら、沈むスピードもかなり早い。もう足首にまで達しようとしていた。

「キリクさん、リルさん、すみません。あたし達は帰らなくてはいけなくなりました」

 杏華が手短に感謝の言葉と、別れの言葉を述べる。

「それは、急だな」

 キリクさんは俺達の姿を見ても動じることなく、普段通りに話した。

「右も左も分からない、見ず知らずなあたし達にここまで力を貸してくれて、本当にありがとうございました。あなた方の力がなければ、無事に任務を達成することはできなかったでしょう」

「いいってことよ。困っている奴に力を貸すのは当然だろう? それにオレ達に関わることでもあったしな」

 ニッ、と口角を上げ、笑みを浮かべた。

「リルさんにはご迷惑をおかけしました。あたし達の勝手でこのようなことをしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」

 杏華は腰を折って頭を下げた。俺も続いて頭を下げる。

「どんなに謝っても、許されるとは思っていません。しかし――」

「気にしないで」

「……え?」

 思わぬ返答に驚いて、思わず顔を上げた。

「もう、気にしないでいいわ」

 リルさんはこれまでの出来事のショックから完全に立ち直っていた。

「この子はこうなる運命だったのよ。それに私は怒っていないし、あなた達を恨むつもりもない。だからあなた達が悩む必要なんてないわ」

「……そう言っていただけると助かります……」

 背負っていた責任から解放され、心がスッと軽くなった。

 俺達はゲートを腰まで通過する。

「それにしても夢のような一日だったな」

 キリクさんが呟く。

「そうね。明日には全て幻になってそう」

「何かお前らの存在を証明できる物を残したいな。誰かに話す時に信じてもらうために」

 杏華の方に視線を向けると、何か閃いた顔をしていた。

「それならいい物があります」

 そう言うと杏華は俺の方に顔を向け、

「諒。ハンドガンの弾を一発取り出してちょうだい」

 と言った。

 俺は言われたとおりにして、左手をゲートの中に突っ込み、ハンドガンを引き抜いた。胸の前まで持ってくると、右手でスライドを引く。弾丸が排出されると同時に、それを右手の平で握った。

 青と黒の二色で構成された弾丸を指先で摘み、二人の前へ差し出す。

「これがあたし達の世界の武器です」

 キリクさんが受け取る。

「こんな物しか用意できなくてすみません」

「いや、いいんだ。時間もないし。残してくれるだけで十分だよ」

 俺達はいよいよ首までゲートを通過する。

「これで本当にお別れです。二人とも、どうかお元気で」

「ああ、お前らもな」

 表情にありったけの感謝の気持ちを込め、俺は二人を見つめた。

 ついに目がゲートを通過し、視界が黒に染まっていく。

 数秒後、俺達は世界から切り離され。

 漆黒の闇の中を、ただひたすらに落ちていった。

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