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第四章 記憶 ④

 死んでしまったのはどうして彼女だったのだろう。どうして私でなかったのだろう。塾の行き帰りの道をよく一緒に歩いた。


 私はたった一人の遊び相手がいなくなるのが寂しくて、塾のすぐ側までついていった。途中で気がかわって、塾など休んで公園で遊んでくれるかも知れないと期待で胸をいっぱいにして。

 少女はいつも真面目だった。またあとで遊ぼうね、と大きな眼を輝かせ、ひらひらと手を振って塾へはいっていった。


 あきらめきれなくて、塾の前で、少女が出てくるのをぶらぶらと待っていたこともある。

 どんなに誘っても、そして母親が居てもいなくても、少女がその言いつけをけして破らないとわかってからは、塾の前で待つことをやめ、短い距離を一緒に歩くだけのあっさりした見送りに変わっていった。それでも……。


 どうして。私じゃなかったのだろう。昼まで一緒に遊んでいたのに、どうしてこんなに離れてしまったのだろう。誰も応えてくれない問いを胸に抱いたまま、大好きだった少女の名前さえ今は忘れてしまった。


 記憶はどうやって選別され、残ったり、捨てられたりしていくのだろう。

 

 それともすべてが残っているのに、意味を持ったものだけが記憶として認識されていくのだろうか。

 一つの表情や風景でしかなかった記憶が、意味を持ちはじめ、子どもの時にわからなかったことが、やがてわかるようになる。その残酷さはどんな言葉で表したらいいのだろう。


 言葉はいつも心に追いつくとは限らない。だから私は口を閉ざしてきた。心は時に激しく揺れ動いたけれど、私はそれを表現する言葉も手段も持たなかった。だから、私は何も言わず、何もしなかった。

 あの夫婦は今、どうしているのだろう。まり子さんのことも私のことも、けして口にせず、忘れたふりをして暮らしているのだろうか。

 忘れる事のできない痛みを抱いて、失った娘の思い出に寄り添って暮らしているのだろうか。

「お母さん、早く帰ってきてね」

 まり子さんから逃げるように家をあとにしていた母の耳に、今もその声がこだましてはいないだろうか。


 私は今も生きている。あの時、事故にあったのが私でなかったから。

 「まり子さんのせい。まり子さんが殺したんだよ」

 口にできない鋭利な言葉を胸に抱いて、共犯者の顔を隠して、自分の言葉で傷つきながら平気な顔をして生きてる。


 まり子さんは過去の話をしない。

 そもそもまり子さんには、過去などたいした意味もないのかも知れない。

 過去はまり子さんを養ってくれないし、笑わせてもくれない。気持ちよくしてもくれない。

 

 どの男もまり子さんと並んで歩く事はなく、ただ、時折交差する点に過ぎない。私とまり子さんは似た風景を記憶しているが、その色はまったく違うはずだ。

 

 まり子さんがつきあった男を何人も見た。見ていない男はもっと多いだろう。通りすがりの男たちとまり子さんが、どんな風に出会いどんな風に切れてきたのか知らない。

 別れ際の修羅場はほとんど知らない。浮気の果てに一人娘を失ったあの男でさえ、ただひたすら自分だけを責めていた。

 だから、私はまり子さんを生まれながらの娼婦だと思っている。

 以前、吉住さんに、母はプロの売春婦と言ったのはそういう意味だ。


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