重ねる想いと戦う決意
『逃がさぬぞ、ドリィィイ……!』
「名指し!?」
イヴォルヴァドラゴンが吠えた。
ゴガァアアア! という咆哮は悪夢そのものだった。
広場にいて逃げ遅れた人々は耳を塞ぎ、女性や子供が恐怖のあまり泣き崩れた。
イヴォルヴァドラゴンの狙いはひとつ。広場の一角、大道芸のステージ上に追い詰められた僕に爬虫類じみた視線が向けられている。
「ドリィくんを狙っているのか!?」
「ブレスを放つ気だ!」
緑のマントを羽織った魔法使いが、パーティの仲間たちに向けて号令を下す。
「力を合わせましょう!」
「あぁここは同じギルメンとして……!」
「魔法防御を展開しますわ!」
魔法使い一人に魔女さん二人が同意する。三人がかりで魔法円を発動、魔法円の光が重なりあい波紋のように広がる。
そして広場の空中に青白い光の壁が形成されてゆく。
「おぉ見ろ! 魔法の壁だ……!」
半透明の壁がイヴォルヴァドラゴンの行く手を遮った。
『しゃらくさァアアア……ッ!』
しかしイヴォルヴァドラゴンは意に介さなかった。大きく息を吸い込むと、まるで「くしゃみ」のようなブレスを吐き散らした。赤黒い炎と衝撃が渦となって襲いかかる。
「「「結合魔法防壁!」」」
放たれたブレスの渦を、魔法結界――光の壁が阻止する。
「ブレスを防いだ!?」
「さ、さすがはギルドの連中だぜ!」
広場にいた人たちが歓声をあげた。眩い光と木や石を砕くような音が響き渡る。
光の壁が赤黒い破壊のブレスを受け止めていた。三人がかりの魔法結界がブレスを阻んでいる。けれどそれも束の間だった。
『人間ごときの結界なんぞ、甘っちょろい……ブハァッ!』
「きゃうっ!」
「くううっ!?」
「な、なんてパワーだ! 結界が……!」
瞬く間に均衡が崩れてゆく。滝壺に落ちる瀑布のごとく叩き込まれるブレスに結界が歪みはじめた。
イヴォルヴァドラゴンの猛攻の前に、光の壁が捻れるように崩壊、ブレスの余波が襲いかかる。
「きゃぁっ!?」
「ミリカ!」
僕にできることはミリカとマシュリカお嬢様を庇うことだけだった。
熱風と衝撃が広場全体を揺るがし、窓ガラスが次々に砕ける音が響く。
ブレスは中央に位置している噴水を直撃し、盛大な水煙をあげながら爆発。辺り一面に水蒸気が立ち込めた。
視界が遮られ、イヴォルヴァドラゴンの動きが僅かに鈍る。
結界でブレスの勢いが弱められていなかったら、全員が死んでいてもおかしくないほどの威力だった。
とんでもない怪物だ。
街の外や森で出くわす魔物とは次元が違う。
あれが、街のなかに潜んでいたなんて。
パンドラの箱を僕は開けてしまった。まるで天災級のドラゴンだ。気楽な気持ちで何の気なしに虎の尾……いやドラゴンの尾を踏んでしまったんだ。
絶望と後悔と、無力さに苛まれる。
「なんて威力なの……!」
「Aランク三人がかりでも防げないなんて……!」
「やつは、人語を操っていた。となると数百年は生き延びていた古竜、エンシェントドラゴン)。もはや厄災級にまで成長してやがるんだ」
魔法使いと魔女の言葉に、参戦しようと武器を手にしていたギルドメンバーたちの間に動揺が広がる。
「バカな……! それじゃぁ」
「オレらじゃ足止めもできねえってのか……!」
「どうすりゃいい……!?」
「どうもこうも、やるしかねぇ!」
魔法使いや魔女たちは諦めず、再び魔法の詠唱にはいる。
彼らの前衛として隊列を組んでいた戦士や剣士たちが、果敢に剣で挑みかかる。
『脆弱、貧弱、無駄、無意味ィイッ!』
ムチのようにしなる長大な尾が戦士たちを薙ぎ払った。
「うごぁ!」
「ぐわぁあ!?」
盾を構えた戦士がなんとか受け止めた。でも衝撃で広場の端まで吹き飛ばされてしまう。尾の威力は凄まじかった。
さらにイヴォルヴァドラゴンが尾と前足で殴りつけた。剣が折れ、戦士がまた一人吹き飛ばされる。
「だ、ダメだ! 強すぎる!」
「俺たちじゃヤツを止められねぇ!」
「なんとかならねぇのか!?」
「せめてSランクのパーティがいてくれたら!」
「んなこと言ってる場合か! 俺たちで何とかするしかねぇだろ!」
いま戦闘に参加しているのは、Aランクパーティを中心としたギルドの人たちだ。
『三日目のカゲロウ』と『綺麗な墓標』の戦士や魔法使い、魔女さんたち。遺跡やダンジョン攻略で名を馳せている腕利きたち。それに加えてギルドに居合わせた総勢十数名。
それなのにイヴォルヴァドラゴンに圧倒されている。信じられない強さだった。
『――ゴガァアアア……! 百年の安寧を……美食を……怠惰を! 我が享楽を取り上げたのは貴様ら人間ダァアア……! この街、そのものをより大きく、してやろうと思ったアタシの恩を……仇で返すなど……! 許しがたし……!』
身勝手な屁理屈をこねながら、イヴォルヴァドラゴンが広場を蹂躙する。このままじゃ全滅しかねない。
僕は覚悟を決めた。
「ミリカ、マシュリカお嬢様と逃げて」
「ドリィはどうする気!?」
「あいつの狙いは僕だ。僕が囮になってイヴォルヴァドラゴンの気をひく」
そして隙を作る。
食べてかまわないとか言って気を引きつける。
そうすればギルドメンバーが戦いやすくなるはず。かならず隙が生じるはずだ。
「そんなこと言って、なにか策はあるの? 無いんでしょ!? ドリィはいっつもそう。次にどうするか、どうなるか考えてない……! 村を出た時だって、勢いで、その後どうするかなんて考えてなかった」
「か、考えてたよ!」
「二人で遠くに逃げて、一緒に暮らそう……って。その時は嬉しかったよ! でも、でもね、ちゃんと、その先の、その先のことまで考えてほしいの!」
「今それを言う!?」
「あ、あわわ、ケンカはおよしになって……」
横でマシュリカお嬢様が困っていた。
「じゃぁドリィ。今は考えてる? あのドラゴンはドリィを殺すつもりなのよ! どうする気なの!?」
ミリカは怒っていた。本気で。泣きそうな顔になりながら僕の胸ぐらをつかむ。
「だから……考えてるよ」
「……嘘よ」
「僕にだって考えはある」
ミリカだけは無事でいて欲しい。
逃げて欲しい。マリュシカさんのお姉さんも。
そのために僕は自分が出来ることをする。囮になって引き付けてそのあいだに……逃げてもらう。
それが今できる一番の作戦で、
「かっこつけんなバカぁ!」
「むぎゃっ!?」
殴られた?
え? 殴る? グーで普通。
「ミ、ミリカ……」
舞台の上で左の頬を押さえながら、へたりこんだ。
マシュリカお嬢様は突然のことに目を丸くして、口元を手で覆っている。
というか、大道芸を見に来て逃げ遅れた人たちの注目が集まっていた。ぽかん、としながら僕らのやり取りを見つめている。
僕らは今、舞台の上にいることさえ忘れていた。
左の頬がじんじん痛み、血の味がした。
「ドリィも無事じゃなきゃ、意味がないの!」
「あ……」
「一緒にいるって約束したじゃない! 居なくなったら嫌……! 私を一人にしないって……ドリィは約束したじゃない」
そうだ。
僕は誓ったんだ。
忘れてなんていない。
どんな苦しいときも、悲しいときも、一緒に頑張ろうって。全てを捨てて命がけでミリカを連れ出したあの日。
ミリカを絶対に一人にしないって誓ったんだ。
『そこにいたかぁァアアァ……!』
霧が晴れ、イヴォルヴァドラゴンが近づいてくる。
ギルドメンバーたちが奮戦しているけれどダメージを与えられていない。重々しい死の足音が確実に近づいていた。
「ごめんね、ミリカ」
僕は立ち上がった。そしてミリカの手を握る。
「ドリィ」
「一緒にいてほしい。僕と」
「うん……!」
「最後まで、一緒に戦おう」
「わぁ……!」
マシュリカお嬢様が瞳を輝かせながら手を打ち鳴らした。小さな拍手は次々と広がってゆき、周囲では大きな拍手の渦へと変わってゆく。まるで僕らの誓いを祝福するみたいな拍手と、囃し立てるような口笛が鳴る。
舞台の上いる僕らを、皆も応援してくれているみたいだった。
僕はイヴォルヴァドラゴンに向き直った。
降りかかる災厄、死の予感。
それと対峙するために。
絶対にこの場を切り抜ける。ミリカも救い皆も助ける。
こうなったら逃げも隠れもしない。出来ることを考える。頭をフル回転させて打開策を見つけるんだ。
ドラゴンが迫ってくる。ギルドの冒険者たちが必死に抵抗するけれど劣勢は明らかだった。
「僕のスキルであいつを視る。視て、視まくって、弱点をみつけてやる。ミリカは動けるなら見つけた弱点を皆に伝えてほしい」
「わかったわ」
出来るかなんてわからないけれど。やるんだ、やるしかない。
相手の良いところが視える僕のスキル。
戦闘には何の役にも立たない。
でも何か、何かヒントがあるかもしれない。
視て、視て、視て。何か攻略の糸口を見つけて、知らせる。
「あたしも一緒に戦う」
静かな、それでいて力強い声がした。
僕もミリカも、マシュリカさんも、はっとして振り返った。
大道芸の舞台の向こうに一人の魔女が立っていた。
銀髪の魔女。おさげ髪に丸メガネ。ふわりと羽織っていたマントを脱ぎ捨てて、手に持った杖で舞台の床板を突く。
口を真一文字に結び、決意のこもった瞳で僕を見つめている。
「マリュシカさん!」
「マリュシカさんっ」
「マリュシカ……」
「共に戦います。あたしたちに出来ることは……逃げることじゃなくて、決着をつけること」
恥ずかしがり屋で人見知りな先輩。この舞台に上がってくるまで、マリュシカさんはどれほど悩み葛藤したのだろう。命さえ危ないかもしれないのに。それでも僕らと共に戦おうと言ってくれた。
『――! マリュシカ……忌まわしい血を引く魔女までがァガアア!』
イヴォルヴァドラゴンは仇敵でも見つけたかのように吠えた。もはや足元で挑みかかってくる戦士など無視するかのようにギラついた冷たい瞳をこちらに向ける。
『あれは魔女のあたしが気づくべき災いでした……。イーウォン家に巣食う悪夢だったのですから』
「マリュシカ……」
「マシュリカ姉さん、気づけなくてごめんなさい」
「そんなことないわ……私こそ」
姉妹が見つめ合ったのは一瞬だった。
マリュシカさんは杖を再び舞台に立てて両手を添えた。そして、
「全力展開! 『魔女の夜宴の分領境界』!」
ドォンと太鼓を打ち鳴らすような衝撃波が、マリュシカさんを中心に広がった。稲光のような魔法円が描く紋様が縦横無尽に走り、広場全体に広がった。
『ゲェラゲェラ……! こんな薄く、脆弱で貧相な魔法結界なんゾォオオ! 何ぁあんの役にも立たないわ、小娘がぁああアァ!』
「確かにそうかもしれない。でも、この魔法は共に戦う仲間たちのためのもの」
マリュシカさんがメガネを光らせる。その視線の先にはミリカがいた。
「力が……漲ってくる!?」
「ミリカ!?」
ミリカの足元で花開くように魔法紋様が踊る。それは脈打つように明滅しながらミリカの脚へと這い登る。
「ミリカさん! あたしの展開した戦闘結界の中なら、貴女は戦える! ドリィくんを守る前衛として!」
「私が……ドリィを」
ミリカがはっと息をのみ、拳を握りしめた。
やにわに綺麗なワンピースの裾をまくりあげ、横で縛る。信じられないことに、ミリカの脚は筋肉が盛り上がり、竜のようなウロコで装甲されはじめていた。
「魔力の供給はあたしが。心配せず、おもいっきりやってください!」
マリュシカさんが叫ぶや、ミリカが力強く頷いた。
「うんっ!」
「ちょ、ちょっとまっ」
「いくね、ドリィ」
ミリカが微笑んで僅かに身を屈めた。
次の瞬間。
ドォンッ! と空気が爆ぜた。
「消え――!?」
ミリカが目の前から忽然と消えた。立っていた舞台の床板が砕けるのをスローモーションのように眺めていた僕は、衝撃音で我にかえった。
違う。
ミリカは爆発的な勢いで跳んだのだ。
十数メルテの距離を一息に跳ね飛んで、イヴォルヴァドラゴンの顔面に「蹴り」を叩き込んでいた。
『なッ! ナニィイイイイ――――!?』
巨大な竜の体が揺らぐ。
叫びたいのは僕の方だった。




