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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第五幕「薄氷川」
91/106

15-5

「今日はどうするの?」

 翌朝。向かい合って朝食を摂りながら、もみじがそう尋ねてきた。

「昼過ぎに魅咲(みさき)と約束があるんだ」

「……そう、相川と」

 もみじはかじったトーストをホットミルクで流し込んだ。

「お前は部活なのか?」

 土曜日だというのに、もみじは制服姿である。

「違うよ。三コマ授業があるの。誠介の頃は違ったんだっけ?」

 そんな制度変更もあったのか。

「俺らの頃は休みだった。大変だな」

「別にそんなことないよ。あたしは学校好きだもん。誠介はいやいや通ってたの?」

 あらためてそう問われると困る。

「いや、そんなことはないけどさ」

 俺だって、学校が嫌いだったわけではない。どちらかというと好きだったのかもしれない。

 でもそれは、半分がた耳から抜けていく授業を聞いているのが好きだったからではなくて……。

「ごめん、誠介」

 もみじが目を伏せた。

 ——そうだよ、俺だって学校が好きだった。

 学校に行けば、魅咲が世話を焼いてくれて、高原が変な講釈を垂れて、一条がころころ笑って。

 吉田と大原がディープな議論を交わして、それを田中がニコニコしながら眺めてて。

 予習をしてこなかった浜田が必死に言い訳して。

 度会が騒いで、武藤がつまらんことを言って。

 部活に行けば変態文学少女の飛鳥井先輩がメガネを妖しく光らせて、神山や真鍋が一条を虎視眈々と狙っていて。

 そして俺が……。

「って、あれ……? くそっ」

 知らぬ間に俺は涙をこぼしていた。

 ——ああ、だからもみじは謝ったのか。

「ごめんね、誠介。そんなつもりじゃ……」

 見ればもみじも泣きそうになっていた。それがわかってなお俺の涙は止まらなかった。

 くそっ、格好悪ぃ。魅咲以外の女に涙を見られるなんて。

「……悪い、もみじ。なんか急に……くそっ」

 俺はシャツの袖でゴシゴシと目頭を拭った。

 もみじはそんな俺を、泣き笑いのようの表情で見守っていた。

「誠介ったら、ひょっとして今までそのことを考えなかったの?」

「うん……」

 俺は素直に頷いた。こんな情けないところを見られて、もう格好はつけられなかった。

 高原が退学してしまったと聞いて、俺は大きなショックを受けた。自分の引き起こした事態の重さに愕然とした。

 だけど、その点では他ならぬ俺もいっしょだったのだ。なぜそれに今まで気づかなかったのか。

 昨日の時点ではまだ曖昧だったけど、ミズジョの生徒たちを見て襲われた郷愁の正体はこれだったんだ。

「呆れた。やっぱり誠介は十年経っても誠介だね。ひとつのことに考えが向かうと、他のことも自分のことも見えなくなるんだから」

 もみじにまで言われた。

「反省してる」

「反省だけなら猿でもできる」もみじは手厳しい。「ほんと、高原とお似合いなのかも」

 俺はかぶりを振った。

「いや。お似合いなんかじゃない。俺も高原も、変わらなきゃいけなかったんだ」

 もみじが腕組みをして俺の顔を覗き込んできた。

「本当に反省してるみたいだね。うん、いいことだ」

 ひとしきり頷いた後、もみじは席を立って自室にいったん引っこんだ。

 しばらくしてから戻ってきたその手には、妙な品が握られていた。

「反省した誠介に、ひとつチャンスを与えてあげよう——なんちゃって」

 ぺろっ、と舌を出しておどけながら、俺の目の前にそれを置く。

「何だこれ? 水盃でも交わすのか?」

 俺が受け取ったのは、掌にすっぽり収まるくらいの小さな銀製の盃だった。かなり古いもののようだ。

「ふふっ、誠介も変なところで古いんだから。そこにカッコつけた文字が書いてあるでしょ?」

 見ればたしかに、その側面には少々長めのアルファベットが二周に渡って刻んであった。

 ——SIEHE! DIESER BECHER WILL WIEDER LEER WERDEN, UND DU SOLLST WIEDER MENSCH WERDEN.

 何語かさえ判断できない。

「何だこれ? 何て書いてあるんだ?」

「『ズィーエ、ディーザー・ベッヒャー・ヴィル・ヴィーダー・レーア・ヴェアデン、ウント・ドゥ・ゾルスト・ヴィーダー・メンシュ・ヴェアデン』——『見よ、この盃再び空とならんとし、汝再び人とならん』だって」

「すげーな、もみじ」

 俺なんて英語もままならないのに、こんな何語とも知れない言葉を理解できるなんて。

 だが感心する俺に、もみじはからからと笑ってみせた。

「バカ。必死で調べたに決まってるでしょ。誠介に偉そうに解説できるようにね」

「あー、そうなんか。俺の感嘆を返せ。……んで、これって何なの?」

「前に言ったと思うけど、誠介の〈クラフトアンザウゲン〉はそこまで強い異能じゃないし、そのままじゃあまり役に立たない。それでね、これも言ったと思うけど、この力を持った人は誠介だけじゃない。今までの歴史の中にだって、たくさん同じ能力を持ってる人たちがいた。そういう異能者たちの役に立つように開発された魔法道具がいくつかあるの。これもそのひとつで、名前は〈ザラスシュトラの盃〉。結構なレアもので、やっと見つけたんだよ?」

「魔法道具なんか、これ」

 盃を手にとってまじまじと見つめる。

「そう。使い方と効能を説明しておくね。その盃を握って、自分の愛する人の名前を呼んで。そうしたら、誠介のしょぼい〈器〉の代わりをこの盃が果たしてくれる。誠介の〈器〉の容量が一時的に増幅されるってわけ。たぶん、十年前の高原と同じくらいかな。ただし、かなりの年季ものだから三、四回の使用が限度だと思う。よく考えて使ってね」

 俺は頷いた。「しょぼい」ってのは少々余計だと思ったが。

「誠介は知らないと思うけど、『本当に叶えたい願いがあるときに迷い込むお店』っていうのがこの街にはあってね。そこで見つけたの」

「うんにゃ、知ってる。“サクラのお店”だろ? お前、俺が“半女子校”の生徒だったって忘れてやしないか?」

“サクラのお店”はこの街にある都市伝説だ。もみじの言ったとおり、『本当に叶えたい願いがあるときに迷い込むお店』として語り継がれている。寿命の長い都市伝説で、俺は聞いたことがないが、実際に迷い込んだという体験談もときおり挙がるらしい。

「あ、そっか。誠介は今のあたしの先輩に当たるんだった。女子の間の噂にも詳しいんだ。なんか可愛い」

 可愛い、は参った。

 俺だって元々信じていたわけじゃない。女子にありがちな他愛もないファンタジーだと以前は考えていたのだが、最近になってその認識を改めた。魔法などというものが実在するのだ、そのくらいのオカルトめいた店があったっていい。

 とはいえ、噂を許容するのと、実際に行ったことがあるという人間を目の当たりにするのとは、また別の話である。

「本当にあるもんなんだな」

「あたしも前は半信半疑だったよ。でもね、あるときからふと入れるようになってね。何度も通ってやっと見つけたの。だから、きっとあたしの本当に叶えたい願いをこの道具が叶えてくれるはず。“サクラのお店”の店主は今の高原に匹敵するくらいのとんでもない魔術師で、逃げたくなるのをこらえながら買ったんだからね?」

 感謝してよ、などと恩着せがましいもみじだった。

「お前が叶えたい願いっていうのは?」

「……ん、わかるはずだよ。あたしだけじゃない。誠介も相川も一条も、ほんとは高原も、それからきっと他のみんなだって、同じことを願ってるはずだから」

「そっか」

 理解した。もみじの叶えたい願い。それに、今の俺の願い。

 ——それをどうやって叶えればいいのか、今の俺には見当もつかなかったが。

 もみじは鞄を手に立ち上がった。

「そろそろ行かないと。遅刻しちゃう。本当なら、学校休んで誠介といっしょにいてもよかったんだけど」

「無理すんなって。学校、好きなんだろ?」

「まぁね。それに、相川と約束があるなら仕方ないよ。相川の方があたしよりうまく慰めてくれそうだし」

「そういうのいらねえぞ。じゃあ、いっしょに出るか」

 まだまだ早いが、俺も立ち上がる。

「うまくやってよね、誠介」

 玄関の扉に施錠しながら、もみじが言う。

「ああ、任せろ。でも、俺が惨めに失敗して帰って来たら、もみじはまた慰めてくれるか?」

 もみじは即答しなかった。

 途端に不安になる。

「もみじ?」

 じれた俺が声をかけると、

「何度も言わせないでよ」

もみじは柔らかな笑みを浮かべて振り返った。

「言ったろ? あたしはお前の過ちを許す、って」

 ——くくっ、かなわねーな。

「じゃあな、もみじ。十年前に」

「……うん。またね、誠介。十年前に」

 そんな奇妙な挨拶を交わして、俺たちは別れた。



 お昼まで適当に時間をつぶすことにする。

 魅咲との約束が果たせるかどうかわからなかった。

 魅咲に会うのも緊張する。敏感な幼馴染は、俺の様子を見て何かあったのを察するかもしれない。高原が昨日開いた〈モナドの窓〉にも気づいていることだろう。

詩都香(しずか)といっしょにいてあげて」という魅咲の言葉を、俺は果たすことができなかった。

 それでも、ひとまず魅咲と合流しようと思っていた。どういう形であれ、決着をつけるのだ。

 それに、無性に魅咲に会いたい。もみじの言うとおり、会って、あのレアな笑顔で安心させてほしかった。

 また街中をぶらついた。土曜日のため、私服姿の若い人々が多かった。

 疲れるまで歩いた後、駅前通りのカフェに入って一休み。時間にはまだもう少し余裕がある。

「もみじから本でも借りてくりゃよかったかもな」

 一杯のコーヒーを前に、いささか退屈を覚えてきた。風俗観察ももう飽きていた。

 ジャケットのポケットに手を入れて、もみじからもらった〈ザラスシュトラの盃〉を撫でる。刻まれたアルファベットの感触が指先に伝わってきた。

「汝再び人とならん」——こいつで何ができるのか。

 ズボンのポケットの中がチリチリと鳴り出したのはその時だった。

「なんだ? 携帯?」

 ポケットに手を突っこもうとした矢先、頭の中で高原の声がした。

『誠介くん、聞こえる? あの場所に来て』

 テレパシーだ。俺が聞いてる間に五、六度同じメッセージが繰り返された。

 ポケットの中で鳴動していたのはあのイヤリングだった。

 あの場所ってどこだ? 高原の部屋か、ミズジョか、それともこっちの世界で初めて高原に会った市役所前か……。

 いずれにせよ、無視しようかという気になった。今はまだ高原と顔を合わせるのが怖い。それに、魅咲との約束もある。

 イヤリングを耳につけて目を瞑ると、高原の姿とその周りの風景が脳裏に浮かんできた。背景になっているこの木立、見覚えがあるような……。

瓜生山(うりゅうやま)

 我知らず呟いてからハッとした。「あの場所」とやらが瓜生山の山頂を指すのだとしたら――

 しばしためらう。ここから瓜生山までは、結局タクシーしか足がない。

 どうするか……。ええい、ままよ!

 俺は店を出て、タイミングよく南から走ってきたタクシーを止めた。高原の金で悪いが、使わせてもらうことにする。

 もし瓜生山に高原がいなかったら、その時は引き返してもらえばいい。魅咲との待ち合わせには間に合わないかもしれないけど、我慢してもらおう。

九郎ヶ岳(くろうがだけ)の瓜生山の山頂までお願いします。大至急で」

 行先を告げた俺に、運転手は怪訝そうな顔を向けてきた。

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