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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第五幕「薄氷川」
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14-2

 魅咲(みさき)の言いつけを守って三十分ほど待ってから、よたよたと高原の部屋まで戻った。

「誠介くん、あんたねぇ……」

 チャイムに応じて扉を開けてくれた高原は、ぼこぼこの俺の顔を見るなりまず小さく悲鳴を上げ、それから心底呆れたように言った。

 高原はフレアスカートにパーカーという部屋着に着替えていた。髪の色は黒に戻り、左手首の傷もなくなっている。

 魅咲が俺を待たせたのは、高原にこの準備の時間を与えるためだったのだ、と今さらながらに理解した。

 ひと口しかないコンロの上でフライパンがシュンシュンと音を立て、魚の焼ける香ばしい匂いを発していた。身支度を整えた高原は、こんな夜更けにもかかわらず料理をしていたようだ。まるで何事も無かったかのように。

 俺の方も、何も知らないフリを通すことにする。

「わりぃ、高原。治してもらえるか?」

「まったく、遅いと思ったら。じゃあ、中に入って」

 足元はまだ少し覚束ない。座り込んで靴を脱いでから再び立ち上がるのに呻吟していると、ふわり、と体が宙に浮いた。

「おわ、おわわわ、ちょっと怖いな、これ」

 さっきは魅咲と手をつないでいたが、今度は俺の体を支えるものは何もない。

「じたばたしないでよ。廊下狭いんだから」

 念動力によってリビングの中へと運ばれ、ローテーブルの前に横たえられる俺。その傍らにしゃがみ、高原は治癒の魔法を使ってくれた。

 手の中に光を生みながら、高原はスンスンと鼻を鳴らした。

「……魅咲の魔力を感じる。魅咲と一緒にいたの?」

 バレてんのか。魔術師ってのはやっかいだな。

 例によってはぐらかすことにした。

「……高原」

「なに?」

「パンツ見えてる」

 スカートでしゃがみ込むもんだから。

「……あ、うん」

 高原は一瞬だけ虚を突かれた様子だったが、ぴたりと足を閉じただけだった。

 調子が狂う。俺の知るこいつなら、こんなこと指摘されたらビンタかグーパンチだろうに。

「いや、それだけ……」

 こっちが気まずくなって、ベッドの方に顔をそむけてしまう。

 高原は無言で治療を続けてくれた。

「……魅咲と一緒だった」

 だいぶ痛みも和らいできたので、覚悟を決めて質問に答えることにした。

「だったら、ケンカなんて魅咲に任せちゃえばいいじゃない。絶対負けないんだから」

 高原が引っかかっていたのは、俺の勝手な予想とは違うところだったようだ。

 ……だけどさぁ。

「お前は男心ってもんがわかってないよなぁ、高原」

 ——そりゃあ、最後は助けられたけどさ。

「何それ」高原はくすくすと笑みをこぼした。「はい、治った」

 ぺちっ、と鼻頭を叩かれた。うん、別に痛くはない。俺は身を起こした。

「さんきゅ」

「どういたしまして。お腹は?」

「魅咲に鳩尾を突かれた」

「そうじゃなくって」

 高原は今度はけらけらと笑う。よかった、愉快そうだ。

「ああ、うん。小腹が空いてる。何かある?」

 魅咲と食べたパスタは男子高校生の胃袋を満たすには物足りない量だった。その後運動もしたしな。

「あるよ。ありあわせのものばかりだけど。あと、今日は秋刀魚が安かったから買ってきちゃった」

 立ち上がった高原が、開けっ放しの扉越しに親指でフライパンを指した。

 秋刀魚だと?

「……そういや、今って何月なんだ? 七月じゃないのか?」

 流し台に向かいかけていた高原はきょとんとした。そして、三度目は大笑いだった。

「あははははははっ、おっかし! 今は十月だよ! そんなことも知らずにいたんだ!」

 道理で。いくらなんでも七月にしては肌寒いし日も短いと思ってたんだよ。きっかり十年飛ばされたわけじゃなかったんだな。

 でもそんなに笑うことないだろ。こんなこと気にする暇なかったんだから。

 あ、ということはだ。ずっと二十五歳だと思っていたけど、九月九日生まれの魅咲はもう二十六歳なんだな。年増め。

「よかったね、誠介くん。夏休み気分で旬の秋刀魚が食べられるなんて」

 しばらくしてから、まだ口元に笑みを浮かべたままの高原が二つのお皿を持って戻ってきた。ローテーブルの上に皿を置くと、今度はご飯をよそおいに取って返す。

 味噌汁とポテトサラダをそれぞれ二つずつ卓上に並べるその姿に、またもしんみりとしてしまう。彼女が料理していたのは、たぶん俺のためなのだ。

 この高原がついさっき手首を掻き切っただなんて、信じられなかった。

「いただきます」

「いただきます」

 高原は早速秋刀魚を解体し、部屋の隅で丸まっていたエルを手招きした。

 そういやいつの間に帰ってきてたんだ、こいつ。

「エルちゃーん、ほら、はんぶんこしよ」

 高原が小骨を念入りに除去した半身を示してやると、エルはプラスチック製の餌皿をくわえてやってきた。手から直接奪い取るなんて真似はしないようだ。

「ずいぶんお行儀がいいんだな」

「あったりまえじゃない」

 餌皿の中の秋刀魚にかぶりつくエルの背を撫でてやりながら、高原は胸を張った。飼い猫を褒められて、その顔がほころんでいる。

 エルの方は、俺の顔をしばらく見つめた後、再び秋刀魚に顔を突っこんだ。 


 その夜の眠りは浅かった。まだ慣れぬ高原の蒲団をかぶった俺は何度か目を覚ました。

 暗い部屋の中で誰かが俺の顔を覗き込んでいる気配を感じたのは、何度目のことだったか。

 ――高原か?

 薄目を開けて窺うと、長い髪を背負うその影はやはり高原だった。俺が起きているのに気づいているのかいないのか。

 ……と、その手に白い光が生まれる。俺の傷を癒してくれた時のものとも、学生証を作った時のものとも違う、見る者に不安を抱かせる光だった。

 俺はそっとまた目を閉じた。

 間違いない、瞼越しでも眼球を灼くこの光は攻性魔法だ。

 ――俺を裁いてくれるのだろうか。

 だけど、無言のまま殺されるのはちょっと嫌だな。「わたしの人生を返せ、この野郎!」くらい言ってほしかった。

 しかし、しばらく待っても覚悟していた衝撃はやって来なかった。瞼を通して感じられていた光は、いつの間にやら霧散していた。

 代わりに、頬に熱い感触があった。

 ちょっと驚いたが、たぶん高原には気取られていない。俺だって伊達に師匠から鍛えられていたじゃないのだ。動くまいと思ったら、何時間でも息を殺していられる。

 でも、この感触は……

 ――つい一昨日の晩に貪るように吸ったばかりの、高原の唇だった。

「ごめんね、誠介くん。ごめんね……」

 はらはらと、唇よりも熱いしずくが俺の頬に降りかかった。

 ……なんで泣いてんだよ、高原。

「おやすみ」

 高原の気配が遠ざかった。

 俺は今度こそ深い眠りを待ったが、心がざわついてなかなか眠りに落ちることができなかった。

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