14.「夜」〜目覚め
「んじゃ、そろそろ行こうか」
一条の抱えた事情を話した後、魅咲が出し抜けにそう提案した。
その意図を咄嗟には把握しかねた。
「行くって、どこに?」
「この部屋を出るの。さっき言ったでしょ、詩都香は自分がこんなことやる度にあたしが来てることを覚えてないだろう、って。目が覚めたときにあたしや誠介がいたんじゃ、気まずい思いをさせちゃう」
と語りつつ立ち上がった魅咲は、高原のそばまで歩み寄ると、左手首に巻かれた包帯を解き始めた。幸い血は固まっていたが、真っ赤な手首とどす黒い傷跡はそれでも痛々しくて、俺は目を背けた。
「たぶん、二、三十分で目を覚ますと思うから」
そう言って使ったグラスを戻した魅咲に肩を貸してもらい、俺も高原の部屋を出た。
あいかわらずこいつは友人に対して細やかな心配りのできる奴だ、と改めて感心する。
高原の住むアパートは学生街の一角にあり、周辺は夜でも騒がしい。酔っ払った学生たちに冷やかされるたびに、魅咲は冗談交じりに俺に腕を絡めてきた。
しばらく歩いた先に、小さな広場があった。
「ここがあたしの定位置」
魅咲がそう言って俺をベンチに座らせ、自分もその隣に腰かけた。
顔を上げれば、高原の部屋が観察できた。
俺たちの背後にそびえる建物はビジネスホテルらしかった。ロビーの灯が漏れてくるので、会話に支障がないくらいには明るい。
「電気が点いてしばらくしたら戻っていいからね」
俺はさっき抱いた違和感を、魅咲がまだ話してないことがあるんじゃないかという疑問を問いただすことにした。
心当たりがひとつあった。
「なあ、魅咲。あの諸橋と八木っていう二人組から、どういう接触を受けたんだ? お前からはけんもほろろに追い返されたって八木が言ってたけど」
魅咲は意表を突かれたような表情を浮かべた。
「あんたも言われたでしょ? 魔法が認知された後の世界のルールを定めるために、詩都香に参画してほしいから協力してもらいたいって」
「ああ……」
しばし絶句した。案の定だ。
単に高原を保護したいという申し出だったら、魅咲がそこまで強く反発するとは思っていなかったのだ。あいつらの目的が他のところにあるのだろうと薄々感じていた。
「違う。俺が受けた申し出は、軍事バランスをひとりで崩しかねない高原は、各国から狙われていて危険にさらされているから保護したいって話だった」
「何それ? やっぱりか」魅咲は憤りも露わにさっと立ち上がった。「あいつら、このあたしに適当なことを」
俺は諸橋と八木との会話について魅咲に語って聞かせた。
魅咲はぎりぎりと歯噛みしてから、すとん、と腰を下ろした。
「あいつらがやりたいのは単なる保護なんかじゃない。世界中に妥当する魔法統制のためのルールを策定すること。そしてそのために、最強の魔術師である詩都香を手元に置きたがってるの。……あたしはそう思ってる。あんたの話を聞いて、どっちが正しいかわからなくなっちゃったけど。でもあたしが聞かされた話には、詩都香が軍事バランスの維持のために危険視されて狙われてるだなんて、全然出てこなかった。暗殺までされかけたって言うんなら、あんたが聞いた話の方が正しいのかも。
……ほんと言うとね、あたしはあいつらの誘いに乗りかけた。だって世界がこのままの方向に突っ走ったらどうなるんだろうって不安を感じてたのはたしかだし、詩都香だってこのままじゃダメだって思ってたから。あたしは詩都香と顔を合わせづらいけど、久しぶりに詩都香に向き合って説得してやろうか、って一肌脱ぐ気になってた」
だが話し合いを重ねる内に、魅咲は違和感を覚えてきたのだという。こいつらが欲しいのは高原などではない、ただ最強の魔術師が、それも彼らの言うことに従順な魔術師が欲しいのだ、と。
「そりゃ詩都香を押さえれば、世界中の誰も逆らえないもんね。あの話は聞いた? あいつらが詩都香のお父さんの同僚だったっていう」
「ああ、聞いた」
だから自分たちは損得勘定だけで動いているのではない、と。
「びっくりしちゃった。あのおじさんがそんな仕事してただなんて。誠介はおじさんに会ったことあったっけ?」
「あるぞ。ほら、覚えてっかな、高校一年の一学期の中間試験のとき」
「あー、詩都香の家で勉強会やったときね。あたしたちがお暇しようとしてるところに、ちょうど帰ってきたんだった。仲のいい父娘だったでしょ」
「そうだな、たしかに」
そのときは特に気にしなかったが、高校生の娘にしては、父親に懐いていたと言えるかもしれない。玄関先で出迎えて、仕事鞄を受け取って、洗濯物を脱衣所に運んでいったりなど、思春期の娘から煙たがられている世のお父さん方が見たら、さぞかし羨んだことだろう。
「ま、あれでも詩都香が変なことしたらちゃんと叱るんだけどね。あたしは、最初におじさんとあいつらの関係を知らされたから、なんだかホロリと来ちゃって。少し判断力を鈍らされてたのかもしれない。……でね、話を聞いてて、こいつらは詩都香のためを思ってるわけじゃないって感じ始めた頃、あたしも勧誘されたの。『相川さんも、高原さんといっしょに働きませんか』なんて。『一条さんもいっしょでもいい。今のお仕事よりもよほど有意義だと思う』なんて。カチンと来ちゃった。そりゃあたしも今の会社に不満がないわけじゃないけどさ。でもね、本当に腹が立ったのは、その後のひと言。『これで数年ぶりに〈放課後の魔少女〉が再結成されるというわけです』なんてさ」
命名され、そして直後に瓦解してしまった三人のチーム。その名を呼ばれた魅咲は、「気安くそんな呼び方をするな!」と激怒したそうだ。
「まあ、お前ももう“少女”って言い張るのはキツいもんな」
「……感心しちゃうわ。あんた、ひとが結構真面目な話してんのに、そういう茶々入れできるんだもんな」
魅咲が盛大に溜息を吐いた。
語るほどに激してきた魅咲をクールダウンさせるつもりだったのだが、そこそこ成功したようだ。死と紙一重だったけど。
「でも、なんであいつらがその名前知ってんの? 名前つけたのって、あんときだろ?」
その後すぐに高原がいなくなってしまったはずだ。
「あんたってば、やっぱあのイヤリングで聞いてたのね。これはまぁ、あたしたちのせいっちゃせいなんだけど。詩都香が東京と京都の支部を潰すまで、伽那のところにはあいかわらず〈リーガ〉の刺客が来てた。そいつらと戦うときに、あたしたちは〈放課後の魔少女〉を名乗ってたのよ。それが知られてたみたい。……ん、詩都香があたしたちに別れを告げたって認めたくなくって。あたしたちも詩都香といっしょに戦ってるんだ、詩都香は今でもひとりじゃないんだ、っていうアピールのつもりだった。詩都香に届いてたかはわかんないけど。そんな意味を込めてたのに、あいつらなんかに軽々しく使われて、ほんとキレちゃった。殴らなかったあたしを褒めてほしいくらいだわ」
即興っぽかったあのチーム名に、魅咲たちは深い想いを込めていたというわけか。——高原との最後の絆を。
「それにね、あたしたちの間のわだかまりは、そんなもんじゃないの。ポッと出のよそ者に手を差し伸べられて、握手させられて、はい仲直りなんて、そんな軽いもんじゃない」
ああ、そうか、と腑に落ちるものがあった。
魅咲が俺に話そうとしていないのは、諸橋や八木との会談などではない。その「わだかまり」とやらの原因だ。
だけど俺はそれについて尋ねなかった。いつか魅咲が自発的に話してくれればいい。
そこで魅咲は顔を上げた。
「お、電気が点いた。そろそろあたしは帰ろっかな」立ち上がり、大儀そうに首を回す。「明日も朝からお仕事だし」
見ればたしかに高原の部屋に灯が点っていた。
「みさ……」
「あんたは三十分くらいしたら戻って」
魅咲は俺の呼びかけを遮った。
「……詩都香と、今はいっしょにいてあげて。それくらいの責任の取り方、できるでしょ」
キツかった。魅咲は俺の気持ちを見抜いて釘を刺したのだ。
今の高原とはいっしょにいづらいなどという、自分の責任も省みない卑怯な気持ちを。
「……わかった。悪い」
「ううん、ごめん。責めてるわけじゃないんだけど。……じゃあ、明後日の約束忘れないでよ?」
「ああ、大丈夫だ。日付的にはもう明日だな」
「あーほんとだ。まったく、詩都香め」
魅咲はぼやきつつベンチの上のバッグを手にした。
「じゃあね、おやすみ」
「おやすみ」
挨拶を交わして歩み去る魅咲を、さっきと同じように見送る。
魅咲に尋ねそこねたことがもうひとつあった。
(——魅咲。お前、前よりも強くなってないか?)
あの魔窟での乱闘だってそうだ。さすがにケンカ慣れしてるのか、あのチンピラどもは前にやり合った湘南青年振興会のメンバーに比べたらそこそこ強かった。魅咲が苦戦することはないだろうとは思っていたけど、それにしてもあんな鼻歌交じりで……。
それに、さっき見せた念動力。以前は〈モナドの窓〉を開いても飛ぶことができなかったらしいのに、今は〈モナドの窓〉を開くことすらなく俺と高原をいっしょに運べるようになっていた。
高原だけでなく、魅咲たちもやはり過酷な戦いを繰り広げてきたってことなのだろうか。
——かなわねーな、まったくよ。
俺は高原の部屋を見上げながら、背もたれによりかかった。




