11-3
気づけばいつの間にか、他の客たちがいなくなっていた。琉斗は俺の顔を横目で窺ってきた。
「……三鷹さん、一発殴っていいですか? さっきはああ言ったけど、ほんとのところ、ちょっとだけ恨みに思ってるんすよ」
「おお、殴れ殴れ」
言った瞬間に左頬に衝撃が来た。
安請け合いしたくせにまったく無防備だった俺の体は、椅子から転がり落ちて近くのテーブルの足に衝突した。女性店員の悲鳴が上がった。
カッとなった。俺だってこんな一発でのされるほどやわじゃない。酔いが急速に冷めていく。
――後から考えると、この世界に来て二日目にして俺も既に相当に鬱屈していたのかもしれない。責任を取る術すらわからないのに、あらゆる物事が俺を責めているように感じられていたのだ。
「……意外だな。いい突きしてるじゃねえか」
体の上の椅子を振り払って立ち上がる。
琉斗はしばしの間呆然と自分の拳を見つめていた。まるで、手が勝手に持ち主の意に沿わぬ行動をとったかのように。
が、それを吹っ切った表情で席を立った。
「言ったでしょ? 俺だってそれなりに修羅場くぐってきてるんだから」
口の中がごろごろする。アルコールとは違う鉄臭い味の塊をまとめて吐き出すと、奥歯が一本フロアに転がった。
店員たちはおろおろとカウンターの向こうに避難する。
「……いい度胸だな。俺に勝てると思ってんのか? 十年はえーぞ」
「あんたのそういう思い上がりが、お姉ちゃんたちを苦しめる結果になったんだよ。思い知らせてやる」
琉斗が手招きする。
酒が入ってるせいか破壊衝動に突き動かされた。ぐっと握った拳を、先ほどぶつかったばかりのテーブルに叩きつける。
木製の天板が四散した。店員たちが目を丸くした。
それを見て、琉斗が嘲り顔で言った。
「あんた、その拳でいったい何を守れたって言うんだ?」
これには俺もキレた。
「この野郎!」
突っこんでいった俺に向けて、琉斗は冷静に手近な酒瓶を投げてきた。
手刀で叩き割る。
次にはカウンターの椅子が飛んできた。
これも手刀で叩き割る。
もはや手近に投げるもののない琉斗は、拳を握り迎撃態勢をとった。
瞬時に距離を詰め、渾身の左フック。
琉斗はそれを予測していたのか、タイミングを巧く合わせて飛びのいた。
空振った拳はカウンターを直撃した。縦板が表裏まとめて打ち抜かれ、その向こうの棚に並んでいた何本もの酒瓶を、飛び散った破片が砕いた。
今度こそ店員たちが悲鳴を上げて奥へと逃げ出した。
分厚い板に腕を突き刺してしまった俺の隙を逃さず、琉斗が首を刈り取るような鋭い右回し蹴りを放つ。
だが、俺にとってそれは既に予想済み。むしろ攻撃を誘い出したと言っていい。
慌ててカウンターから腕を引き抜くなんてことはせず、こちらは右脚で迎撃。膝の裏で蹴りを受け止め、そのまま脚を絡め捕りつつかかと落しにも似た形で振り下ろし、重心が高くなって不安定な体勢の琉斗を投げた。
「どうあっ!?」
脚一本での予想外の投げ技に、琉斗は空中で一回転した後、フロアに背中から叩きつけられた。
俺はそれを見下ろし、ゆっくりと腕を抜いた。
咳き込み震えながら立ち上がる琉斗からは、まだ闘志が感じられた。だが、ダメージは大きそうだ。
「言ったろ? 十年早いんだよ、シスコン野郎!」
そう宣告する俺の顔を、琉斗はキッと睨みつけた。
「あんたは十年遅かったんだよ!」
この言葉には俺も虚を突かれた。おかげで、やぶれかぶれのパンチを胸に食らってしまった。食道を逆流してきたビールをどうにか嚥下して、今度は腕を取って投げてやった。
琉斗はカウンターに背中を打ちつけてから、その向こうに落ちた。
「くっ!」
めげずにカウンターに跳び上がった琉斗がそこから跳び蹴り。
食らってやる義理もない。かわしざまにその脚に腕を絡め、また相手の勢いを利用して後方へ投げた。
――あとはその繰り返しだった。突っかかってくる琉斗の攻撃を絡め取り、店のあちらこちらめがけて放る。
何度目だろう、酒の陳列棚に叩きつけられ、またカウンターの向こう側に落ちた琉斗が、その場におうずくまったままゲロを吐く気配があった。
「なんでだよ……」
しばらくしてから口元をぬぐいながら立ち上がった琉斗は、泣いていた。吐いたことだけが原因じゃないだろう。
「あんた、なんでそんなに強いんだよ……。そんなに強くて、なんでお姉ちゃんを守ってやれなかったんだよ……!」
そこで俺は理解した。今琉斗の感じている苛立ちは、まさに俺が十五年前のあの時感じたものと同じものであったことを。
俺も琉斗も、力さえ及べば助けてやりたかった。だが、俺たちは結局あまりに非力だった。こんな所で腕っぷしを比べても、互いの無力を確認するだけだった。
「お前がしたかったこと、俺もしてやりたかったけど、ダメだったんだよ」
体の力が抜けた俺は、そうとだけどうにか絞り出した。
琉斗はカウンターに突っ伏した。俺は構えていた両手を下した。
マスターが控室から顔を出し、恐る恐るこちらの様子を窺っていた。




