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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第二幕「詩都香の部屋」
61/106

9-3

 俺たちは店を出た。高原は席を立つ際に少しよろめいたが、勘定はしっかり済ませた。

「ちょっと飲み過ぎたわー」

 高原の顔は酩酊を感じさせなかった。白磁のような肌に変化は見られない。甘いカクテルばかりとはいえ、かなりの量を飲んだはずなのだが。

 ただその代わりに足取りの方は正直だった。不安定な足運びで、酔客でごった返す街路をたどる。

 俺の方は結局ビール一杯だけだった。それでもかなり回っている。

 高原は目的地を告げなかったが、ここで別れるわけにもいかず、俺はその後ろをついていった。危なっかしいその様子に少しハラハラしながら。

「さて、そろそろかな。誠介くん、わたしのそばから絶対離れないでね」

 飲食店が集中する区画を抜け、夜は寂しくなるビジネス街に差し掛かったところで、ふらついていた高原の足がピタリと止まった。

 そして、辺りの空気が変容した。

 この感覚……また〈モナドの窓〉を開いたのだ。

「お、おい……」

 高原が俺の手をとってぎゅっと握りしめた。

 そしてその手を介して俺は、彼女の魂にその中に漲る魔力の流れに、触れた気がした。

 目がくらんだ。とてつもなかった。

 海洋よりも広大。

 山嶺よりも孤高。

 天地すら一飲みにするかのような大塊が、この小さな少女の内奥に蔵されていた。

 そのヴィジョンは、魅咲(みさき)から聞いた高原のこの十年の消息以上に俺の胸をえぐった。

 今俺は現実ではありえない圧倒的な光景を幻視し、知覚している。

 だけどどうしてだろう。それはあまりにも悲しく痛ましい光景に思えるのだった。

 ——なあ高原。

 何だよ、これ。こんなものを魂の中に育ててしまうまで、お前は何をやってきたんだよ。

 おかしいだろ。

 どうして俺なんかのためにここまでやってしまうんだよ。

 別に俺のこと好きだったわけじゃないんだろう?

 単なる阿呆が、思い上がって暴走して、勝手に死んだ。それだけのことだろう?

 なのに、どうして――

 ぞわわ、と〈器〉の表面に微かな波紋が生まれた。精神からの働きかけが魔法を呼び起こしたのだ。

 全体の大きさからすれば、ほんのわずかな小波。それでも、はっきりとその動きがわかった。

 その時だった。ばちんッ、と空気の弾けるような音がした。

「うわっ!」

 途端に現実に引き戻された。驚いてすくむ俺を他所に、高原は得意げに笑っていた。

「こいつらが来ることくらい、ずっと前からわかってた。前にちょっとした出来事があってから、この街を意識の網で覆うようにしてるの。段々カバー範囲が広がって、今じゃ半径百キロくらい」

 高原がそう言う間にも、周囲の空気が何度も爆ぜた。なかなかに重々しい響きだった。ときおり、何かの破片がアスファルトの路面に落ちる澄んだ音もあった。

「対物ライフルねぇ。学習しないんだから。わたしの防御障壁を破りたいんなら、せめてAPFSDSくらい準備した方がいいんじゃない? ――ま、無駄だけど」

 高原の腕がさっと伸びた。その手を、素早く三方に向ける。

「そことそことそこ!」

 高原が手を伸ばした先のひとつ、俺たちの後方数十メートルのビルの十階くらいで、窓ガラスが割れた。それと同時に、人影らしきものが悲鳴とともに宙に踊り、そのまま落下して地面に叩きつけられた。

 残りの二か所は離れたビルだったが、おそらく同じことが起こったのだろう。

「残りはお前だけだ、魔術師!」

 さらに遥か遠方、二、三キロは離れていると思われる高層ビルに向かって、高原はぐっと掌を突き出した。

「うおっ!?」

 高原の掌から不可視の衝撃波のようなものが放たれたのがわかった。ビリビリとした余波が、俺の体にも伝わったからだ。

 そして刹那の後にはそれが件のビルを揺さぶっていた。

「片づいた」

 何の感慨も見せず、高原はそう宣言した。

「こ、殺したのか……?」

 言わずもがなの疑問を思わず口にしてしまった。

「ビルの高層階から落ちて生きてられる人間ならわからないけど、まあ、たぶん全員死んだんじゃない? ――あ、最後の魔術師にはきっちり止めを刺しておいたから安心して。あの念動力をまともに食らって生き残れる魔術師は、今の世界にはまずいない」

 魅咲から聞かされていたとはいえ、戦慄した。俺が恋した少女は、虫けらのように敵を殺害できる存在に変質していた。

「それじゃ行こうか」

「え?」

「帰るの」

 そうこともなげに口にして、高原は歩き出した。後を追おうとした矢先、もう一度その足が止まる。

「ほんとはね――」

 絞り出すような声。

「怖かったんだ。誠介くんも顔を見られただろうし、わたしと親しげな人間は、いつ狙われてもおかしくないから。だから、絶対に報告なんてされないように、皆殺しにせざるをえなかったの」

 咄嗟には理解できなかった。

「わたしは、もう二度と、誠介くんを失いたくない」

 高原はそうとだけ言い、歩みを再開した。

 高原の足取りには迷いがなかった。ひょっとして、これは……。

「どこに向かってるんだ?」

 昂ぶる予感をこらえて、尋ねてみた。

「家に帰るって言ったでしょう。――どうせ行く当てないんでしょ? 今夜は家に泊めてあげる」

 ゴクッと生唾を嚥下した音が、彼女に伝わっていないことを祈ろう。


 高原の現在の住まいは、東京舞原(ひがしきょうぶはら)駅北西の学生街を貫く大通りから入り組んだ小路を入ったところにあるアパートだった。

 この建物の三階の一室に、彼女は五年ほど前から住んでいる。五階建てで、ややくたびれたその佇まいは、俺の住んでいた物件とそう大差ない。ただ少し違うのは、「即入居可」と書かれた看板に誇らしげに躍る「ペットOK」の文字と、各室の扉に設えられた。犬猫用と思われる小さな出入口だった。

 高原が扉を開け、廊下の照明を点けると、一匹の猫が俺たちを出迎えた。オレンジがかった茶色の毛並の、なかなかにふてぶてしい態度の猫だ。

「エルちゃん、ただいま~」

 靴を脱いでフローリングの床に上がった高原が、その猫を抱き上げた。エルちゃんと呼ばれた猫は、にぃ、と一声鳴いた。

「これ、拾ったのか?」

 高原は肩をすくめた。

「アビシニアン。血統書付き。ショップで子猫を買えば十万くらいするんじゃないかな。わたしが買ったんじゃないけど」

 おわ、そんな高い猫なのか。どれどれ、お毛並拝見、と。

「あ」

「あ」

 高原の制止も遅く、頭を撫でてやろうと伸ばした俺の手を猫が引っ掻いた。驚いて引っ込めた手の甲に、三本の赤い筋が走っていた。

「ご、ごめん、誠介くん。この子、人見知りで……。こら! め、でしょ、エルちゃん!」

 高原の叱責もどこ吹く風。猫は俺から目を離さずに小さく鳴いた。俺を睨むその目は警戒心を隠そうともしていなかった。

 なるほど、お姫様を守るナイトってところかね。


 シャワーを借り、帰りにコンビニで買ってきた歯ブラシで歯を磨いて、リビングのローテーブルに陣取って高原の出してくれたお茶を飲んでいると、どうにか酩酊感が薄れてきた。すると、夜になったためか少し肌寒さを感じた。

 俺が脱いだ制服は綺麗に皺を伸ばされてハンガーにかかっていた。今の服装はTシャツに短パン。「下着姿でうろうろされるのはちょっとね」と、高原が歯ブラシと一緒に買ってくれたものだ。

 その高原は、俺と交代にシャワーを浴びている。

 洗面台はバスルームの中にあるので今は見えないが、歯磨きを終えた後、二本並んだ歯ブラシを見ているとひどくどぎまぎしてしまった。

 ……ああ、いかん。努めて意識の外に追い出そうとしていたのに、またそちらに思考が向いてしまった。

 通路兼用のキッチンとリビングを隔てるドアの向こうには彼女が脱いだ衣服と着替えがあるはずで、さらに扉をもう一枚隔てた向こうでは、彼女がシャワーを浴びているのだ。二十五歳になったとはいえ、俺の知る頃と寸分違わぬあの瑞々しい肢体を晒して。

「調子狂うよなぁ……」

 誰にともなく、呟いてみる。高原といえば、もっとガードが固くて、俺なんか相手にもしていない態度で、ツンデレ的な愛情の裏返しと思い込もうとしなければ到底言い寄ることができないような、取りつく島もない奴だったはずなのに。

 ――なのに、そんな彼女がこんなに易々と俺を部屋に招じ入れるなんて。

 ひとり悶々としていると、シャワーの音が止んだ。通路でごそごそと衣擦れの音がする。くっ、静まれ、俺の煩悩……。

 ややあってから、髪をタオルでまとめたパジャマ姿の高原が、ミネラルウォーターのボトルを片手にリビングに入ってきた。熱いシャワーでほんのりと上気したその頬。俺は思わず目を伏せた。

「ちょっとドライヤー使うね。うるさくなるけど、ごめん」

 ミネラルウォーターを半分ほど飲んだ高原はそう言い、鏡台に向かう。湿り気を帯びた長い髪が、解いたタオルからこぼれ落ちた、

「あちゃー。そろそろまた染め直さないと。白髪染めみたいでやだなぁ」

 頭頂部の生え際を確認しながらそんな独り言。続いて、部屋の中をドライヤーの音が支配した。

(ああ、なんつーか、すげーいいな、こういうの)

 丹念にブラッシングしながら髪を乾かす彼女。そんな想い人の後姿を見守る……男としてこれほど幸せを感じることがあろうか。

「……えっと、あんまりじろじろ見られると恥ずかしいんだけど」

 うおっと。気がつくと鏡の中の高原と目が合っていた。恥ずかしがりなところは残っているらしい。

「わ、悪い。……そういや、エルちゃんは?」

 誤魔化すために猫に話題を向けた。エルの奴、いつの間にかいなくなってたな。……いいのか、俺を監視してなくて?

「ドライヤーの音が嫌いみたいで、わたしがシャワー浴び出すと外に遊びに行っちゃうの。バイトが深夜まで続く日もあるから、飼い猫のくせに夜行性が残っちゃってね。朝までには帰ってくるはずだから」

 猫は元来夜行性動物だが、人間と暮らしていれば生活リズムを合わせるらしい。

「お前って何のバイトしてるの?」

 髪を乾かし終え、ローテーブルの俺の向かいに座った高原に尋ねてみた。すると彼女はどこかきまり悪げに俯いた。

「……牛丼屋」

「え?」

 俺が聞き返すと、高原は某有名チェーン店の名前を口にした。牛丼屋で間違いないらしい。こいつが接客やるなんて、なんかイメージと違う。まあ、“夜のお仕事”とかじゃなくて少し安心した。

「あと、コンビニ。前は牛丼一本だったんだけど、このところ物騒だから、深夜に入れてもらえなくなっちゃって。週三日はコンビニで朝まで。こっちは二人の男性スタッフと一緒だから大丈夫みたい。あ、キツい時には臨時で事務仕事もやってる」

 ずいぶん働いてるものだ。よく体がもつな。高原は女にしては体力もあるけど、魔法でスタミナはカバーできないらしい。むしろ、魔法を使うためにも体力が必要なのだとか。

「何か買いたいものでもあるのか?」

「……ううん、別に。そういうわかりやすい目標があればいいんだけど。——そろそろ寝よっか。明日もバイトだし」

 もう少し聞きたかったのだが、話を打ち切られてしまった。高原は一度解いた髪をまたまとめにかかった。俺もそれに同調して寝る準備に入る。

 寝る場所を決める段になって、また一悶着あった。俺はこの部屋で唯一の余分な家具であるソファで寝るつもりだったのだが、高原は俺にベッドを譲ると言って聞かなかった。

「魔法で強引に眠らせちゃうよ?」

 最後はそう脅しをかける彼女に押し切られ、しぶしぶながら俺がベッドで寝ることとなった。

 高原と一つ屋根の下で果たして眠れるかなあ、などという不安は杞憂に終わった。思った以上に疲れていたらしい。ベッドに身を横たえてものの五分も経たぬ内に、俺は睡魔に引きずり込まれた。

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