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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第二幕「詩都香の部屋」
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9-2

「十年ぶりの再会に乾杯」

「俺は半日ぶりくらいだけどな」

 高原の手にするカルーアミルクのグラスと、俺のビールのジョッキがぶつかり、チン、と鳴った。

 高原は一転して陽気になっていた。涙とともに出すべきものを出し切ってくれたのなら、それはそれで嬉しい。

 あの後席に案内されてから返却されたカードは、市内の大学の学生証に変わっていた。計算では四年生に当たる。ご丁寧にも顔写真付きだ。

「バイト先にその大学の子がいてね。学生証を見せてもらったことがあったから、見よう見まねで作ってみた」

 事も無げに高原はそう言った。

 まったく、魔法って奴は便利だ。高原だって、面倒な免許証なんて作らなくても、本当はこの手でいくらでも解決できたはずだ。でも自分のためにはそれをやらないところがこいつらしいと言える。

「こういう店、よく来るのか?」

「うん、まあ、嫌なことあった時とかね。あ、今日は違うから。嬉しくてお酒を飲むなんて、すっごい久しぶり。……ううん、初めてかも」

 高原にも嫌なことなんてあるのか。

 いや、よく考えたらそれは意外でもなんでもない。魅咲の話を聞く限り、この十年、こいつにとっては嫌なことだらけだったはずだ。

 メニュー表に視線を落とす高原の頭頂部、髪の生え際にやや違和感があった。キツめの店内の灯に照らされて、そこだけ色素が薄いのがわかった。

「ああ、これ?」視線に気づいて高原が顔を上げ、頭に手をやった。「染めてるの。……戻んなくなっちゃったから」

 自嘲気味にそう言って、高原はそのきれいな髪の毛を惜しげもなく一本抜き取り、俺に差し出して示した。その根本の数センチは、透き通るような青色だった。

 高原がその特殊な才能を発揮して最大限に魔力を精錬しようとするとき、元々細くて色の薄めだった青黒の髪が、完全に青と言っていい色に変わる。俺はまだ見たことがないが、単純に色が変わるというよりは、髪の毛が一本一本芯から輝くといった具合らしい。

 消費しきれない余剰魔力を少しずつ放出しているのだと聞いた。戦いを重ねる内に、いつからか高原の髪の色はそのまま戻らなくなってしまったのだという。

「それにしても誠介くん、魅咲から聞いてるけど、あのとき消えちゃったかと思ったら時間を超えてたって? 魔法の爆発で? そんなバカな、だよ。そんなことで時間を超えられちゃうんだったら誰も苦労しないっての」

 高原は一転して明るく言った。

「そうなのか……?」

「そーだよ。魔法はこの世の法則に囚われない、無辺自在の力だけど……そうだな、まず魔法の便利さから教えようか。……ふっ」

 高原が軽く息を吐く。それとともに、微かに周囲の空気が震撼したように思われた。

 ざわついていた店内がぴたっと静まり、客たちの目が一斉にこちらを向いた。しかし、異状が認められなかったためだろう、またそれぞれの談笑に戻っていった。

「高原……?」

「〈モナドの窓〉を開いたの。ちょっと待ってね、今魔力貯めてるから。……よし、こんなもんかな」

 高原は小さく頷くと、楊枝立てから爪楊枝を一本抜き出した。

「よく見ててね。ていっ」

 高原が指先を向けると、その爪楊枝は淡い光の粒子に包まれ、消失した。

「何をした?」

「三分待って」

 高原は腕時計を見ながらそう答えた。

 俺と高原は約三分の間テーブルの上を見つめていた。俺たちを観察している者がいたら、妙なカップルだと訝しんだことだろう。

「――そろそろ。三、二、一、ゼロ……ありゃ?」

 高原の「ありゃ?」と同時に机の上の一点が光り、爪楊枝が再び現れた。

「……マジック?」

 だとしたら大変地味だ。

 高原はぶんぶんと頭を振った。

「ちがっ、もーう! 誠介くんの体験したであろうことを再現してみたの。この爪楊枝はね、三分間だけ時間を超えた」

「は?」

「あー、でも一秒ちょいずれたな。初めて使ったけど、結構難しいわこりゃ」

 なんだよ、魔法で時間超えられるんじゃねーか。

 俺が腑に落ちない顔をしていると、高原はちょっと愉快そうに言葉を継いだ。

「ところでね、誠介くん。この爪楊枝、なんでここに現れたと思う?」

 なんでって……。

「そりゃ、お前が魔法使ったからだろ? 俺だって瓜生山のてっぺんにいたんだし」

「そういうことじゃなくて。……いや、結論はそういうことなんだけど。この爪楊枝、三分の間に空間を移動してると思わない?」

 俺は卓上の爪楊枝を()めつ(すが)めつ観察し、それからかぶりを振った。

「わからんな。一ミリたりとも動いているようには見えない」

 どうやら俺の困惑は高原の望んでいたものだったようだ。その口元にいたずらっぽい笑みが浮かぶ。

「そう思うよねー。でも、動いてるの。タイムスリップものなんかでこの辺どう理屈付けしてるのかわかんないけどさ、地球って動いてるじゃない? 自転だけでも、この辺だと秒速四百メートル弱かな」

「……あ」

 なーるほど。俺にも高原の言いたいことが飲み込めてきた。

「公転の方は秒速三十キロ、それに太陽だって動いてるんだし、銀河だって動いてる。わたしたちは自分では動いていないつもりでも、決して同じ一点に留まっているわけじゃない。ま、速度なんてひとつの慣性系の中でのことにすぎないけど。でも、時空から切り離されたこの爪楊枝は、わたしたちにとっては一ミリと動いていないように見えて、その実三分の間にものすごい距離を移動してきたことになるんじゃないかな」

 俺がいた瓜生山の山頂の空間は、十年経った今では真空の宇宙になっている、ってことか。そっちに放り出されなくてよかった。

「じゃあ、なんで……」

「それが魔法だからよ」

 俺の質問を先回りして高原はそう言い、胸を張った。

「細かいことはいいんだよ、でその辺はどうにかなっちゃう。だって術者だって、知識としては知っていてもそんな実感ないんだもん。時空から切り離されても慣性系の中には留まってるなんて都合がよすぎる? でもそんな都合のいいことを可能にしちゃうのが魔法なわけ」

 高原はそこで卓上のボタンを押し、店員を呼びつけた。いつの間にかほぼ飲み終わっていたカルーアミルクのお代わりを頼む。

 俺の方はまだ最初の一口だけだ。とりあえずビール、なんていうけど、この味はあまり好きになれない。

「次に不便な点、というかお約束事ね」店員が去るのを待ってから、高原はグラスに残った水っぽい中身を一口含んで続きを始めた。「魔法はこの世に与える影響が大きければ大きいほど、魔力を使う。ま、納得できる話でしょ? 例えば、わたしが今使える攻性魔法は、自分で言うのもなんだけどそりゃとんでもない威力。防御障壁で周りを囲んでおかないと、うかつに地上では使えない。でもそれだって、実は大したことじゃないの。だって、別の世界から補給されたエネルギーをそのまま破壊のために使いました、ってだけなんだもん」

 さらっととんでもないこと言わなかったか、こいつ? 地上では使えない、だと?

 俺は内心の動揺を隠そうとジョッキを呷った。しかし高原はどこ吹く風だった。

「だけどね、物質を再構成する魔法なんかは――さっき誠介くんのカードを大学の学生証にしたのもその初歩なんだけど、もっと複雑。魔力だってかなり使う。時間跳躍のための魔力なんて、それこそ莫大なもの。物ならともかく、人ひとり跳ばそうと思ったら、十年前のあの爆発とは何桁も違うエネルギーが必要になるだろうね。あの頃のわたしたちの〈器〉の容量じゃ、三人がかりでもとても無理」

「……それなら、なんで俺はここにいるんだよ?」

 高原は首を傾げた。

「さあ。わたしにもさっぱりわかんない」

 おいおい、今までのご高説は何だったんだ。

「いいじゃない、細かいことは。こうして帰ってこられたんだし」

「そんなもんかね」

 釈然としないまま、俺はもうひと口ビールを飲んだ。

 魔法のことなんてさっぱりわからない。だが俺が納得できないのは、高原のこの態度だ。

 俺の知るこいつは知的好奇心の塊みたいな少女だった。知らないことに興味を持てば、自分の能力で可能な限りそれを調べようとする。細かいことはいい、で済ませるような奴じゃなかったと思うんだが。

「気になる?」

 高原は俺が納得していないことを見て取ったようだ。だが、その理由については誤解している。

「そりゃあ、な。一応当事者なんだし。お前は気にならないのか?」

「……別に。わたしにとっては、誠介くんが帰ってきてくれたことの方が大事だもん」

 にこーっ、とそれこそ昔の一条のように、高原は屈託のない笑顔を浮かべた。何かよからぬことが起こりそうな予感は一切しなかった。しかもこんな台詞を吐くだなんて、我がクラスが誇るなんちゃってクールビューティ、高原詩都香(しずか)様とは思えない。

 ……たしかに、これはおかしい。

 あの頃はどこか掴みどころのない奴だった。それに対して今はどうだ。見た目はともかく中身は十年分の歳を重ねたはずなのに、高校時代よりも雰囲気が幼くなっている。


「リーガを滅ぼした後、残党みたいな奴らが頻繁に詩都香を襲うようになった。まあ、幹部連中は詩都香が皆殺しにしたし、元末端構成員の腕試しみたいなもんなんだけど。ほら、魔術師って自信過剰になることが多いし。

 そいつらと戦うとき、詩都香がなんかすごく楽しそうなの。詩都香って、前は別に好戦的な性格じゃなかったのに、まるで魔法覚えたてで面白がって使っていた頃みたい。もはや詩都香に勝てる魔術師なんて存在しないんだから、適当にあしらって退散願えばそれでいいはずなのに、何人か勢い余って命を奪ってる。……自業自得だとも言えるけど。

 前に教えたでしょ? 詩都香のフルパワー。〈モナドの窓〉を全開にしても、〈不純物〉ごと焼き尽くす不思議な特技。魔法とは違う、別種のエネルギーを使って〈炉〉の効率を上げてるんじゃないかって言われてたけど、一説にはそれって心だか感情だかのエネルギーなんだって。魔法を使うための精神統一には本来邪魔になるものだし、まだ詳しいことはわからないみたいだけど、今の詩都香を見てると、あながち間違っていないんじゃないかって気がする。十年経ったのに、身も心も十五歳のまま。ううん、それどころか、心の方は少しずつ退行していってる。このままこれが続くと、近い内に詩都香は赤子同然になるかもしれない。高校生の体でね。そして何百年経っても死なない」

「そ、それは……」

 俺は二の句が継げなかった。それでは生きる地獄ではないか。

「でも、それだけじゃない。心を蝕まれて、いつか詩都香が無邪気な子供のように善悪の判断もつかなくなったら――」

 唾を嚥下する自分の喉が、こんなに大きな音を立てるなんて知らなかった。

 世界の秩序を支配していた組織とたった一人で戦い続け、ついにはそれを滅ぼしてしまった最強の魔女。彼女が自分の振るう力の大きさに対する自覚を失ったとき、世界は新たな危機に直面する。

「……そのとき、あたしと伽那(かな)で詩都香を殺さなきゃいけなくなるかもしれない」

 別れ際、魅咲(みさき)は最後にそう言ったのだった。


 すぐにやって来た男性店員からカルーアミルクを受け取り、代わりに空いたグラスを手渡した高原は、その店員の靴をちらっと見た。

 と、その靴紐がするするとほどけた。それをもう片方の足で踏んづけた彼は、ものの見事にすっ転んだ。

 彼が手にしていたお盆からグラスが宙に舞った。

 高原の視線がまた動く。それに応じて、四つん這いになっていた店員が目にも止まらぬスピードで起き上がり、跳び上がり、放物線を描いて落ちつつあったグラスを片手でキャッチし、宙返りして通路に着地した。

 転倒の音でこちらを注視していた客たちが、この意表を突くファインプレーに目を剥いた。どこからか拍手の音さえ鳴り始めた。

 いや、確かめるまでもない。拍手を始めたのは、目の前に座る高原だった。

 それにつられたように、他の客も手を叩き出した。わけのわからぬままヒーローに祭り上げられた店員は、ばつが悪そうに頭を掻いている。

 お盆を拾い上げた店員が厨房の方に去った後、高原は口元を押さえ、笑い出した。

「くふっ……くすくすくす」

 愉快でたまらない様子だった。

 ——残された時間は、もうあまりないのかもしれない。

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