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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
28/106

4-10

「そろそろ行くか」

 というもみじの声がかかったのは、午後五時半を少し回った頃だった。

 夏至を過ぎたばかりの太陽が沈むにはまだ時間があるが、普通に歩いて行けば、飛鳥井(あすかい)先輩が〈夜の種〉らしき怪物を見たという時間帯にちょうど現場に到着することになる。

「へーい」

 生返事をした俺は、表計算ソフトを立ち上げたディスプレイから顔を上げた。いつもの倍の手際で家事を終えた後、もみじの指示でこれまでの目撃情報の詳細なデータを打ち込んでいたのである。一昨日のもみじが無視を決め込んだものも一応入れておいた。もみじに声をかけられたのは、その四分の三ほどが終わったところだった。

 違和感があった。もみじによって弾かれた目撃証言に、一部共通性があるような気がするのだ。まだデータが不足している感じではあるが。

「ほら、早く準備しろ」

 キャビネットを解錠しながらもみじが急かす。それに応じてパソコンを落とした俺に、例の拳銃を渡してきた。

 いったん抜かれて別々に保管されていた弾丸を、今度は独力で込める。装弾を終えたシリンダーに親指をかけてクルクル回してやると、いっぱしのガンマンになった気分だった。黄色いサングラスでも欲しいところだ。

「なーに格好つけてんだ。一発も撃ったこと無いくせに」

 横からいらんことを言われて冷めてしまった。

「実戦経験が無いことこそ軍隊の誇りなんですよ」

 何かの映画の受け売りだけど。

「意味がわからん。ほら、行くぞ」

 もみじはまったく意に介すことなく仕事部屋の扉を開けた。俺は拳銃を持参したメッセンジャーバッグにしまいながらその背についていった。

「所長、所長」

 玄関の扉に施錠して早速門をくぐろうとするもみじを呼び止めた。

「何だ?」

「今日のアシ」

 怪訝そうに振り返ったもみじに、庭の一角に停めておいた秘密兵器を示してやった。

 何のことはない、昨日も使った自転車である。

 ただし、その後部には座席を設けられていた。


 ——昨日の帰り道、一条を荷台に乗せた俺は、市役所前通りの大きなサイクルショップに寄った。

 一条を連れていったのは、少々情けない理由からである。

「どうしたの? パンク?」

 などと訊いてくる一条に曖昧に頷きながら、店員に声をかけた。

「すみません、妹を乗せられるチャイルドシートが欲しいんですけど、一番頑丈なヤツってどれになりますか?」

 店員は愛想よく受け答えしてくれた。

「取り付ける自転車にもよりますけど。ちょっと失礼しますね。……こちらなら、二十二キロまでのものが取り付けられます」

 それを聞いて少し考えた。もみじの目方はもう少しありそうだが、まあ、この愛車は荷台に一条を乗せて奮闘してくれたのだ。多少の無理は利くだろう。

 店の壁面にかかったいくつものチャイルドシートをひとしきり眺めてから、かたわらの一条を振り返った。

「一条、お前体重いくつ?」

「え〜と、よんじゅう……って、何言わせるのよぉ!」

 ほぼ予想通りの反応を示してぷんすか怒る一条。可愛いな、まったく。

 一条の身長が俺の目測で百五十五センチ前後。魅咲(みさき)が百六十二センチらしいので、いつも並んでるところを見ていれば大体わかる。体重はサバ読んでる可能性もあるから、四十キロ台後半ってところだろう。もみじの身長は百四十ないから、一条が胸部に装備したふたつの重しも考慮すれば体重は三十キロ台だろうな。

 俺はチャイルドシートの中から一番簡単な作りのものを選んだ。あまりしっかりしたものだともみじがかえって窮屈だろうという判断である。ヘルメットも薦められたので、ついでに買うことにした。

「誰を乗せるの?」

 取り付け作業を一緒に眺めながら、一条が小声で尋ねてきた。

「バイト先の子」

「あー、あの金髪の女の子」

 一条にまで話が伝わっていることなど、もはや驚く価値もない。

 そこで俺は、切り出しかねていた話題に移ることにした。

「そう。……そんでさ、一条。悪いんだけど、金貸してくんね?」

「ええっ?」

 一条がぎょっとして俺の顔を見つめてきた。

「ちゃんとお財布の中身を確認してから買い物してよ」

「さっき思いついたんだ。明日には乗せてやりたいし。バイト代出たら絶対に返すからさ」

「……大事なことなの?」

「大事なこと」

 俺が精一杯の真心を込めて頷くと、一条は仕方ない、と言うように肩を落とした。

「も〜う。ちゃんと返してよ? いくらあるの?」

「一万円ちょいくらい」

 はっきり言ってチャイルドシート本体の値段にも届かない。

「ちょっと待ってね。いくらあったかな」

 一条が財布を取り出して中の紙幣を数え出した。

「六千円しかないや。ちょっと足りない」

 財布の中身は庶民的なお嬢様である。

「え、マジか。どうすっかな。ヘルメットキャンセルするか」

「カード使えればいいんだけど」一条はきょろきょろと店のレジの辺りに目を遣った。「あ、使えるみたい」

「……なんで高校生がクレカ持ってんの?」

「もしもの時のためにってユキさんが持たせてくれてるの」

 俺もテレビでCMを見たことがある会社のカードだった。ただし、明らかに俺ら庶民には縁遠そうな、何やら神々しい見た目のヤツである。

「ゲーテが言ってたよ。お金の貸し借りは友情を損なうとか何とか」

「たまには文芸部らしいことを言うんだな。でも俺とお前との関係は友達以上恋人未満だろ」

 さっきの意趣返しもかねて言ってやった。

「またバカなこと言ってる」

 一条は大して心を動かされた様子ではなかった。高原や魅咲だったら顔を赤くして面白い反応があるところだったのだろうけど。

「ひとつだけ約束」

 カードを取り出してレジへと向かいかけた一条が、俺の方を振り返った。

「何だ? 利子?」

「もう。三鷹くんたらほんとに俗物なんだから。そんなんじゃないよ」

「俗物……?」

 一条は、店員に聞かれるのをはばかってか俺の耳元に口を寄せてきた。

「……最初はわたしを乗せてよね」

 うっ……。くっ、俺の方が照れて動揺してしまった。こいつを相手にするのって案外難しい。

 結局支払いを一条の謎カードに任せ、返済はバイト代が入ってからまとめてすることになった。

 女子高生がクレジットカードで支払いしようだなんて大丈夫なのかと危ぶんだが、杞憂に終わった。何せこの街で一条の名前は最強の影響力を持つのだ。

「悪かったな。でも、大事なことだってのは嘘じゃないんだ。助かったよ」

「いいよ。三鷹くんが言うんだから、誰かのためなんでしょう?」

 一条は俺の肩をぽてぽてと叩いた。肩の叩き方が下手な奴である。

「めぐりめぐれば自分のためなんだろうけどなぁ」

「それでいいんじゃない? 偽善だろうが何だろうが、優しさは優しさだよ。受け取る人次第」

「たまに難しいこと言うよな、お前」

「そう? 三鷹くんってば理解力が足りないんだから」

「うわっ、ムカつく」

 足りないだなんて一条に言われるとなぁ。

 その一条は取り付けてもらったばかりのチャイルドシートに、さすがに少しばかり窮屈そうにしながら座っていた。それでもご機嫌で、しっかりヘルメットまでかぶっていた。

 約束は早速果たされたってわけだ。

「そうそう、ひとつ気になってたことがあるんだけど」

 一条が声のトーンをひとつ落とした。

「何だ? 俺と高原の馴れ初めか?」

「……そういうのはつき合ってから聞かせてよ。そうじゃなくて、こないだ、三鷹くんに抱かれながらわたしが〈モナドの窓〉を開いたことあったじゃない?」

 おっと、そっちがらみの話か。つーか誤解を呼ぶような言い方をするなよ。こっちが大それたことしでかした気になっちまうわ。

「ああ、それで?」

「そのときね、何かこう、うまく言えないんだけど、変な感覚あったんだよね。わたしの思い違いかもしれないけど」

「変な感覚……? それって、俺に惚れちゃったとか?」

「なんだかわたしが精錬した魔力が、どっかに逃げちゃうような」

 一条は俺の冗談を完膚なきまでに無視してくれた。

「……どこに?」

「それがわかんないんだよね。あの後、家でひとりで〈モナドの窓〉を開いたんだけど、同じことは起こらなかったし。……ユキさんから『不用意に〈モナドの窓〉を開かないでください』って叱られちゃったけど」

 叱られちゃったのかよ、アホめが。

「気にすんな。変なシチュエーションだったし、調子悪かったんだろ」

「……そうかなあ。前に詩都香も似たようなこと言ってた気がするし、わたしに原因があるんじゃないと思うんだけど」

「つか、その手の話を俺に相談しても仕方ないだろ。素人で全然わかんねえんだから」

「ううん」一条が首を振ったのがバランスの変化を通して伝わってきた。「三鷹くんにだって、〈モナドの窓〉はあるんだよ。〈炉〉も〈器〉も。いつ異能や魔法に目覚めてもおかしくないんだから」

 そうだ。俺だってひょっとしたらいつか——

「それにね、三鷹くんってなんか頼りがいありそうだから、つい話したくなっちゃうんだよね」

「それは違うぞ、一条。お前らは今まで三人だけで戦ってきてたんだろ? 外部に理解者ができたら思わず相談してみたくなるってだけの話だ」

 こいつらのサポート役として自分が役者不足なのは重々承知していた。

 だけど俺のそんな卑下を、一条はクスクスと笑い飛ばした。

「やっぱり優しいね、三鷹くんは。でもその優しさを、たまにはわたしに向けてくれてもいいと思うんだけどな」

「優しくしてるだろうが。今だってこうやって……」

「これは交換条件でしょ。……あっ、ほら。サマーフルーツタルトだって。何が載ってるんだろ」

 今度は心持ち強めにべちんべちんと肩を叩かれた。右手に見えるケーキ店の前に、たしかにそんな幟が立っていた。少し前に魅咲にもおごらされた店だ。

 俺は仕方なくブレーキを握り込んだ。

「……こんなものでよければご馳走させてくださいますか、お嬢様?」

「ふふふ、ありがとう」

 一条は、こんなときだけは機敏に、ぴょんと後部座席から飛び降りた。

 こうして俺は、一条に夏季限定のケーキをおごってやるはめになったのであった。


 ——そんな俺の優しさと一条の財力の結晶であるところの自転車(改)を、もみじは首を傾げて眺めた。

「だから一昨日も言ったろ、あたしは自転車乗れないって……あ、まさか——」

 後部のチャイルドシートに視線を移したもみじが、次いで俺の方を見る。

「そう、そのまさかっすよ。二人乗りなら所長も大丈夫っしょ」

「冗談じゃないぞ。こんな、子供みたいな」

 どの口が言うんだっつーの。

「俺が漕ぐんで、所長は後ろで探査に集中してください。それなら歩くよりよっぽど効率だっていいでしょ?」

 もみじの職業倫理に訴えかけてやる。

「いや……でもな」

「ほら、ヘルメットもあります」

「〜〜〜〜ッ! わかったよ! 乗ればいいんだろ乗れば!」

 もみじは俺の手からヘルメットをひったくり、がぽっと勢いよくかぶった。ツインテールでも普通にかぶれるもんなんだな、とズレたことに感心してしまった。

 もみじが俺の支える自転車の後部に乗り込む。俺の自転車の高さだとその足は地面に届かない。

「んじゃ、行きますよ。しっかりつかまっ……ぐぎ」

 かなりキツめに肩をつかまれた。少し怖いのかもしれない。

 顔を引きつらせながら自転車をスタートさせる。

「そ……その調子で肩でも揉んでてください」

「凝ってるのか?」

「デスクワークと家事ばっかりやらされてますんで」

「……ふんっ。ったく、さっさとスピード上げろ。これじゃ歩いた方が早いぞ」

「その調子、その調子」

 スピードを落として走っている間に、早くも住宅街を抜けた。

 ちびっ子め、ここからが本領発揮だからな。泣いても知らねえぞ?

「なあ、三鷹」

 三段変速のギアを二段目に上げたところで、もみじが話しかけてきた。

「何すか?」

「……悪かったな。これ、あたしに気を遣ってくれたんだろう?」

 俺は口をつぐんだ。

 お見通しか。魅咲がアドバイスしてくれたようにはうまくやれなかったようだ。

「えーと、所長。別にそんなんじゃ……」

「でも、その……なんだ、悪くはない。……ううん。ありがとう、三鷹。お前の心遣いは伝わる。……嬉しいよ。悪いな、こんな口べたで」

 そのときの俺の表情。

 こんな表情浮かべるのは、ひょっとしたら生まれて初めてかもしれなかった。

 うひょー。

「メッサーウィング!」

「何だそれ?」

何人(なんぴと)たりとも俺の前は走らせねえ!」

「何だそれ?」

「飛べーー! 「やまと」!」

「マジで何だそれ!? ——ひゃあっ!」

 自分でもよくわからないほどテンションが上がってしまった俺は、もみじの体重をものともせず、一気に最高速度まで加速した。

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