4-9
翌日の水曜日。俺はいつも通り薄氷調査事務所に出勤した。
「よう。今日は早かったな」
仕事部屋に入ると、所長の薄氷もみじがノートパソコンとにらめっこしながら挨拶してきた。
「ええ、まあ。さっさと初仕事を終えたいので」
「ふ〜ん。何にせよやる気があるのはいいことだ」
一見普段と変わらぬ態度だが、すぐにわかった。もみじは俺と目を合わせようとしていない。
「所長、一昨日はすみませんでした。黙ってましたけど、俺、魔術師の知り合いがいるんです。それも三人ほど」
どうせその内言わなければいけないことだ。固く口止めされているわけではないし、もみじになら教えてもいいだろうと判断した。
「そうか。三人もか」
もみじはやはり顔を上げずに頷いた。
「でも、そいつらは所長が思ってるようなおっかない魔術師じゃなくて、その、なんていうか、そういう魔術師に我慢がならなくて戦っているというか……」
詳しいことまで言うのはためらわれた。おかげで要領を得ない釈明になってしまった。
「トレース・ウェスペルティーリオーネース」
「えっ?」
唐突なもみじの言葉に反応することができなかった。俺に向けた言葉かどうかもわからなかった。
「〈鳥無き島の三羽蝙蝠〉、だそうだ。先月くらいからかな。この辺でそう呼ばれてる魔術師のグループがあるんだ。三人一組で、全員年端も行かない少女らしい。あたしなんかのところには詳しい情報は下りてこないがな」
「はあ」
年端も行かない少女って、もみじが言うとツッコミ待ちかと思ってしまう。
「日本も含めたほぼ全世界の魔術師を束ねる組織があるんだが、どういうわけかそいつらは服属しようとせずに反旗を翻しているんだとか」
「ああ」
納得できた。その三羽蝙蝠とやらは、魅咲と高原と一条のことだ。
「馬鹿な奴らだよ。駆け出しの魔術師が勝てるわけがない。営々五百年近くも続いてきた組織だ。下っ端の魔術師が派遣されてきている内はまだいいんだけどな」
小さな反感を覚えた。
「でも、そいつらだって何か理由があって。それに、きっとただの魔術師じゃ——」
「わかってるよ。ただの魔術師だったら、最初の戦いでアウトだ。きっと何か奥の手でも隠しているんだろう。……でも今のお前の反応で確信できた。一昨日の河原で会ったあの女がその一人ってわけだな」
「……たぶん、そうなんだと思います」
もみじが見ていないのはわかっていたが、俺は小さく首を縦に振った。
「んで、お前はそれを打ち明けられるほど信頼されてる、と。……恋人なのか?」
今度は横に振る番だった。
「いえ、残念ながら。以前ちょっとした事件で協力したことがあって、そんとき聞いたんです」
言いつつ見れば、もみじが顔を上げて俺の表情を覗いていた。
「……なるほどな。ここに来た最初のときに、お前があっさりと〈夜の種〉の存在を信じた理由がわかったよ。お前のことだから、もっとあたしをバカにして然るべきだと思ったんだが」
「相変わらず口が悪いっすね。俺のことそんなヤツだと思ってるんですか。所長のことバカにしたことなんてないっしょ」
「どの口が言うんだ、アホ。……一昨日は悪かった。あんな風に取り乱したりして。先月の半ばに途方もない力を持った魔術師がこの街に来てたもんで、あたしもピリピリしてたみたいだ」
もみじはそこで小さく頭を下げた。
もみじの言う魔術師の話も気になったが、これでは俺の方が慌ててしまう。
「いやいやいや、黙ってた俺が悪いんですよ。謝ったりしないでください」
「いいや、そういう事情のある魔術師の知り合いなら、黙っているのが当然だ。それを責めたりするだなんて、あたしの方がどうかしてたんだ」
参ったな。もみじは俺が思っていたよりもよっぽど大人だったようだ。俺の準備も空振りかな、これは。
「ところでだ。言いにくいんだが、改めてお前に退職の機会を与えようと思う」
「……え?」
面食らった。結局もみじの機嫌を損ねてしまっていたのだろうか。
そんな俺に向かって、もみじは事情を語り出した。
「前にも説明したかとは思うが、この仕事は魔法がらみの事件に対処する政府機関の依頼を受けて成り立っている。そこと魔術師の組織とは仲が悪いというか、むしろ魔術師の組織側が——」
「ボカさなくてもいいですよ。〈リーガ〉っつう組織なんでしょ?」
俺がそう言って先を促すと、もみじはつかの間絶句してから、くっくっくっ、と低く笑った。
「そんなことまで聞かされてるのか。やっぱり信頼されてるんじゃないか。そう、〈悦ばしき学問の求道者連盟〉——通称〈リーガ〉。その〈リーガ〉の側が一方的に見下してるような関係だ。一般人に何ができる、って具合でな。自分たちの手に余る事が起これば機関は〈リーガ〉にお伺いを立てる。〈リーガ〉はそれに応じて指示を出したり魔術師を派遣してやったりする。そんな非対称な関係だ。だから、政府機関の方は〈リーガ〉に対抗意識を燃やしているが、〈リーガ〉の魔術師どもに逆らうことはできないし、強力な〈夜の種〉でも出現したら〈リーガ〉の助力を仰がざるを得ない。ここまではわかるな?」
「……ええ。なんとなく」
魔法という技術が独占されている以上、自らの手で対処しきれない事件があったら、望むと望まざるとにかかわらず〈リーガ〉に頼るはめになる。一種のパターナリズムの構造だ。子がどれほど反感を覚えていようと、最終的には親に頼らざるを得ない。
「だからつまるところ、少なくとも表面的にはその機関と〈リーガ〉は協力関係にある。お前と親しい——親しいんだよな?——その魔術師たちは、あたしに依頼をくれる奴らと間接的な対立関係にあるわけだ。ちなみにこれはお前にとっての安心材料かもしれないが、機関の連中はまだその魔術師たちの正体をつかんではいない。組織に逆らう魔術師がいること自体、〈リーガ〉にとってはいわば汚点だからな。〈リーガ〉の側も情報を秘匿していたようだが、そこは機関の方もさすがに蛇の道は蛇ってヤツだ。情報戦になれば古色蒼然たる〈リーガ〉に後れをとったりしない。だけど、つかめたのはこの街のどこかに〈鳥なき島の三羽蝙蝠〉と呼ばれる非所属魔術師がいるってことだけみたいだ。……だから、あたしはお前のおかげで今回初めて連中よりも深い情報を得ることができたわけだ」
ノートパソコンを閉じたもみじが、腕組みしてうむうむ、と頷いた。
「つまり、俺はここに雇われている限り板挟みの関係に陥りかねない、ってわけですね?」
「そのとおりだ。いつあたしにそいつらの正体を探れという仕事が舞い込むかわからない。あるいは〈リーガ〉から下達された討伐命令かもしれない。一昨日だって、あたしがその気ならリュックの中のピストルであの女を射殺できたんだからな」
剣呑なことを言う。俺の後ろでガタガタ震えてたくせに。
「所長の下で働いていたら、いつかクラスメートと敵対関係に陥るかもしれないから、今のうち手を引いてもいい、と?」
「ま、そういうこった」
「お断りです」
俺はひと言で切り捨てた。
もみじは表情を崩さなかった。
いや、俺の誤解じゃなければ、むしろ嬉しそうだったかもしれない。
「ほお? そんときは逆にあたしの敵に回るってことか?」
「いいえ」
「じゃあ、あいつらを切り捨てるってわけか?」
「いいえ」
「じゃあどうするってんだ? 言っておくけど、あたしは〈リーガ〉と敵対できるほど強かないぞ?」
……さて、どうしよう。どうしようかね。
俺の方とて何らかの方策を考えついているわけではなかった。
あーほら、もみじの目。これは気の無いフリをしながら、何か素晴らしい解決策を俺が述べるもんだと期待しちゃってる目だぞ?
この際ハッタリでもいい。ドカンと何か一発デカい風呂敷をだな。
何もかも解決できるような、そしてこの場を収められるような……。
それ以上考える間もなく、俺は口を開いてしまった。
「そんときゃ、俺がその〈リーガ〉とやらをぶっつぶしますよ」
……何を言ってるんだ、俺は。
案の定、もみじはポカンと口を開けている。
「本気で、言ってんのか……?」
「ええ、もちろん」
軽率にも頷いてしまった。
「何千、何万の魔術師がいるんだぞ?」
「数は関係ありませんよ」
自分で言っててよく理解できなかった。だけどもはや後には引けない。
「——上の方さえやっつければ済む話でしょ?」
「上の方って、お前……。高位の魔術師は地形を変えたり物質を作り替えたり時間を越えたりするって言われてるような連中なんだぞ?」
……マジかよ。とんでもねーな。
「約束しますよ。所長とあいつらを敵対させるような組織なんて、十年、いや五年以内にぶっつぶしてやります」
もう自分の舌を止めることは諦めた。口から出任せもここまで来ると我ながらすがすがしい。
「こんな、あたしたちがかかずらってるような〈夜の種〉なんて数にも入りゃしない、そんな魔術師がゴロゴロいるんだ。一般人のお前に何が……」
ていうかもみじちゃん? なに冷静にツッコんでんだよ。無理に決まってんだろ、って笑い飛ばしてくれよ。
「だから、こんなところで時間かけてるわけにゃいかないんすよ。さっさと例の依頼済ませちまいましょ」
おや、うまいこと軌道修正できたぞ。
もみじは目を瞑り、何事かぶつぶつ呟いた後、大きな溜息を吐いた。
「はあーぁ。初めて会ったときからわかっちゃいたけど、お前、本当に阿呆だな」
「よく言われます」俺はこの機を逃すまじと上着のポケットから折りたたんだプリントを取り出した。「ほら、新しい目撃証言ですよ」
無論、飛鳥井先輩の描いた絵である。
もみじは「バカを相手にするのも疲れるな」と失礼この上ない独り言を漏らしてから、それを手にとった。
「へったくそな絵だな。これだけじゃ何が何やらわからんぞ」
「いや、絵のできについては俺も何も言えませんが……。どうも見間違いではないようです」
飛鳥井先輩の目撃談を俺なりにまとめて話してやった。
「午後七時前、な。一昨日あのまま行けば遭遇できたかもしれんな」
おっとしまった。もみじの自虐スイッチを入れてしまう。
「まあ、あのままだと微妙に間に合わなかったでしょうね。でも、市内の河原に出るのが日没後なことは確かみたいですね」
「そんなことは前からわかってた」
などとつれないもみじだったが、依頼人側から提供された資料にはなかった新情報に興味を惹かれてはいるようだった。
「まだ日没には時間がありますけど。どうします?」
「決まってんだろ」もみじは絵から顔を上げた。「お前は業務日誌を書いとけ。それから上の片づけだ」
やっぱりな。
俺は苦笑しながらノートパソコンを立ち上げた。




