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放課後の魔少女――十年の孤独  作者: 結城コウ
第一幕「瓜生山」
26/106

4-8

 今日の活動は『文芸通信』の原稿の回し読みだった。全員分のコピーが配られ、誤字脱字や気になった箇所に朱を入れていくのである。冊子になる前の文章が他人に読まれるのはなんだか恥ずかしかった。一条の気持ちも少しわかったかもしれない。

「どう思う、三鷹くん?」

 辺りを見回した一条が、小声で尋ねてきた。

 部活が終わった後、誘ってもいないのに一条が俺のところまでやって来て、そのままなんとなくいっしょに文化部棟を出たのである。

「どうって、何が?」

「さっきの先輩の話」

 一条も飛鳥井(あすかい)先輩の話から何か感じとったようだ。

「ああ、あの変な化物のことか? 別にどうってことも」

 俺は努めて気の無さそうな返事をした。

「とか言って三鷹くん、こっそりさっきの絵ゴミ箱から拾ってきてたじゃない」

 うおっと、見られてたのか。他の部員とおしゃべりしながら作業していたくせに、こいつ意外と目敏いな。

 観念した俺は、ポケットから丸められたプリントを取り出した。

「高原にでも教えてやろうかと思ってな。釣りの最中に尻小玉を抜かれたらかわいそうだ」

「……あ、なるほどねー。詩都香(しずか)か。あー、そういうことかぁ」

 うんうん、と大きく頷く一条。ずいぶん大げさな納得のし方だ。

「でも、さっきの話信じてるんだ?」

「見間違いだと思うけどな」

 そう誤魔化そうとしたのだが、

「わたしは見間違いだとは思わないよ」

 いつになく強い調子で断言する一条に少しばかり意表を突かれた。

「なんで?」

「うーん……前に話したよね、〈(よる)(たね)〉のこと」

 さすが魔術師の端くれなだけあるな。この手のことを受け入れる素地はできてるってわけだ。

「これがそうだって言うのか?」

 プリントを広げて一条に見せる。

「そ。というかその可能性はあるかな、ってくらいだけど。まあ、被害はなさそうだし……って、あれ? どうして自転車置き場?」

 俺たちは校門の横の自転車置き場にたどり着いていた。俺についてきていた一条は、今の今までどこに向かっているのかわかっていなかったようだ。

「今朝寝坊してな。ギリギリだったからチャリで来た」

 言いつつ、自分の自転車を探し当ててロックを解錠する。

「あー、わたしも寝坊するとユキさんに車で送ってもらう」

 わたしも、って何だ。いっしょにすんな。

「上り調子だから登校する時は少し大変だけどな。帰りは楽なんだが。……あ、乗ってくか? よかったら駅まで送ってってやるよ」

 後部の荷台を指し示すと、一条はつかの間ぽかんとしてから、小作りな丸顔に大輪の笑顔を浮かべて頷いた。

「いいね。男の子と二人乗りなんて久しぶり」

 そして気の早いことに、スカートを気にしながらもさっそく荷台にまたがる。

「久しぶりって、前は誰と?」

琉斗(りゅうと)くん。詩都香の家から駅まで乗せてってくれた」

 ほう、やるじゃねーか、琉斗。

 一条を乗せた自転車を押し、校門を出たところで俺もサドルにまたがった。

「ちゃんとつかまってろよ?」

 という俺の言葉を待つまでもなく、後ろから伸びてきた細い腕が胸の下辺りに巡らされた。ついでに、背中に押しつけられる豊かな感触。少しくっつきすぎだと思ったが、言うに言えず。

 琉斗にだけは遭遇しませんように、と祈りながらペダルを漕ぎ出した。


 走っている間、後ろに乗る一条は上機嫌で色々話しかけてきた。

「ユキさんの作ったご飯、どうだった?」「いや、美味かった」から始まり、最近魅咲(みさき)の料理の試食をやらされた話やら、体育の授業で水泳が始まったので憂鬱だという話などなど。

 走っているのは河原沿いの遊歩道だった。地面はだいぶ乾いていたが、まだ小さな水溜りが散見される。注意深くそれを避けた。

「三鷹くんの読んだよ。まだまだだね〜」

 今度の話題はさっき読み合わせした原稿のことだ。俺としては、見学の際にもらった前号の『文芸通信』を見て勉強しながら書いたつもりなのだが、一条のお眼鏡には適わなかったようだ。

「よく言うぜ。お前こそなんで今回はいきなりどっかの女流エッセイストみたいな文体になってるんだよ?」

 今度は誰に影響されたのやら。

「えー? あの良さがわからないなんて、三鷹くんったらやっぱり俗物だよ」

 ……俗物? 今俗物っつったか、こいつ?

 何か言い返してやろうと言葉を探している最中に、数人の生徒が前方にたむろしているのが見えた。ちょうど、飛鳥井先輩の話に出てきた中州の辺りだ。

「生物部の人たちだね」

 一条に言われて見ると、たしかに生物部所属の同級生女子がいた。

 どうやら先週の三年生と昨日の飛鳥井先輩の目撃談を受けて、本格的に調査に乗り出したようである。普段は水棲昆虫の分布図でも作ってそうな——というのはもちろん俺の勝手な憶測だが——地味な部活なのに、今回はなかなか大がかりだ。

「こんにちは〜」

 かたわらを通り過ぎるわずかの間に、一条がぱたぱたと手を振る。生物部の連中の何人かがそれに応じて手を振り返してきた。

 ……ん?

 なんか場違いなのがいたぞ?

 目にするたびに舌打ちしたくなる、長身でショートカットの偉そうな上級生女子。

「郷土史研の副部長さんもいたね。何やってたんだろ」

 一団としばらく距離が開いたところで、一条がなぜか楽しそうに言った。

 ああ、俺の見間違いじゃなかったのか。

 郷土史研究部の二年生副部長吉村奈緒(なお)だ。なんで生物部の活動に吉村先輩が参加しているのかは与り知らぬところだが、あの先輩は妙に人望がある。生徒だけではなく教職員の間でも名声を博しており、とりわけ女子に信奉者が多い。そんなのが高原を狙っていると聞けば、不安になるのも無理はあるまい。

「あのさ、一条。……高原って、本当にそっちのケは無いんだよな?」

「何、そっちのケって?」

「いや、だからさ。ほら、うちって伝統ある女子校だったわけだし、色々あるじゃん。“エス”とか」

「え〜? 詩都香はどっちかというとMだと思うけどな」

「わかってて言ってんだろ、お前」

 こいつは絶対Sだ。

”エス”とはsisterの頭文字からとった女学生の隠語で、戦前には普及していたそうな。つまるところ女子生徒同士の、その、なんだ、アレな関係を言う。明治年間創立の伝統ある我が校では、恐ろしいことにそれが今なお保存されている。俺のように予備知識の無い男子は、入学後にそんな文化が存在するのを知ってまず面食らうことになる。

「うーん、無いと思うよ。詩都香からそんな話聞いたことないもん」

「そりゃ、いくら友達だからってカミングアウトできないことはあるだろ」

「それはそうだけど。本人はそういうのがイヤでミズジョに進むか迷ってたし。やっぱ無いと思うな」

 市内第二位の進学校を選択するかどうかを迷う、か。しかも偏差値ナンバーワンの学校は男子校なので、高原にとっては事実上市内最高の進学先なはずである。俺もそんな贅沢な身分になってみたいものだ。

 しかし、親友の一条の太鼓判があろうとも完全には安心できない。高校に進学して格好いい先輩に出会って急にそっちに目覚めるという可能性もなきにしもあらずだし、吉村先輩は押せ押せの性格だ。いつ過ちが起こってもおかしくない。

「俺も頑張ろ」

「うん、頑張って」

 思わず漏れた俺の独り言を聞き取り、一条がけらけらと笑った。俺がどんなつもりで言ったのか、こいつは理解できているのだろうか。

 そのまま一条と喋りながらしばらく走っていると、妙な違和感に気づいた。たまに出くわす水溜りを避けながら漕いでいるのだが、ハンドルを切った際に微妙にバランスがおかしくなる。転倒するほどではないのだが。

 後部のお荷物が原因であることは、しばらくしてからわかった。バランス取りが下手なのだ。

「なあ、一条。ひとつ訊いていいか?」

「何? 魅咲の好きな人?」

「好きな人? 魅咲にんなもんいるわけねーだろ」

 どうしてお前はそう話の腰を折ろうとするんだ、と文句を垂れたところ、ガツンと後頭部に衝撃があった。

「いてっ。何だよ」

 俺の肩に手をかけて伸び上がった一条が額で頭突きをくれたのだということはすぐに知れた。

「いてっ、じゃないよぉ……。いったーいっ。三鷹くんたら石頭なんだからぁ……」

 一条が片手を俺の胴から離して頭を押さえる気配があった。振り向けばおそらく涙目の一条が見られたことであろう。

 つーか、なんで被害者のはずの俺が非難されてんの?

「……あー……うぅ……。ごめん、それで何だっけ?」

 再び両手で俺の体をホールドした一条が、背中にぎゅっと額を押し当ててくる。不覚にもドキッとしてしまった。

「いや、悪い。えーとさ、お前って、ひょっとして自転車に乗れなかったりする?」

「する〜」

 恥ずかしさひとつ感じさせない即答だった。さっきの自爆が後を引いているのかもしれない。

「それでも二人乗りは大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。魅咲ともよく二人乗りしてるし。……はっはーん。三鷹くんってば、普段格好つけてるくせして、女の子と自転車二人乗りしたことないんでしょ」

 違うわ。お前のような自転車に乗れないなんていう女子とつき合ったことがないんだっつーの。

 ……いや、それは置いとくとして。

 そうか、なーるほど。それ、いいかもな。

「何独りで頷いてるの? ああもう、まだ痛い……」

 後ろでぶつぶつ言う一条を無視して、もう一段ギアを上げて河原を下った。


「おし、そろそろ上がるぞ」

 市役所前通りの二筋ほど手前で自転車を降り、一条を荷台に乗せたまま押してスロープを上った。

「あ、そうか。この先でまた詩都香が釣りしてるかもしれないしね」

「そういうこと」

 やましいことは何も無いとはいえ、一条と仲よく二人乗りしているところを高原に見られるのは、やっぱり気まずい。

「どうせわたしが今晩にでもメールで報告するのに」

「んなこたわかってるよ。現場を押さえられるよりはマシだ」

 高原のあの眼差しで睨まれるのはキツい。

「でもそれがわかっててこうして送ってってくれてるんだから、三鷹くんってば優しいよね」

 一条が珍しく殊勝なことを言う。

 不意打ちで言われると、さすがに反応に困る。

「……前に言われたとおり、お前の好感度も稼ぐことにしたからな」

「まーたまた。そんなこと言っちゃって」

 バシバシと背中を叩かれた。

「俺だって、意地悪なだけのヤツじゃないだろ?」

「前から知ってるよ、そんなこと」

 あん? 今日はどうしたんだ、こいつ。

「あんまり優しくされると、その内わたしも三鷹くんのこと好きになっちゃうかもしれないよ?」

「ちょっと待て……」

 そうとしか言いようがない。嬉しいけど困る。それこそ琉斗やら学年中の一条ファンやらに刺されかねない。

 ていうか俺ってば、本命(高原)を攻略する前に一条ルートに迷い込んだのか?

「ふふふ。でもそうなったら三鷹くんはきっと困るよね」

「いや……別に、困ったりはしねえけど……」

 しどろもどろになってしまった。

「だってわたしが三鷹くんのこと好きになったら、詩都香が三鷹くんになびいたりしないように、あることないこと吹き込んじゃうかもしれないよ?」

 ああ、そういう懸念もあるのか。

「それは……たしかに困る……かもな」

「うん。だから安心して。これ以上関係を複雑にしたりしないから。遠慮なくわたしに優しくしてくれていいんだよ? いたっ!」

 またいつもの如く調子に乗り始めた一条に、チョップでお仕置きしてやった。

 それにしても、俺が高原に片想いしてるのって、そんなに複雑な話かね。それから「わたしも」って、まるで他にも誰かが俺のこと好きになってるような言い方じゃないか。

 ……それならそれで嬉しいけどさ。

「やっぱり全然優しくない。意地悪ぅ……」

 再びサドルにまたがった俺は、元の調子に戻った一条を乗せて、夕日の方角を指して薄氷(うすらい)川にかかる橋を渡った。

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