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初夜に泣いていた公爵さま

※こちらはポートフォリオ用の作品です。


第1話〜第3話までのサンプル掲載となります。

現在、続きの更新予定はございませんので、その点をご理解いただいたうえでお読みいただけますと幸いです。

……私には秘密がある。


そのせいで、

私は家族に疎まれながら生きてきた。


十八歳の春。

成人を迎えた私に用意されていたのは、嫁ぎ先だった。


相手は、悪名高い公爵閣下。


人々は彼を、

血濡れの魔獣公と呼んでいる。


私はきっと、

この屋敷で命を終える。


そう覚悟して迎えた初夜。


「……好きだ」


目の前の公爵閣下は、

酒瓶を抱えたまま泣いていた。


岩壁のように広い肩を丸め、

ぽつり、ぽつりと何かを呟いている。


その頭には、大きな犬の耳。

背後には、忙しなく揺れる尻尾。


整った顔立ちなのに、

眉間の皺と鋭い目つきが怖い。


でも、

しゃくりあげるように泣いている姿に、

胸の奥が苦しくて、放っておけなかった。


恐る恐る手を伸ばし、

公爵さまの頭に触れた瞬間。


「きゃっ!」


大きな腕が、私を抱きしめた。


「俺を……捨てないでくれぇ……!」


頭を擦りつけながら、

公爵さまは震える声で懇願する。


「ひえっ……あ、あの」


どうしてこの方は、

大型犬みたいに、すがっているの!?


公爵家に嫁ぐ、ずっと前。

幼い私は、家族に愛されていると思っていた。


美味しい食事。

綺麗なドレス。

両親が私に向ける、いつもの笑み。


そんな日々が、

永遠ではないことを知らずに。


五歳になったある日。

母に連れられ、初めてお茶会へ出た。


すぐに退屈になった私は、

同じ年頃の子どもたちと庭へ向かった。


──その時だった。


がさっ。


茂みが揺れ、

黒い毛を持つ小さな魔獣が姿を現した。


周りの子どもたちは、

悲鳴を上げて逃げ出す。


……私は動けなかった。


魔獣が、泣いていたから。


「あなた、ひとりぼっちなの?」


大丈夫。

怖くないよ。


そう伝えたくて、

ゆっくりと手を伸ばした。


たったそれだけ。


それだけで、

私の人生は、ひっくり返ってしまった。


十三年後。


「お呼びでしょうか、お父さま」


私は、

父の執務室に立っていた。


父の姿が視界に入らないよう、

慎重に距離を詰める。


色褪せたドレス。

顔を覆い隠すほどの長い髪。


俯いたまま、

目を合わせようとしない私を前にしても、

何も言われなかった。


私は、奥歯を噛みしめる。


視界の端に映る父の靴先は、

私ではなく、窓の方を向いていた。


明確な拒絶。


「お前の結婚が決まった」


「……えっ?」


反射的に声が漏れた。


顔を上げそうになるのを、

ぐっと堪える。


社交界にすら、ろくに出ていないのに。

そんな私に、縁談?


「ちっ」


父の舌打ちに、

びくっと肩が動く。


「成人を迎えたんだ、結婚して当然だろう。

明日には家を出て、

ヴェルガルト公爵家に行ってもらう」


……この私が、公爵家に?


「話は以上だ。

さっさと出ていけ」


冷たく吐き捨てられた言葉。

父が振り向くことは、最後までなかった。


自室に戻る途中。

廊下を歩きながら、

結婚について考えていた。


いつかは、

こうなるとは思っていた。


でも実際に、

現実を突きつけられたら、

こんなにも苦しいなんて。


視界が滲む。


唇を噛みしめる。


だから私は、

気づくのが遅れてしまった。


「あら、お姉さま?」


鈴を転がすような声が、

廊下に響き渡る。


それだけで、

私の心臓は跳ね上がった。


「どうしてここにいるの」


ふわりと香る香水。

真新しいドレスの裾。


妹のリリアナだ。


「あ、あの。

お父さまに呼ばれて……」


「お父さまが?

なんのお話だったの?」


涙をこぼさないよう、

私は服の袖で目を擦る。


「ヴェルガルト公爵さまとの、

結婚が……決まったって」


「うそ!

あの血濡れの魔獣公と!?」


リリアナの驚いた声に、

私は狼狽える。


……血濡れの魔獣公?


「まあ……お姉さま、可哀想。

よりにもよって、あの方だなんて」


「それって、どういう……」


私の問いかけに、

リリアナは息を飲む。


「知らないの?

社交界では有名なお話よ。

表情ひとつ変えずに、

気に入らない相手を斬り捨てるんですって」


その瞬間、

私は凍りついた。


「大丈夫よ、お姉さま。

お父さまに言えば、

きっと、何とかしてくれるわ」


そう言って、

リリアナが、私の手を握りしめる。


白く、細長い指。

ドレスを纏った腕が、私の胸に刺さった。


「元気だして。

いつでも相談にのるからね」


リリアナは、

嗚咽を漏らす私に、

気づかないまま、立ち去っていった。


ぼた、ぼた。


涙が床に、

こぼれ落ちる。


公爵家との結婚は、

厄介払いだと分かっていても、

家族に恩を返せる。


そう、思っていた。


でも、父は……

いいえ、両親は。


私が死ぬかもしれないと知っていて、

この縁談を受け入れたのね。


袖口で目を抑えても、

涙が止まらない。


早く泣き止まないと。


私なんかを見て、

誰かが不快な思いをする前に。


部屋に戻ると、

私はうつ伏せでベッドに横たわる。


「準備、しなくちゃ」


部屋にあるのは、

古びたドレス一着と、

リリアナが持ってきてくれた本だけ。


……鞄は、ないのね。


目頭が熱くなり、

堪えたはずの涙が溢れ出す。


その時。


幼い頃の両親の笑みが、

頭に浮かんだ。


「お父さま、お母さま……」


その先を考えたくなくて、

私は、逃げるように瞼を閉じた。


出発を迎えた朝。


空が澄み渡り、

太陽は大地を照らしていた。


それでも、

春の風は冷たい。


「寒い」


早朝から追い出された私は、

屋敷の門の前で、迎えの馬車を待っていた。


私の他に、

二人の門番が立っている。


年若い方の門番が、

ちらちらと見ている。


「なぁ、君さ。

上着くらい着た方がいいんじゃ──」


「おい馬鹿!」


心配げに口を開いた門番を、

年上の方が、怒鳴りつけた。


「新入り!

伯爵家のご令嬢だぞ!」


「ええっ!」


若い門番の驚きに、

私は気まずくて、苦笑いしかできなかった。


冷えた風が、

私たちの間を吹き抜けた。


「……でも」


若い方の門番が、

自分の上着を脱ぎ、私に差し出す。


もう一人は信じられない顔をしていたが、

止めることはなかった。


「良かったら、これ」


その時、

地響きのような音が、

微かに聞こえてきた。


人をまともに見ないよう、

視線を遠くへ逃がしていると、

現れたのは、一台の馬車。


白くて、

やけに大きい……


あれっ。

馬車って、あんなに大きかったっけ?


疑問符が、

私の頭を埋めつくしていると、

門の前に、馬車が止まった。


大人が三人並んでも、

まだ余裕がありそうな馬車。


圧倒されていると、

がちゃり、と音がした。


私は咄嗟に下を向く。


扉が開くと同時に、

馬車の踏み台が、ぎしりと鳴った。


……ぎしり?


少しだけ顔を上げる。

前髪の隙間から覗いたのは、

礼服に包まれた大きな身体だった。


仕立てのいい服なのに、

肩口だけが、少し窮屈そうに見える。


すぐに目を伏せるが、

一瞬だけ、もふっとした何かが見えた気がした。


「あなたが先に降りて、どうするんですか」


馬車の奥から、

呆れた声が聞こえてきた。


出てきたのは、

燕尾服を着た、初老の男性。


「初めまして。

私は、ヴェルガルト公爵家に仕える執事長のセドリックと申します」


柔らかな口調。

緊張していた空気が、

少しだけ緩むのを感じた。


「そして、

このお方は、ヴェルガルト公爵家の当主。

アルディス・ヴェルガルトさまです」


紹介された本人は、

腕を組み、仁王立ちしている。


な、なんで、

公爵さまがいるの!?

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