第10話「鑑定の果てに」
崩壊から二日が経った。
体中が痛む。背中と膝の打撲。右足のふくらはぎの肉離れ一歩手前。全身の筋肉痛。
湿布だらけの体で、テーブルの前に座っている。
ノートパソコンの画面に、桐谷と宗方の顔が映っている。
三者通話。
桐谷が口を開いた。
「超深層の崩壊は止まりましたが、核体の活性化は続いています」
画面に図が映る。桐谷が描いた超深層の断面模式図だ。
「活性化は”再構築”を意味しています。超深層は壊れて終わりではなく、新しい構造で再生される。問題は──」
桐谷が一拍置いた。
「再構築の過程で核体が不安定なまま放置されると、ダンジョン自体が暴走する可能性があること」
「暴走というのは」
「際限なく空間が拡張し続ける状態です。最終的には地上にまで影響が出る。鳩山第七坑周辺だけの問題ではなくなる可能性がある」
宗方が続けた。
「管理局はようやく本格対応を開始しました。自衛隊のダンジョン特殊部隊が待機しています。だが──核体に直接対処できるのは」
「俺の【鑑定】だけだ」
「そうです」
分かっている。
最初から、分かっていた。
「桐谷さん。安定化させる方法はあるのか」
「仮説ですが──核体の鑑定結果に『管理インターフェース』という記述がありました。つまり、鑑定スキルで核体の構造を読み取り、正しい形に定義し直すことができれば、再構築が安定する可能性がある」
「鑑定で、構造を定義する」
「はい。超深層の隔壁が鑑定の『署名認証』で開いたように、核体も鑑定による承認を必要としているのではないかと」
第2話で開いた隔壁。
第4話で桐谷が立てた仮説。
第8話で判明した核体の鑑定結果。
全部が、繋がっている。
「行く」
立ち上がった。
椅子が軋んだ。体のあちこちが悲鳴を上げたが、無視した。
* * *
鳩山第七坑。
洞窟の入口に、管理局の封鎖線が張られていた。
黄色いテープと、迷彩服の隊員が数名。自衛隊のダンジョン特殊部隊だ。
俺がザックを背負って歩いて行くと、隊員が手を上げて制止した。
「一般の方の立ち入りは──」
「真壁遼です。探索権保有者です」
隊員の表情が変わった。
無線で確認を取っている。
三十秒後、封鎖線が開いた。
宗方が手配してくれたのだろう。
洞窟の入口で、予想していなかったものが待っていた。
黒いSUV。見覚えがある。
神楽坂透真が、洞窟の壁に背を預けて立っていた。
「よう、おっさん」
「……何してる」
「何って。一緒に行くに決まってんだろ」
俺は眉を寄せた。
「誰に頼まれた」
「誰にも。自分で来た」
神楽坂の顔には、前回のような軽さがなかった。
「おっさん一人で行かせるわけにいかないだろ。俺が周りの魔物を引き受ける。あんたは鑑定に集中しろ」
第5話では、俺が条件を出した。「俺の指示に従え」と。
今日は、神楽坂の方から言っている。
あの時と同じ役割分担を、今度は自分の意思で申し出ていた。
「……頼む」
それだけ言った。
神楽坂が薄く笑った。「任せろ」。
* * *
ダンジョン内部。
通常階層の壁面に、超深層の発光苔が浸食し始めていた。青緑の光が通路を染めている。
中継器は崩壊で破壊されていたが、管理局が軍用の高出力中継器を設置してくれていた。配信は可能だ。
配信を開始した。
視聴者数。開始時点で二百万人を超えている。
チャット欄は流れが速すぎて読めない。
超深層に入る。
崩壊後の空間は、以前とは様変わりしていた。
壁や天井が波打つように変形し続けている。通路の形が数分おきに変わる。
再構築の途中だ。
俺が先頭を歩く。【鑑定】で安全なルートを一歩ずつ確認する。
「この壁面、二十秒以内に変形する。右へ」
「天井の構造は安定。通過できる」
「前方の空間、重力異常なし。進む」
神楽坂が後ろを守る。
再構築中の超深層には、はぐれた魔物が不規則に出現していた。アビサルシェルの小型個体が二体、通路の先に現れた。
「弱点は腹部第三関節だったな」
神楽坂が剣を抜いた。
「そうだ」
「了解」
【閃断】。
光が二閃。
正確に腹部第三関節を斬り裂き、二体が同時に沈んだ。
「前回とは違うだろ」
神楽坂が剣を収めながら笑った。
弱点を知っていれば、A級の戦闘力は圧倒的だ。
鑑定が情報を与え、戦闘スキルが道を切り開く。
一人では不可能なことが、二人なら──できる。
* * *
最深部。
第5階の空洞は、形が変わっていた。
天井の結晶体の半分は落下して砕けている。地面の植物群はまばらになり、壁面が呼吸するように膨張と収縮を繰り返している。
中央に、核体。
脈動が激しい。
表面を走る光の速度は、二日前の倍以上だ。
【鑑定】を発動した。
結果が出るまでに、六十秒以上かかった。
チャット欄も、配信画面も、沈黙に包まれた。
『核体状態:再構築過程(不安定)
安定化条件:管理インターフェース(【鑑定】スキル)による構造定義の承認が必要
承認方法:核体に接触し、鑑定による全構造マッピングを実行
所要時間:推定15分
リスク:鑑定実行中、術者は意識をダンジョン構造に同期させるため、外界への反応が不能になる』
読み上げた。
十五分間。
核体に触れて、全構造をマッピングする。
その間、俺は外のことが分からなくなる。
動けない。聞こえない。見えない。
十五分間、無防備になる。
「……十五分、動けなくなる。その間に崩壊が来たら、逃げられない」
「十五分くらい守ってやる」
振り返ると、神楽坂が剣の柄に手を置いて立っていた。
「俺をなんだと思ってる」
不敵な笑みだ。だが、目は本気だった。
チャット欄に、桐谷のコメントが流れた。
「桐谷あかり:あたしが構造データをリアルタイムでモニタリングします。異常があれば即座に伝えます」
続いて宗方。
「ゼロ:管理局が外部から支援する。やれ」
俺は核体の前に立った。
手を伸ばす。
指先が、黒曜石に似た表面に触れた。
冷たい。
だが──奥に、微かな熱がある。
脈動が、指先から腕を伝わって体全体に広がる。
【鑑定】を起動した。
目を閉じた。
* * *
暗闇の中に、構造が見える。
視界の全てが、ダンジョンの情報で埋め尽くされた。
文字ではない。
地図でもない。
構造そのものが、直接頭の中に流れ込んでくる。
超深層の全体像。
階層の形。通路の配置。空間の密度。魔力の流れ。魔物の分布。鉱物の組成。植物の群生パターン。水脈。空気の層。
全てが──バラバラになっている。
崩壊で構造が壊れ、再構築が無秩序に進んでいる。
このまま放置すれば、拡張は止まらない。
俺の仕事は、これを読み取って、正しい形に定義し直すことだ。
鑑定する。
一つずつ。
この壁はここにあるべきだ。
この通路はこの角度で続くべきだ。
この空間にはこれだけの魔力が満ちるべきだ。
読み取って、承認する。一つずつ。丁寧に。正確に。
二十年の現場経験が、体に染み込んでいる。
鑑定データの読み方。情報の優先順位。構造の整合性。
会社の報告書を書いていた時と同じだ。
データを集めて、整理して、正しい形にまとめる。
誰にも褒められなかった仕事。
誰にも評価されなかった仕事。
だが──俺はこの仕事を二十年間、一日も手を抜かずにやってきた。
その全てが、今ここにある。
構造が、少しずつ安定していく。
バラバラだった階層が、形を取り戻していく。
あと少し。
あと少しだ。
──脳裏に、あの日の記憶がよぎった。
鷹村の会議室。
「使えないスキルだな」
パイプ椅子一つ分の距離で告げられた言葉。
退職金の代わりに押し付けられた書類。
深夜の、視聴者ゼロの配信。
震える手で拾い上げた、油汚れの金属片。
全部が──ここに繋がっていた。
全部が、意味を持っていた。
最後の構造を承認する。
核体の脈動が──穏やかになった。
目を開けた。
* * *
「……終わった」
声が掠れた。
指先がまだ核体に触れている。
表面を走る光は、先ほどまでの激しさが嘘のように穏やかだ。
空洞全体が静まっている。壁の膨張と収縮が止まった。結晶体が安定した光を放っている。
超深層は、新たな形で再構築を完了した。
膝が笑っている。立っているのがやっとだ。
背中に、手が置かれた。
「お疲れさん、おっさん」
神楽坂が、肩を叩いた。
視界の隅で、チャット欄が爆発しているのが見えた。
読む気力はない。
「帰ろう」
「ああ」
帰路は、行きより穏やかだった。
再構築された超深層は、崩壊の痕跡を残しつつも、安定した構造を取り戻していた。
壁面の発光苔が柔らかく光っている。
通常階層を抜け、洞窟の外に出た。
朝日だ。
いつの間に夜が明けていた。
洞窟の前には、管理局の職員が数名。報道陣のカメラが何台か。
俺は疲れ切った顔で──だが、背筋だけは伸ばして、歩いた。
配信はまだ続いていた。
視聴者数。三百万人を超えている。
カメラに向かって言った。
「……鑑定完了。超深層は安定しました。以上、おっさん42の配信でした」
配信を切った。
画面が暗くなる。
朝日が眩しい。
* * *
数日後。
帝央マグナスの訴訟は取り下げられた。
社会的批判と株主からの圧力に耐えかねた形だ。
鷹村は責任を取る形で降格になったと、ニュースサイトに載っていた。
俺は特に何も思わなかった──と言えば嘘になる。
二十年の上司だ。
だが、あの人は「会社としての判断」で俺を切り、「会社としての判断」で俺を訴えた。
その結果を、「会社としての判断」で引き受けるのは、筋が通っている。
真壁のもとに、管理局から正式な書面が届いた。
「鳩山第七坑(超深層を含む全区域)の個人探索権を、真壁遼氏に正式に確認する」。
テーブルの上に置いた。
隣に、あの金属片がある。
ジップロック越しに、微かな紋様が見えた。
桐谷からメールが来ていた。
『超深層のデータで博士論文を書き始めました。真壁さんのお名前は共著者として載せます。それ、論文になりますよ! というか、もうなります!』
相変わらず元気だ。
宗方からはDMが一件。
『ゼロ:超深層対策室の室長に就任しました。今後も連絡はこのアカウントで。──次の配信、楽しみにしています』
管理局の中でうまくやったらしい。あの男なら、できるだろう。
神楽坂の配信も確認した。新しい動画が上がっている。
サムネイルの大きな文字──
『俺が守って、あの人が鑑定する。最強のパーティだろ』
帝央マグナスのロゴは、サムネイルのどこにも見当たらなかった。
コメント欄が盛り上がっている。
「神楽坂がおっさんのこと『あの人』って呼んでるの初めてでは」
「超深層コンビ公式化きた」
スマホを置いた。
* * *
夜。
遅い夕食を取っていた。
カップ麺ではなく、久しぶりにちゃんと米を炊いた。味噌汁も作った。
テレビは点けていない。
静かな夜だ。
スマホが震えた。
DunGo Liveの通知ではない。
個人の電話番号宛のメッセージ。
知らない番号──ではなかった。
連絡先に登録してある。五年前から一度も使われていない番号だ。
真壁陽菜。
娘の名前。
指が止まった。
メッセージを開く。
『お父さん。
私、ずっと配信見てました。
あの時「逃げて」って打ったの、私です。
……今度、会えませんか』
画面が滲んだ。
視界がぼやけている。
目尻を、手の甲で拭った。
五年間、連絡できなかった。
俺から連絡していいのか、分からなかった。
離婚して、娘を手放して、何も残せなかった父親が、今さら何を言えるのか。
だが──この子は、見ていてくれた。
視聴者ゼロの深夜配信から、百万人の崩壊脱出まで。
知らない場所で、匿名で、ずっと。
返信を打つ。
指が震える。
だが、今度の震えは──鑑定の時とは、違う。
『いつでも。待ってる』
送信した。
スマホをテーブルに置いた。
椅子から立って、窓を開けた。
夜風が入ってくる。
空を見上げる。
鳩山の方角。
あのダンジョンの奥に、安定した超深層がある。
新しい構造で生まれ変わった未知の空間が、静かに呼吸している。
まだ見ぬものがある。
鑑定しなければ分からないものが、あの先にはまだ無数にある。
配信の視聴者数は──今は、ゼロだ。
画面は暗い。カメラは回っていない。
でも、それでいい。
最初もゼロから始まった。
俺は窓を閉めて、テーブルに戻った。
味噌汁の残りを飲み干す。
明日の夜、また潜ろう。
いつも通り。
カメラを回して、鑑定して、読み上げて。
四十二歳のおっさんの探索は、これからも続く。




