第1話「退職金の代わりがダンジョンでした」
窓の外は晴れていた。
四月の陽射しが会議室のブラインド越しに差し込んで、長テーブルの上に縞模様を作っている。
向かいに座る鷹村部長の銀縁眼鏡が、その光を反射してちかちか光った。
「──構造改革に伴う人員整理について、ご説明させていただきます」
鷹村部長の声は、いつも通り丁寧だ。
敬語がきっちり整っていて、一つの棘もない。
だからこそ、冷たい。
二十年だ。
俺はこの会社──探索大手「帝央マグナス」に二十年間いた。
現場管理職として、ダンジョンの泥と粉塵にまみれながら、部下の安全を確認し、鑑定データを整理し、報告書を書き続けた二十年。
その二十年が、パイプ椅子一つ分の距離で終わろうとしている。
「真壁さんのスキルが【鑑定】であることは、もちろん承知しております」
鷹村部長は手元の書類に目を落としたまま言った。
「しかしながら、現在の市場環境では、戦闘貢献度を重視せざるを得ません。会社としての判断ですので」
会社としての判断。
この人は、いつもそう言う。
自分の口から「お前は要らない」とは絶対に言わない。全部「会社」に背負わせる。
二十年も一緒にいれば、そのくらいは分かる。
「……退職金は」
声が掠れた。
自分でも驚くほど、情けない声だった。
「ええ、そちらについてなのですが」
鷹村部長がネクタイを直す仕草をした。
目が泳いでいる。
──ああ、出ないんだな。
「こちらをご覧いただけますか」
差し出された書類は一枚だけだった。
「ダンジョン個人探索権 譲渡証明書」。
所在地は埼玉県北部。名称は「鳩山第七坑」。ランクはD級。
D級。
ダンジョンの格付けで最低ランクだ。
出現する魔物は鼠型の小型種がせいぜい。採掘できる鉱物もほぼ価値がない。だから企業は手を出さないし、個人探索者もわざわざ行かない。
要するに、ゴミだ。
「探索権としての価値はございますので。退職金に代わるものとして、ご査収いただければ」
鷹村部長は、もう俺の目を見ていなかった。
* * *
築三十年の1DKアパート。
最寄り駅から徒歩十五分。家賃は安いが、壁は薄い。
会社を出てから三時間が経っていた。
リビングの真ん中に段ボール箱が二つ。中身は会社のデスクにあった私物だ。二十年分にしては少ない。
冷蔵庫を開ける。缶ビールが二本。
一本取って、プルタブを引いた。
泡がぬるい。
スマホで転職サイトを開く。
「42歳」「保有スキル:鑑定」「戦闘経験:なし」。
検索結果、該当なし。
条件を変えてみる。年齢制限を外す。スキル欄を空白にする。
倉庫作業。警備員。清掃業務。
どれもスキル不問だが、給料はダンジョン関連職の三分の一以下だ。三ヶ月分の貯金でどこまで持つか。
スマホを伏せて、天井を見た。
蛍光灯がジジ、と音を立てている。
テーブルの上に、あの書類がある。
鳩山第七坑。D級。個人探索権。
探索して何かが出る保証はない。D級の産出物なんて、市場に出しても二束三文だ。
だが、ゼロではない。
少なくとも、俺のスキルが使える場所ではある。
「……まあ、やるしかないか」
誰もいない部屋で、声に出して言った。
言わないと、体が動かない気がした。
声に出す相手がいなくなって、もう何年になるか。
* * *
一週間後。
夜の十一時。
埼玉県北部。山道を二十分歩いた先に、それはあった。
錆びたフェンスに囲まれた、小さな洞窟の入口。
看板がある。「鳩山第七坑 D級ダンジョン 探索許可者以外立入禁止」。
看板自体が錆びて、文字が半分読めなくなっている。どれだけ長い間、誰も来ていないのか。
ヘッドライトを点ける。
中古で買ったヘッドカメラの電源を入れる。
スマホをホルダーに固定して、配信アプリ「DunGo Live」を起動した。
アカウント名は「おっさん42」。
昨日の夜中に、缶ビールを飲みながら適当に決めた名前だ。
凝った名前を考える気力がなかった。四十二歳のおっさんが潜る配信。そのままでいい。
画面右上の視聴者数カウンターが光る。
「0」。
まあ、そうだろう。
深夜にD級ダンジョンのソロ配信なんて、誰が見るんだ。
「……えー、始めます。おっさん42です。鳩山第七坑、D級ダンジョンのソロ探索配信です」
カメラに向かって喋るのは初めてで、自分の声が妙に反響して気持ち悪い。
返事はない。視聴者がいないのだから、当たり前だ。
洞窟に入る。
空気がひんやりと変わった。
足元は岩盤で、ヘッドライトの光が壁の水滴を照らす。中継器を壁面に設置しながら進む。この中継器がないとダンジョン内では電波が届かない。安い中継器だから通信は不安定だが、映像は一応流せるはずだ。
第1層。第2層。
特に何もない。
D級の名前は伊達じゃなかった。通路は狭く、空気は埃っぽく、壁面にこびりついた苔が湿気を吸って光っている。
第3層に入ったところで、鼠型の小型魔物が二匹、通路の先にうずくまっているのが見えた。
体長三十センチほど。赤い目がヘッドライトの光を反射する。
戦闘スキルがあれば一瞬で片付く相手だ。
俺にはない。
腰のホルダーからスタンロッドを抜いた。市販品の電撃棒。探索者が護身用に持つ最低限の装備だ。
鼠型が飛びかかってくる。
横に避けて、振り下ろす。
バチッ、と放電音。一匹が壁に叩きつけられて動かなくなった。
もう一匹がこちらの足を狙って低く突進してきた。
蹴り上げる。靴先が腹に当たる感触。怯んだ隙にスタンロッドを押し当てた。
放電。沈黙。
息が上がっている。
たかが鼠型二匹で、息が上がっている。
A級探索者なら鼻歌まじりで千匹さばくだろう。これが、【鑑定】しかない四十二歳の現実だ。
ため息をつきながら、奥に進む。
第3層の突き当たり。
行き止まりの壁際に、ガラクタが山になっていた。
錆びた剣の柄。割れた水晶。汚れた布切れ。曲がった金属片。
どれもこれも、過去にこのダンジョンに入った探索者が、価値なしと判断して捨てていったものだ。
D級ダンジョンの吹き溜まり。
俺は膝をついて、一つずつ手に取った。
【鑑定】。
ダンジョン内で意識を集中すると、視界に文字が浮かぶ。青白い光で描かれた情報ウィンドウ。
他人には見えない。俺だけの視界だ。
錆びた剣の柄。「鉄製剣柄・量産品。製造元不明。品質:劣化。価値なし」。
割れた水晶。「水晶片。微量の魔力残留。用途なし」。
布切れ。「綿布・探索服の断片。特記事項なし」。
全部ゴミだ。分かっていた。
最後の一つ。
油汚れのこびりついた金属片。手のひらより少し大きい。角が欠けていて、元の形が分からない。
重さは──妙にある。
見た目に反して、密度が高い。
【鑑定】。
視界に文字が浮かぶ。
──浮かび続ける。
通常、鑑定結果は二、三行だ。名称と品質と、せいぜい簡単な来歴。
今、視界を埋め尽くしている文字量は、二十年のキャリアで見たことがない。
『“天蓋の断片”
分類:伝説級装備の構成部品
正式名称:“星喰いの鎧”胸部装甲片
製造年代:ダンジョン第一次発生期
来歴:超深層由来
品質:損傷甚大
ただし核紋は生存』
手が震えた。
伝説級。
伝説級だ。
二十年、何千回と【鑑定】を使ってきた。
一度も見たことがなかった。伝説級の表示なんて、教科書の中だけの話だと思っていた。
そして──「超深層由来」。
鳩山第七坑はD級だ。超深層なんてあるはずがない。超深層はS級ダンジョンの、そのさらに奥にあると理論上は言われている未確認領域だ。
なのに、なぜ。
なぜこんなものが、D級のガラクタ山に混じっている。
金属片を持つ手が止まらない。
鑑定結果は嘘をつかない。二十年、それだけは信じてきた。
目の前のこれが本物なら──
「──桐谷あかり:え、待って。今の鑑定結果、画面に映ってます?」
声が出そうになった。
チャット欄だ。配信画面の右端に、文字が流れている。
視聴者数カウンター。「2」。
いつの間に。
「桐谷あかり:超深層由来って表示されてません? それ、本物ですか?」
「ゼロ:……本物だ」
二人。
たった二人の視聴者が、今の状況を見ていた。
「桐谷あかり:それ、論文になりますよ! D級で超深層由来とか聞いたことない!」
「ゼロ:映像を保存しろ」
チャットの文字が、画面の端でせわしなく流れる。
俺はヘッドカメラの角度を直して、手の中の金属片を映した。
油汚れの表面。その下に、微かに光る紋様。
鑑定のウィンドウは俺にしか見えないが、カメラは金属片そのものを捉えている。
「桐谷あかり:紋様見えます! 第一次発生期の特徴と一致してる……これは……」
「ゼロ:配信のアーカイブ設定をオンにしろ。今すぐ」
ゼロという人物のコメントは短い。
だが、妙に的確だ。指示に迷いがない。
俺はスマホの画面をタップして、アーカイブ保存をオンにした。
手が震えたまま、金属片をザックに入れる。
「桐谷あかり:まだ他にもありません? 周りにも鑑定かけてください!」
「……今日はここまでにしとくか」
声が掠れた。
自分でも分かる。興奮と困惑で、頭がうまく回っていない。
こういう時に無理をすると、ダンジョンでは死ぬ。二十年の現場がそれを叩き込んでいる。
「桐谷あかり:え、終わり!?」
「ゼロ:正しい。深入りするな」
配信を切った。
画面が暗くなる。
ダンジョンの中で、自分の呼吸だけが聞こえる。
ザックの中に、伝説級装備の欠片がある。
その重みが、手のひらに残っている。
帰り道、鼠型魔物はもう出なかった。
洞窟の外に出ると、夜空が広かった。
四月の風が、汗をかいた首筋に冷たい。
スマホを確認する。配信のアーカイブは保存されている。
視聴者数の最大値。「2」。
たった二人だ。
だが、その二人は確かに、あの鑑定結果を見ていた。
俺の二十年で初めての「伝説級」を。
山道を歩きながら、ザックの重みを背中に感じる。
まだ手が震えている。
──あれが本物なら。
本物なら、このD級ダンジョンには、公式の記録にない「何か」がある。
あのガラクタ山の金属片は、どこから来た。
「超深層由来」。
その四文字が、頭の中でずっと点滅している。
駐車場に停めた軽自動車に乗り込んで、エンジンをかけた。
ヘッドライトが山道を照らす。
スマホに通知が一件。
DunGo Liveのチャット欄に、配信終了後のコメントが残っていた。
「桐谷あかり:次の配信、絶対見ます」
俺はスマホを助手席に置いて、車を走らせた。
アパートまで四十分。
帰ったら缶ビールが一本残っている。
明日から、あのダンジョンに何度でも潜ることになるだろう。
退職金の代わりに押し付けられた、誰も見向きもしないダンジョン。
その奥に、二十年で見たことがないものが眠っている。
──俺の【鑑定】だけが、それを見つけた。
*
その夜、俺がまだ高速を走っている間に、配信のアーカイブが一つの掲示板に転載された。
俺はそれを知らない。
朝になるまで。




