十二話 恐ろしいモノ
来る、迫ってくる、得体のしれない、圧倒的なナニカが。
一直線に、この窪地へと!
どうしてこっちの居場所がわかる!?
……まさか『波打ち』のせい!? 魔力で作られた、音より速く通りすぎる波を感知して、始点を正確に突きとめた!?
なんだそれは、人に可能な業か!? いや考えている暇はない!
「ひばり!! 逃げるぞ!!」
口調が荒れるが気にしていられない。即座に『波打ち』を解除して窪地の南側を指す。
その先は道も何もなく薄暗い森の中だ。隠れるにはちょうどいい。
「わ、わかりました!」
事情を説明せずとも雲雀はすぐに頷き駆け出した――その時。
突如、穏やかに差していた日に影ができる。
それを見て恐怖を抱くより早く、いやもはやそれが何なのかと見上げるより早く、
ソレが落ちてきた。
ズドン! と。
わたしたちの進路を塞ぐように、窪地へ黒い塊が着地した。衝撃で地面が陥没し、辺りの落ち葉がざあっと吹き飛ばされる。
バカな、さっきまで町中にいたはずだろう!? ほんの数秒でここまで!?
戦慄すると同時。
穏やかな精気の満ちていた地を、押しつぶすような威圧感が支配した。
「っ……!」
息が詰まる。体が硬直する。
見ただけで、死を想起した。
がちりと意識が切り替わった。
反射的に魔力を全身へと巡らせる。
ただひたすら強く大量に。丁寧さなどかなぐり捨ててとにかく体を強化する。
制御しきれない魔力がわずかに漏れて周りへ圧力を放ちはじめる。
だがそんなもの、この威圧感の前ではそよ風に等しい。
落ちてきたものは、人だった。
見た目こそ真っ黒だけど怪物じゃない。
春先だというのに黒く分厚いコートを纏った……恐らくは男だ。
身長は雲雀より頭一つほど高く、体格もがっしりしているように見える。
さらに、目を引くものが二つ。
一つは、面。
男は顔を隠すように四角い白い布を顔にかけていた。
布の面は上部分から伸びた紐で頭に括りつけられている。表面には目鼻や耳といった顔のパーツを、記号のように簡略化した模様が描かれていた。
あれは……『いせおん』三巻で解説されていた、雑面というやつだ。
もう一つは……その腰にある、刀。
刀の種類は正直わからない。でも柄頭から垂れている赤く太い紐のような飾りが特徴的だ。
普段なら『わーおカターナ!』と喜びまくるし何なら触らせてもらいたい。
だがこの男が持っているというだけで背筋が泡立つ。
次の瞬間には、首が飛んでいるのではないかと。
そんな見た目だが、怪物よりよっぽど普通。
しかし膨大な精気によるものか、そこに立っているだけでこっちは存在ごと押しつぶされそうだ。
目の前の男から発せられるのは魔力の暴力的な気配とは違う。
そびえ立つ山をふもとから見上げたような、堤防の間近で激しく波打つ海を見たような。
敵意などなくとも、ただそこにあるだけで呑みこまれそうになる。
巨大で雄大な自然を前にした時の――圧倒。
あるいは精気を感じられないなら、これを前にしても緊張するぐらいですむのか。
「阿真菜さん……」
後ろから雲雀が弱弱しい声をあげる。だが振りかえることはできない。
「今、前に何がいるんですか?」
あれが何かと聞かれてもわたしにだってわからない。
ただ怪物より遥かに怪物染みた人間が突然現れたとしか言えない。
いや、違う? なんだろう、雲雀の言い方はまるで……。
「見えないんです。いきなり物凄い光で目の前が埋め尽くされて……目が、開けられません」
「……!」
クソッ! 精気を見てしまう雲雀の目があだになった!
前が見えなければ戦うどころか逃げることすらできない。
戦いになる場合はどうにか雲雀を守らなければいけないのか。
そう考えた時、男がわずかに身じろぎした。
来るか!?
「……」
だが男は軽くあたりを見回しただけだった。
いや……その前に何かぼそっと男が声を発した、ような。
魔力で強化した身体機能でも聞き取れないぐらいの小ささだ。
というか、どうしてこの男は動かない?
恐ろしい速度でここまで来たのに、襲い掛かる素振りも見せず、ただ突っ立っているだけだ。あまりに反応が少ない。
まるでわたしたちを見て戸惑っているかのようだ。
……襲ってくる気はないのか?
「……」
あ、また何かを呟いて――。
その時、ジャッと軽く土を蹴る音がして。
――次の瞬間、目の前に男が現れ、刃が首目掛けて振るわれていた。
「っ!!」
即座に踏み込む。姿勢を低くし、頭を刃から避けるように傾けた。
ボッ! と空気を潰すような音と共に刃が耳の横を通り抜ける。
男が刀を戻すよりも速く、踏み込んだ勢いのまま手を突き出した。その手に宿るのは変質した魔力だ。
性質は崩壊。
触れただけで魔力が体に浸透し、内側から分解して崩す。前世でも固い魔獣相手にときどき使った技だ。
そのままコートへと触れようとして。
チリッ、と首筋が粟立った。
脳がそれを理解するより早く神経が無理やりに手を引っ込めさせる。
同時。
わたしの腕があった場所を、横合いから刃の切っ先が貫いた。
刀を振り切った状態から、逆手に持ち替えて突いた……!
そんな不安定な持ち方ですら危険だと本能が判断した。たぶんあれでも強化されたわたしの体を貫けたのだ。
慄く間に地を蹴り後ろへ下がる。
取れた距離はほんの数歩分、あの男なら一歩で、秒以下で潰せる距離。
わたしはバカか。こんな逃げ方、隙を作ったのと同じだ!
だが、男は追いかけてこなかった。
「……」
また何かを呟いて軽く首を傾げている。
なんなんだ。何が目的なんだ。
冷や汗が流れる。ダメだ。気圧されている。
こういう時に戦いを続けるのは悪手だ。どうにか隙をつき、雲雀を連れて逃げるしかない。
そのためには……少し、体を張らないといけないか。
覚悟を決めるのに合わせたように、男が踏み込んできた。
刀が、今度はわたしの胴体へと迫る。
だが。
わたしはよけず、その刀身が直撃し。
――ドッ、と僅かな衝突音と共に止まった。
男の動きが疑問からかほんの一瞬止まる。その顔面へと即座に手を向け、指を軽く弾いた。
指先からゴバッ! と火炎が爆発的に噴き出し男を包み込んだ。
再び某錬金術漫画から、大佐を再現した技!
やり方はお手軽簡単、衝撃を与えると燃え上がる性質の魔力を指先に集めるだけ!
胴体に当たった刀が止まったのは魔術によるものだ。
金属の硬さにこんにゃくみたいな柔らかさ、衝撃吸収、その三つ魔力の鎧を体に纏っていた。
……こんにゃくの部分は斬〇剣を防ぐノリで入れたけど、いらなかったかもしれない。
受け止められるかは不安だったがそこは魔力だ。作ったほとんどを鎧に回せば、さすがに耐えられた。それでもちょっと貫通して痛かったが。
カウンターは成功した。男は今、目の前で火だるまになっている。
このまま逃げよう!
そうして雲雀の方を振り返ろうとした時、ボッ! と衝撃音と共に火がかき消された。
男がコートを払ったのだ。魔力の火はそれだけで消失した。
煙を上げながら、肌はもちろん服にもほとんど傷のない男が現れる。
ちょっとまて、雑面すら燃えていないのはどういうわけだ。というか火に巻かれたら少しは怯めよ人として!
男が再び地を蹴った。
身体強化を強くして、今度はギリギリ目で追えた。でこぼこの地面の上を滑るように接近してきた男が、踏み込みながら右拳で腹を打ちにくる。
カウンターはもう警戒されている。受け止めはせず、拳の外側へすれ違うように避ける。
潰すなら足だ。圧縮した魔力の球を足に――!?
ガッ、と。
魔力を集中させた腕が男の手に掴まれた。
突き出された男の拳が蛇のようにぎゅるりと軌道を変えたのだ、と気づいたのは。
引っこ抜くようにぶん投げられて木に叩きつけられた後だった。
「やっば……!?」
痛くはない。鎧のおかげで衝撃もない。
ただほんの瞬きの間の隙で接近してきた男が、目の前で刀を振りぬこうとしている。
鎧はまだ保つ。だが叩きつけられたばかりで体は浮いている。
魔力を使わなければ反撃も難しい状態だ。一秒で何度斬られるか、そして受ける度に魔力は減っていく!
どうする。どうやれば生き残れる。どう……なぁぁ!?
命の危機と魔力で加速した思考が、一瞬驚きのみに支配された。
目の前に。
男の刀とわたしの間に。
雲雀が滑りこんできたから。
「「!?」」
恐らく男も驚いたのだろう。僅かに体幹がブレて刃先が鈍る。
その瞬間だ。
雲雀が僅かに踏み込み、男の胸ぐらをつかんだ。そして強化した目で追いきれない程、流れるような動きで回転しながら男の懐へと潜り込み。
背中で男を担ぎ上げるように――男の体をぶん投げた。
「背負い投げぇ!?」
地面へと落とすのではなく、近くの木へと放るように投げる形だ。
しかし男はわたしのように叩きつけられたりはせず、あっさりと空中で身を翻して木へズダン! と着地していた。
その男に向かって雲雀は右手を胸の前に出し、半身になった構えをとる。
「わたしは対人戦の方が得意ですよ!」
「得意ってレベルではない!」
なんだあの流麗な動き! あれひたすら研鑽を積んだ達人に許されるような動作じゃないの!?
いかん、わたしのツッコミもズレてる気がする!?
「ていうかひばり、あの男の精気で目が見えないはずじゃ!?」
「サングラスかけてますから」
「は?」
何言って……ほんとだ! 後ろ姿だったから気づかなかったけどなんかサングラスかけてる!
「いやなんでサングラス持って………………ああ、公園でかけてたねそういえば……」
ピカッとする機械で記憶を消されないようにって。
「え……精気の光ってサングラスで遮断できるの?」
「はい! なるべく視界を塞ぐなと師匠に言われていたので、普段はかけませんが!」
「そ、そっか……」
なんだろう、間違いなくそれに助けられたんだけど、サングラスをかけた雲雀の見た目どうにも気が抜ける。
しかし雲雀は大まじめに前を見据えながら言う。
「でも、どうしますか。さっきあの人を投げられたのは奇跡みたいなものだと思います。次は通用しないでしょうし」
「ああ、それは……問題ないと思う」
「?」
さっきのやり取りで気づいたことがある。
あの男は、雲雀が間へ挟まった時、殺さないように刀の軌道を変えた。
恐らく……殺す気が無いから。
どうやっているのか垂直に木へ張り付いている男へと目を向ける。
「……」
その状態で男は小さく呟いており――その内容を、強化した耳は正確に拾っていた。
「――やはり殺す気が無い。こちらのことも知らず、臭いも違う。……奴らの仲間じゃなさそうだな」
『うっっそだろ!? 魔力も使って! あの現場の近くにいて! それで光郎が投げられるぐらい強いのに無関係!? そんなことあるか!?』
敵意のない男の声と、やかましいノイズまみれの電子音が、そんな風に言い合っていた。




