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帝国の矛  作者: 芥流水
十勝沖海戦
2/22

対共同盟設立す

初の架空戦記至らぬ点があると思いますが、宜しくお願いします。

 昭和十六年八月二十日

 一機の陸上偵察機が洋上を飛行していた。その機体は名を零式陸上偵察機といい、陸軍の百式司令部偵察機と同機体である。


「敵さんは見え無いですね」

 そう、伝声管を使い操縦をしている武岡重吾たけおかじゅうご飛曹長に話しかけたのは若林隼人わかばやしはやと上等飛行兵である。

「そうだな。しかし敵艦がいるとすれば共に敵機もいるかもしれん。上空にも気をつけろ」

「はい」



 零式陸偵はその後も高度二○○○を保ち飛行を続けた。


「右前方に識別不明艦発見しました」

 不意に若林が声を上げた。武岡が目を凝らすと確かに艦が見える。

「もっと近づくぞ」

 武岡は言うが早いか操縦桿を右に押し倒した。


 零式陸偵が近づくにつれ艦の形状がはっきりと見えてくる。武岡が艦の旗を確認するのと若林が叫び声を上げるのは同時だった。

「左前方!敵機きます!」

 どうやら空母も伴っているらしい。


「了解!艦はソ連軍の物だ!電文を打て!」

「はい!」

 敵機がぐんぐん近づいてくる中を零式陸偵はもどかしい程の速さで旋回した。



 昭和八年ニ月、一人の男がベルリン・スポーツ宮殿の演壇に立ち、大演説をしていた。男の名はアドルフ・ヒットラー。独逸帝国の首相である。


 彼の演説は、鱶のように観客の心を引きずりこんでゆく。食らいつき、離さない。広大な宮殿の内部には他の物音一つせず、彼の声のみが響き渡っていた。


 しかし、それも急遽終わりを告げた。演説が佳境へ入ろうとした時、突如爆発音が宮殿を震わせたからだ。


 聴取の全員がそれをー獨逸の首相が吹き飛び、演壇から落ちるのをー見た。宮殿内は一瞬真空内のように静まり返り、しかしそれも直ぐに悲鳴に上書きされた。


 直ぐに事件の実行犯は捕まえられた。しかしそれは遅過ぎた。この時代、独逸で最も巨大な政治家に成る筈であった男は、その命を絶たれたのだから。


 ヒットラーという先導者を失ったナチ党は崩壊した。それは独逸中を揺らし、その影響が消えぬまま三月の選挙に突入した。それは選挙率が過去最低と成った。ナチ党支持者の大部分が棄権したからだ。


 当時独逸は、第一次大戦の賠償金と、世界恐慌によってかなり財政的に不安定になっていた。なので国民の大部分はこの選挙に不満を持っていた。


 そこに目を着けたのが社会主義であった。いや、実はヒットラー殺害の犯人は共産党支持者だったので、最初から彼らはかなりの深さを持ってこの問題に関係して来たのだった。


 彼等はこれを好機と見るや直ぐさま実行に移した。彼等は国民を先導して、独逸に革命をもたらしたのだった。更にナチ党も一部幹部を覗いてそれに加わる有様であった。


 こうして一年の動乱の時期を終え、昭和九年八月に独逸は朱く染まり、独逸社会主義国が正式に成立したのであった。


 この出来事に各国の反応は様々であった。英国は、真っ先に反応し、日仏米に対共同盟を打診した。日本と仏蘭西フランスはこれに色良い返事を返し、米国はも中立の立場を表明しつつもいざという時の支援を約束した。また英国は次の軍縮会議の準備を急ピッチで進めた。


 英国との同盟に、日本は満州国の承認及び軍縮条約の改定を条件とした。当然交渉は難航したが、最後は英国が折れる形になった。ソ連が獨逸の科学技術を吸収し、急速に工業化及び軍拡を行っていることが明らかに成ったからである。


 昭和十年三月、日英仏対共同盟が設立した。


 それから間をおかずして、同年に第二回倫敦(ロンドン)海軍軍縮会議が開かれた。これは軍縮とは名ばかりの実質的な対共を視野に入れた軍拡会議であった。


 当初日本は戦艦及び空母対米英同数及び補助艦七割を主張した。英国はこれに消極的に賛同したが、米国は特に戦艦建造数に対しては大幅に反対した。結果空母のみが対米英同数が認められ、他は七割に抑えられた。他にも参加国保有艦の微量ながらの増数が決められた。


 これで日本国内において海軍休日は終わりを告げた。何せ空母二隻、戦艦を金剛型の後継艦四隻を新造し、その他の艦の建造もしなくてはならなくなり、各造船場は大わらわとなった。


 更に同年、日本海軍は仮想敵国を米国からソ連に変更した。しかし、ソ連戦は主に陸上が主戦場と成り、海戦は一、二回のみと予想された。


 これは北極海が夏の僅かの間しか利用できず、その間しか大西洋側からソ連軍は艦を持って来れない。なので、北極海が利用出来無い間はソ連海軍太平洋艦隊の拡大はされない。しかも大西洋側は大西洋側で英国海軍があり、ソ連艦隊はあまり脅威的では無いと思われた。


 この予想によって、海軍内では航空兵力が俄かに注目され始めた。航空機なら戦艦の主砲が届かない距離まで飛び、攻撃を加えられるからである。


 一方陸軍は元からソ連を仮想敵国としていたのだが、その脅威が益々増して来たのを受けて、航空兵力より、陸上部隊の充実-主に戦車や野砲の開発及び機械化部隊の早急な拡大-に勤しんだ。


 そして陸軍は航空機開発にかける資金が無くなってしまったことを理由として、海軍との航空機開発の共同化を提案した。


 海軍は始めこそ難色を示したが、山本五十六、嶋田繁太郎らが賛成し、それに押し切られる形で残りの重鎮達も海軍人を統括者とすることを条件に共同化を認めた。


 名を総合航空開発本部(総空本)とし、共同化計画は昭和十一年には早くも本格的に始動した。総空本は英国の技術協力を受け、メキメキとその力を発揮し始めた。


 昭和十五年七月より始まったソ獨軍によるポーランド侵攻に対し日英仏は同盟を理由に宣戦布告をした。しかし暫くは日英仏とソ独軍との陸上戦闘は皆無に近く、まやかし戦争(Phoney War)とまで呼ばれた。


 しかしそれも翌年(昭和十六年)迄であった。東欧州侵攻を終えたソ独軍は同年五月終に西欧州にまで兵を進め始めた。


 また、同年八月にはソ満領域で日ソ軍の衝突が発生。ソ連は更に満州に兵を送り込んできた。


 そして、英国からソ連軍の大艦隊が北極海を通り、太平洋側に配置されたと連絡が入ったのが八月十六日のことだった。


 そして二十日、見事に日本は航行中のソ連艦隊を見つけ出したのであった。

本格的な戦闘は次回から(予定)です。

誤字、脱字、ココがおかしいという所があれば知らせて下さい。

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