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その日を境に、大日本命名改革推進党は二つのグループに分かれた。活動を縮小しようという紅蓮派と、このまま過激な命名改革を推進していこうという髑髏派だ。髑髏には恋物語がついていった。紅蓮によれば、親と和解できなかった髑髏と恋物語とは、既に連絡がつかなくなってしまっているらしい。また、果樹園は組織を抜けることにした数人の中の一人だった。
果樹園が言ったことを要約すると、「しょせんは金持ちの道楽ってことなのよ」だ。
今回の「大日本命名改革推進党大洗脳大作戦」は、果樹園に協力してもらったために、ことがスムーズに進んだ。幽邃の組織の調べで、果樹園が最近の紅蓮たちは行き過ぎだと考えているという情報を入手し、彼女を仲間にするために接触。彼女によって、党の集会の日程や場所を特定したというわけだ。構成員の親への連絡先を陽たちに教えたのも、彼女である。
ルラピケに直前まで自分たちを不可視にさせる魔法をかけてもらい、登場とともにやはり魔法で爆発を起こそうと言ったのは、幽邃だ。彼女曰く「春香みたいなこと言わせてもらうけど、大物が登場するシーンで『ドン!』と効果音が書かれるのは漫画の基本だからな」。陽には、意味が分からない。
そして、今も、訳の分からない状況に直面していた。
《ドアが閉まります》
ルラピケと出会った場所に――パン屋ネオヤマザキの店内に、尊大に構える箱型エレベーター。透明な壁に覆われていて、中の構造が見えるようになっている。大きすぎて邪魔なことこの上ない。
パン屋のど真ん中にエレベーターを設置する者が今までにいただろうか。陽はとりあえず、客が来たら「精巧なインテリアです」と言い張ることにしている。「どうです、地底まで行けそうな気がするでしょう?」
「ドアが閉まりますって……地底語じゃないのか」
「地上人が見ても違和感を感じない作りになっているのさ」
中から陽と幽邃そしてルラピケの前に姿を現したのは、あの時の少年プロボウラーだった。ルラピケと同じく、鮮やかな赤髪だ。
「いや、だから、違和感バリバリだろ、位置的に」 くつくつと笑うのは幽邃だ。彼女はかつて、交差点の真ん中に電話ボックスがあるという謎の光景を目の当たりにしたぜ、などと言っていた。
「久しぶりだね、夕陽のハイビスカス」
「きみ、本当に地底人だったのか。ん? 体が成長していないのではないか?」
「ああ、ぼくは魔法で見た目を変えているだけで、本来はじじいだからね」 少年がいた場所にいつの間にか老人が立っていた。しかしすぐに少年の姿に戻る。 「この姿の方が好きなんだ。時と場合によって変えるけどね。昔は神と間違われて、遺跡の壁画にぼくの姿が描かれたこともあったよ」
姿を変える魔法については今更驚かない。 「子供じゃなく、青年くらいの体のほうが動きやすいのではないのか? なぜ子供の姿なんだ?」
「無邪気な子供を装えば、女の人の胸に飛び込んでも許されるからさ。それ以外にあるかい?」
「パン仙人さま……」 ルラピケが顔を赤らめる。隣で幽邃は脱力中。
随分と俗物な仙人もいたもんだ、と陽は思い、「パン仙人だと? パン屋でも経営していたのか?」と訊ねる。
「うん。ポェリソラッソスナンバーワンのパン屋、ホッホミポッテンの創始者はぼくだから」
「師匠」
「なんだね弟子よ」
「パン作りの極意を教えてください」
陽の申し出に苦笑する少年。 「パンを百年作り続けてから出直して来い、と言いたいけど、王様には王女ルラピケ様を保護してくれていたお礼として、パン屋を繁盛させるようにと言われているんだ」
「本当か! やったぞ!」
「その代わり、ぼくの魔法で休まなくてもいい体にして、十日は休憩なしでパン作りを教えるから」
「…………」
「こっちも時間がないんでね。では、王女様、行きましょうか」
春香にもらったメイたんぬいぐるみを抱き、小さなリュックサックに地上土産(陽が作ったパンを含む)を詰め込んで、ルラピケは少年についていく。すっかり地上慣れした背中だ。エレベーターに入る一歩前に、振り返って幽邃を見つめる。
「ユウスイさん、今までありがとうございました」
目を細める幽邃。 「こちらこそ、な。またいつでも遊びに来いよ。というかこっちが遊びに行っていいか?」
ルラピケもえへへと笑う。 「どうぞ! あ、でも、ポェリソラッソスに地上人を招待するのは、いろいろ決まりがあってむずかしいかもしれないとピケは思います」
「まあ、いいさ。ピケも勉強やらで忙しいだろ。じゃな、ピケ」
「はい!」 そして陽にもお辞儀する。 「ヨウさんも、一緒にいてくれてありがとうございました!」
「うむ。地底では誘拐されないようにするんだぞ」
恥ずかしそうに笑ったルラピケは、エレベーターに足を踏み入れる。魔方陣を使うだとか、もう少し神秘的な方法で帰れないのか、と少しだけ不服に思う陽。現実は地底直通超速エレベーターである。これもこれでありえないが。
「じゃあね、夕陽のハイビスカスくん、幽邃さん」
「さようなら!」 ルラピケは満面の笑顔で小さな手を振る。上品ながらもあどけなさが残る仕草。陽は、ああ、お別れなんだな、と改めて思う。ああ、これからは一人で歯を磨き、一人で食事をとり、一人でテレビを見るのだな。このエレベーターの扉が閉じると同時に、再び会える未来が閉ざされるような気がして、心配になる。
でも、まあ、きっと、いつか会えるだろうな。何年後になるか分からない。しかし、昨日から、さっぱりした別れにしようと決めていた。
「ああ。さよなら」
「じゃな、ピケ!」
《ドアが閉まります》 ルラピケの笑顔を扉が隠した。きっと、見えなくなっても、笑ってくれている。
ゆっくりと機械の箱が下降していく。陽と幽邃は透明の壁越しに下を見る。既に視界に入らないくらいに下がっていた。地底に到着すれば、このエレベーターは消滅するらしい。もちろん地上と地底をつなぐ穴も消える。地中で仕事をする鉱山の作業員たちが、喉から手が出るほど欲しがりそうな技術だ。
「さて」 幽邃が伸びをする。 「んー、おれも帰るかな」
幽邃はアルバイトを辞めた。次も適当な場所を見つけて働くことにしているという。金持ちの自由人はいいなあ、と陽は思う。金はともかく、自由を少し分けてくれ。あと腕っ節の強さを。
「幽邃。今までありがとう」
「うん、山田店長。今までありがとうございました」
「ぐ……なんだか気持ちが悪いな」
「おれもそう思ったから言い返してやったんだよ」
陽は息をつき、カウンターに置かれたビニール袋を手に取り、幽邃に差し出した。中にはパンが入っている。
「餞別だ、持っていけ」
「いらねえよ。その代わり、ここが有名になったら並んででも買いに来るさ。……まあ、好きだったよ」
「え?」
「陽のパンの発想がさ。面白くて」
もしかすると貶されているのかもしれなかったが、まんざらでもない。 「そうか」
「じゃあな!」 背を向けた幽邃は手を振り、鈴の音が鳴る扉を開けて、振り返らずに去っていく。




