参
「彼がリーダーの」 果樹園が含み笑いをする。 「山田紅蓮のアマリリス。党の創始者よ」
兄はスーツを着ていた。第一ボタンもしっかり留められている。そのまま会社の面接に行っても全く問題ないように思えるが、よく見るとネクタイの柄がマンボウだった。デフォルメされたそれの不気味な目がどこかを見つめている。髪は短めに切りそろえられ、さわやかな若さを感じさせる。しかし、陽を見る目つきはどこか高圧的で、気に障る。
「久しぶりだな、陽。何年ぶりだ?」 兄、紅蓮と呼ばれるその男の気取った言い方は、まるで自分のようでイライラするな、と思った。
「知らん。どうでもいいだろう、そんなことは」
「会えないのはお前が正月やお盆に帰ってこないからだ。たまには実家に行くんだな。私だって本当は帰りたくない」
一つ上の兄は真面目だった。やるべきことはちゃんとやらねば気が済まないたちだ。そういえば高校生の頃、集会の時に騒いでいる生徒に説教を始めたことがあったなぁ、などと懐古する。結局は騒いでいる奴よりもうるさくすることになり、後で騒いだ奴と一緒に職員室に呼ばれていた。
「兄さんのことだから、嫌いな親のいる実家に帰っても、地味な父さん母さんに対して怒ってばかりなんじゃないのか」
「陽、私は親が嫌いだが、同時に好きでもあるのだよ。それだから――良い人間になって欲しいから、怒るのだ」
息子の言う言葉じゃないな、と思ったが、紅蓮らしいな、と懐かしい気持ちにもなった。兄さんはいつもそうだ、と怒りたくもなり笑いたくもなったが、巻きついた縄の感触が陽の表情を強張らせたままだ。
「とにかく解放してくれ」
「久しぶりに会ったのだから、世間話でもしようではないか」
「その提案には賛成しかねる」
「最近、小さな女の子と暮らしているらしいな」
これだ。話し始めたら意地でも自分の言いたいことを主張する。そこが、同じ演説好きの陽とは異なる点だった。確かに兄弟のような親密な間柄の人間と接する時には、陽も相手を無視して話を続けることもある。だが、兄、紅蓮のアマリリスは、恐らく相手が上司でも――あるいは総理大臣か天皇、地底からの侵略者だとしても、断固として満足するまで自分の話を続けるだろう。陽は、げぇ、と喉で渦巻く倦怠感を吐き出そうとする。
「お前は峰不二子タイプが好きなのかと思っていたが、まさかロリコンだとはな」
「兄さんは間違っている。私はロリコンではないし、峰不二子に夢中なルパンの気持ちを理解したこともない」
「その女の子はどんな子なんだ? 可愛いのか?」
「特別可愛いわけではないが、幽邃は――うちのバイトは、可愛がっている」 人差し指を立てようとするが、まるで過剰な愛情表現のように絡みついた縄が放してくれない。 「容姿は鮮やかな赤い髪の毛に金色の瞳。地底の国ポェリソラッソスの王女で、地上人より遥かに力が強く、コンクリートを頭で突き破っても無傷。一週間睡眠をとらなくても、また四日に一度地上人の食べる一食分を摂るだけでも、全く問題ない。魔法で空を飛んだりできる超人だ」
「とてもよく分かった」 紅蓮は無表情で呟いた。反応に困った時、紅蓮はよくそうする。果樹園は呆れた表情で首を振り、髑髏は口を開いたり閉じたりしながらアコースティックギターを奏で、恋物語はバーベルを上げている。
構わず続ける。 「性格は……テレビゲームの攻略本のストーリーチャートに書かれた『この先は自分の目で確かめてくれ』という攻略放棄宣言にブチ切れせずに、『ようし、頑張るぞ!』と思うタイプだな」
「テレビ番組で『あの人物の正体は……!』とナレーターが叫んだ直後、流れ出したコマーシャルで俳優が出演しているのを見て『正体はこの人だったのかー』と勘違いしてしまうタイプか」
「近い気もするが、それはただの阿呆だろう」
「テレビ番組といえば」 紅蓮が人差し指を立てる。 「今日、拷問器具特集を放送していたな。あれは実に興味深かった」
「そんなものを見るくらいなら、私は手話ニュースを見て手話の勉強に励むが」
「いいんじゃないか」
「ありがとう」
「だが残念ながら、拷問器具についての知識があっても、今からお前に行う拷問の役には立たないな」
陽は紅蓮の顔を見上げた。目が合う。彼は微笑んでいた。優しさがその表情に含まれているのかどうかは、分からなかった。ゴウモンという言葉の邪悪な響きが、頭蓋骨の中を蝕んでいくような気がする。腕に力を入れた。その後で、暴れても地面に倒れるだけだろうと思い直す。次に果樹園を見た。彼女が無表情で目を逸らすので、髑髏と恋物語を見る。アコースティックギターが奇妙な音を鳴らし、バーベルが恋物語の頭上で無言を貫いている。最後に紅蓮の変わらない表情を見て、心の中で呟く。
幽邃。ルラピケ。この哀れな店長を助けてくれ。
▽
幽邃は走るルラピケに手を引かれるうち気づいた。人がいない。人通りが多いはずのグランドグリーン周辺には人の姿は見えず、駐車場の自動車もめっきり減っている。動物がいないという訳ではないらしい。ベンチの上でわめく鳥たちが、人間のいない街をのびのびと過ごしている。
グランドグリーンの敷地を出る。いつもは信号待ちで並んでいる自動車たちの不機嫌そうなエンジン音は聞こえない。信号機が意味もなく、青く赤く黄色く光る様子は、思考停止した狂人のようで、幽邃は不気味さに眉をひそめる。
ルラピケはとにかく走っている。本来ならもっと速く走れるだろうし、幽邃を抱っこしてダッシュすることくらい簡単にこなしてもおかしくはないが、そうはしなかった。幽邃に気を遣っているのかもしれない。
「ピケ、一体何が起きてんだ?」
「導かれています」
ルラピケの答えにならない答えを聞いて、この不可解な状況がもたらす、理解できないことによる怒りを覚える。だが、繋いだ手が幽邃の冷静さを保っていた。しかし、これは恐らく地底人の仕業だろう、と真面目に想像している幽邃の考えを他人が知れば、パニックで頭がおかしくなっているのかと勘違いするのは確かだ。
そして、道路の交差点の真ん中に電話ボックスが置かれているのを見る。
ずっと前からここにいましたが何か? とでも言いたげに、堂々と佇む電話ボックス。いや、お前がそこにいたら車を運転してる人が危ないだろ、と指差して言いたくなる。お前がしてることは道路交通法違反だぞ。
車通りはない。ルラピケは迷うことなく、ユニバーサルデザインの考え方を無視したその電話ボックスへとすたすたと歩いていく。それの前で止まった。幽邃の方を振り返る。
「ユウスイさん、説明できなくてごめんなさい……」
「別にいいよ。慌ててたんだろ? しかし、この電話ボックスは何だ」
「ポェリソラッソスの魔法で作り出された、えーっと、地上で言うテレパシーの中継をする地点です。地底には電話ボックスはありませんが……多分、万が一地上の人が見ちゃった時に驚かせないようにするために、この形にしたのだと思います」
「いや、驚くだろ、位置的に」
ルラピケはなぜか照れたように笑い、下がってきた白いニット帽をくいっと上げる。 「次から気をつけるようにお願いしておきます。もしかしたらこの位置が、魔力が伝わりやすい場所だったのかもしれません。でも、人払いの魔法を周辺にかけてあるので、だいじょうぶです」
「人がいないのも魔法か。消え去ったわけじゃないんだろ?」
「はい。人の心の底に働きかけて、広い範囲の人の行動をほんの少しあやつり、みんなの視界に電話ボックスが出てきた場所が入らないようにしてあります。また、単純に人を遠ざける魔法、そして電話ボックス自体を見えなくさせる魔法も重ねて発動してあるようです」
そうやって地底人たちは、自分の存在を隠してきたのだろう。地上に干渉した痕跡を残させない四重の魔法。感心する以上に恐怖を感じざるを得ない。しかしそれも、ルラピケの屈託ない笑顔を見ると忘れてしまう。
「ところで、何でおれにはその魔法は働いてないんだ?」
「ピケが魔法をかけておきました」 ルラピケはすまして幽邃を見上げる。 「ピケは、魔力の強い王女ですから!」
ルラピケが電話ボックスに入り、受話器を取る。その様子を外から眺める。携帯電話で写真を撮ろうかと思ったが、地底人に存在を消されるかもしれない、と思ってやめる。
そういえばルラピケのことはまだほとんど知らない。やっぱり、頭の中では地底語で考えているのだろうか。地底の文字はどんな形なんだろう。ポェリなんとかでは、恐竜のような動物が生息しているらしい。もしかしたら伝説のドラゴンなんかがいるのかもしれない。いたらどうしよう。今、自分が踏みしめているこの地面のずっと下で、巨大な何かがうごめいているのを想像した。地面を踏みしめる足の先から痺れるような興奮が伝わってくる。くすぐったい感じがして、思わず地団太した。
ルラピケはダボダボだった袖をまくっている。受話器を両手で押さえ、時々頷き、時々笑う。小さな女の子の笑顔はいいなぁ、と思い、自然と幽邃の顔にも笑みが浮かぶ。記憶の中の祥子との会話が再生される。
「幽邃はハードボイルドでマニッシュに見えて、意外と女の子らしいよね。小さい子供とか、可愛いものが好きじゃん」
「まあな」
「あと、ヘタレな人を見たらからかいたくなったりしない? ラブソング好きの大川くんとかさ。そんで、なんだかんだで仕事を手伝ってあげたり」
「別にしないけど」
「好きなんでしょ、ヘタレな人が」
「酔ってるのか?」
「素直になれない世話好きな幽ちゃんに乾杯!」
ため息をつき、ルラピケのことを考えることにする。
笑顔なのは、きっと地底にいる知人と話しているからだ。もしかしたら、父親である国王との水入らずの会話を楽しんでいるのかもしれない。ということは、帰る手段が見つかる? 今すぐにでも帰ってしまうかもしれない。突然、不安になった。まだ帰ってほしくない。しかし、ルラピケは王女だ。そんな重要な人物をこのまま地上に放っておくなどという判断を、国のトップが――親がするとは思えなかった。一刻も早く帰って来いと命令するはずだ。
にこにこしながら電話ボックスの中から出てきたルラピケを見て、心配すればいいのかほっとすればいいのか分からなくなる。
「どうだった?」
「お父様とお久しぶりに話すことができました」 ルラピケは腹の前で、陽の上着の袖で完全に隠れた両手を合わせる。 「お父様の使うリャテコ語を懐かしく思いました」
「まだ地上にいられるのか?」
「はい! 一週間は滞在することができます。お父様は、地上のことを知るいい機会だ、とおっしゃっていました」
国王は意外と放任主義なのかもしれない。反対する地底人もいるだろうな、王様も大変だろうな、とぼんやりと考える。
「ピケに危険が迫れば、魔法が発動してピケを守ってくれるようにもなりました。これで安全です。でも、魔法が無かったとしても、地上のライフルくらいではピケに傷をつけることはできないです」
国王が放任主義というか、そもそも地上が危険な場所だと思われていないだけだという可能性も考えられる。暴力は無意味だ。地上の病原菌も効かないのではないだろうか。地上はただの観光地だなどと思っているのだろう。地底人恐るべし、と思いながら、その恐るべき女の子の頭を撫でる。
「良かったな」 その幽邃の言葉は自分に対して使うようでもあった。
ルラピケがにへへと笑って、幽邃の手に触れる。陽の上着のざらざらした感触が伝わってきて、家でごろごろしているであろう彼のことをイメージする。
今頃、暖かい屋内でテレビでも観ながらぬくぬくと過ごしてるんだろうな。
▽
その頃、寒い屋外で絶望を見ながらぶるぶると震えている陽は上ずった声を発した。
「私が中学生の頃、アンケートで『拷問されたら簡単に屈従しそうな人ナンバーワン』に選ばれた事を忘れたか?」
果樹園が大量のおにぎりが入ったかごを取り出すのを見て、陽は青ざめる。髑髏が 「おーにぎーりおーにぎーりちょいと詰めてー」 と切なく歌っている。恋物語はバーベルを上げている。
兄、紅蓮が言う。 「それは不名誉なナンバーワンだな」
「私のようなか弱い人間を拷問にかけるなどという非人道的極まりない行動に出て、兄さんは自分を許せるのか?」
「拷問ではなく、説得と言い換えよう。それに、私に従ってくれるのなら酷いことは何もしない」
「兄さんに従うことこそが『酷いこと』であるというオチだろう」
「陽。大日本命名改革推進党に入りたまえ」
紅蓮の微笑みはどこか脅迫的な感情を含んでいる。陽は挑発するような目つきで彼を見返し、格好つけて首を傾ける。
「嫌だね」
「お前、料理番組でDQNネームを否定するのが悲願らしいな。マスターに聞いたぞ」
「マスター?」
「お前もよく行くバーのマスターだよ」
髑髏が演奏を中断した。先程まで気持ちよさそうに歌っていたのに、不愉快そうな顔をする。それがなぜなのか陽には分からなかった。髑髏は、何も聞かなかったという風に演奏を再開する。恋物語はバーベルを上げている。
「兄さんも行っていたのか」 初耳だった。
「たまに、だがな。陽。お前は世にはびこるDQNネームを憎んでいるのだろう?」
憎む、というマイナスな言葉をいざ使われると、それを肯定するのにいささか抵抗を感じた。しかし頷く。
「ならば」 紅蓮は人差し指を立てる。 「お前には我々の組織に入らない理由はなかろう」
「理由ならある」
紅蓮を指差そうとして、腕が動かせないのを残念に思う。 「あのパンフレットだ。あれは一体何だ!」
「私が考えた。可愛いだろう、メイたん。あのパンフレット配布の他にも、様々な活動を予定しているぞ」
「どうでもいい」
「例えば、次世代型クラッキングツール『アマリリス』の使用だ。これにより、DQN親のパソコンの画面を『DQNネームをつける親を許すな!』という言葉で埋め尽くせば」
「ちょっと待った」 陽は目を見開いた。 「それは犯罪だろう」
「お前に先人が残した偉大なることわざを教えてやろう」
「何だ?」
「『赤信号……」 紅蓮が有名なあのギャグを口にしようとするので、陽はそれを少し改変し先回りして「『赤信号 みんなで渡れば 大轢死』」と唱える。
「どうしても仲間にならないと言うのだな」 紅蓮が残念そうに言うと、果樹園に合図をする。
「兄さん、無理矢理私を仲間にしても後悔するだけだぞ」
「ところで、私と別れた理由を覚えているかしら?」 果樹園が陽の前に、おにぎりの入ったかごを置いて言った。




