愛しのキャラよ
これは、理想のキャラクター作るの大変だよねって話
個人的に、キャラクターの魅力って、苦悩、葛藤、矛盾と積み重ねの中にあると思う。
特定の作品を非難するつもりはないが、始めたから、このキャラってこういう魅力があるんですって見せ方をしてくる作品を見ても、知らんがな、俺が俺なりにこのキャラの良さ見つけるわいって思っちゃう。
まぁ、だからキャラ系のアニメは見れない。
自分の理想としては、このキャラの葛藤や苦悩はこんなのです、っていうのを見せて、それに読者が共感する形が最強。
自分はそのキャラの置かれた環境と感情を分析して、まぁ一般的にいう認知的共感(反対を感情的共感。これはこれで面白いから一番最後に書く)をする人間だ。
で自分の感情とかにも日々向き合ってると、やっぱおもしれぇのが、論理でも倫理でも理論でもメロンでも割り切れないところがある。これがいい。これこそ人間なんだよって思う。だからそれを見せてほしくなる。
何と言えばいいか、作られた感がするとどうも生きたキャラに見えない。
でも、自分思う理想にはすごい問題点がある。そこに至るまでの距離が長すぎる。
実際自分の描いてる作品も、キャラの本当の魅力が出るのは2章後半とか3章になってからで、すごい待たせる。もちろんそれまでに色々散りばめているつもりだけど、キャラはどうしても待たせちゃう。
もし最速で並べて行ったら、もっと早くそれに辿りつくだろうけど、それは生きてないと感じる。物語として。他にもっと書くべきこともあって、そのバランスの中で、他の話の一部に嵌め込んだり、それ自体がたまに話になったりしていいバランスになる。
でも、伝わらん、これが問題。
水木しげるが幸福の七箇条でいってた、頑張っても努力は裏切るし、才能と収入は別。別に自分に才能があると言いたいんじゃなくて、やりたい事がそれに繋がらないって分かりながらも、好きだからそれしかできない(これも七箇条)っていうジレンマ。
でもやっぱ、いいキャラかけた時にンギィ、いいキャラやっ! ってなる感覚は最高。やめられん。
【創作論小噺】認知的共感と感情的共感
これはよく英語でcognitive empathy とemotional empathy として並べられるもの。
認知的共感とは、そのキャラ(を例とする)がいる環境から、そのキャラの感情を分析して、共感する。
言ってしまえば「あーたしかに、その状況なら、そうなるのも分かる」わかる、で終わるのが認知的共感で、アメリカ的と言われるやつ。
対して感情的共感とは、そのキャラへの認知を挟まずに、同じ感情を自分が持つこと。
言ってしまえば「あぁ、何で辛そうなんだ、自分も辛くなってきたよ」だ。前者に対して日本的と言われるやつ。自分のことを持ち出すから、共感力は強くなるが、文章において説得力は持たないものだと自分は考えてる。これはまぁ、人によるかも。
要は何事も使い分けだ。どっちも大事、他人事を自分ごととして読ませて、その人の感情を揺らさないといけないから。




