5話 人はなぜ流されてしまうのか
雑音。あの女が鬱陶しい。あいつが僕の名前を呼ぼうと僕には関係ない。僕はあの女を知らない。
「待って! 待ってよ!! ユリウスはいつもあなたのことを話すよ!」
僕の足が止まる。動かせない。
「ユリウスは忘れてないよ。君のことも、パーティメンバーのことも。いつもはこんなに飲まないのにね。今日は羽目を外しちゃっただけなの。」
だんだんと女の声が小さくなっていく。
「だから、私の話だけでも聞いていってくれない? シグマくん。」
振り返りたくない。でも僕はそれを抑えられなかった。
——パンドラ ある宿
「どこから話せばいいんだろう。……でもこれだけは言わせて! ユリウスは君たちを助けに行くためずっと頑張ってた。私がずっとそばで見てきたから、それは保証する。」
ずっと見てきただと? それはどういう意味だ。
いや、感情的になるな。今はこの人の話を。
「私たちが出会ったのは砂漠でのことだったの。
もう死んだって思ったときに彼が助けてくれて、サンドワームを一撃で倒しちゃったの。彼は今でも私の英雄なの。」
同じだ。僕もそうだった。ユリウスさんに僕は命を救われた。この人も同じなんだ。
「でもね。どうやら私たちは彼の眼中にないの。どう頑張っても振り向いてくれない。いつも君たちの話ばかりする。
悔しいよ、悔しい。だから同時に君たちに興味を持ってたの。」
ユリウスさん……。
「じゃあ、なんで『誰だ』なんて言った?」
女性は下を俯く。
「パンドラって知ってる? 迷宮都市の名前でもあるけど迷宮の名前でもあるの。」
俯き、女性は続けた。
「今日、小目標の階層を攻略したの。だから飲み過ぎちゃったの。まだ半年だけどここまで潰れるのは初めて。こうなるなんて知らなかった。
許してなんて言わない。でも、彼と話してくれないかな?」
俯く彼女の表情は、隠しきれない罪悪感で満ちているように見えた。
僕は女性に手を伸ばす。
「お互い、大変ですね。負けませんよ。あなたには。」
女性の恋心がしみじみと感じ取れた。それよりもこの人が、僕以外の人がユリウスさんを『英雄』として見ているのが悔しかった。
「あなたがそれを言う? ズルいのね。」
そう言い女性と握手を交わした。
「そうですね。ズルい、のかもしれません。」
「あら? あなた敬語使うの? いいわよ。外して、対等でしょ。」
敬語……外れてたんだ。感情的になって荒くなるなんて情けないな。
「そう、だね。僕はシグマ。よろしくね。」
女性はクスリと笑った。
「知ってる。私はツバキ、よろしく。」
僕は席を立ち上がる。
「さて、ユリウスを詰めるのは明日よね。もう夜遅いし。今日はこの宿で泊まっていってよ。」
「いいの? ありがとう。ツバキ。」
——翌日
全く寝られなかった。
日が昇り初め冷たい空気が張り詰めていた。外が賑やかになっていく。僕は部屋を出られずにいた。
ユリウスさんは起きただろうか。「誰だよ」と言う言葉が頭から離れない。ツバキの話を疑うわけではない。
ツバキとは面識はなかったし僕を知っていたことが多分それを証明してくれている。
ただ分かっていても怖いな。
コンコンコンッ。
部屋の扉が叩かれる。僕は座っていたベッドから立ち上がり恐る恐る扉に近づいていく。
ユリウス、さん?
僕は一呼吸を置いて扉を開けた。
「おはよう。」
そこにいたのはツバキの姿だった。なぜだか少し安心した。
「おはよう。」
彼女と同じ言葉を返し僕は部屋の扉を閉じた。
「準備はいい? ユリウスの部屋に向かうよ。」
ツバキは、お腹の前で片腕を掴みそう言った。




