①白い結婚
「怪我をさせた責任を取る」
そう言われ、連れていかれたグランシール侯爵家。
主寝室のベッドで横たわるアリシアに半ば無理矢理サインをさせ、書類だけの婚姻を済ませたあとでレオンは続ける。
「君の部屋はまだ整っていない。 当面の間、この寝室を自室に」
「寝室を? でも」
「この結婚は白い結婚だ。 閨事は勿論、君には仕事をさせるつもりもない。 ここで充分だろう」
アリシアの言葉を遮り命令するレオンの口調は冷たく、『白い結婚』と言った通り、そこには初夜の甘やかな雰囲気など皆無。
怪我をさせた責任からの、結婚。
『白い結婚』自体は当然のことなので、期待していたわけではない。けれど──
(ふたりきりになれば、もう少し話し合えるような空気にはなるかと思っていたのに)
結婚も含め、あまりに一方的だ。
しかしどうやら彼は、アリシアの意見に耳を貸す気がないらしい。
「……契約書が必要かしら?」
「そんなモノは必要ない、婚姻届だけでいい」
「そう」
こんな結婚は間違っている──そういう気持ちはあるが、こうなったレオンとぶつかり合う気力は、今のアリシアにはなかった。
「当面は部屋から出ず、具合の悪いフリをしておけ」
「……わかったわ」
レオンはフンと鼻で笑い、小馬鹿にしたように「従順で結構」と言うと、部屋を出ていく。
ハートウェル伯爵令嬢だったアリシアと、グランシール次期侯爵であるレオンは幼馴染み。
幼い頃は本当に仲が良かった。
だが異性なのもあり、お互いの配慮から年頃になると徐々に付き合いはなくなっていった。
何度か顔を合わす機会はあったものの、成長した後のレオンはいつもよそよそしく、その割に必ず話しかけてくる。
その言動は常に、慇懃無礼。
彼はモテるが女性とあまり喋らないだけに、その言動には『他のご令嬢にやっかまれないように』という、配慮も多少はあったのだろうと思う。
けれど、昔と違うアリシアへの苛立ちも隠せておらず、いつしかアリシアの方もレオンといるのは居心地が悪くなっていた。
(それを思えば一方的でも今はマシね。 でも……なんだか疲れたわ……)
昨夜医師に処方された薬が効いたのか。
その夜久しぶりに、アリシアは深く眠りについた。
──ふたりの婚姻は突然だった。
「レオン様?! そ、その方は」
「セドリック、ハーバート医師に連絡を。 メイド長と特に信のおける数人のメイドを主寝室に」
「……はっ!」
レオンは自身の外套で包んだアリシアを抱いて、侯爵邸タウンハウスに戻った。
この国で高い爵位を持つ家の貴族子息は、襲爵する前の一時の期間、王宮か神殿に関係した職に就く。
その慣習に倣い、襲爵するまでレオンは大神殿で聖騎士を務めており、この日も警備の任にあたっていた。
どうやら任務中に怪我をさせたようだと、この件に直接的な関わりのない家人らにも話が広まっていった。
翌夕方。
彼等には、執事セドリックから
「主寝室にいらっしゃる女性は元ハートウェル伯爵令嬢アリシア様です。 急なことではありますが若様の奥方となりました。 粗相のないように」
──という説明だけがされた。
アリシアの世話をする侍女は、メイド長のマチルダを含む古参の上級使用人達。
タウンハウスの管理は既に侯爵からレオンが引き継いでおり、女主人がいないこの屋敷に正式な侍女はいない。侍女の役割を務めることのできる、多少アリシアが見知った相手を急遽つけたようだ。
食事は主寝室で、レオンと食事を共にすることはない。
「『粗相』もなにも、関わらないものねぇ」
「怪我、酷いのかしら?」
「酷いのでは? 主寝室から出てこないもの。 それにメイド長はともかく、他に侍女としてついたのは古参のメイドばかりよ」
「もしかして、お顔に傷……とか?」
「有り得るわね」
彼女達はふたりが『白い結婚』とは知らないけれど、レオンの夜の訪いが閨事を含んでいないことには気付いていた。
休憩室ではこの程度で終わる会話だが、私室での気の置けない相手同士だとより酷い。
「若様は怪我をさせた責任からご結婚なさったのかも」
「若奥様がお飾りの妻なのだったら、私が無聊をお慰めして差し上げたいわぁ」
「やだー!!」
「アンタじゃ無理よぉ~」
下品な冗談にきゃっきゃと笑うメイド達の中には、その実『あわよくば』と邪な期待を抱く者もいないでもない。
なにしろ次期侯爵であるグランシール家の若君レオンは精悍ながらも美しく、男性としての魅力に溢れているのだ。
まだ若いメイド達はさほど社交界の事情に詳しいわけではないが、主家の若君の評判とは違いアリシア・ハートウェルの名など聞いたことがない。
少なくとも、自分達が憧れるような社交界の花ではないのだろう。
皮肉にもメイド長や古参のメイド達がアリシア付きの侍女となって侍っていることで、厳しい指導者がいなくなったメイド達の間では、アリシアを軽んじる空気がゆっくりと育っていた。




