第二話「アイスの魔女、ドロップの魔女」 3
「……大丈夫? ミズホちゃん」
「全然大丈夫じゃないでずよぉ」
ぼんやりと大地を照らす月明かりや星々の輝きを除けば、すっかり闇に染まってしまった夜空の下。城へ続く通りを歩きながら心配そうに問いかけてくるクラールさんに、私は大粒の涙を落としながら返答した。
「う、ううっ……頭が痛い……ぐすっ」
「あ、あははは……かなりキツくやられてたもんね」
「頭がまるで割れるようです……失われし記憶がふつふつと蘇ってきそうな感じで」
「ミズホちゃん、失われし記憶なんて持ってるの?」
「持ってますよぉ……幼少の記憶は完全に抜け落ちています」
「それは当たり前じゃないかな……」
夜道を進みながら、取り留めもない会話を繰り広げる。時刻が時刻なせいか、通りには全く人影が見当たらなかった。誰ともすれ違わないひっそりとした道を、私達は歩いていく。
「そういえば、ミズホちゃん。明日、ドーサックさんの家に行くんだよね」
「はい、メルエッタちゃんの事が気になりますからっ」
ドーサックさんの理不尽な癇癪が収まった後、私達はメルエッタちゃんの今後について話し合った。取りあえず、メルエッタちゃんは暫くドーサックさんとナインシィさんの家に厄介になる事になり、私は明日から、彼女の都観光ツアーを大成功に導く為、果物屋まで遊びに行くと約束したのだった。
「明日すぐに出掛けられるかは分からないですけど、都の中を色々と案内してあげようかなって」
「そっか……僕は少し政務が忙しいから一緒に行けないけど、楽しい一日になるといいね」
「はいっ」
「……ところでさ、ちょっと気になっているんだけど」
一拍の空白を置いた後、クラールさんは言いにくそうに質問を口にした。
「ミズホちゃん、ジョニールさんの許可はちゃんと得てるの?」
――あっ。
心中で声を上げた途端、思考が停止する。自然と、足も止めていた。
――どうしよう……すっかり忘れてた……。
「ミ、ミズホちゃんどうしたの!?」
直立したままガクガクと体を小刻みに震えさせる私に、クラールさんが慌てた様子で声を掛けてくる。しかし、私は胸中に広がりつつ恐怖感に蝕まれ、すぐに返事をする事が出来なかった。
――うう……アデライザさんに何ていえばいいんだろう……。
城内の使用人達を統べるメイド長の怒りに満ちた表情を想像した途端、私の身体を震わす悪寒が更に激しくなる。『ロクに働きもしないうちに長期休暇を取ろうとするなんて、貴女はいつの間に高貴な身分になられたんでしょうね』、『どうやら、御自分の仕事がどれだけ重要か、貴女にはまだ分かっていないらしいですね』、凍てつくような声が脳内で生成されては不安感を煽ってくる。
だが、私の猛心配は杞憂に終わった。救済の声が天から、ではなくすぐに隣から聞こえてきたのだ。
「だ、大丈夫だよ。ジョニールさんには僕の方からも言っておくから」
「え? あ、あ、あの。で、出来ればアデ、アデラララ」
「うん、うん。分かってるよ。アデライザさんにもしっかり伝えておく。心配しないで大丈夫だから」
「ク、クラールさあああん」
感極まって彼の胸に全速力で頭突きをかまそうとした、その時だった。
「ぐああああああああ!」
通りの空気を一変させるような絶叫が、暗い通りに木霊した。
「……今の悲鳴、クラールさんですか?」
「いや、僕じゃない」
青年の両肩をむんずと掴んで胸元に飛び込みかけた状態から頭を上げた私の問いに、クラールさんは小さく首を振った。先ほどまでの爽やかな微笑みは鳴りを潜め、彼の表情は警戒に引き締められている。
私の脳裏に、ドーサックさんから聞いた『通り魔』の単語が思い浮かんだ。
「じゃあ……もしかして、通り魔に襲われた人の!?」
「かもしれないね」
クラールさんの冷静な返答に、私の脳内はパニック状態に陥った。先ほどの悲鳴が被害者のものであるなら、犯人はまだ私達の近辺にいる可能性が高い。
――じゃあ、もしかして出くわしちゃうかも……。
もし一人だったなら、こんなに心細い状況はない。クラールさんが一緒にいてくれて良かった。そんな思いが胸によぎった矢先、
「ちょっと、僕は様子を見てくる」
そう言って、クラールは鞘から剣を抜いた。鋭利な刃が、仄かな月明かりに照らされて煌めく。
「ミズホちゃん、君は先に城へ戻っていてくれ」
「え、クラールさんあの」
「もし使用出来るなら、ときどき突拍子もなく使うトンデモダッシュで帰った方がいいね」
「トンデモダッシュ?」
とんでもないダッシュの事かしら。しかし、そんなに私、突拍子もなく走っているかしら。
ささやかな疑問が首をもたげている間にも、彼の言葉は続く。
「とにかく、一直線に城の方を目指すんだ。足を止めずにね」
「トンデモダッシュ……」
「少しでも妙な気配を感じたり、怪しい人影に進路を塞がれたりしたら、迷わず大声を上げるんだ」
「あの、トンデモダッシュって」
「じゃあ、僕はもう行くよ。くれぐれも気をつけて」
「あ、ちょっと」
呼び止めるより先に、クラールさんは悲鳴の聞こえた方向へと駆け出していく。
「……うーん」
腕を組み、首を傾げて、一思考。
その後、
「トンデモダッシュって何なんですかー!?」
ワタシは全速力でクラールさんを猛追した。




