第一話「森の小さな魔女」 5
ネリエちゃんはごく最近になってトロスベリア城で働くようになったメイドさんだ。私は彼女とほぼ同時期に城に加わったので、一緒に城の案内を受けるなど、新人として色々と顔を合わせることも多かった。自然と話をする機会も多くなって、それで仲良くなったのだ。
皿洗いの仕事が終わった後、私達は談笑しながら城の廊下を歩いた。やがて、互いの部屋に通じる分岐路に差し掛かると、ネリエちゃんは改めてお礼を告げてきた。
「ミズホちゃん、今日はありがとうね」
「えへへん、どういたしまして」
私が大袈裟に胸を張ると、彼女はクスリと笑って、
「それじゃあ、また明日ね」
「うん、また明日っ」
「お休み」
「お休みっ」
ネリエちゃんと手を振って別れた後、階段を上って人気のない長い通路を歩きながら、私は自分の部屋に戻ってから何をしようかと思いを巡らせた。
――そういえば、日記をつけるのずっとサボってたなぁ……。
この世界にやってきてドーサックさんの家にお世話になっていた頃、習慣づけようと思い立って始めたのだが、結局は殆どほったらかしになってしまっている。こまめに書ければ良かったのだが、ある時は日記のことが完全に頭から抜け落ちてしまっていたり、またある時は覚えていても強烈な睡魔にあらがえずベッドにバタンキューしてしまったり、そんなこんなでついつい書くのをサボってしまっていたのだ。
――よし、じゃあ今日こそはキチンと日記を書いてから寝よう!
決意を固めているうち、自分の部屋の扉が通路の向こうに見えてくる。この城において私の一応の地位は『国王から直々に城へと招かれた菓子職人』だ。あくまで形式上で、実際はそれほど丁重に扱われているというわけではないのだが、住まいに関してはそれなりの場所を頂いていたりする。何しろ、城の二階に位置しているのだ。しかも、小さいながらもバルコニー付きである。ネリエちゃんのようなメイド達やその他の使用人達は全員が例外なく一階に居住していることから考えても、破格の待遇といえるだろう。
鍵を取り出しドアを開け、私は自分のあてがわれた部屋の中に入った。なかなかに高価な材質の家具があちらこちらに置いてあり、中でも部屋の壁際中央に設置されている寝具は大きく豪華である。私が城で菓子職人らしからぬ激務に追われているにも関わらず元気なのは、このフカフカで寝心地の良いベッドで極上の休息を取れているからに他ならなかった。寝過ごしてしまう理由でもあるけれど。
――ちょっと休んでから日記書こうかな……いや、それだとグッスリ寝入っちゃうかもしれないから止めようっと。
布団の誘惑を珍しく振り切り、取りあえず喚起でもしようと、カーテンの方へと足を向けた、その時だった。
ベッドの影に、誰かいると気づいたのは。
「ひああああああっ!?」
明らかな不審者の存在を知覚し、私は今日一番の絶叫を上げた。
――どうしてここに人がいるのっ!?
戸締まりはキチンと行った記憶がある上、ここは二階だ。更にいえば、普通の民家ならまだしも、ここはれっきとした王様の住む城である。並大抵の盗人では侵入出来る筈もない。
つまり、私の目の前にいる不審人物は、とてつもなく危ない人間である可能性がめちゃくちゃ高いわけで。
――大怪盗!? それとも殺し屋!?
必死に考察を巡らせているうち、謎の人物が一歩こちらに近づいてきた。慌てて私は二歩下がり、
「ひにゃっ!?」
閉めていた扉にガツンと頭をぶつけながらも、必死に叫んだ。
「こ、来ないで下さいっ!」
「ちょ、ちょっと待って」
耳に届いたのは、慌てたような男の声だった。
「わ、私! 金目の物なんて何も持ってないですっ! 煮ても焼いても、多分美味しくないですっ! 貴族でも王族でもないただの菓子職人でして、しかもアイス作る以外にも何故かこき使われてて」
「お、落ち着いて、ミズホちゃん。僕だよ、僕」
「ふえ?」
――そういえば、この声って聞いたことがあるような……。
誰だろうと頭を悩ませていると、暗がりから近寄ってくる人影の顔が、距離の狭まるにつれて鮮明になっていく。やがて、相手が自分の見知った青年だと気がついたとき、
「あっ!」
と、私は小さな叫びを上げていた。
「クラールさん!」
「良かった、分かってもらえたみたいだね」
私の声を聞いた青年は、安堵したように胸を撫で下ろす。
太陽の光そのものであるかのように美しい金髪、澄んだ川のように綺麗な蒼い瞳、ただ者ではないと一目見ただけで分かるような美しい衣装……紛れもなく、トロスベリア王国の将来を担う若き跡継ぎ、その人だった。




