第一話「飛ばされて、異世界」 5
「……あれ?」
目覚めると、私は暖かく柔らかい場所に仰向けに倒れていた。体の上には柔らかい布切れがかかっている。眠い眼を擦りながら上半身を起こすと、自分が木製のベッドに寝かされていたという事に気づいた。周囲を見回すと、ベッドの他には小さな植物の鉢植えや、カーテンで隠されている窓、それに水差しが乗ったテーブル、閉じているドアが目に入る。どうやら私がいる場所はどこかの小部屋らしい。
――えっと、私確かゴブリンに追われて……。
しばらくぼーっとしながら頭の中を整理していると、ガチャリとドアノブが回る音と共に、一人の女性が室内に入ってきた。外見から考えて三十路程度の年齢だろう。眼鏡をかけて独特の白い服装をしているところが何となく白衣の医者を連想させる。顔つきも何となく知的な印象を受けた。
「目が覚めたみたいね」
「あ、はい」
ニコッと笑いかけられ、私は自然と返答してしまう。けれど、内心は緊張街道まっしぐらであった。右も左も分からない異世界で、初めて出会った人間だからかもしれない。
「その様子だと、もうすっかり元気になったみたいだけど。まだどこか痛んだりしない?」
「えっと、痛い所はないです。それより……ここってどこですか?」
「は?」
私の質問が余程意外だったのか、女性は目を丸くして、直後。
「もしかして、頭を強く打ったショックで記憶喪失に……」
「いや、そうじゃないんですっ! 私は至って正常ですっ!」
顔をひどく強ばらせて呟く彼女に対し、私は慌てて説明した。
「ただ、本当に、何というか……この辺りに土地勘が無くて」
まさか、本当の事なんて言える筈もなかったので、私は言葉を濁らせざるを得なかった。異世界から来た、なんて言ってしまえば、それこそ本当に頭がおかしくなったと思われる事は明白だったからだ。
「土地勘が無いって、あなた」
しかし、私がなんかそれっぽい理由を取り繕ったにも関わらず、何故か女性は困惑の表情を浮かべていた。
「あなたくらいの年頃で、トロスベリア王国の名を知らない子なんていないと思うけれど」
「ス、ストロベリー王国?」
いきなり出てきた聞き慣れない上に読みにくそうな地名に、私の頭は混乱した。どうにも、長ったらしいカタカナは苦手だ。混濁する私の意識の中に、まるでショートケーキのような苺が沢山乗っかっているお城が浮かび上がってくる。城壁の塗装は勿論、百パーセント生クリームだ。うわあ、何だかヘンゼルとグレーテルみたい。
「違うわよ、ト・ロ・ス・ベ・リ・ア」
子供に言い含めるように、女性は私の間違いを正した。
「ここはトロスベリア王国の城下町。そして、ここは『癒し屋』よ」
「い、卑し屋!?」
彼女の言葉を聞いた途端、未だ混乱状態に陥っていた私の体に凄まじいスピードで電流が流れ回りまくった。なんだか聞き慣れない名前だが、字の感じからしてとんでもなく碌でもない場所に間違いない。きっと、病み上がりで満足に動けない私をいい事に、あんな事やらこんな事をして、もしくはあんな事やらこんな事やらをさせて、非合法な金儲けを企てているに間違いない。
「嫌ですっ! 私がする初仕事はコンビニのレジ打ちアルバイトだって、もう心に決めてあるんですっ! 職場体験は別腹なんですっ!」
「ちょっと! 部屋の中で暴れないで! ていうかコンビニとかレジウチって何よ!?」
しばらくして。女性との間に重大な誤解があった事をようやく理解した私は、頭の上に大きなたんこぶを作っている状態でベッドに横になっていた。ううう、腫れ上がっているところがヒリヒリ痛む。そんな私に疲れた視線を浴びせながら、女性は頭を抱えて深く息を吐いた。
「しかし、まさか癒し屋の事すら知らないなんて……本当に記憶喪失なんじゃないかしら」
それから彼女は私に癒し屋の説明を始めた。癒し屋とは『癒し手』と呼ばれる人達が営む店の通称らしい。そして、彼女こそがその癒し手なのだそうだ。癒し手は魔術師の一種で、『聖なる力に頼らずとも人々の病気や傷を治癒出来る』高度な魔法を専門とする人々らしい。それらの魔法や薬師から調達する回復薬等を組み合わせ、人々の健康の為に働くのが彼女の仕事なのだそうだ。
――お医者さんみたいな仕事なのかな?
説明を聞き終えた後、私は心の中で呟いた。魔法、という言葉に抵抗感がさほど無いのが自分でも不思議だけれど、もしかすると女神様と対話したあの空間での経験があった所為なのかもしれない。
「だったら私の事、助けてくれたんですよね?」
「そうよ……ていうか、今まで理解してなかったの?」
苦笑する女性に対し、私は慌ててベッドから跳ね起き、深く頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「うんうん、分かって頂けたら結構」
女性は満足げにしきりに頷いた後、
「じゃあ、代金お願い」
「はい、代金ですね」
カチン。何となく受け答えをした数秒後、私の体はそんな擬音語と共に凍り付いた。
「……え? 代金?」
「嫌ね、当たり前じゃない」
呆然として呟く私に、女性は満面の笑顔を浮かべながら、手のひらを悠然と差し出してきたのだった。
「治療費よ、ち・りょ・う・ひ」