第四話「珍しき果実を求めて」 9
森に入って早々、私達はモンスターに遭遇した。
「わわっ! 何ですかこれ!」
私は近くの地面を指し示してクラールさんに問う。じめじめと湿った土の上には、緑色をしたゲル状の物体が小刻みに蠢いていた。大きさは標準的なマンホールの蓋くらいあって、結構なボリュームだ。
「ああ、それはグリーンスライムだね」
彼は平然とした様子であっさり私の質問に答える。
「草原とか森とか、自然がある場所ならどこにでもいる魔物だよ」
「やっぱり怖い生き物なんですか?」
「そんなに手強くはないけど……この位の大きさだと、赤ん坊くらいなら体中を包まれてそのまま消化されたりしちゃうだろうね」
「すっごく危ないじゃないですか!」
彼の話を聞いて、身の毛がよだつ程の恐怖が私を襲った。聞くだけでもおぞましい、恐るべき性質を持った生物である。外見だけなら抹茶ゼリーみたいにプルプルしてて可愛いのに。
「クラールさん、早く退治して下さいっ」
「いや、ここはミューちゃんに任せるよ」
彼が促すと、スカンクはグリーンスライムにお尻を向けて得意技を放つ。すると、たちまち驚くべき事が起こった。
「わわ! あんなにデッカかったスライムがみるみるうちに萎んでいきますっ!」
「ハハハ、これがミューちゃんの力さ」
先ほどまでの巨体が嘘のように縮まっていき、今や目の前の魔物は食べかけのゼリーと形容しても違和感がないくらいに様変わりしていた。心なしか、ミューちゃんも誇らしげな顔をしているような気がする。
「それじゃあ、先へと進もうか」
「は、はいっ」
薄暗く気味が悪い森の中を、私達は並んで歩いていく。小鳥の代わりに蝙蝠がバサバサと音を立てて宙に飛び交い、辺りからは魔物のものと思しき恐ろしげな鳴き声が絶えず響きわたっていた。奇怪な形状をした木々に生っているのはドス黒い色をした木の実ばかりで、どれだけ贔屓目にしても美味しそうには見えない。時折、周囲の茂みがガサガサと音を立てるだけで、私はドキッと心臓が跳ね上がってしまった。
しかし、戦々恐々とする気持ちとは裏腹に、私達の探索は拍子抜けするくらいに順調だった。大体の敵はミューちゃんが追い払ってくれるし、ちょっとやそっとの悪臭には物怖じしないモンスターが現れても、クラールさんがしっかりと倒してくれる。彼の剣裁きは戦いの技術にはてんで弱い私でも惚れ惚れとしてしまうくらいだった。
そんなこんなで、大したハプニングに見舞われる事もなく、私達は着々と森の深部へと歩みを進めていったのである。
「流石にここまで来ると、夜みたいに真っ暗ですね……」
辺りを見回しながら、私は呟くように言った。まだ日没までは結構な時間がある筈なのに、枝葉が織りなす天井のせいで陽光がほとんど差し込んでこない。細い隙間から、小さな円筒状の光が数本、地面を照らしているくらいだ。
「そうだね、何か灯りになるような物を持ってきていれば良かったんだけど……しまったなぁ」
「夕方くらいにはここを出ないとですね」
「うん、それまでにお目当てのアレが見つかれば良いんだけど……危ない!」
「ひあっ!?」
いきなりクラールさんが私の体を掴んで駆け出す。彼にされるがままに走り出した私の後ろ髪を、何かが掠めた。その正体を確かめようと私は後ろを振り返り、そして戦慄する。
「な、なな、何なんですか! あのデッカい化け物!」
そう。そこには大きな図体をした、巨人のような大男がいたのだ。その背丈は人間の大人より遙かに高く、二階建てのビルと同じくらいある。深緑色の体は逞しい筋肉で覆われ、顔はゴツくて荒々しい。太い右腕に握りしめられた巨大な棍棒は地に振り下ろされていて、今さっきまで私達がいた場所に深い穴を作っていた。もし、あのまま突っ立っていたら、今頃の私はグチャグチャになってしまっていただろう。
「あれは森トロールだね」
明らかに敵意のこもった眼差しを向けてくる相手から視線を逸らさず、穏やかかつ冷静な口調でクラールさんは説明する。
「危ない感じがする森によく居座ってる魔物だよ。数が多くないのが救いといえば救いなんだけど……まさか遭遇しちゃうとはね」
この森で見かけたなんて話は聞いた事がなかったんだけどなぁ。彼は独り言のように呟きながら深い息を吐いた。一方、私は気が動転して頭がパニックに陥って心がハチャメチャになってしまう。
「ヤ、ヤバいんですかっ? ミューちゃんじゃ無理ですかっ?」
「ミューちゃんじゃ無理だね」
いつの間にか、小さなスカンクは私達の後ろに隠れていた。
「じゃ、じゃあ。クラールさんは?」
「……動きはトロいし、逃げるだけなら簡単なんだけど。倒すとなるとちょっと自信ないかな」
「ええーっ!?」
真剣な表情で淡々と告げる彼に、私は思わず悲痛な叫びをぶつけてしまう。すると彼は険しい表情を吹き出しながら崩すと、
「でも、何とかしてみせるさ。ミズホちゃんはミューちゃんを連れて、どこかに隠れていてくれ」
と、全く不安を感じさせないような口調でそう言い残し、クラールさんは勢いよく地を蹴って巨大な敵の前に駆け出していく。私は彼の指示を守るため、足下で震えるミューちゃんを両手で抱き抱えると、慌てて近くの茂みの中に飛び込んだ。
――クラールさん、頑張ってっ!
雄叫びと共に棍棒を振り上げた巨人に、剣を抜いた細身の青年が立ち向かっていく光景を目の当たりにしながら、私は両手を組んで彼の勝利を祈った。




