第四話「珍しき果実を求めて」 2
コンテストに優勝してから数日が経ち、今度は王様に謁見する日がやってきた。
この前と同様、普段通りの時刻に目を覚ました私は寝ぼけ眼を擦りつつ外に出る。早朝特有の何ともいえない物寂しさを含んだ風が、外に出れる程度に櫛を通した私の髪を穏やかに揺らしていく。そして朧気な意識の中、手に持っていた箒で地面を掃こうとして。
「ミズホちゃん、おはよう。朝早くから仕事熱心なんだね」
思わぬ呼び掛けを受け、意識が瞬く間に覚醒した。
「ク、クラールさん!? いつからそこにいたんですか!?」
「ハハハ、今さっき来た所だよ」
「そ、そうなんですか……あ、おはようございます」
言いそびれていた朝の挨拶を口にした後、すっかり頭が冴えてしまった私は彼に訊ねた。
「でも、どうしてこんな時間に歩いてるんですか? いつもは見かけませんけど」
「そんなの決まってるじゃないか」
クラールさんは茶目っ気たっぷりなウインクをして、裏のなさそうな明るい口調で告げた。
「君に会いに来たんだよ」
「え……」
途端、私の体と心、その両方共が瞬時のうちに硬直する。
――君に会いに来たんだよ。
エコーがかった言の葉が、私の脳内で何度も何度も繰り返される。みるみるうちに、私の顔つきは自然とだらしなく弛んでいってしまった。
「そ、そうなんですかぁ。嬉しいです、えへへへ」
「君に早く聞いておいた方が良いと思ってね」
「私に?」
私は再び現実に引き戻される。
「何をですか?」
「ほら、今日はミズホちゃんが父上に会う日だろ」
右手人差し指を天に立てて、クラールさんは説明を始める。最初、私は彼の言う『父上』の意味がさっぱり分からなかったのだが、少し考えるとすぐに解決した。クラールさんは王子なのだから、私が謁見する国王は当たり前ながら親という事になる。
「だからさ、ミズホちゃんさえ良ければ、今日は僕が父上の所まで案内してあげようと思って」
「本当ですか!?」
予想外の提案に、私の心は宙に浮かんばかりだった。実際に王様と会えばかなり緊張してしまうだろうけれど、側にクラールさんが居てくれれば気持ちもだいぶ楽になるに違いない。
「うん、それじゃあ決まりって事で良いのかな?」
はい、と即座に返答しようとした所で、ふと私の頭にキツい目をしたメイド長の姿が浮かんでくる。
「あの、気持ちは嬉しいんですけど、大丈夫でしょうか。その、クラールさんにそういう事をしてもらっても」
おずおずと問いかけた私に対し、彼は明るく笑いながら、
「平気だよ平気、このくらい何て事ないさ。それに、僕がついてないとミズホちゃんが城まで来れないかもしれないし」
「えっ、城には何度も行った事ありますし、迷子にはなりませんよ?」
「ああ、そういう意味じゃなくてね」
クラールさんは苦笑しつつ頬を掻きながら言う。
「君一人だと、うちの門番がすんなり通してくれそうにないだろ?」
「……あ」
全くもって、その通りだった。
時刻は少し経過して、店の開店時刻。ドーサックさんに見送られつつ、私はクラールさんと共に城への道を歩いていた。
「そういえば、クラールさんに聞きたかった事があるんですけど」
「ん、何だい?」
「王様って、一体どんな人なんですか?」
特に深い意味のある質問でもなかったのだが、彼はすぐには答えず、腕組みをして小さく唸り始めた。
「うーん、そうだな……まあ、一言でいえば」
「一言でいえば?」
「荒々しい人かな。僕に対しても厳しくて、昔はしょっちゅう怒られてばっかりだったよ。ただ」
そこで一旦言葉を切り、クラールさんは眼前の地面に向けていた視線を空へと移す。そして、どこか遠い場所を見つめているような儚げな表情を浮かべた後、か細い口調で呟くように言った。
「以前はもっと気性が大らかな人だったらしい。母上が亡くなられてから物思いに耽られる事も多くなって、前にも増して気難しくもなったんだそうだ」
思わぬ事実を知らされ、私は言葉を失う。そんな私を気遣ってか、クラールはおどけるように肩を竦め、明るく言葉を続けた。
「ほら、デザートコンテストの話。君もよく知ってるだろ? まだ父上が差し出された菓子に満足した事がないっていうやつ」
「あ、はい」
頷いた私に、クラールさんはコンテストの成り立ちについて話し始めた。元々、デザートコンテストは妻を亡くした王様の心を和らげる為に城の者達が発案した行事だったのだそうだ。しかし結局、心の荒んだ王を癒すには至らず、現在まで続いているのだという。
話を聞いて、私の心には先ほどまでとは異なる種の暗い影がもくもくと渦巻いてきた。
「私で、大丈夫でしょうか……」
下を見つめて呟く私に、クラールさんは慌てた様子で、
「ああ、ごめん。驚かしすぎてしまったね」
と、私の肩をポンポンと優しく叩いてくる。
「でも、ミズホちゃんなら大丈夫さ。実を言うと、僕はコンテストが始まった年に生まれてね……というよりは、母上が僕を産み落として天国へ旅立って行かれたという方が正しいのだけれど。だから物心ついてから、ずっとコンテストの様子は見守ってたのさ。その中でも、君のデザートを食べた審査員達の反応はピカイチだったよ」
「……ありがとうございますっ」
強い激励を受け、私は自身の抱いていた漠然とした不安が少しばかり消えていったのを感じ取る。
――やっぱりクラールさんって、優しいんだなぁ。
先ほどの話を聞いて、彼が母親と離別してしまったという悲しい過去も自ずと察せられた。けれど、彼はその事にほとんど触れず、ただ私を励まそうと言葉を紡いでくれたのだ。だからこそ、彼の為にも絶対に頑張らなければと、私は強い決心をする事が出来た。
そして。
――あれ?
一つのちょっとした推測が、前ぶりもなく。私の中で生まれる。
「つまり、クラールさんは二十五歳なんですか?」
「ん、ああ」
クラールさんは少しだけギクリとしながらも、小さく頷く。
「まあ、そういう事になるね」
「へー、そうだったんですか」
イメージは大学生くらいだと思っていたのだけれど。人は見かけでは分からないものなのだなぁと、私はしみじみと実感したのだった。




