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ありふれた夏の一日  作者: 甘味処
久しく・空しく・麗しく
9/23

(3)

 間宵の隣を歩くアネモネは真面目に真面目を塗り重ねたような、引き締まった顔をしている。退屈そうというわけでも、楽しそうというわけでもない。ガードマンのような真面目くさった顔をしているのだ。


 アネモネというこの男、実は人間ではない。

 沙夜という少女と同様、“きもの”なのである。


 憑きものとは、世間一般で認識されているような幽霊のことではない。一般人には視認できない生物の一種にすぎないわけで、食事いらず、睡眠いらず、という点を除けば人間と特筆すべき違いはない。ただし、敦彦の憑きものである沙夜は食事も取るし、睡眠も取る。むしろ人一倍意欲的だといえる。


 また、憑きものという存在は人間に依存していなければ生活していけない。生きていくための食事がいらないかわりに、特定の人間が持つ特別な力を必要とするのである。そして、特殊な血筋をたどる敦彦と間宵の両名はその特別な力を持っていた。だから藤堂敦彦の元に沙夜という憑きものがいる。簡単にいってしまえば、事情はそれだけのことだ。


 そして、アネモネというこの憑きものは、そもそも間宵がアメリカから連れてきた憑きものだった。かといって、アメリカから持ち帰った郷土品ということではない。二人の間にとても複雑な事情があった。しかし、それはすでに解決している。とにかく紆余曲折うよきょくせつあり、今は間宵のもとを離れ、アネモネはとある女性のもとで生活している。


 アネモネは歩きながら腰を屈めたり、遠くへ目をやったりと、やたら辺りを気にしているようだった。


「なにしてんの? なんか間抜けっぽいよ」

「どこで誰が俺を狙っているかわからない。用心はおこたらない方がいい」

「ふーん。なんか自意識過剰じゃない? アメリカじゃないんだから、そんな過敏になることないのに」


 と冷たくいいながらも、アネモネの好意をこころよく感じていた。以前に彼が原因で間宵は命を狙われたことがあった。彼に恨みはない。むしろ感謝をしているくらいだ。それでも、二度とあんな悲劇は繰り返してなるものかと、彼は意気込んでくれているようだった。


 一見華奢な体つきをしているけれど、アネモネは異常なほど戦闘能力に長けている。特に多人数戦闘を得手えてとしており、どれほど人数差があっても、ばったばったと敵をぎ倒していく。ボディガードとしてはこれほど頼りになる者はほかに類を見ないだろう。


 しばらく歩いてから二人は、急勾配の坂道をくだった先にある公園でゆっくりとすることにした。アネモネを片隅のベンチに座らせて、間宵は声をかける。


「ちょっと、ここで座って待ってて」

「なんだ、慌ただしいな。トイレか?」

「なんかアネモネ、あなたお兄ちゃんに似てきたね。モラルがないところとか……」


 間宵がそういうとアネモネは音を立てずに苦笑した。珍しい表情だ。敦彦と同類にされたこと、もしくはモラルがないといわれたこと、そのどちらかがよほど嫌だったらしい。


 ポケットに二枚の百円玉が入っていたので、公園の傍にある自動販売機で缶コーヒーを二本買った。微糖と無糖。ちなみに間宵が無糖で、アネモネが微糖だ。彼は苦いものを口に含むのを嫌う。


 アネモネの元に戻り、買ったばかりの冷えた缶コーヒーを彼の胸元めがけて不意をつくように投げたのだが、彼は容易に片手でキャッチした。缶コーヒーをキャッチするためだけに洗練されたような最小限のモーションだ。


「サンキュ」本場のアメリカ仕込みというべきか、流暢な英語だった。

「あ、ちゃんとお礼をいえるようになったんだね」

「ふん、まあな。おかげさまで」


 アネモネがしてやったり面でにやりと笑った。これもレアな表情だ。


「それよりもどうしたの? 急に訪ねてくるなんて」

「いや、なんとなくだ。特にこれといった理由はない。迷惑だったか?」


「ううん、全然」アネモネを一瞥いちべつする。「それよりも顔色悪いよ。なんだか疲れてるんじゃない?」

「ふ、主人の憑きもの使いが荒くてな」

「そっか、やっぱり憑きもの……殺してるんだよね」


 彼の主である女性は殺し屋ならぬ“憑きもの殺し”なのだった。つまり、人類が生きていく上で障害となりうる、悪逆な憑きものを殺すことを生業としている。実のところ、間宵が留学中に兄の憑きものである沙夜も彼女の標的とされたことがあったらしいが、間宵はつまびらかな事情を知らない。


「いや、最近はもっぱら家事だな。もしくは英語教師の手伝い。くだらない雑務ばかりだ」

「そっか……」彼の言葉に安心している自分を認識する。「ねえ、アネモネ。わたしのところに戻ってくるつもりない?」


 間宵の要求にアネモネは応えなかった。なので、間宵はそれ以上の言葉をかけるのをやめた。


 耳をすませば遠くで子供の声がする。間宵の耳には「ばばぁー」と聞こえた。愛らしく「パパ」と父親にあまえているのか、口汚く「ババア」と祖母に暴言をはいているのか、そのどちらかだろう。


 先ほどから二人が腰をかけているベンチの前を何人かが通り過ぎている。時折、間宵をきょろきょろとうかがう人がいた。周りから見れば、一人ぽつんとベンチに腰を掛けている孤独な女子高生に見えるだろうか。一般人にはアネモネの姿を視認できないので、間違いなく、ひとりごとをはいているように思われていることだろう。本当のところ、口に出さずとも気持ちを伝える方法が二人の間にはあるのだが、それはやめておいた。言葉にしなければどこか味気がない。


 アネモネが空を見上げて、口を切った。


「そろそろ帰った方がいい。これから一雨きそうだ」

「え。嘘だあ。だってこんなに晴れてるんだよ」


 彼につられて空を見上げたが、どう考えても雨なんてあり得ない。まだ隕石が落ちてきて地球が滅亡するといわれるほうが真実味がある。彼なりのジョークだろうか。


「いや、まだしばらくは大丈夫だが、午後には降りだすだろうな……」

「え、本当に?」彼の言葉を信じるなら、せっかく干した洗濯物を出かける前に取り込んでおかなけばならない。


 それからまた沈黙。アネモネにはトークスキルで女性を喜ばせようとする意志ははなからないらしい。もっとも、そちらの方が彼らしいと、間宵は思った。そんな矢先、アネモネが不意に口を開いた。


「なんだ、お前。今日は職員会議だったはずじゃなかったのか?」


 なにごとかと間宵が横を向けば、アネモネは前方に視線を投じていた。間宵は彼の視線を追うように前方を見やる。


「あ、大榎さん」


 一人の女性が鉄柵を乗り越えてこちらまで歩み寄ってきた。歩くたびに優雅に揺れるプラチナブロンドの髪に透きとおった碧眼へきがん、陶器のように滑らかな肌はさながら西洋人形のようである。だが、彼女は日本人だ。憑きもの殺しの大榎悠子おおえのゆうこ。なにを隠そう、彼女が現在のアネモネの主だ。


 間宵は彼女の婉然えんぜんとした容姿に見とれていた。前に会った時は和服姿だった。和服も抜群に似合っていたけれど、今着用しているスーツもよく似合っている。ピンク色の華美なスーツがここまで似合う日本人女性がいるだなんて思ってもみなかった。


 また大榎の足元にはシェパードのような犬が一匹いる。彼はあずきという名の犬の憑きものだ。あずきとアネモネ。彼女は二体の憑きものを従えているのだ。


「職員会議? ああ、面倒だからサボったの。会議なんてバカらしいものは、好んで時間を浪費したい人だけがすればいいわ」


 彼女が日本人であることを証明するような美しい発音の日本語だ。


「ふん。協調性のかけらもないな」アネモネが鼻で笑った。

「いいのよ。人間関係を維持するための時間よりも、あたしのために使う時間の方が世界的に見ても重要なのよ」


 彼女はアネモネと同じくらいに気ままだ。


「お久しぶりです」


 ベンチから立ち上がり間宵が頭を下げると、大榎は表情一つ動かさずに細長い封筒を突きつけてきた。


「これ、映画のチケット。中に二枚入っている。あの小娘憑きをつれて藤堂敦彦といってくれば?」小娘憑きとは沙夜のことだ。


「……え? 映画?」どういう了見かわからなかったが、間宵は素直にそれを受け取っておくことにした。「ええ、はあ、ありがとうございます」


「なんでお前がこんなもの持っているんだ?」とアネモネ。


「さあ。どうでもいいでしょう、そんなこと」それだけいって、大榎は苛立たしげな表情で空を睨みつけた。まるで太陽に積年の恨みでもあるかのような顔つきだった。「……暑い。とてもむしゃくしゃしてきた。あたし帰る」


 そう吐き捨てると大榎は颯爽とした挙動できびすを返した。この女性は気まぐれなのだ。


「お前、本当になにしにきたんだ?」アネモネが訊く。

「なんでもいいでしょう」

「俺も戻った方がいいか?」

「いいわ、あんたは。もう少しだけゆっくりしてなさい」


 そう述べ、気だるそうに大榎悠子は公園を後にした。終始、美貌を持て余したような機嫌の悪そうな顔をしていたが、最後の言葉を発する時だけは、ちょっとだけ笑っていたように間宵の目には見えた。もちろん、気のせいだったかもしれない。


 それからしばらくアネモネと二人きりの時間を過ごした。けれどそれはもう空虚な時間だった。世間話というべきか、雑談というべきか、いや、会話とはいえなかっただろう。ただ沈黙を、この町の生活音を楽しむための時間であったような気がした。しかし嫌いな時間ではなかった。


「じゃあ、俺もそろそろ帰る」十一時を回った頃、アネモネがすっと腰をあげた。

「うん……また会えるよね?」

「そうだな……」


 ごまかすように呟いただけで、やはり彼は応えない。


「ねえ、アネモネ、映画一緒にいかない? ほら、憑きものは無料で入れるでしょ。だからお兄ちゃんと沙夜ちゃんと一緒に……」

「嬉しい誘いだが、生憎あいにく、夕刻から予定があるんだ」

「だったらせめてうちによってきなよ。お兄ちゃんも会いたがってるよ、きっと」

「敦彦とは学校で夏休みに入る前まで、毎日のように顔を合わせていた」

「あ……そっか」


 英語教師という表の顔を持つ大榎悠子の赴任ふにん先は、敦彦の通う高校なのである。


「それに……ここのところ寝不足なんだ」彼はあくびをしてから間宵に背を向けた。「じゃ、またな」


「あ、眠るようになったんだ……」


 間宵はそう小さく呟いてから、寂寥感せきりょうかんに襲われた。少し頭痛を覚えて、彼女はベンチに座り直す。


 ここに置いてけぼりにされてしまった自分がいる。アネモネとの別れが寂しいわけではきっとない。今までずっと離れて生活していたので、彼がそばにいない暮らしにはそれなりに慣れてきた。ただ……アネモネを目にしたことによって過去の記憶がフラッシュバックしてしまっただけだ。


 アメリカにいた一年間。

 日本に帰ってきてからの数ヶ月間。


 この一年、さまざまなことがあった。

 死んでいく自分と生きている自分。

 生の実感と死との対峙。


 それらを契機に色々なことを学んだ。まず世間知らずな自分がいることを認識した。世界には色々な人がいることを知った。憑きものという生物のことを知った。そして兄の優しさを知った。


 貴重な体験をたくさんしたはずだ。大事な時間だったはずだ。けれど、どうしてだか気持ちが晴れ晴れとしない。


 そうか。出会いと別れを知ってしまったからか。

 唐突な出会いがあって、悲痛な別れがあった。


 間宵は六ヶ月ほど前に友人を亡くしている。彼女は間宵にとって、とても大切な人だった。思い出すと涙が出そうだ。


 気を取り直し、間宵は大榎にもらった封筒の中に入ったチケットに目をやった。これをくれた大榎には悪いがパッケージを見た限り、あまりセンスのいい映画であるとはいえない。特にタイトルが激ダサだ。


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