第三章・記憶 此処に確かにあった記憶
2003年
全ての始まりはこの年であった。全てが狂い始め、未来に至るまでの全てを変えてしまった出来事が起こってしまったのは。
絃城恭介と言う人間の人格を完全に破壊し狂わせ、笹宮遼と言う人間の人生を狂わし、笹宮涼香と笹宮由岐の命を奪い、絃城希実香と今神奏龍と言う人間に大きな喪失感を与えた。
この年は笹宮遼、絃城希実香、今神奏龍の中学校の入学式があった。三人はそれぞれが同じ学校に入るために勉強を努力してきた。そして、その結果に三人全員が同じ学校の同じクラスになることができた。
始まりこそは全ては順調であったように見えた。入学当初の春は三人が上手い具合にクラスに馴染み、夏にはそれぞれが部活動の新人戦である程度の活躍をし、秋には初めて経験する文化祭に全力で打ち込んだ。
当たり前のように、それでいて毎日を楽しんでいた三人。そして、それと同時に高校では涼香と恭介が三人と同じような楽しい日々を送っていた。勿論、最年少の由岐も小学校では多くの友人を作っており、それぞれのスタートは万全であったかのように思えた。
だが、その全てはあのときの一瞬をより残酷に見せるための前座に過ぎなかったのではないかと思わせるような事件が起きてしまう。
その事件の名前が『笹宮一家惨殺事件』であった。
その事件当日、いつものように遼と奏龍と希実香は三人で談話をしながら下校をしていた。そして、笹宮家の前まで来たところで三人は笹宮家の異変に気が付いた。既に日が暮れてしまっているというのにも関らず、家に明かりの一つも灯っていないと言うことに。
遼はそんな自宅の光景に違和感を覚え、笹宮家の玄関のドアを乱雑に開けると中に駆け込んでいった。それに続くように奏龍と希実香も笹宮家の中に入ろうとしたが、笹宮家の中から臭って来る生理的嫌悪感を全身に感じさせるような臭いが鼻を刺激したためにそれ以上前に進むことはできなかった。だから、人が絶命する瞬間を見届けずにすんだ。
だが、遼だけはその瞬間を目撃してしまった。
笹宮家の居間で引き起こされた悲劇の瞬間を。義父、義母が身体の原型を留めぬほどに壁に叩きつけられたと思われる痕を、今まさに義妹である由岐が、腹部から血を流しながら倒れる涼香と駆け込んだきた遼の目の前で泣き叫びながら首を切られる瞬間を………
その全てが遼の眼に、眼球の奥の奥、網膜にこびりついてしまった。
『なんだ……まだ一匹いたのかぁ』
血濡れになったナイフを遼に向けながら、快楽に満ちたりた声を出して近づいていく殺人者を前に、遼の身体は自然に動いていた。
義父が義母が義妹が殺されてしまった。辛うじて生きているのは義姉である涼香だけ。考えるよりも先に足が動いていた。手が動いていた。
―――せめて、涼香姉さんだけでも!
遼からしてみれば殺人犯の動きは流れを汲み取るまでもなく簡単に捌くことのできる程度の動きであった。
桐生よりも遥かに遅く、恭介や奏龍との組み手のときほどの緊張も焦りもなかった。だから、遼は気が付けば殺人犯を壁に叩きつけ、手に持っていたナイフを奪い取り、それを由岐にしたのと同じように殺人犯の咽笛に突き立て捻じ切る様に蹴りを入れた。
そして、遼は胸に感じる謎の熱さに気が付き正気を取り戻した。そこには、深々と突き刺さったナイフが一本、まるで初めからそこにあったかのように刺さっていた。
だが、遼はそれよりも先に床に倒れていた涼香に歩み寄る。だが、その時には既に涼香の呼吸は止まっていた。
その瞬間、遼はとてつもない脱力感と虚無感に囚われてその場に座り込むかのように倒れこんだ。
その時に遼の身体がテーブルに引っ掛かってしまったのだろう。テーブルが派手に転がり、大きな音が家の外まで響き渡った。その音に反応して、中に入ることを躊躇っていた奏龍と希実香は笹宮宅に突入し、音のした部屋に迷わずに駆け込んだ。
そこには、遼が見たときよりも更に絶望的な光景が存在した。壁には遼が見たときと変わらず、人であった何かがブチまけられている。そして床には首からとくとくと血液を流しながら苦痛に染まった表情を浮かべ絶命している由岐が転がっており、その近くにはうつ伏せのまま腹部から大量の血液を流しており、生きているのか死んでいるのかわからないような状態の涼香がいて、左胸にナイフが突き刺さってはいるが僅かに肩を上下させて呼吸をしていることがわかる遼の姿があった。
そして、そんな遼のすぐ目と鼻の先には全身に黒い服を纏った見知らぬ誰かの―――殺人犯の死体があった。
「何だよ…コレ……」
「嘘…うそだ……涼香お姉ちゃん…由岐ちゃん……嘘だよね…ねぇ、おきてよ」
その時『俺』のなかで何かが弾ける音と共に全てを思い出した。
2006年 病室
「どうです。辛い記憶でしょうけど思い出せましたか?」
病室のベットの上で眼を見開いている遼に向かって、少女……羽森結衣は尋ねる。
「思い……出した。そうだ…あの時、俺は助けられなかったんだ……それで、都合の良い夢に逃げて……そこでも、希実香に気が付かされて――――」
だが、遼は結衣の問いには答えずに放心したかのように言葉をぶつぶつと口にする。しかし、結衣はそれを答えとみなして話を続けることにしたようだ。
「その様子だと思い出したようですね。それが貴方の本来の記憶です。それと、貴方は自分で思い出してしまったんですね……夢のセカイのことを」
どうせ聞こえては居ないのだろう、そう思いながらも結衣は話を続ける。返答が返ってくるということは期待せずに。
しかし次の言葉を結衣が口にしようとしたとき、ぼそりと遼は呟くような声で結衣に尋ねるかのように言葉を口に出す。
「羽森……答えてくれ。在るべきセカイってのはなんだ? 涼香姉さんと由岐が殺される世界が在るべきセカイだって言うのかよ……」
そして、始めの呟くような声から一変して怒声のような声で遼は結衣に問う。
「なあ、どうなんだよ……なぁ、答えろよ!」
そんな遼に対し、結衣は物怖じせずにただ一言を遼に聞かせるかのように呟く。
「……機械的因果律」
その真剣みを帯びた声に遼は言葉を返すことを忘れ、無言で聞き入る。先ほどまで荒ぶっていた心の波は無かったかのように落ち着き、遼は冷静を取り戻した。
「それは因果律に干渉をすることのできる者たちの中でも、たった一握りの人間にしか持ち得ない世界を変える力です」
「……なあ、要するにそれはなんなんだ?」
落ち着いた状態の遼は、言葉の意味を察しきれずに口を挟む形で結衣に質問をする。それに対し、結衣は嫌な顔を一つも見せずに丁寧に答えた。
「簡単に言うのなら『過去』に赴き『現在』と『未来』を変える事の出来る能力を持った人間のことです。要するに媒介を必要にせず、ある程度の時間の流れを行き来することができると言うことです」
「時間の流れを行き来する……タイムマシン的なものを使わないで過去に戻ることができるとかそう言う意味で大丈夫か?」
結衣は遼の質問に対して小さく頷くと話を続ける。
「その者たちの総称を機械的因果律干渉体と言います。ですが、機械的因果律干渉体には絶対に破ってはいけない決まりが一つあります。それが自分自身による直接的な死の回避です」
「自分自身による直接的な死の回避……?」
「はい。私達はそういった行動を取ることによってセカイからの死への集束運動によってその時代で死んでしまいます。そう、私の父は二人の子供を助けてしまった為に死んでしまいました」
そこで、結衣は自分の大切な者を見るような眼で遼を見てから告げた。
「どうか…父の救いたかった者は救われて欲しいです。だから…遼さん、貴方が恭介さんを救ってください。きっと父もそれを望んでいますから……」
遼はその時に気付いてしまった。羽森結衣と言う少女の父が誰のせいで死んでしまったのかと言うことに。
「その人はなんて言ってた……最後はどんな表情をしてた?」
だから聞かずにはいられなかった。
「笑っていました……幸せだったって。後悔はしてないからって……父は最期まで―――」
その時、遼の頬を伝って生暖かい液体がベットの上に零れ落ちた。気が付けばボロボロとそれは零れ落ちていた。
「―――先生………!!」
「だから遼さん……私に手を貸してはくれませんか?」
結衣は今にも泣きそうな表情で遼に手を差し出す。
その差し出された手を遼は払いのけることなどできない。何故なら、結衣の願いは桐生の願いであるから。
それを断ってしまっては、遼は一生後悔するであろうから。
だからその手をしっかりと握り締め、言葉にする。
「ああ……俺からも頼む。……俺は、何をすれば良い―――いや、分ってるさ。俺は、恭介を止める」
その瞬間、世界を形成する因果律が大きく傾いた。
此処から先は結衣にも解らない世界。在るべきセカイに向かうために、二人の一歩は大きな一歩となった。
機械的因果干渉体は在るべきセカイを望んでいる。
だから機械仕掛けの神なんて必要ない。此処に存在のは機械的因果律干渉体の少女と何の変哲も無いただの少年達だけ。
誰も知らない新たな世界を目指し、終章への扉を開くのだった。
第三章完『To be continued』
次章タイトル『Ein anderer HeldⅡ』
英雄の後編です。
それではまた今度