第三章・記憶 その二
執務室
久我峯桐生は悩んでいた。先ほどは恭介と遼に新しい門下生が来るということだけを伝えたこと……それだけならば、桐生は特に悩む必要は無かった。
だが、実際には新しい門下生が来ると同時に恭介と遼の里親候補が面会に来ることになっていたのだ。
そこで桐生は悩んだ。
―――本当に俺はそれで良いのか?
桐生は恭介と7年間、遼とは3年と言う時間を共に過ごしてきた。共に過ごしてきた時間が長ければ長いほど、その想いも比例して大きくなっていく。
―――俺は、あいつ等の親になってやるんじゃなかったのかよ?
恭介と遼を此処に連れてくるときに桐生が言った言葉が、自分の心に深く突き刺さっている。
「迷うこたぁねぇだろ桐生……俺はあいつ等の『居場所』になってやったし『親』にもなってやったじゃねぇか」
自分を納得させるように、桐生は一人で作業用の机の前に座って呟く。
「いつまでも……こんな生活が続くはずがねぇんだ。出会いがあれば別れもある……師匠も言ってたじゃねぇか」
まだ昼時だというのに、桐生の執務室は日の光が一切入っていないためにほんのり薄暗い。
その時、孤児院の方の来訪者を知らせる電子ベルの音が執務室に響いた。そして、インターホンから女性の声が聞こえてきた。
『あの、入門希望の者ですけどどなたかいませんか?』
桐生はその声に反応し、インターホン越しに返事をする。
「あ、はい。今そちらに向かいますんで少しお待ちください」
何時もと変わらぬ口調で、返事を終えた桐生は椅子から立ち上がると来訪者のいる方の玄関に向かう。
「まあ…少しくらい悩んだって良いか……」
孤児院・事務室
桐生が孤児院の玄関に向かうと、そこには二人の母親らしき人物と父親と想われる人と、四人の子供がいた。その子供のうち三人が女の子であり、一人だけが男の子であった。
桐生は立ち話をするにしては人数が多すぎると判断し、その場にいた三人の大人を事務室に案内し、子供達は恭介と遼が普段生活をしているスペースに移動をさせた。
子供達の移動を終えた桐生は親御さんが待っている事務室に急いで戻ると、ソファーに座って待っていてもらった三名の親御さんに挨拶をする。
「どうも、初めまして。久我峯桐生と言います。今日の御用時は入門の件と、里親の件についいてでよろしかったですね」
そう言ってから桐生は、自分の接客用ソファーに腰をかけた。
「では、どちらからお話しましょうか?」
「では、先に道場に入門したいという方からお願いします。よろしいですか、久我峯さん」
初めに口を開いたのは、三人の中で代表者の男性であった。
「えっと、今神さんでよろしかったですよね?」
「ええ、私は今神宗太郎です。気軽に呼びやすい方で呼んでください。これから息子の奏龍がお世話になるんですから」
名前の確認を終えた桐生は一度、呼吸をしてから再び口を開いた。
「では宗太郎さん……いえ、そちらのお二方にも確認しておきますが、どのような武を磨かせたいですか?」
「どのようなとは……?」
桐生の言葉に対し、不可解であるといった表情で聞き返してきたのは宗太郎の左に座っていた女性である。
「貴方は笹宮雪香さんでよかったですよね?」
「ええ、笹宮雪香といいます……あと、こちらは絃城凛ちゃんですよ」
それが何か? そう言いたげな眼で桐生を見ながら雪香は答える。
「では雪香さん。簡単に言いますと、勝つための拳と負けないための拳……貴方ならどちらを選びますか? いえ、御三方はどちらを選びますか?」
「あの、勝つためと負けないためと言うのは同じ意味ではないのでしょうか?」
そう尋ねてきたのは絃城凛であった。
「それは少し違うんです。勝つと言うことは相手の今まで積み重ねてきたものを無かったことにするということです。つまり、負けないための拳とはその積み重ねてきたものを失わないためのものです。もっとも、コレは私の持論なんですけどね」
少しだけ自嘲を含んだような声で桐生はそういう。
「待ってください、久我峯さん。それは子供達が自分自身で決めることではないのでしょうか?」
今までの桐生の言葉を聞いていた宗太郎が桐生に向かってそういったのだ。
すると、桐生は少しの間を空けてからその言葉に答えた。
「では、子供達の自主性を尊重するということで良いんですね?」
桐生が声を少しだけ低くしてそう尋ねると、宗太郎、雪香、凛の三人は無言で頷いたのだった。
それを見た桐生は別段何を考えることも無く、その話題を終わらせた。
そして、つい先ほどまで悩み続けていたことを質問するために、その口を開いたのだった。
「では、里親の件についてですが―――」
久我峯院・生活スペース
恭介と遼は、自分達以外に久しぶりに見る同年代ほどの子供達の姿を見て若干だが戸惑っていた。
何故、恭介と遼が戸惑っているのかと言うと身形の違いのせいであった。二人が着ているものは少し年季を感じるがまだまだ使えるといった程度の服であり、その反面、その子供達が着ている服は皺一つ無いまだまだ新しい服であるからだ。
だが、恭介と遼は桐生に対して何かを言おうと思うことはなかった。彼等にとって桐生とは父親であり居場所であるから。
そんな風に戸惑っていた恭介と遼に、その子供達の中で一番背の高い女の子が二人に向かって声をかけてきた。
「キミたちも一緒に遊ばないかい? みんなで遊んだほうが私は楽しいと思うんだ」
さらりと、黒い髪が窓から入ってきた風でなびく。
「ゆきも…みんなであそんだほうがおもしろいとおもう。ねぇ、そうりゅうはどう思う?」
それに続くように、黒い短い髪をした遼よりも年下の女の子が、にへらと笑ってその隣にいた遼と同じくらいの身長で同じくらいの年の男の子に同意を求めた。
「僕も涼香姉さんと由岐と同じ考えだよ。希実香はどうだと思う」
そして、男の子は笑顔でいる女の子の頭を撫でながら、同じくらい良い笑顔で恭介と遼に向かってそういった後、隣にいる女の子に尋ねるように聞いた。
「私も……遊びたいな」
「と、言う訳だ。どうだい、奏くんも希実香ちゃんも由岐も、もちろん私もだけどキミたちと仲良くしたいんだ」
そう言って、涼香は恭介と遼に向かって手を差し出す。
「ダメかな?」
そして、その気丈な表情に少しだが弱気な表情が混ざる。
だが、恭介と遼は誘いが嫌だったわけではなかった。むしろ、彼等二人にとっては救いのような言葉であった。
だから、次には二人はほぼ同時に口を開いていた。
「「ダメじゃない!」」
同じことを同時に口から出した恭介と遼はお互いの顔を見ながら、にやりと笑いあう。
そして、呟くのだ。
『昔は関係ない、大事なのは今なんだろ』と。
「え、えっ?」
先ほどまで気丈に振舞っていた涼香は二人の突然の笑みに若干戸惑ってしまった。だが、恭介と遼の笑顔を見て、その戸惑いも直に消えてしまったようだ。
「オレは、恭介。よろしくな」
「俺は、遼。よろしく」
その日から涼香、希実香、奏龍、由岐の四人が久我峯院の仲間となった。
恭介と遼はその日から変わった。共に笑いあい、話し合って、喧嘩して、学校に通って、そして泣きあって、初めて人を好きになった。
桜が咲き誇る春が過ぎて、太陽が燦燦と輝き皮膚を焦がす夏が終わり、紅葉を迎えた樹木の葉が舞い落ち、寒さに凍えながらも温かかった冬を超え、そして二年が過ぎた。
そんな春のある日の朝、恭介と遼に突然の別れが訪れた。
「恭介、遼……お前等は明日から此処じゃない場所で暮らしてもらう事になった」
桐生からの突然の知らせであった。
「でも、まあ安心しろ。恭介は希実香の家で、遼は涼香と由岐の家で暮らすんだ。今の今まで教えなくって悪かったな」
そんな突然の知らせに、恭介と遼は泣きそうであった。だが、二人は気が付いてしまった。そんな自分達以上に、桐生のほうがずっと辛そうで、今にも泣いてしまいそうな顔をしていることに。
「おい、どうしたんだよお前ら。泣きたい時は泣いても良いって教えただろ……」
最後の最後まで桐生の顔は笑顔であった。だが、その心は泣いていたように見えた。
「ダメだ先生……だって、俺達以上に先生が辛そうなんだから……泣きそうな顔してるから」
恭介は涙を堪えながら、ほとんど声にならない声で言うのだ。
そして遼もまた、桐生に答えるように口を開くのだ。
「分ってたんだ…いつか此処を出ることになるんだろうなぁって……けどさ、俺。先生にあえて…先生に見つけてもらって本当に良かったって思ってるんだ。だから、先生……俺、先生には笑ってて欲しいんだ。先生は間違ったことなんて一つもしてないんだから、いつもみたいに俺達と接してくれよ…先生」
最後の方は既に鼻水やら色々な物が出ていて言葉になっていなかったが、遼の言葉は桐生に響いていた。
「そうだなぁ……別に、二度と会えねぇ訳じゃねぇんだよな。そうだな、俺が泣いてちゃお前等も笑って出て行けねえよな」
桐生はそう言って、自分の腕で乱雑に瞼を擦るとすっと立ち上がる。
「さあ、最後の稽古でもしようじゃねぇか」
桐生のその顔にはもう、寸分の迷いも悲しみも残ってはいなかった。
そこにあるのは師であり先生であり、そして父親であった桐生の笑顔と、門下生であり孤児であり、桐生の息子であった恭介と遼の心からの笑顔があった。
「「今日こそ先生に勝ってやるからな」」
「そんじゃまぁ、卒業試験といきますか!」
その日、恭介と遼は父親であった桐生の全てを思い出に変えたのであった。




