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—エニシ—  作者: 酢橘
第1巻

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第十八話 出立の街 ハルネ

第十八話 出立の街 ハルネ


 朝の町は、いつもより少しだけ静かだった。


 けれど、広場の端には人が集まっている。


 パリーが、大きな袋を背負って立っていた。


 その隣にはシャナイがいる。


「本当に行くんだね」


 ミーナが小さく言った。


 パリーは少し困ったように笑う。


「うん」


「また、手紙届けるの?」


「うん」


 以前より、返事は少しだけはっきりしていた。


 それでも声は優しい。


「ちゃんと届けてくるよ」


 ミーナは頷いた。


「気をつけてね」


「ありがとう」


 パリーは照れくさそうに笑った。


 少し離れたところで、シャナイはその様子を見ていた。


 茶化すことはしない。


 ただ、静かに見守っている。


「パリーさん」


 そこへリサがやって来た。


 手には、革で作られた小さな鞄を持っている。


「これ、使ってください」


「え、いいんですか?」


「手紙を入れるためのものです。雨の日でも少しは守ってくれますよ」


 パリーは両手で受け取った。


「ありがとうございます」


「大事な手紙ですから」


 リサは柔らかく笑う。


「濡らしたら大変ですものね」


 続いて、ガンツが歩いてきた。


 大きな手には折り畳まれた紙が握られている。


「ほら」


「これは?」


「道中で食える草と、食うなって草を書いといた」


 パリーは紙を開く。


 そこには簡単な絵と短い説明が並んでいた。


「すごい……」


「字だけじゃ分からんだろ」


 ガンツは鼻を鳴らす。


「腹を壊したら旅どころじゃないからな」


「ありがとうございます」


「間違っても赤い斑点のやつは食うなよ」


「はい」


「シャナイ、お前もだぞ」


「俺は道草は食わないんだ」


 周囲に笑いが起きる。


 ドーマは小さな包みを持っていた。


「こちらもどうぞ」


 中には細い紐、小さな針、火打ち石、布切れなどが入っている。


「旅先では、こういうものが意外と役に立ちます」


 パリーは目を丸くする。


「こんなに……」


「余りものですよ」


 ドーマは穏やかに笑った。


「でも、あると助かるものばかりです」


「ありがとうございます」


「使わずに帰ってこられるなら、それが一番です」


 最後にミリアが、ずっしりとした袋を差し出した。


「ほら、持っていきな」


「これは……」


「保存のきくパンと、少しの食べ物だよ」


 ミリアは腰に手を当てる。


「腹が減ったら歩けないだろ」


「ありがとうございます」


「礼は帰ってからでいいよ」


 ミリアはにっと笑った。


「ちゃんと食べて、ちゃんと帰ってきな」


 パリーは袋を抱え、何度も頭を下げた。


 孤児院の子供たちも集まっていた。


「パリーお兄ちゃん、また手紙届けるの?」


「うん」


「迷子にならない?」


「……ならないようにする」


「そこはならないって言ってよ!」


 子供たちが笑う。


 パリーもつられて笑った。


 その笑い方は、以前より少しだけ柔らかかった。


 カルマは少し離れた場所から、その様子を見ていた。


 パリーは町の人たちに囲まれている。


 渡されたものはどれも大げさなものではない。


 けれど、一つ一つにその人らしさがあった。


 リサの鞄。


 ガンツのメモ。


 ドーマの雑貨。


 ミリアの食べ物。


 それらがパリーの旅を少しずつ支えている。


「カルマさん」


 隣にオーファが立っていた。


「オーファ」


 オーファはパリーたちの方を見ている。


 その表情は穏やかだった。


「良い出発ですね」


「うん」


 カルマは頷いた。


「みんな、ちゃんと見送ってる」


「そうですね」


 少しの沈黙があった。


 広場では、子供たちがパリーの袋を覗き込んでいる。


 シャナイはそれを見ながら、少し後ろで笑っていた。


「カルマさん」


 オーファが静かに言う。


「はい」


「色んな人に会ってきてください」


 カルマはオーファを見る。


「色んなことを見てきてください」


 オーファの声は、いつもと同じように優しかった。


 けれど、その言葉には少しだけ遠い響きがあった。


「そしてまた帰ってきてください」


 カルマはすぐには答えなかった。


 オーファは旅を勧めているのではない。


 命令しているわけでもない。


 ただ、知っているのだと思った。


 外へ出ること。


 誰かに会うこと。


 知らないものを見ること。


 そして、帰ってくること。


 その全部を。


 カルマは広場を見る。


 パリーがミーナに何かを言われて困っている。


 シャナイが少し離れて笑っている。


 町の人たちは、それぞれの顔で二人を見送っている。


 ここに来たばかりの頃、カルマは何も持っていなかった。


 知り合いもいなかった。


 名前を呼んでくれる人もいなかった。


 けれど今は違う。


「……ちょっとだけ」


 カルマは小さく笑った。


「見てきます」


 オーファは頷いた。


「はい」


 それだけだった。


 それで十分だった。


 パリーが荷物を背負い直す。


「そろそろ……行きます」


 少し緊張している。


 けれど、足は止まっていなかった。


「行ってらっしゃい」


 オーファが言う。


 子供たちも一斉に声を上げた。


「行ってらっしゃい!」


「手紙ちゃんと届けてね!」


「お土産も!」


 賑やかな声に、パリーは何度も頷いた。


 そして歩き出す。


 シャナイもその後ろへ続いた。


 少し進んだところで、シャナイが振り返る。


 その視線はカルマを見ていた。


「遅かったな」


 カルマは思わず笑う。


「まだ何も言ってないよ」


「顔に出てた」


「そんなに?」


「かなり」


 シャナイは肩をすくめる。


「来るなら早くしろ。パリーが緊張で固まる」


「固まってないよ」


 パリーが振り返る。


 けれど少しだけ肩に力が入っていた。


 カルマはオーファを見る。


 オーファは優しく微笑んでいる。


 行ってらっしゃい。


 そう言われた気がした。


 カルマは小さく頭を下げた。


 そして、パリーたちの方へ歩き出す。


「お待たせ」


「待ってた」


 シャナイが軽く笑う。


「待ってないよ」


 パリーが言う。


 けれど、その顔は少し安心していた。


 カルマはその横に並ぶ。


「じゃあ、行こうか」


 三人は町の外へ向かって歩き出した。


 背中に、たくさんの声が届く。


「行ってらっしゃい!」


「気をつけて!」


「ちゃんと食べるんだよ!」


「草は間違えるな!」


 カルマは振り返らなかった。


 けれど、その声はちゃんと聞こえていた。


 町の道を抜ける。


 見慣れた建物が少しずつ後ろへ遠ざかっていく。


 それでも、不思議と寂しくはなかった。


 オーファは、三人の背中を見送っていた。


 リサも。


 ガンツも。


 ドーマも。


 ミリアも。


 子供たちも。


 町の人たちも。


 誰かが帰ってくるのを待つ場所。


 誰かを送り出せる場所。


 オーファは静かに微笑んだ。


「私にとっても」


 小さな声だった。


「ここは、そういう場所なんです」


 風が吹く。


 町の入口で、子供たちの声がまだ響いていた。


 カルマたちの姿は、少しずつ遠くなっていく。


 けれど、その道は確かに続いていた。


 第一巻 完

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