第176話:銀級への跳躍と、ささやかな晩餐
ガル・ラサームの冒険者ギルド『砂の牙』に、信じがたい沈黙が降りていた。
カウンターに転がされた、悪魔族の指揮官の割れた魔導認識票。
それが意味する「二千の軍勢の完全消滅」という現実を前に、ギルド長バルガスをはじめとする手練れたちの思考は、完全に停止していた。
カイトはその沈黙を破るように、自身の金属プレートを指先でトントンと叩いた。
「……判定。脅威の完全排除に伴う、この街の防衛インフラへの貢献度の算定を要求する。これほどの社会的不備を未然に防いだのだ。速やかにプレートの更新手続きに移行しろ」
「あ、ああ……。おい、すぐに手続きだ。この街を救った男を、いつまでも銅級に据え置いておくわけにはいかねぇ」
バルガスが我に返り、震える声で受付嬢に指示を出す。
受付嬢は真っ青な顔のまま、カイトから受け取ったプレートを専用の魔導具へと差し込んだ。
チリチリと魔力の紋様が激しく書き換わっていく。
昨日、鉄級から銅級へと上がったばかりのプレートは、中位ランクである銅級の枠を一瞬で飛び越え、上位冒険者の証である『銀貨色の輝き(銀級)』へと変色を遂げた。
「……ランクアップ、および特別防衛報酬として大金貨三十枚。確かに受領した」
カウンターに並べられたずっしりと重い大金貨の山を、カイトは無表情のままジャージのポケットへと収めていく。
カイトの持つ万能の権能『創造魔法』には、厳格な【等価交換】のルールが存在する。
魔法を創るなら「感謝」、悪を裁く力を創るなら「悪意」。そして、現代の利便性の高い物質を創るなら「お金や価値の釣り合う物質」が必要となる。
現在、敵の殺意を燃料にする『悪意』の力は使えないが、こうして地道な不備の解消によって得た正当な「お金」の蓄えがあれば、必要な時にいつでも、相応の現代の品物を等価交換で具現化するリソースとして機能させることができる。
手元の財貨が大幅に潤沢になったことを確認し、カイトは踵を返した。
「カイト様、これで当分の間、宿代にもご飯代にも困りませんね!」
リアがジャージのポケットを叩きながら、嬉しそうに耳をバタバタと揺らす。
「ふん、当然の報酬よ。これだけの働きをしたのだから、もっとふんだくっても良かったくらいだわ。さあカイト、これだけお財布が温かくなったのなら、今夜はもっとマシな宿に泊まりましょう」
エルザが調律杖を小脇に抱え、満足そうに赤い瞳を細めた。
「……いや、無駄に贅沢な宿を選ぶのは非効率だ。だが、これまでの過酷な環境下における実地研修を経て、二人の肉体疲労度は蓄積している。……判定。本日獲得した財貨の一部を、栄養価の高い食事の確保、および個々のコンディションの最大化のために投資する」
カイトの言葉に、リアの目が一瞬でパッと輝いた。
「えっ……! じゃあ、今夜は美味しいご飯が食べられるんですか!?」
「……肯定だ。行くぞ」
四輪駆動車に乗り込み、カイトたちは街で一番評判の良い、それでいて落ち着いた佇まいの宿屋へと向かった。
――その夜、宿の一室。
テーブルの上には、地元で採れた新鮮な肉や野菜を使った砂漠の豪快な料理が並んでいた。だが、カイトはそれだけで満足しなかった。
「……これより、栄養素の最適化を行う。……等価交換」
カイトが手元のコインを数枚、空間に消滅させると、淡い光とともにテーブルの真ん中に『現代の冷えた極上サイコロステーキ』と『完熟した果物の盛り合わせ』、 shadow を落とす『最高級の葡萄ジュース』が音もなく具現化された。
「わあぁぁ……! なんですかこれ、すっごく良い匂いがします! お肉がとっても柔らかいです!」
リアは目を丸くしながら、具現化されたステーキを頬張り、幸せそうに尻尾をブンブンと左右に振った。
「あら、粋なことをしてくれるじゃない。こちらのジュースも、この世界の安物とは比べ物にならないくらい濃厚で美味しいわ。ふふ、たまにはこういう贅沢も悪くないわね」
エルザも優雅にグラスを傾け、満足そうに赤い瞳を細めている。
「……味覚の充足は精神の安定に直結する。二人とも、明日の移動に備えてしっかりと栄養を摂取しておけ」
カイト自身も、汚れ一つないジャージの袖を少しだけ捲り、静かに料理を口へと運んだ。
悪意という劇薬に頼らず、限られた手札と財貨を理詰めで回すストイックな旅路。
だが、その足元を支える三人だけの温かな晩餐の時間は、砂漠の冷える夜を静かに、 shadow を落とすように、そして確かに満たしていった。
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