第142話:最深部の錆と、職人の領域
緑色の魔導石の鍵が回ると同時に、目の前の重厚な石扉がズズズと音を立てて左右に分かれた。
途端に、生温かく湿った空気が三人の顔をなでる。
通路の壁には、世界樹の太い根が脈動するように這っていた。だが、その表面には緑の光はなく、まるで古びた鉄パイプのように赤黒い「錆」のような物質がびっしりとこびりついている。
「……うわぁ、何ですかこれ。なんだか変な匂いもします……」
リアが鼻をひくつかせ、ジャージの袖で口元を覆った。彼女の鋭い嗅覚には、この場所がどれほど長期間放置されていたかが、痛いほど伝わっているようだった。
「……判定。魔力の不純物が結晶化し、根の表面を覆っている。人間の街で言うところの、下水管の詰まりと同じだな。……エルフどもは数千年間、一度もここを掃除していない」
カイトは躊躇なく、その不気味な通路へと足を踏み入れた。
漆黒のジャージの「環境適応」機能が働き、周囲の不快な湿気や臭気を瞬時に遮断していく。
「数千年も放置されてたら、そりゃ大樹も悲鳴を上げるわよ。……ねえカイト、これ、本当に私たちの手作業でどうにかできるの?」
エルザが調律杖の先で、壁の赤黒い錆を恐る恐るつつく。
カツン、と硬い金属音が響いた。ただの汚れではなく、完全に石のように凝固している。
「……等価交換の基本は、元素の把握だ。……どれほど硬化していようが、元は魔力の残滓と大樹の分泌液が混ざった有機物に過ぎない」
カイトは通路の突き当たりにある、巨大な球体の前に辿り着いた。
それこそが、里の全域に魔力を送り出す心臓部――世界樹の『命の核』だった。
だが、その美しいはずの核は、今や赤黒い錆の地層に完全に埋もれ、不規則にドクン……ドクン……と苦しげな脈動を繰り返している。
「よし、作業を始めるぞ。……二人とも、手筈通りに動け」
カイトは頭の中で所持金から対価を支払い、必要な構成元素を強くイメージした。
ジャージのポケットから取り出したのは、現代の職人が使うような、頑丈なスチール製の「ワイヤーブラシ」と「スクレーパー(削りヘラ)」、そして高濃度の「酸性洗浄液」が入ったボトルだった。
「何よその道具、相変わらず見たこともない妙な形ね……。で、私は何をすればいいの?」
エルザがボトルを受け取り、怪訝そうな顔をする。
「……エルザ、その洗浄液を錆のひどい部分にピンポイントで少量ずつ撒け。大樹の組織を傷つけないよう、魔力で液体の範囲をコントロールしろ。……リアは、液が馴染んで柔らかくなった箇所を、そのヘラで力任せに削り落とせ」
「了解です、カイト様! ……これ、結構力が要りそうですね。ふんっ!」
リアは身体強化の魔力をまとい、スクレーパーを両手で握って、壁の錆に突き立てた。
ガリッ! と激しい音が響き、洗浄液で脆くなった赤黒い塊が、ボロついた剥製のように剥がれ落ちていく。
「……よし、いい出力だ。仕上げは俺がやる」
カイトは剥き出しになった大樹の本来の皮膚へ向けて、ワイヤーブラシを強く押し当てた。
シュッ、シュッ、と規則正しい金属摩擦の音が、薄暗い最深部に響き渡る。
彼がブラシを動かすたびに、こびりついていた数千年の怠慢が削り取られ、その下から、エルフの王宮のものよりも遥かに清らかな、透き通ったエメラルドグリーンの光が溢れ出し始めた。
「……っ、凄い……! 魔力の流れが、一気に軽くなっていくのが分かるわ!」
エルザが驚きの声を上げる。彼女の呪われた魔力回路さえも、この場所が浄化されることで、心なしか痛みが和らいでいく感覚を覚えていた。
カイトは額に大粒の汗を滲ませながらも、無表情のままブラシを動かし続けた。
魔法による一瞬の奇跡ではない。
地道で、退屈で、しかし最も確実な「職人の手作業」が、数千年の呪縛を少しずつ、確実に削り落としていく。
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