36.第二皇子2
ルヴィンが遠征に出向くとは。政治に関わらないはずの皇后の発言にしては、何やら確信のある発言だ。
「まあ、そのような動きがあるのですか? 心配ですわ」
不安がっている表情で、エレノアは手で口許を覆った。
ルヴィンが遠征に行くから、エレノアが皇太子妃として何をしても無駄になる、とは不穏極まりない発言だ。ルヴィンを排除するつもりと言っているようなもの。
皇后は傲岸に言い放つ。
「あの方はジッとしていられないようですから。皇帝陛下の補佐を務めることよりも、剣を振り回し、敵を追い回している方がお好きなようね」
まさか。そのようなわけがない。
帝都までの道中、ルヴィンは思いがけず過激な一面を見せたが、戦場での彼は決してそうではなかった。
エレノアの生家グレイヴス公爵家は、皇家のため、不穏の芽があれば東奔西走するのが役割だった。ていのいい使い走りだ。だからこそ、なんとなく察せられる。
ルヴィンは魔道士として優秀であるのをいいことに、あちらこちらと戦線に駆り出されているのだろう。
イゾルデとの戦争の起こりからしておかしかった。これも彼を中央から引き離そうという思惑の一つなのかも知れない。
「あなたもすぐお国に戻ることになるかも知れないわね」
「母上、そのような冷たいことをおっしゃらなくとも」
第二皇子は立ち上がると、悠然とこちらに歩いてきた。ふわりと紅茶の香りが動く。第二皇子は、エレノアのそばに立った。
上背のあるアンセルムは、近くに来ると威圧感がある。
クリフォードの方が背も高く、騎士らしい体つきをしているが、部下であるから抑圧を覚えたことはないし、今思えばルヴィンからも圧力を感じたことはない。
身分や指揮官としての実力からして、他者に重圧感を与えてもおかしくないのだが、不思議とそういうことはなかった。
否や、不思議なわけではない。彼はエレノアに対してそういう態度を取らなかっただけだ。
戦場での初対面で食い違った時意外は、彼は常に控えめに、エレノアを恐れさせないように振る舞っていた。
エレノアはアンセルムを見上げて、微笑む。
つまらない男だ。
エレノアの内心などまったく気がつかず、アンセルムは鷹揚に笑みを返してくる。泰然と言った。
「万が一のことがあろうとも、私は和平を望んでいます。別の手段もありましょう」
視線の含む意味を察して、エレノアは気分が悪くなった。
ルヴィンに何かあった場合、政略結婚の道具として、第二皇子に嫁ぐというのはあり得る話だ。
そもそもエレノア自身、公爵家の後継として、いつか政略結婚をすることになるだろうことは分かっていたから、そのこと自体については今更どうこう思わなかった。
しかしこの親子とつながりが出来るというのは、いけ好かない。
ルヴィンの――あの皇太子宮での襲撃があった夜、不安そうにエレノアを気遣っていた様子を思い出す。捨てられるのを恐れる子供のようだった。
皇后は吐き捨てるように言う。
「こちらへの道中、あなたも大変だったようね。あのような不吉な赤い目だから、何かひきつけるものがおありなのかしら。恐ろしくて、見たくもないわ」
果たして、病弱な皇女はいつまで、どれくらい病弱でいるべきなのだろうか。
エレノアは思案する。皇后がルヴィンを嫌っていたところで、エレノアを害するものでなければ、反撃する必要はない。
イゾルデを不利に導くことはできないし、自分の立場を悪くするのはよろしくない。そのはずだが、皇后に迎合するのは不快だった。
「ご安心下さい、皇后陛下。わたくしが、きっと高貴なお世継ぎを生んでさしあげますわ」
ルヴィンの子など望んでもいない皇后に、エレノアは微笑んで見せた。
「宵暁の煌を持つ子を」
イゾルデ帝国でも、ヴォルネス帝国でも、皇家で最も高貴とされる色がある。
イゾルデの金髪、ヴォルネスの銀髪。そして、瞳の色。
それは太陽と武の女神の持つ、燃えるような赤金の瞳でも、月と知の女神の持つ、きらめく青銀の瞳でもない。
「何よりも重んじられるのは、紫の瞳ですもの」
宵暁の煌。夜明けの色。夕闇の色。二人の女神の調和の色とされる。
エレノアは、自身の紫の瞳を細めて微笑んだ。
イゾルデの皇族たる金髪と紫の瞳を持つエレノアは、まさしく正統な皇家の血筋である。――本物のアデラインも同じだ。だからこそ身代わりとしての役割が成立した。
皇帝の直系でなくとも、グレイヴス公爵家はそもそも皇家と濃い血縁関係にある。
皇后が瞳の色のことでルヴィンを貶めるのは、彼女自身の息子も、ヴォルネス帝国の皇族の証と言われる瞳の色を持っていないからか。
にもかかわらず、より劣っていると思うようなルヴィンを踏みつけようとしている。
そんなことでしか、さげすむことができないからか。少しでも相手に痛みを与えたいからか。その両方なのだろう。
ルヴィンは、エレノアに――病弱な皇女のアデラインに「そのように生まれたことは貴方の責任ではない」と言った。それはひるがえって、自分自身のことではなかっただろうか。
王家の特徴を持たないどころか、不吉と言われる赤い目で生まれたことも、彼の責任ではない。
武を持たない故に透明な扱いを受けるアデラインのことも、赤い目であるがために不吉と言われるルヴィンのことも、それを押しつける周囲に腹が立った。
無邪気に微笑むエレノアの発言を、どう受け取ったか。皇后は奥歯を噛みしめる音が聞こえそうなほど、険しい表情でエレノアを見た。
それからにっこりと、満面に怒りをにじませた笑みを形作る。
「それは、楽しみね」
腹の奥からしぼりだすような声だった。




