27.見せかけの弱さとその裏
エレノアのつぶやきに応えるかのように、相手が短剣を突き出してくる。エレノアは身軽に除け、腕を両手で掴むと、そのままへし折った。グッとくぐもった声があがった。
「そんなに腰が引けていては私は殺せないぞ」
相手が短剣を取り落としたところで、さらに踏み込み、ためらいなく肘を顔にたたき込む。骨の砕ける感触がしたが、そのまま突き出した。相手の首が強烈な力に圧され、ゴキリと音を立てる。
エレノアは力をなくした体を放り捨て、短剣を拾いあげた。先程、壁まで蹴飛ばした最初の一人に投げ、心臓を正確に貫く。
接近を許してしまった割に、体は動くようだ。エレノアは息をついて振り返った。
窓から一人逃げようとしている。
「逃がすか」
ここは淑女の寝室だ。多少無茶をしても他の者の目がない。
気配は察せられるだろうが、誤魔化しようはあるだろう。いい加減に、皆に守られるのは息が詰まって仕方がなかった。少しばかり羽根を伸ばさせてもらおう。
エレノアはひとつ、大きく息を吸った。
その体が青い炎をまとう。ぶわりと寝室の中を風が巻き起こり、エレノアの髪と寝間着の裾がはためいた。
賊が戸惑う気配がしたが、エレノアは躊躇しなかった。逃がすわけにはいかない。
「結婚を控えた淑女の寝室に侵入したのが運の尽きだな」
殺さずに黒幕を聞き出すべきなのだろうが、戦う姿を見られては口を封じねばならない。
エレノアの周りに、青い光をまとう剣の形をした剣気が現われる。七本の実態のない光り輝く剣が、エレノアを取り巻いた。青炎の暴君の二つ名の由来である、青い剣気だ。
そしてエレノアの紫の瞳が、青く光る。
自分の手や、まわりをとりまく光の色を見て、エレノアはひとまず満足の息を漏らした。
どうやら、剣気を操るのに問題は無さそうだ。
「オーラブレイド……まさか、ソードマスター!?」
想定外すぎる事態に、人影が後ずさる。
このまま思い切りやっては、皇太子宮を破壊してしまう。オーラブレイドを出現させはしたが、これで攻撃するつもりはない。ただの瀬踏みだ。
エレノアはグッと拳を構えた。
青炎を握りしめ、ふりかぶって相手に対して突き出す。炎はうねりながら放たれ、部屋の中を光で満たした。
容赦ない炎は賊の体を焼き、あっさりと消し炭に変える。
同時、扉が勢いよく開いた。
「アデライン殿下!」
クリフォードが駆け込んでくる。
「遅いぞ」
エレノアは振り返る。エレノアのまとっていた剣気がかき消えた。
「剣を!」
鋭く命じる。クリフォードは顔に疑問符を浮かべながら腰の剣を抜いた。暗殺者達はもう全員床に倒れ伏していて、もはや敵はいない。
「オーラブレイドはやり過ぎです。運動不足解消してすっきりしたみたいな顔しないでください」
「力試しをしたかったからな」
この環境でどの程度力を発揮できるかどうか。
言いながらエレノアはクリフォードから剣を奪い、足元に倒れた暗殺者の背に突き刺した。
「何事ですか!」
その瞬間、別の者が部屋に駆け込んできた。皇太子宮の騎士達だ。
エレノアはその場に座り込んだ。顔を覆ってブルブルと震える。
はあ? という顔をしたクリフォードの膝の裏を、皆から見えない様に殴りつけた。ガクン、となったクリフォードは、暗殺者に突き刺さった剣にすがりつく。
床に座り込み震える皇太子の婚約者、倒れ伏す暗殺者達、その暗殺者に剣を突き立てた護衛騎士、という図に、駆け込んできた騎士達は束の間立ち止まった。
「これは……!」
驚きの声を上げる。暗殺者の死体が転がって、血であちこちが汚れているだけではない。エレノアが剣気をつかったせいで、部屋の中がめちゃくちゃになっていた。
どうやら、エレノアのことは疑われていない。皇太子宮の騎士を口封じするわけに行かないから、あぶないところだった。
その騎士達をかきわけるようにして、ルヴィンが駆け込んでくる。
「アデライン殿! ご無事ですか!? 剣気の気配がしましたが」
「……はい。クリフォード卿が助けてくださいました」
エレノアは顔を手で覆ったまま震える声で応えた。
まさか誰がアデラインが剣気を使うなどと思うだろうか。エレノアの誘導に、誰もがクリフォードがオーラを使って敵を倒したと思っただろう。クリフォードは他の者に見えない角度で、エレノアに渋い表情をして見せる。
ルヴィンはエレノアの側に膝をつき、そっと言った。
「お怪我はないのですか? 血が……」
「わたくしは傷一つありませんわ」
ルヴィンは安堵したように溜息をついた。
「ミクソン卿。本当にありがとう」
「殿下をお守りするのは当然の責務です」
クリフォードは立ち上がり、エレノアの側から身を引いた。そして胸に拳を当てて頭を下げながら、静かに、だが強い声で続けた。
「まさか皇宮で、殿下の寝室に賊の侵入を許すなど、城の警護はどうなっているのですか」
ルヴィンは険しい顔でクリフォードを見た。しかし口を開く前に、寝室の扉の方から騒ぎが聞こえる。
「殿下!」
騎士達の制止をふりほどき、メイザー夫人が駆け込んできた。騎士達同様、部屋の惨劇を見て息をのむ。しかしそれは束の間、すぐさまエレノアの側に駆け寄ってきた。
ルヴィンの存在をものともせず、エレノアを守るように肩にそっと手を置く。
そしてメイザー夫人は、エレノアを抱きかかえるようにしてキッと顔をあげた。
「これは、どのような状況なのですか? アデライン殿下は、皇太子殿下の婚約者であり、イゾルデ帝国の皇女ですよ。皇宮にやってきてまで、このような扱いを受けるなど、イゾルデ帝国との約定を破棄なされるおつもりですか! アデライン殿下をお守りいただかないと!」
クリフォードよりも踏み込んだことを言い放った。
いち侍女が皇太子にもの申すなど、あってはならない。しかし、メイザー夫人の言うことはもっともで、この状況の核心を突くことでもある。
エレノアでなければ死んでいた。政略結婚は終わり、イゾルデはヴォルネスへの侵略の大義名分を持つことになる。
ルヴィンは神妙に頭をさげた。
「あなたの言う通りです。私の落ち度だ。本当に、ご無事で良かった」
ここでこれ以上口論したところで、何も変わらない。暗殺者に侵入されたことはルヴィンの不手際だが、彼が企んだことではないだろう。何か言わねばならない。場を収集して、さっさとふかふかのベッドに戻りたい。
しかし、エレノアは震える手を口許に当てたまま、動くことが出来なかった。
――ああ、これは良くない。
帝都の城壁に入ってから、ずっと頭の内側が揺さぶられるような感覚があった。
目を閉じると、眼球がぐるぐると回るような気持ち悪さに襲われる。大きな怪我を負い、血を大量に失ったときのような、床に吸い込まれるようなめまいとは違う。
皇宮に入ってから、息苦しさが増したのは分かっていた。
いつもならスッと遠くまで伸びるような、空気に溶け込みどこまでも通る神経の感覚があるのに、それが遮断されていた。手足をもぎとられたようで、不快で不便で、めったにない感覚が不穏だった。侵入者の気配に気付くのが遅れたのもそのせいだ。
「殿下、いかがされました?」
ここへ来る道中もそうだったが、メイザー夫人はとても目敏い。
エレノアの病弱なフリには慣れているはずだが、そうでないときは必ず気づいた。
「なんでもない」
アデラインとしての仮面を落としてしまった。エレノアは普段通りの口調で応えてしまい、唇を引き結ぶ。言い直さなければ。この場を取り繕わなければ。
しかし目が回る。
これは良くない、思った時には、体から力が抜けていた。地面にぶつかる前に、誰かに抱え上げられるのが分かる。
見慣れた栗色の髪。クリフォードだ。
誰よりも見知った相手に気が緩み、その一瞬の油断ですべての虚勢が剥がれ落ちる。
エレノアは、そのまま意識を手放した。




