第9話 髪、結ってくれない?
更衣室にたどり着いた時、アキが出入り口のところに一人でいて、ララと私を見るなり開口一番に謝った。
「ごめん!! 甲斐が変なこと言って気分悪くなったでしょ。あとで、私からもきつく言っておくからね。本当にごめん」
「葉月が謝る必要はないわ!」
私もそうだと思った。アキは優しすぎる。同じ部活仲間だからといって、代わりに謝る必要はない。
「……甲斐はさ、陸上部だから、上位でゴールしたかったんだと思うよ。マラソンする前に、私にも『1位どっちが取れるか勝負しない?』と焚き付けてきたくらいだし……。だから、それを承諾した私にも責任があるよ。本当にごめん」
「ふんっ。葉月、頭を上げて! もういいわ。あたしの振る舞いも悪かったし……。というか、甲斐が謝りに来なさいよ! それより、早く着替えたいから更衣室に入っても良いかしら? 真子奈と二人きりになって、されたいことがあるの」
「ええっ!?」
ちょっ。ララ。変な言い方するから誤解されるじゃん!
アキは目が泳いでいた。
「……ご、ごめん。ごゆっくりー」
ほら! なんか変な解釈されてる!
そそくさと、私たちの前から姿を消すアキ。更衣室に入ると、他の女子生徒はいなくて……本当に二人きりになってしまった。
「ちょ、ララ!」
「ふふっ。だって! ああでも言わないと、葉月ずっと申し訳なさそうな顔してたと思うし……。それより真子奈! 早く着替えて、あたしの髪結ってくれない?」
「はいはい」
甘い雰囲気はなく、くるりと背を向けて、お互い体操服から制服に着替えだす。二人きりだからだろうか。異様に背中に熱を感じた。
「……終わったー?」
ビクッ。
「……終わったよ。そっち向いていい?」
「うん。良いわ」
ララの方を振り向くと、長い髪をきれいに垂らしたまま、にっこり笑っている天使がいた。私に黒い髪ゴムを差し出している。見惚れる心の余裕もなくて、さり気なく目を逸らす。
ララの髪に付いていたゴミは、ある程度きれいに取られていた。しかし、前髪のところに白いゴミが付いているのが見えた。
「あっ、ゴミ」
「えっ、どこどこ? 取って!」
ララが優しくまぶたを閉じる。ドギマギしながらも、ゆっくりとゴミを取ると「ありがとう」とお礼を言われた。
「……じゃあ、そこに座ってくれる?」
私がベンチを指さすと、ララは素直に従った。安心し切ったように私に背中を向けてくれる。
ポーチの中からクシを取り出した後、ララの髪に、いざ触れようとして一瞬、手が止まる。
「……触っても良い?」
「? うん」
許可を貰って、初めて触れるのを許された気になった。
ララの髪にクシを通すと、途中で滞ることもなく軽やかに抜けた。何度か繰り返したあとクシを置いて、髪を二つに分ける。一つずつ髪を結うと、シャンプーの良い香りがした。密室にいるせいか、香りがやけに気になって、頭がくらくらした。
「きゃっ」
「ごめん! 痛かった?」
強く結びすぎてしまったのだろうか。ララが小さな悲鳴を上げる。
「違うの。首に当たった髪の毛がくすぐったかったの。続けて……」
私はたまらなかった。気持ちを落ち着かせようと、ゆっくりと息を吐いて、ララに聞こえないように唾を呑む。
思えば、誰かの髪の毛を結ったのは初めてだった。当たり前だけど、自分のポニーテールを結う時よりも緊張する。
「……これでどうかな」
少し不格好だけど、初めてにしては上出来だろう。
ララがいつもしているツインテールに近い髪に結うことができた。
手鏡を渡して、ララに髪型を確認してもらう。満足げな表情を見て、やっとホッとできた。
「真子奈、ありがとう!」
「どういたしまして」
ストレートにお礼を言われると照れたし、嬉しかった。ほのぼのとした雰囲気の余韻に浸る暇もないくらい時間はすぐに過ぎる。
お昼ご飯を食べるために、急いで二人で更衣室を出た。
先を行くララが急に止まり、私の方を振り返る。
「もし……」
「えっ?」
真剣な目をしていた。
「またこんなことがあったら……。髪の毛を解かれるようなことがあったら……また、真子奈が結ってくれる? お願い」
第三者が聞いたら、何気ない会話だと思われただろう。しかし、私には何か特別な意味があるように思えてドキドキした。
「……うん。良いよ」
高鳴る胸を抑えながら、いつも通り返事をする。
そこから先は、二人教室に戻るまで会話がなかった。だけど、先を行くララが少し歩みを抑えてくれたのが、私の中で強く印象に残った。