第五話
この《夢の世界》にいる魔物から人々を守るために魔導士が集まった集団。それが、この《夢の世界》では《ギルド》と呼ばれていた。
国家ギルド《迷宮》。
それがリーシャが所属し、弟子になったユウトがなし崩し的に所属することとなったギルドの名前だった。
総勢は三十名余りという、この《夢の世界》では小さな方に部類されるギルドらしいが、実力は折り紙つきの屈強どもが集まり、中々有名らしい。
《迷宮》のギルドマスターは気さくな人で、身元不明のユウトが《迷宮》に入るのを二つ返事で承諾した。
何か、言われるだろうと身構えていたユウトだったが、これには流石に拍子抜けした。
ここ、《リスト》は、街の端には《迷宮》の本部が存在し、中央には昨日、ユウトとリーシャが戦った闘技場が位置していた。
《リスト》の形も円であり、闘技場と同じく円周に値する部分に高い壁が立ちはだかっている。
闘技場だけが古代ローマ風の造りなのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。街全体がそういう造りになっており、闘技場の周りには、様々な出店が開かれている。
その中で、ユウトはリーシャと出店をひやかしながら、歩いていた。
幸い、昨日、リーシャとの戦闘やゴブリンから受けた傷も魔法で治療したため、ユウトの身体には傷ひとつとして残ってない。
だが、ユウトの身体には受けた傷のしこりのようなものがあった。
痛覚を刺激しているわけではないので痛くはない──が、少し気持ち悪い。
まあ、魔法も万能じゃないのだろう。
そう自身の中で締めくくったユウトの鼻が、お店から流れてくる香ばしい匂いに、ひくひくと動く。
リーシャが隣で何か喋っているが、ユウトの意識はそちらに移っていた。
「……というわけで、ユウトは《探求者》であることを隠さなきゃいけないの。わかった?」
「えっ……」
ユウトの意識が不意にリーシャとの会話に戻り、思わず素っ頓狂な声が出る。
その反応で、リーシャは今までユウトが上の空だったことに気付いたのか、ジトッとした視線で見る。
「ちゃ────んと、聞いてた?」
「き、聞いてた、聞いてました。ほ、ほら、あれだろ。アリスのせいだろ」
あたふたとした態度で答えるユウトに、リーシャは疑うような視線を送る。
「まあ、いいわ……そうよ。アリスがこの《夢の世界》を大きく変えてしまったせいで、確かにこの世界の文化水準は上がったし、良いことも沢山あったわ。でもね、その反面で、悪いこともあったせいで、ユウトのような外の人間である《探求者》に良くない感情を持っている人も多いのよ……それこそ、殺したいほどに、ね」
最後の一言を脅すように言うリーシャに、ユウトはぶんぶんと首を縦に振る。
「わ、わかった。絶対に言わないように気付けるよ」
ユウトの返答に、リーシャは満足気に微笑む。
そこで、ふと疑問が湧き上がってきたユウトはそれを口にした。
「……そう言えば、リーシャはオレの事を《探求者》だとわかったんだ?」
「ユウトの態度よ」
「……態度?」
聞き返すユウトに、リーシャは微かに笑みを浮かべる。
「そう、態度。ゴブリンや私の魔法を見たとき、ユウト、わけがわからないっていう顔をしてたでしょ。だから、よ」
「……たった、それだけで……」
「まあ、伊達に師匠は名乗り出ただけの実力は持ってないわよ」
得意げにリーシャが、ふふんと笑う。
しかし、何か不安なことがあるのか、その整った顔が神経質なものへと変わった。
「……あと、絶対にユウトは《夢の法則》を使えることは、言っちゃだめよ」
首を傾げるユウトに、リーシャが説明を加える。
「……《夢の法則》を使うことが許されている人間は、探求者もしくは探求者の血を引くものと決まっているからよ。探求者を恨む人がいる以上、ばれるのはなるべく避けた方が良いわ」
リーシャの言葉にユウトは再び大きく頷いた。
だが、恐らくそれだけではないだろう。
《夢の法則》とは、理不尽な力そのものだ。
イメージの具現化とは、それだけで恐ろしい力だし、私利私欲のために使える力を人に知られてしまったら──どうなるか、考えるのは難しくない。
その時、ユウトの心の中に違和感がよぎった。
小さな小さな、ごく僅かなもの。
それは言葉となり、ユウトの口が言葉を紡ぎ出した。
「……勘違いかもしれないけど、リーシャの話と聞いていた《夢の法則》とオレが使ったものはなんか違うような気がするんだ」
「……どういうこと?」
「《夢の法則》の本質は、イメージの具現化だけど……オレが使った《夢の法則》は何らかの制限がかかってたんだよ……きっと、アリスが使ったものとは違う……まるで、《夢の法則》がオレにも使えるように、適応しているような……」
ユウトの声は次第に尻すぼみになり、やがて消えていった。
何を馬鹿なことを、私のことが信じられないの。
そう、リーシャが言い返してくるに違いない、と覚悟した後、ぽつりと紡がれた言葉を聴覚が捉えた。
「……私にも《夢の法則》の事はよくわからないの。いや、そもそも《夢の法則》を使える人が圧倒的に少ないし、普通探求者は百年に一人位の割合で来るから……正直この世界全体でも分かってることはごく僅かなの。だから、私はユウトの疑問に答えてあげることが出来ない……本当は、あんな力はない方が良いんだけどね……」
リーシャがどこか悲しそうに呟いた。
何か言うべきだと、口を開く──が、女の子とこのような状況に生まれてこの方一度も陥ったことがないユウトは、ただ口をぱくぱくと動かすだけだった。
と、その時。
「何がない方がいいのかしら?」
快活な声がユウトとリーシャの背中に掛けられ、二人は同時で振り向いた。
そこに立っていたのは、ひとりの女性だった。顔は白く、腰近くまである髪は漆黒に染まっている。
スレンダーなリーシャと違って、女性的な部分はふくよかな身体つきで、顔はリーシャとは系統が違うものの、美人の部類に確実に入るだろう。
もちろん、ユウトにはこの《夢の世界》に知り合いがいるはずもない。ということは、この女性は必然的にリーシャの知り合いとなる。
リーシャはその麗人をちらり、と見た後、何とも言えない微妙な顔をする。
そして、ぶっきらぼうな態度で言葉を返した。
「なんでもないわよ、ローザ……何か用?」
「あら、リーシャつれないこと言わないでよ…………あ、もしかしてお邪魔だった?」
そのリーシャに、ローザと呼ばれた佳麗な女性はユウトに視線を向けた後、顔に悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
それで、黒髪の麗人が何を言わんとしたのかリーシャは察したのか、さして表情を変えることなく、さらりと言い放った。
「ローザ、アナタが今、考えていることなんか全くないわよ……ユウト、こっちはローザよ。付け加えると《迷宮》のメンバーよ」
「さらに付け加えると私はリーシャの仕事上のパートナよ。よろしく、ユウト君……それで、あなた達は恋人でもないのにここで朝からデートしてるのかしら?」
その言葉に、リーシャが大きく溜息をつく。
「やっぱり、そんなことを考えていたのね……ユウトは私の弟子になったから、色々と教えていただけよ」
へぇーと声を出しながらローザがじろじろとユウトを見つめる。
その品定めするような視線にユウトは、居心地の悪さを感じる。
その幼い頃から見慣れた視線に、ユウトは失意の色が浮かぶのを予想した。
だが。
ローザは、さっと視線をユウトから離すとリーシャに向き直った。
「……なんとなく、わかったわ。アナタがこの子を選んだ理由……それにしても、《鬼神》リーシャが弟子を取るなんて意外ね」
「……き……しん……?」
それはいったいどういう字で書くのだろうか。と、考えを巡らすユウトの思考をリーシャの不機嫌な声が遮った。
「ローザは余計なことは言わなくていいの! それでアナタが私達に話しかけるということは、何かの依頼の協力が必要なのね」
ほんとにつれないわねー、とぼやきを漏らしながらもローザと名乗る女性は言った。
「実はね、ここから数百キロ離れたところで、およそ三百人の探求者の発見されたのよ」
「え、探求者がそんなに!」
「な、三百人!」
リーシャとユウトが同時に叫び、顔を見合した。
探求者──つまり、自分と同じ世界から来た人間が大勢いるということだ。
しかし、リーシャが言うには探求者は百人にひとりの割合でしか、この《夢の世界》に来ないはずなのに。どうして?
ぐるぐるとユウトの中に疑問が渦巻き──そして、あることを思い出した。
ユウトがこの異世界に来る前に、散々噂になっていたもの。予言だ。その内容は確か、「二〇二〇年人類は長き眠りにつく」で……。
待てよ。
ユウトの中で二つの言葉が蘇る。
『眠り』と『夢』。これは、果たして偶然の一致なのか。
もしかしたら、全て予言で示されてたんじゃないのか。
この《夢の世界》に来ることが、最初から決まっていたとしたら──。
「……どうしたの、突然黙ったりして? 大丈夫?」
リーシャが心配そうな表情で、ユウトの顔を覗く。その奥では、ローザが小首を傾げ、ユウトを見ている。
ユウトは取り敢えず、その思考を頭の片隅へと追いやり、応えた。
「大丈夫だよ……それで、ローザさんは、リーシャに何を協力して欲しいんですか?……もしかして、探求者の保護とかですか?」
ユウトはその疑問を口にしながら、心の中で一蹴した。
それは、余りにも腑に落ちない。
ユウトは、自分がゴブリンに襲われた時やユウト自身と戦った時だけでも、リーシャの強さの底を計ることは出来なかったし、純然たる速さでも、どこまで速くなるか全く分からなかった。
恐らく、リーシャはこの《夢の世界》全体で見てもかなり強い部類に入るのだろう。
そんなリーシャを引っ張り出してまで、それをやらすのは不自然だ。
だが、ユウトの疑問は、ローザの続けられた言葉で霧散した。
「ユウト君が考えていることはもっともだけど、残念なことにまだ話は続いているの……その探求者の多くが魔物に襲われたのよ。生き残ったのはおよそ五十人。現在も襲われてて、予断も許さない状況よ」
「えっ……じゃあ、私に頼みたいことって……」
リーシャの言葉に、ローザは大きく頷いた。
「そうよ。私と一緒に魔物を討伐して欲しいの」
《リスト》の南西に位置する神殿の中。
ユウト、リーシャ、ローザはその中を奥に向かって歩いていた。
ユウトの腰には、リーシャから渡された剣が一振り。
服も、同じくリーシャが渡したもので、それには魔法による強化が施されていくらしく、その辺の鎧よりは頑丈らしい。
だが、こんな薄い布で攻撃から身を守れると言われても。と、内心は不安で一杯で呟くユウトは、ちらりと周囲に視線を向けた。
周りの壁が金色に輝き、日光を反射するその光景は、余計に神々しさを増しているように見える。
中には七つの偶像が置かれ、壁には様々な壁画が描かれている。
長年、絵を描いてきたユウトにとって、その壁画はとても興味深く、じっくり見たいのは山々なのだが、残念ながら神殿の奥に行軍している目的はそれではない。
リーシャが言うには魔法を使うためらしい。
なぜ、そこで神殿に行くのかは分からないが、リーシャのことだから何か理由があるんだろう。そう得心し、ユウトは歩き続ける。
ローザ、リーシャにつられ神殿の奥へと進むユウトの目があるものを捉えた。
台座の上に置かれた七つの偶像。
六つの偶像が、一つの偶像を取り囲むように並び、跪いている。
全て偶像から翼が生えており、それぞれが別々の道具を持っている。
杖、剣、本、斧など何でもありのようだ。
しかし、ユウトはそれに僅かな違和感を感じた。
普通であれば、偶像として崇められるものは、神様などの崇拝されるものだ。
だが、それはどこか人間味が残っており、全てが少年、少女のようにも見えた。
「あれは、この《夢の世界》を統べる七人の神様の偶像よ」
リーシャがユウトの視線に気づいたのか、横から説明を加える。
「神様……がこの世界にはいるのか?」
ユウトは冗談めかして言ったつもりだった──が。
「そうよ。私、会ったことあるし」
リーシャが大真面目な顔で頷く。
それで、冗談の境界線が分からなくなったユウトは、押し黙った。
目的地には、神殿の入り口から十分ほど歩いたところで到着した。
入り口からは相当離れており、日光が入ってくることはない。
だが、代わりに辺りの黄金の壁に備え付けられている松明に、真っ青な火が灯され、明かりに困ることはなかった。
目的地。
そこには巨大な石が置いてあった。
その石は五色に輝き、光を放出し、周りには円柱がそれを囲むように立っている。
円柱には華麗なオブジェクトが施され、ここが神聖な場所であることを意識させるような造りになっている。
ユウトは、その巨大な石におそるおそる触れた。
その五色に輝く温かい光は、ユウトの中に入って、一部へと変わっていく。
途端に朝から動き回った身体が僅かに回復したような気分になる。
「ここに、何をしに来たんだ? まさか、この光を浴びに来たわけじゃないだろう。確かにこの光を浴びると少し身体が楽になるけど……」
疑問を口にするユウトに、リーシャが答える。
「そのまさかよ……この石は魔宝石と言って、中には大量に魔力が含まれているのよ。身体が楽になるのはそのせい。今から使う転移魔法は魔力使用量が大きいから、この魔力を使わしてもらうのよ」
そうリーシャが答え、輝く石を指さす。そこから、放出される光──それが、おそらく魔力なのだろう。
当然、ユウトが住んでいた世界に魔力などあるはずもない。
だが、ユウトは魔力の感覚を肌で感じていた。
それは、ユウトの一部であり、また空気中に溢れているものなのだ。
気のせいか、身体にまとわりつく空気の密度が、いつもより濃いような気がする。
「その転移魔法で移動して、今から魔物を倒しに行くんだけど……いい、ユウト。ここから先は、死と隣合わせの世界よ。覚悟は良いわね?」
リーシャの言葉に、ユウトはこくりと微かに震えながら頷く。
「それならいいわ。じゃあ、これからユウトが生きるために必要なことを教えるから、ちゃんと覚えなさい」
「い、今、ここでか?」
「当り前よ……もう時間もほとんど残ってないんだから」
無理だ。
その言葉をグッとユウトは飲み込んだ。
今、この瞬間も何人もの探求者が襲われているかもしれないのだ。
自分がここで、時間を取ってリーシャとローザを遅らせるわけにはいかない。
続けられるリーシャの言葉を一字一句逃さない気持ちで、ユウトは真剣に耳を傾けた。
リーシャが説明したのは、この夢の世界の魔法のことだった。
この夢の世界において魔法の使用方法は大きく二つに分けられる。
一つ目は、呪文詠唱型──この異世界にアリスが刻印した呪文を詠唱することによって、その効果を発動させる方法だ。
リソースは主に体内の魔力を使うこととなる。エネルギーの放出、召喚、変化などはこちらの分類され、攻撃用の魔法は高い威力を持つ。
多くの魔導士はこちらを使い、いかに多くの高位の呪文を暗唱することができるかが戦闘での鍵となることが多々あるようだ。
二つ目は、魔力付加型──空気中に存在する魔力や体内の魔力を、身体や武器に付加することによって自身の強化やその性能を向上させる方法だ。
こちらは、威力自体はそこまでではないが、利便性に富んでいる。
奇襲などには空気中の魔力をかき集め、障壁をつくることはおろか、跳ね返すこと、何より瞬時に発動することができるらしい。
以上のことを、マックス早口かつ丁寧に説明したリーシャは、大きく肩で息をする。
「……だいたい、こんなところだけど分かったかかしら?」
「む、理論は分かったような気がするけど、これじゃあ実戦で使えないぞ」
「それはそうね。そもそも、詠唱型の魔法は呪文を知らなきゃ意味ないし」
じゃあ何のために教えたんだ、と愚痴っぽくなる思考を、続くリーシャの言葉が遮った。
「それでも、魔物の方は魔法を使ってくるし、知識はあった方が良いわ。それに、魔力付加型の方は、ユウトにも魔力の流れをイメージをするだけで使えるわ」
魔力の流れ。
果たして、そんなものが自分は感じるどころか、扱うことが出来るのだろうか。今まで、魔力に一切関わったことがない自分が。
いや、違うんだ。出来る、出来ないじゃない。やらなくてはいけないのだ。
そうじゃないと、自分はあっけなく死んでしまうのだから。
ユウトの思考を読んだかのように、リーシャが口を開く。
「……大丈夫よ。いざという時は私がユウトを守るから」
リーシャの黒色の瞳の奥に、決意が詰まった激情の炎がちらりと蠢いたようにも見えた。その瞳にユウトの意識が吸い込まれるように感じ──。
「はーい、スットプ! 勝手に二人の世界に入らない!」
不機嫌そうに、今まで放置されていたローザが口を尖らせる。
その声に、リーシャがはっとした表情になり、ぎゅんと音をたてユウトから顔を背ける。
そのリーシャの行動に、ローザが表情を一転し、苦笑する。
「なら、《ビーストテイマー》である私もユウト君を助けるから安心していいわ。ここにいる二人は、この世界で最高クラスの実力よ」
《ビーストテイマー》という割には魔物の一匹も連れていないローザが、えへんと胸を反らすと、それによって女性的な部分が強調される。
ユウトはさして何も考えることなく、それをぼんやり見ていると。
がつんっ。
リーシャが思い切り、ユウトの足を靴の上から踏みつけ、絶対零度の視線を浴びせる。
その視線に怯え、声を上げぬまま悶え苦しむユウトを放置し、声まで冷たく鋭いものでリーシャは喋った。
「もう時間がないわ。早く行きましょう」
ローザが頷くと、それを合図にして、リーシャとローザが両手を掲げる。
続けて、その口から音を紡ぎ始める。
そのソプラノの音に呼応するように、両手の前に魔法陣が徐々に空間に刻み込まれるかのように現れる。
周囲の空気の密度が途端に薄くなり。
巨大な石の光が微かに点滅し。
そして──。
「「転移!」」
その二人の声を境に、三人を青白い光が包みこむ。
直後、ユウトの視界が溶け、大きく変わった。




