第四話
どうしてこうなったんだっけ?
ユウトは少女から渡された剣が入った鞘を腰につけ、その華奢な身体に耐久性を誇る服を身に纏い、心の中でぼそりと呟いた。
闘技場の中。
下には砂が敷かれ、およそ半径五十メートルの円という構造であり、円周に値する部分には高く壁が立ちはだかっている。
壁は巨石で造られているようで、その闘技場は、ユウトに古代ローマのコロシアムを彷彿とさせた。
その中で、辺りには観客ひとり居らず、ユウトは闘技場の中で桜色の髪の美少女と二人きりで、対峙していた。
ユウトと同様に少女は鎧類を一切付けることなく、右手に金色の剣を握っている。
美少女と二人きりというシチュエーションは、高校一年生のユウトには、少なからず心躍る状況だ──その美少女がユウトに剣を突き付けていなかったら、の話だが。
「さあ、始めるわよ」
その少女はユウトに金色の剣の切っ先を向け、そう宣言した。
その刀身は淡い光で包まれている──少女が言うには、剣の刃を消すため、だっただろうか。
同じ処置がユウトの剣にも施されている。
「ちょ、ちょっと待てよ。なんで、こんなことをしなきゃいけないんだよ!」
「言ったでしょ、アナタに強くなる資格があるか、試してあげるわ」
その少女は真剣な眼差しで、ユウトの瞳を覗いた。その少女の黒い瞳から見えるのは、全てを吸収しそうな深淵なる闇で、少女の考えを読むことは出来ない。
強くなる資格。
それが、いったいどんなものかは分からない。
だけど、恐らくそれは、自分に欠けているものだ。同級生に負け続け、一度も勝つことが出来なかった自分には。
改めて、それを目の前に叩きつけられる必要があるのだろうか。
分かりきった結果など惨めに感じるだけだ。それでも、俺はやるのか?
「……やってやるよ」
ユウトは感情を押し殺し、その少女をキッと睨んだ。
剣の柄に右手を添え、重心をやや前に乗せる。
張り詰めた神経が、周囲の情報を事細かく読み取るのを感じ、その中で必要な情報だけを選別し、頭に叩き込む。
しかし、その少女は睨まれたにも関わらず、ユウトのその表情と気構えに、満足気に微笑を浮かべる。
瞬間、まだ一合も打ち合っていないのに、少女の包む空気の質が一変するのをユウトは本能で感じた。
「──来なさい!」
その少女の言葉を合図に、ユウトは地面を蹴り上げた。
剣の柄に添えた右手に力を籠め、一気に引き抜く。その剣の刀身が露わとなり、白銀に煌めく。
現在では、最弱の剣術の使い手と呼ばれている霧神家だが、一応昔からの武士の名家に値する。
その名家で育ったユウトは全く、真剣を見たことがないわけではない。とは言え、真剣を手に取り、扱うのは初めてだった。
手の中で、その剣は確かな重量感を持ち、ユウトにはそれが相手を傷つける武器であることを嫌でも感じさせる。
地面を駆け、その少女との間合いを詰めたユウトは、竹刀よりもさらに重いその剣に、腕を取られないように全身で踏ん張りをかけ、真横に一閃した。
その間に、少女は一切動こうとはしなかった。まるで、ユウトがどのように戦うのか、観察するようにただじっと見つめていた。
ユウトが振り下ろした剣は、少女の腹部に吸い込まれるように、空中で軌跡を描き──
ガキイイイイン、と衝撃音を辺りに撒き散らし、剣が跳ね返される。
途方もない衝撃がユウトの両手を襲う。
ユウトの視界に、シャボン玉のような桜色の障壁に包み込まれた少女が映る。
ゴブリンの剣閃を跳ね返した時と同じ現象。
それが何かはユウトには分からない。
だが、それを突き破らない限り、ユウトに勝ち目はないことは理解していた。
剣が跳ね返されたユウトは、身体を少し仰け反らせし、その少女の目の前で決定的な隙を見せる結果となった。
「今度はこっちから行くわよ」
その少女はそう高らかに宣言し、微笑を浮かべると、金色の剣を薙いだ。
剣が空を切る音がユウトに聴覚を刺激し、その額を掠め、黒髪を何本か切り落とす。
──速すぎる。
ユウトの両目には、その剣筋を全く捉えることが出来ないでいた。
そもそも、淡い光で剣の刃は消してあるはずなのだ。それなのに、髪を切り落とすとは、尋常じゃないぐらい速い。
慌てて、距離を取るユウトに、その少女は追撃を与えようとしなかった。
追撃が出来なかったのか、はたまた余裕の表れか。
そう判断したユウトの頭に、突如ピリッとした感覚が走った。
ゴブリンの時と同じ感覚。
ユウトの視線が、桜色の髪の少女に向けられる。その少女の口が何かを刻むように高速で動かされ──微笑んだ。
直後。
少女が突き出した左手が輝いた。
いや、正確には左手の前に桜色に輝く円が出現した。
魔法陣というのだろうか。ユウトには読むことが出来ない文字が、その桜色の円の中に綴られている。
この《夢の世界》でユウトが何度も目にしてきた不可解な現象の一つ。
しかし、この現象はゴブリン達が口にしたため、ユウトは鮮明に覚えていた。
魔法。
確かにゴブリン達はそう表現した。
だからと言って、名前がわかったところでユウトには対処しようがないのだが。
しかし、これだけは言える。
恐らく魔法を発動するには、ある程度、時間が必要なのだ。
そうでなければ、開始直後に連射すれば良いのだから。
この攻撃が終わった時、その時が一番の隙になる。そう、ユウトは内心に刻みつけ、前を向いた。
刹那。
少女の澄んだ声が闘技場の中に響き渡った。
「爆発せよ!」
その少女の声が響くと同時に、爆音がユウトの聴覚を叩き、次々とユウトの周囲を飲み込むように爆発していく。
その中でユウトは周囲に必死に視線を走らせる。少女までの道筋を探そうとするが。
…………隙がない。
そう認識した瞬間、ユウトをも爆発が飲み込んだ。
爆風に身体を煽られ、ユウトの身体は吹き飛ばされる。
幸い、少女が手加減してくれたのか、少女が渡してくれた服のおかげか、ユウトの身体は爆発に巻き込まれたにも関わらず、怪我ひとつできた様子はない。
地面に片膝を着きながら、その少女との圧倒的な実力差を見せつけられ、ユウトは低く呻いた。
強い。
魔法を使わずとも。今まで竹刀を交えてきた同級生の誰よりも。
俺に霧神流を指南してくれた祖父よりもその少女は強かった。
ユウトは、少女とたった一合交えただけだったが、確信していた。
だからこそ、何もかも持っている少女の事を妬まずにはいられなかった。
この少女と少しでも打ち合えば、何かが変わるかもしれない──少なからずそう思って、ユウトはこの勝負を承諾したのだ。
だが、結局は自分には実力など、強くなる資格などないことを自身で証明しただけだった。
異世界に行って、突然強くなる──なんてことは所詮、小説の中だけの話だ。
本人が変わらずして、強くなるなんて有り得ないのだ。
だらりと剣を下げ、闘志が微塵も感じれないユウトを前にして、その桜色の髪の少女は怪訝の表情をする。
「……どうしたの?」
「……オレにはどうせ、力なんてないんだよ。どんなに頑張っても昔から報われたことなんてない……やっと、わかったよ。オレには強くなる資格なんて、最初からなかったんだ」
ユウトの言葉にその少女は、くしゃと苦しそうに顔を歪めた。
「……なんで、そんなこと言うの? 私には、アナタがどれぐらい努力しているか、どんなに頑張ってきたかわかるわ。だけど、強くなる資格はそんなことじゃない! アナタは何ためにそんなに頑張ってきたの?何のために、強くなるの? ただ、強くなりたいだけ? 違うでしょ!」
その少女の叫びはユウトの心に深く突き刺さった。
…………そうだ、最初は違った。
俺がそもそも霧神流を祖父に教えてもらった理由。
最近こそしないものの、俺が血の滲むような霧神流の修練を積んできた理由。
ユウトの脳裏に一つの情景が浮かび上がる。
六年前の母親が殺された事件。
あの男が俺の目の前で母親を殺す瞬間。
…………オレは、あの日に誓ったはずじゃないか!
二度と傷つけないと。大切な人を守ると。
強くなる資格。
その意味をユウトはようやく分かったような気がした。
強くなる資格──それは、才能でも努力の程度でもない。
何のために強くなるのか。自分の中で覚悟とも言える、戦う理由があるか否かなのだ。
ユウトの口が開かれる。その口から発せられる言葉はユウトの思いを、願望を、そして誓いを忠実に表したものだった。
「……もう二度と、オレの目の前で……」
六年前、自身の中に刻印した、ずいぶんと長い間忘れていた、その言葉をユウトは言い放った。
「──大切な人が傷つくのを見たくないんだ!」
その返答に、まるでそれが正解だというようにその美少女はにっこりと微笑んだ。
直後。
目の眩むような白光がユウトを包み込んだ。
ユウトを包み込む白光が放出されていたのは、地面からでも天空からでもなかった。
その白光は、まるで元々そこに存在したかのように、何の違和感もなくユウトの身体に纏っていた。
あえて言うのであれば、それはユウト自身から放出されていた。
その白光は、熱くもなく冷たくもなく、ユウトの一部のように存在していた。
この《夢の世界》に来て、様々な不思議な現象に目の当たりしたユウトだったが、この光だけは、本能で理解していた。
そう、これこそが少女が言っていたこの異世界の《法則》なのだ。
すなわち。
「……夢の……法則……」
ユウトは呆然としたまま呟いた。
前を見ると、少女の顔も驚愕で満ち溢れ、瞳孔が大きく広がっていた。
だが、その表情は徐々に変化していき、どこか嬉々としたものになっていく。
少女の眼光が鋭くなり、ユウトの瞳を直視する。
お互いの視線が交錯する中で、ユウトはその少女が言葉を発さずとも何を言わんとしているか察した。
───来なさい!
その心の声は、ユウトに再び剣を強く握り締めさせるには十分だった。
まだ、終わっていない。
いや、むしろ今こそ始まりなのだ。
俺は、強くなる資格をこの少女に示していないのだから。
その時、決意を新たにするユウトに、理性が頭の中で囁いた。
イメージを──創り上げろ。
その声に導かれるようにユウトが創り上げるイメージは、何度も描き続けた花でも、風景でもなかった。
長年嫌いあるいは憎み続けたもの。
何度も自身の中で否定し続けたもの──幼い頃から、何度も練習した霧神流の技だった。
本来、技のイメージを頭の中で創り上げるなど常人には不可能だ。
しかしそれは、皮肉にも、勝利すること諦めたユウトが、唯一の心の拠り所として何度も絵を描き続けたことによって、磨かれた能力のおかげだった。
ユウトの頭の中の白い空間に一つの技が描かれ、創り上げていく。
同時にユウトが纏った白光はその色合いを強め、輝きを増していく。
──霧神一刀流 六の型 《断空烈刃》。
瞬間。
ユウトの身体が見えない力に引っ張れるように動き始める。
イメージの具現化によって、霧神流の技を再現したのだ。
「うおおおおおお!」
一瞬で、ユウトは少女との間合いを詰め、絶叫する。
少女の懐に潜り込み、ユウトは全身に溜まりに溜まった力を解放した。
ユウトの右手に握られた剣がまさにイメージ通りに、空中に駆けながら技を創り出していく。
少女も負けていなかった。ユウトが一撃を放つたびに、負けじと斬撃を放ち続ける。
───もっと、速く!
自分が思うように身体を動かせる快感に、ユウトは歓喜し、技のイメージを脳内で加速していく。
同期するように、ユウトの身体の動きも加速していく。
高速の剣戟の応酬が両者の間を駆け巡り、ユウトがイメージを加速する度に少女もギアを上げていく。
視界の前で金属と金属が衝突し、火花を散らす。つんざくような金属音が聴覚を刺激する。
痺れるような衝撃が両手に走る。
やがて、それは無数の閃光となって空中に描き、お互いに残像として見え始める。
無論、実際にユウトはこんな動きはすることが出来るはずもない──だが、ユウトが頭の中にイメージを創り上げる度に、《夢の法則》は脳の神経に命令を送り、限界を遥かに超えた動きを見せ続けていた。
しかし、ユウトは自身の身体の異変に気づき始めていた。
本来のユウトの身体は、真剣も満足に振ることも出来ないものなのだ。
限界を超えた動きし続ければどうなるかなど、考えるまでもなかった。
ユウトの身体や脳が悲鳴を上げ始め、凄まじい痛みが襲い掛かる。
視界が朦朧とし始め、正直立っているのがやっと、という状態。
だが、今のユウトは勝負を諦めるようなことはしなかった。
あと、一回が限界。
そうユウトは悟ると、後ろに大きく跳び、少女から間合いを取った。
少女の方も限界が近づいているのか、苦悶の表情を浮かべ、大きく肩で息をする。
少女と視線が交錯し、その心の中を探るようにユウトは見つめ返した。
───次で決める!
どちらが言い出したわけではない。
だが、ユウトと少女はお互いに胸の内で叫んだ。
少女は金色の剣をやや下げると、腰を落とし、重心を落とす。
それに対し、ユウトは限界まで右腕を引き、身体に密着させ、同じようにやや重心を前に乗せた。
寸秒後。
ユウトと少女は同時に地面を蹴り上げると、相対的に凄まじい速度でその間合いが縮まる。
続いて、ユウトはあらん限りの精神力を振り絞り、イメージを創り上げる。
速く。ただ速く、剣を突き出すイメージ。
《夢の法則》が最後の命令を脳に送り出し、ユウトの身体を動かす。
「───いっ……けええええええ!」
己を叱咤するように、ユウトは絶叫する。
もう《法則》にただ動かされるだけではなかった。
そこに自身の意思を織り交ぜ、ユウトは突きを放った。
「セッ──アアアアアアア!」
絶叫しているのは、ユウトだけではなかった。
少女も同様に叫ぶと、ユウトの動きに動作に完全に同期し、薄桜色に染まった金色の剣を突き出した。
ユウトと少女の線分の中点。
そこで、お互いの剣先が触れた。
轟音が聴覚を叩き、二人を中心に衝撃波が生じる。
二人を砂塵が包み込み、その周りを衝突時のエネルギーの奔流が飲み込み、その中心に大きなクレーターが出来上がる。
砂塵が晴れ、ユウトの視界に映ったのは、少女がユウトの首筋に金色の剣を添えてる姿だった。
一方で、ユウトの右手が握った剣は刀身の大部分が消え、柄だけとなっており、空中に右腕を伸ばしきったまま立ち尽くしていた。
「勝負ありね」
少女がぼそっと呟いた。
また──負けた。
だが、悪くはなかった。
むしろ、清々しい気分でユウトは桜色の髪の少女を見た。
「……アナタにはちゃんとあるわ──強くなる資格が」
少女は金色の剣を腰に付けた鞘に納めながら、静かに呟いた。
「……アナタは出来損ないなんかじゃない。今まで、誰にも認められなかったことがないなら、私がアナタの存在を肯定する……だから、強くなりたいなら、私の弟子になりなさい」
す、と白い手がユウトの目の前に差し出された。
その瞬間、ユウトは激しい渇望に駆られた。
果たして、俺がここでその手を取ったらどうなるだろうか。
俺にその手を取る資格があるのだろうか。
何度も何度も期待を、自分自身を裏切ってきた俺が。
否定され、不幸を度々呼んできた俺が。それをこの少女はどう思うのだろうか。
だが。
ユウトが救いを求めるように少女の瞳を覗き込むと、不安げに儚くそれが揺れた。
まるで、今にも壊れそうな瞳。先程までの鬼気迫る殺気を放った瞳は、そこにはなかった。
それを見たユウトの意思は決まったも当然だった。
人との繋がりを欲するかのように、ユウトの左手がのろのろと動き、その白い手にちょこんと触れた。
その少女の白い手はほのかな熱をもち、ユウトの冷えきった心をゆっくりと溶かしていく。
それにその少女は初めて、満面の笑みを浮かべた。
「私の名前はリーシャ・リデル──よろしく、私の弟子」
ユウトもそれに、ゆっくりと笑みを浮かべ応えた。
「オレの名前は霧神優斗──よろしく、オレの師匠」
その時の、少女──リーシャの笑顔はユウトにとって、どんなものよりも輝いて見えた。




