第68話「非対称」
二日後。
ジルたちは第7区の冒険者ギルド支部で正式に依頼を受注し、再び第13区へと足を踏み入れていた。
目的は、あの複雑怪奇な「迷宮」の地下深くにある、マフィアの住処の襲撃である。
だが、最大の問題は「被害を出さないこと」だった。
あそこには、無関係な住民が多すぎる。
力任せに暴れれば、必ず犠牲者が出る。
(……エマなら、どうするだろうか)
ふと、ジルの思考の端に、今は遠く離れた場所にいる教え子のシルエットが浮かんだ。
彼女なら、持ち前の優しさと大魔力で、全てを包み込むような奇跡を起こすかもしれない。
だが、自分にあるのは冷徹な計算式だけだ。
ジルは感情を振り払い、作戦を告げた。
「アークとスズナは、雑兵マフィアの捕獲班だ。カノンとポラリスは、住民の避難指示班に回れ」
「ちょっと、何でジルは単独なのさ」
ポラリスが不満げに口を挟む。
ジルは13区の地下へと続く、長く暗い階段の入り口を見下ろしながら答えた。
「……俺が終わらせなければならない。これは、俺とあいつの問題だ」
座標の奥深く。
そこには、確かに知っている「一つの気配」が淀んでいた。
作戦が開始されると、各班は即座に散った。
迷宮のように入り組んだ居住区の中腹。
カノンは、入り組んだ橋の上で頭を抱えていた。
「もー! 避難指示なんか出来ないよー! そもそもマフィアが多すぎるし、こんな狭いとこじゃ、あたしは巨大化出来ないし……!」
彼女の特性である巨人は、この密集地帯ではただの破壊兵器になってしまう。
愚痴をこぼすカノンの耳元の通信魔道具から、団地屋上の橋に陣取ったポラリスの声が聞こえた。
『……僕が上から指示するから、カノンはそこから全体を誘導してよ』
「てか、なんであたしらがこんな地味なことしないといけないわけ!?」
カノンが文句を言うと、通信の向こうでポラリスが小さく息を吐いた。
『……カノンが、強いからだよ』
「え?」
『確かに地味で面白くないかもしれない。けど、強い人が守らなくて、一体誰が無辜を守るのか、教えてほしいね。……せんせーなら、そう言うんじゃないかな』
ポラリスの意外なほど真面目な言葉に、カノンは毒気を抜かれてしまった。
「……わかったよ。これ終わったら、買い物、付き合ってもらうからね」
『はいはい。喜んで荷物持ちになるよ』
一方、地上付近ではアークとスズナが、迎撃に出てきたマフィアの集団と対峙していた。
「行きます! 聖盾!」
アークが光の盾を展開し、敵の弓矢や魔法を完璧に防ぎ切る。
その強固な援助を受けながら、スズナが前に出た。
彼女は淡金色の瞳を細め、静かに、そして特異な詠唱を紡ぐ。
「——影法師、月に焦がれて、闇に散る」
それは、アークたちの大陸の魔法とは全く異なる響きだった。
極端に短く、しかし、情景を感じさせる美しい五・七・五の調べ。
その言葉が落ちた瞬間、マフィアたちの足元の影が意思を持ったように立ち上がり、彼らの手足を絡め取り、次々と気絶させていった。
鮮やかな制圧劇だった。
「すごいですね、スズナさん」
「……ん」
スズナは小さく頷くと、ふと——地下への入り口に立つジルの姿を見た。
「……オオカミは嫌い」
唐突な呟きに、アークが首を傾げる。
「どうしてですか?」
「……狐の尻尾を、喰んで遊ぶから」
その淡金色の冷たい視線が、ジルの背中を真っ直ぐに突き刺していた。
狐を弄ぶ、孤高で身勝手な狼。
彼女の目に、あの数学者はそう映っているのだろうか。
そして。
仲間たちが住民を守り、道を切り開いている間。
ジルは一人、暗闇の入り口に立っていた。
スズナの冷たい視線を背中に受けながらも、彼は振り返らない。
月光に照らされていたその背中は、やがて一歩、また一歩と、濃密な暗闇の中へと溶けていく。
カツ、カツ、カツ。
硬い靴音が、地下へ続く階段を降りる音だけが、静かに響いていた。
そこに、群れを呼ぶ遠吠えは無かった。




