第3話「証明の第一歩」
「とりあえず……えーっと」
(こいつ名乗ってたっけ)
「アークです。アーク・ベルトード」
「アーク。地上に戻るか」
「ええ」
アークは頷くと、座り込んでしまった。
次第に身体が解け、黄緑色のスライムに戻ってしまった。
「魔力が足りない」と呟く彼女を、ジルは鞄にそっと入れた。
「狭いかもしれんが、少し耐えてくれ」
鞄を背負うと、ジルは急ぎ足でダンジョンを踏破した。
朝日。
ジルが地上に到着するのと同時に、日の出が眩い光を放った。
「先ほどの魔法、朝日をイメージして詠唱したんですよ。けれど、先生ならより美しいものを知っていそうです」
「……ああ。そのうち、"オイラーの等式"を教えてやるさ」
◇◆◇
アードストール王国・アードストール南冒険者ギルド支部
木の扉を開けた瞬間、ザワッ──と空気が揺れた。
酒を呷っていた手が止まり、談笑の声が掻き消える。
「おい、フルのパーティーの理系のグズが帰ってきやがったぞ」
「何? あのパーティーはまだ帰ってねぇってのに!」
いくつもの針のような視線が、ジルを突き刺した。
椅子が軋む音、乾いた喉を鳴らす音。
(緊急保護者会じゃねぇよな……?)
ジルは受付嬢に声をかけた。
「おい、何だこの雰囲気」
表情がムッと険しくなる。
「あの……ジル様、でいらっしゃいますか……?」
「ああ」
(ん……ジル"様"?)
「し、少々……しばらくお待ちください!」
受付嬢は、慌てた様子でバックヤードまで駆けていった。
「何故、視線がこう集まるか分かります?」
鞄の中のアークが小声で囁いた。
「なんとなく。そういうアークは?」
スライムの身体をプルッと振るわせ、答えた。
「先生の歩みが、誰に何を言われるでもない、自分の意思で先へ進む人のそれに変わったから、でしょうか」
「随分と高尚だな」
ジルは首を横に振った。
「あの嬢や周りの様子じゃ、どうせアークの件だろう」
「ええ。英雄か、厄災か。どちらにせよ、あなたは世界にとって無視できない存在になったということです」
2分ほど経って、受付嬢が戻ってきた。
「ジル=アードストール様、今回の二十七階層での騒動に関して、支部長よりお話が。こちらへどうぞ」
ジルは言われるがまま、鞄を背負い直して静かに後を追った。
支部長室。
壁にかかった魔王軍の手配書が、彼の緊張感を掻き立てる。
「はじめましてジル様」
椅子から立ち上がり、握手をする男。
「支部長。Cランクなんだから普通の対応でいいだろ」
ジルにとって様付けは、嫌味ったらしくて仕方がない。
「それが、そうともいかないんです」
男は表情を変え、真剣に話し始めた。
「魔王軍幹部級七将軍の一体と、遭遇したそうですね」
「ゲーツ?」
「魔王軍四天王と、将軍たちの中間層に位置する怪物たち。此度、貴公はその一体、"液魔"のアーク・ベルトードと遭遇した」
支部長がそう告げた時、ジルは思わず鞄をチラ見した。
「ゲーツ遭遇で1ランク、証言の少ないものは2ランク昇格、というのが本部の決まりです。"液魔"は後者にあたるので、2ランク昇格となります」
「……Bランクってことか」
ジルは、笑うべきか怒るべきか分からなかった。
「分かりますよ、その気持ち。ですが話はここで終わらないんです」
「え」
「貴公は、そのような災厄に遭遇、初めて生き残った方です。ですので、私の方からつい先程、本部にさらに2ランクの昇進を申し出ました」
「……はぁっ!?」
ジルの口が、開いたままで止まった。
支部長は、机に目線を落としたまま、少しの間、何も言わなかった。
「正直のところ、私だって理解が追いついていません。仮であれとも、CランクからA-ランクへの昇進。前代未聞です」
支部長はきっぱりと言い切った。
(A-ランクか……。この世界が魔法なんかを優先し、理系を追放した結果が、これだ。これこそが、数式が持つ力の証明だ)
ジルの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
「理系だってのは、この世界では迫害の対象でしかない。この世界の誰もがそう信じて、俺たちを迫害し続けた。だが、その『非効率で非論理的』な判断が、どれほどの機会損失を生んだか、このA-ランク昇進という『データ』が示しているんじゃないか? 支部長」
誇らしげな笑顔と共に、ジルは続けた。
「文系の世界は今日で終わる。理系が、世界のルールを変えるんだ」




