第1話 「追突」
火の粉が降り、粘液が顔にかかる。
「どこ狙ってんだよ」
《理系だってのは、この世界では迫害の対象でしかない》
Cランク冒険者、ジル=アードストールは今日もパーティーの奴隷として仕事を全うしていた。
第二十七階層。
ヌチャヌチャ、ピチャピチャと音をたて、スライムが大量に沸き出る。
魔導士が炎魔法を放った。
その火が、ジルを掠める。
熱を感じ、ひょいと身を引いたジルに、今度は剣士が斬り飛ばしたスライムが飛んできた。
服についた火が、音を立てて消えていく。
ジルは、スライムだらけの身体を見て吐き気を覚えた。
「「すまんジル、わざとじゃねえから〜」」
怪しい笑みを浮かべるアタッカー達。
そんな薄っぺらな声には、微塵も説得力はない。
「おいジル、とっとと魔石を集めろ、このグズが!」
「了解、リーダー」
濡れた毛にまとわりつくヌメリのように、乾いた笑い声が耳に残った。
とても、気持ち悪ぃ。
そう思い、ジルは付着したスライムをまとめて地面に撒き散らす。
遠くの岩陰から、他の個体とは異なる色のスライムが現れた。
ジルは手をかざしたっきり、指一本動かさない。
だんだん、場が淡い水色の光に飲まれていく。
「スキル、『数学者』っ。半径30センチの球形拘束空間」
(3秒後にフィールドに侵入…捕捉、生成ッ!)
風が止む。
ホワン、と音が鳴る。
スライムを囲うように、半透明なカプセルが瞬時に作り出された。
光が無くなって、ジルは静かに手を下ろす。
ジルがカプセルを覗き込んだ。
中のスライムは鮮やかな黄緑色をしている。
それに、通常より大きく、うっすら炭色の線が入っている。
「『解析鑑定』」
ジルは、表示された結果を見て驚愕した。
なんと、魔力量が9×10⁹の個体だったのだ。
(冗談きついぞ九億なんて、Aランクの上級魔導士でも八万なのに…!)
背筋が凍った。
魔法は文系の特権なのに、
その"文系の数字"に命を握られているような。
そんな感覚に陥る。
呑気な仲間は、何も知らずに、ただ物珍しそうにスライムを見つめる。
「へぇ…魔法無しでも、か。イデア様に大感謝だな」
「粘液まみれでキモいなこいつ」
「理屈野郎も少しは役に立ったんだから、もう切っちゃえばいいのに」
ジルはリーダーのフルに呼び出しをくらった。
「なぁ、お前さっきスライムの行動を計算したのか?」
「ああ」
ジルが頷く。
「今のお前は評価に値する。が、」
フルの瞳の奥に、微かに尊敬の色が伺える。
だが、それが憎悪と嫉妬に切り替わるのを、ジルは見逃さなかった。
「お前、もうクビ」
あまりに突然だった。
「何で」
ジルは、眉間にしわを寄せた。
怒りで刻まれたそのしわは、鼻先に届きそうだった。
口元が、時間が経つにつれて歪んでいく。
「理系のくせに、俺の手柄を奪うんじゃねえよ」
「たまたまだって」
「狼の獣人が、ハイエナみたいな真似してんじゃねえよ」
「何だって?」
「いつも働けって言うくせに、いつも以上の働きをしたらそれかよ」
「今だから言うが、魔法も使えねえ理系のクセに、仲間ヅラしてんのがずっと鬱陶しくて仕方がな」
流石に我慢ならず、ジルは爪をたてる。
フルの皮膚を引き裂いた。
それも深く、鋭く、素早く。
その場から急いで逃げ去る。
「…ッチこのクソ犬、待ちやがれ!」
ジルは無我夢中で走った。
それとすれ違うように、治癒師がフルの元へ駆ける。
「ジル!」
前から、仲間のオルタ・レーフがジルの名を呼んだ。
ジルが足を止め、砂埃が少し上がる。
「何だよオルタ」
「君は、このスライム確保の功労者だ。だから…」
彼女は、先程ジルがカプセルで捕まえたスライムを持っていた。
「興味ない」
「でも」
「ありがとう。でもそれは俺のじゃないから」
「いや、これは」
「いいから!」
ジルの声は、噛み殺すような怒りで震えている。
牙を顕にした。
けどそれは恐怖の裏返しでもあった。
顎も足も震えて、どうすれば良いか分からない。
だがオルタにはそれが丸わかりだった。
(あの時のように、君は孤独を抱えた目をしてる)
その時、回復されたフルが鬼のような形相で走ってきた。
「クソ犬、テメエだけはここで殺す!」
「肉体強化魔法ォッ!」
腕に魔力が集中する。
フルが力強く斧を投げた。
いつもと違って今回は悪意ではなく、殺意と魔力がこもっていた。
それは綺麗に放物線を描き、ジルの目の前まで4秒で到達。
(重力加速度、戦斧の速度・重量・軌道・回転数から導き出して、俺に触れるまで…残り2.4秒!)
(だったら、)
2。
「『数学者』、マルチサークル!」
(半径=10センチの円を俺の正面に、透過後の"数量"は比例式y=ax、)
1。
(a=0、間に合うか?)
「ジル!」
オルタが叫ぶが、当の本人は数式でいっぱいいっぱい。
その声はどこにも届かなかった。