ティルナノーグ大宮
それは5月の出来事であった。
『冒険者は、出ていけーーーっ!!
魔法使い、反対ーーーっ!!』
高齢冒険者の野営地“ティルナノーグ大宮”に街宣車が乗り込み、
メガホンを持った男性が大声を張り上げている。
彼は『平和な世界を』と書かれたプラカードを掲げており、
少数の同志と共に熱弁を振るっていた。
その光景を見たグリムは、思わず正直な感想を述べた。
「え、何あいつ……
頭おかしいんじゃねえの?
ここから冒険者がいなくなったら、
ダンジョンから魔物が流出し放題だぞ?」
「そっすよね〜
でもあの人、わかってないんすよ
この世から魔法能力者がいなくなれば、
本気で平和な世界が訪れると思ってる異常者なんで」
「なんだそりゃ……
あ、もしかして“魔物の人権を守る会”の一員か?」
「ピンポーン、正解っす
あの人が町内会長になってから、
毎日こんな感じで困ってるんすよね〜」
「えぇ、あんなのが町内会長なのか……」
6月になり、またもや問題が発生した。
「うわっ、なんか道路がゴミだらけで汚いな……
先週はこんなんじゃなかったよな……?」
「あ、どもっす!
もしよかったら、お掃除手伝っていってくれませんか?
そしたらウチのおっぱいをガン見する権利を進呈しますよ!」
「いっつもガン見してるよ
まあ、そんな取引せずとも手伝うけどさ……
それにしてもこれは一体、どういう状況なんだ?」
「いやー、例の町内会長が夜中に生ゴミばら撒きやがったんすよ
夏場にこれやられるとたまんないっすね〜」
「どの季節でもだめだろ……
つうか自分の町を汚すようなアホが町内会長だなんておかしな話だ
まあ、これで解任されるんだろうけどさ」
「う〜ん、それは難しいっすね
なんでも親族に元政治家の大物がいるそうで、
裏から手を回して今の地位を手にしたらしいっす
ちなみにあの人が会長に就任してから今年で10年目だっけな?」
「町内会長なんて大した役職じゃないのに、
なんでそんなに長い期間しがみついてるんだ……?
権力者というわけでもなかろうに……」
「いやー、それがこの町では絶大な権力者なんすよ
ティルナノーグから出るゴミの処分に制限をかけたり、
緊急車両が通れないように道路を塞いだり、
町全体を停電させたり、貯水槽から水を抜いたり……
とにかくやりたい放題って感じっすね」
「彩ちゃん、こんなとこ引っ越した方がいいぜ」
7月。
「ようカルマ、カムイ
アキラから鮎をたんまりと貰ってきたぜ
それと各種漬物シリーズもな
余りそうならご近所さんと分け合うなりしてくれ」
「おお……! なんてありがたい……!」
「かたじけねえ……! 本当にかたじけねえ……!」
「ははっ、お前らが感謝してたって伝えとくぜ
……ところで全然話題は変わるんだけどよ
お前らって彩ちゃんのこと、どう思ってる?」
「え、どうって……」
「それは、その……」
「すごく魅力的な子だし、お前らも惚れて当然だよな
俺も今、彼女にすごく夢中なんだ
こうして毎週会いに来るのを楽しみにしてる
……そこで、俺らの間で紳士協定を結んでおかないか?」
「紳士協定……」
「どんな内容?」
「まあ……“抜け駆け禁止”みたいな?
俺らの方から彩ちゃんに交際を申し込むのは無しにしよう
中3だから受験勉強とか忙しいだろうし、
今は余計なことで煩わせたくないんだ
そういうのは来年までお預けにしようぜ
……ただし、向こうから誘ってきた場合はその限りではない」
「……」
「……」
「えっ、なんだよ2人して顔背けて……
……あ、もしかしてお前ら既に告白済みだな?
そんでもって玉砕したんだろ?」
「……いかにも」
「秒でフラれた」
「何してんだよマジで……
さてはお前ら、あれだな?
優しくされるうちに『これは脈あり』だと勘違いしたんだろ」
「反論の余地が無い」
「いけると思ったんだけどなぁ」
「まったく、早まりやがって……
彩ちゃんは冒険者を尊敬してるだけなんだよ
だから俺らみたいな冴えない連中にも接してくれてんだ
それを恋愛的な好意だと捉えるのは早計すぎるだろ」
「今はそう理解してるけど、あの時はなあ……」
「俺たちは女に惚れると、いつもより馬鹿になっちまうんだ」
夏休みに入り、グリムはかねてより計画していた
ティルナノーグ大宮への1ヶ月滞在を実行した。
「今日から1ヶ月間、お世話になります!」
「おう、よろしくな坊主!」
「俺たちゃ坊主頭ばっかだけどな!」
「おい兄ちゃん、その長い髪を少し分けてくれや!」
現地ではガハハと笑い声が沸き起こり、
これなら楽しく過ごせそうだと期待感が高まる。
ここには1000人以上の冒険者が生活しており、
テントの数はそれよりも多い。
夫婦で暮らしている者たちもいるので、少ない方が自然なのにだ。
その疑問に、案内人の源次さんが答えてくれた。
「ああ、もう死んじまった連中のテントだよ
新しく入ってくる奴らには自由に使えって言ってんだけどな
やっぱり気味悪がって自分のを買っちまうんだよなぁ
遺族と連絡が取れれば大体引き取って処分してくれるんだが、
そうじゃない場合はこうやって置きっぱなしにするしかねえのよ」
町内会長がゴミの処分に制限をかけているせいだ。
ティルナノーグから出る粗大ゴミの処分には法外な手数料がかかり、
ただでさえ低収入の冒険者には気軽に支払える金額ではない。
そもそも、もう死んだ者のために金を使いたくない。
まだ生きている自分の生活が大事だ。
この場所に住むほとんどの者たちはそう考えている。
ドライな話だが、彼らはそうやって割り切って生きているのだ。
まず案内されたのは公衆便所だ。
少し警戒していたが中は意外と綺麗であり、
鏡もピカピカに磨かれていて清潔感に溢れていた。
「兄ちゃんには悪いが、滞在中はここで働いてもらうぞ
あの新入りたちと交代で掃除当番をするんだ
……あいつらが来てくれたおかげでだいぶ見違えたよ
それ以前はそりゃもう酷い有様だったからなぁ」
便所掃除は一番下っ端の仕事。
それはこの場所が出来てからずっと受け継がれてきた伝統らしい。
次は水飲み場までやってきた。
公園などで見かける、上下にそれぞれ蛇口の付いているタイプだ。
「上の噴水のやつは絶対に飲まない方がいいぜ
過去にそいつをケツにぶち込んだ変態がいたからな
もし使うなら下の蛇口だけにしとけよ
それか、素直に炊事場の水道を使うのが無難だ」
恐ろしい情報を聞いてしまった。
ここの水道は絶対に使ってはいけない。
炊事場。
単に調理を行うだけの場所ではなく、
飲用以外で使用する水を調達する場所でもある。
「髪の長い兄ちゃんには辛いかもしれんが、ここに風呂は無い
近くに銭湯はあるが、冒険者料金で1万円取られるからやめとけ
だから俺たちはここで湯を作るしかねえんだ
まあ、今日みてえな真夏日なら水のままでも平気だけどな」
太陽はギラギラと輝いている。
これは大変な夏休みになりそうだ。
体育館の半分ほどの広さの和室に上がる。
そこでは10組ほどの高齢者たちが将棋や囲碁を嗜んでおり、
奥の方では数人が座布団に寝っ転がってテレビを鑑賞していた。
「ここは見ての通り娯楽室だ
麻雀やカードなんかもあるけど、賭け事は御法度だから注意な
昔、それが原因で事件に発展したことがあってな……」
金は人を狂わせる。
なんでもその時にビール瓶で喧嘩相手の頭をかち割る事件が起こり、
件の加害者は殺人の現行犯で逮捕されたんだとか。
そのような痛ましい事件が再び起きないようにするため、
元銀行員の浜田さんを中心にこの場所のルールを見直し、
みんなで仲良く遊べる場所として生まれ変わったそうだ。
一通りの案内が終わり、グリムはダンジョン前までやってきた。
その出入り口は剥き出しになっており、柵すら存在しない。
学園のように厳重な管理が行き届いていないのは明白だ。
「まあ、俺たちがここを取り囲む肉の壁みたいなもんだからな
ちょっとやそっと魔物が流出してもすぐに対処できる
……と言いたいところだが、そうもいかねえ事情がある
ここの2層には精霊系の魔物が多く湧くんだよな
とっくに魔法を使えない年齢の俺たちには倒せねえんだ
だから高齢者用のキャンプ地であるにも関わらず、
ある程度は若者の力を借りなきゃならねえってのが実情だ」
カルマとカムイが受け入れられたのもそういう理由らしい。
ここにはあの2人以外にも10人ほどの若者が住んでいるそうだ。
「魔法が使えなくても対処できる場所にキャンプを作りゃいいのに、
国の連中はなーんにも考えてねえからなぁ
おかげで若い冒険者を雇わないといけねえし、二度手間なんだよ」
ダンジョンの中に入り、辺りを見回す。
やはりここも天然の洞窟といった雰囲気だが、
学園のものよりも全体的に緑がかった色の壁をしている。
『キャキャア!』
そしてゴブリン3匹の群れに出迎えられる。
源次さんはお手並み拝見と言わんばかりに、
腕を組みながらパチンとウィンクをした。
「フレイムエッジ!」
グリムの左右の手に炎の輪が出現し、
それを両方同時に投げて腕が交差する。
炎の輪は標的目掛けて高速で突き進み、
その脆い首を次々と刎ねていった。
ザンザンザンッ!!
この間、わずか3秒。
この程度の雑魚はそれだけの時間があれば充分だ。
「ぅぉ……おおお!
兄ちゃん、やるじゃねえか!
なんだよ今の魔法! 初めて見たぞ!」
「あはは、恐縮です
今のはファイヤーボールを改造したもので……」
褒められて悪い気はしない。
滞在初日は幸先の良い出だしだった。
2日目。
入間さんのテントに、その息子さんが帰ってきた。
彼は細身で少し伸ばした金髪の持ち主であり、
どことなくエルフっぽい雰囲気がある。
ただし知力のパラメータは少し低いようだ。
「父さん、冒険者でも入れる保険があるよ!」
「なんだって!?
冒険者でも入れる保険だと!?」
「しかも掛け捨てじゃない!」
「掛け捨てじゃない!?
それは本当か!?」
「今すぐ資料請求をしよう!」
「このバカタレが!!」
「えっ……」
ポカンとする息子に対して、入間さんは厳しい現実を叩きつける。
ちなみに入間さんは骨太で立派なヒゲを生やしており、
その姿はどことなくドワーフのようである。
「あのなあ、息子よ……
ここでどれだけの冒険者が死んでいったか知ってるか?
その中に『冒険者でも入れる保険』に加入してた奴もいるんだぞ
そいつらにいくら保険金が支払われたかわかるか?
……0円だ
保険会社の連中は俺たちから搾るだけ搾り取って、あとはポイだ
そんなもんに加入するだけ無駄なんだよ」
なんとも酷い話だが、それが現実だ。
人気タレントを起用したCMで公平なイメージを装ってはいるが、
どこの保険会社も冒険者に対する扱いはこんなものだ。
『自分から危険に飛び込んだのが悪い』ので保険金は下りない。
テントの中から入間さんの奥さんが出てくる。
背が低く、ボリュームのある天然パーマが特徴的な人だ。
「それよりアンタ、面接の結果はどうだったの?
手応えは? 今度こそ就職できそう?」
「えっと……どうだろ
あんまりいい顔はされてなかったし……」
「だったらもう、アンタも冒険者になるって腹括りなさい!
20年もここで生活してるんだし、勝手はわかるでしょ!?」
「え、やだよ……!
俺もう30歳だぞ!?
今から魔物と戦うなんて絶対無理!!」
「馬鹿野郎!!
俺たちは40歳を過ぎてから会社を辞めさせられて、
この道を歩まざるを得なかったんだ!!
魔法なんて使ったことないのに、魔法使い扱いされてな……!!」
「そんなこと言われても、これは俺の人生だし……
俺はやっぱり、ミュージシャンの夢を諦めたくないんだ!!」
「馬鹿野郎!!
ろくにギターも弾けない癖に何言ってんだお前は!!」
入間家の人々は今日も楽しそうで何よりだ。
3日目。
今日もまた街宣車で町内会長が訪れ、メガホンで熱弁を振るっていた。
『冒険者は、出ていけーーーっ!!
我々の町を、汚すなーーーっ!!』
その場にいた者たちは舌打ちするが、会長には目を向けなかった。
話の通じない相手に反論したところで無意味だと知っているからだ。
少しでも強い態度に出れば「脅迫された」などと言われかねない。
それよりもあの男が昨日ぶち撒けたゴミを片付けるのが先決だ。
「あいつ、こんな生活を10年も繰り返してんのかよ……
よっぽど暇なんだろうな……仕事してないのか?」
「さあ、どうなんでしょ
興味無いんで調べたことねーっす
……そんなことより、夏休み中に一緒に名古屋行きません?」
「えっ、ん、んんっ!?
なんで名古屋!?
……ってか、なんで俺!?」
「あ、嫌ならいいっす
お母さんと行きますんで」
「いや、いやいや、嫌じゃない!!
名古屋まで何しに行くのかなと気になっただけで!!」
「あら、それもピンと来ない感じなんすね
……名古屋には中央魔法学園があるんすよ
そこなら非魔法能力者にも枠が用意されてるんで、
高校はそこに通うと決めてます
まあ、どんな雰囲気の場所なのか下見っすね」
「え、そんな学園があったのか……
じゃあなんでアキラはわざわざ関東に……?」
「えっと、中央はどちらかというと装備品開発などの
技術者を育てる場所っていう特色の学園なんすよ
なので戦闘員の育成にはあんまり力を注いでないらしいっす
そのアキラさんって人は戦いにおける強さを追い求めてたから、
男子が通える中で最もグレードの高い関東を選んだんでしょうね」
「そうか、なるほど……
……よし、それじゃあ一緒に行こう……名古屋に!」
「いぇ〜い!
一緒に行きましょう……3人で名古屋旅行!」
「あ、お母さんも一緒なんだ」
夕方になり、炊き出しの豚汁を啜りながら男3人で語らう。
「え、グリム……それってデートに誘われたんじゃねえ!?」
「自分で“抜け駆け禁止”とか言っといて……くそっ!!」
「いやいや、ただの学校見学だって
母親同伴だし、デートとは違うだろ
それに俺は予防線を張っておいたはずだぜ?
『向こうから誘ってきた場合はその限りではない』とな」
「くっ……! 抜け目の無い奴め……!」
「それでも羨ましいぞ……両手に花じゃんか!」
「いや、母親は対象外だろ」
「彩ちゃんのお母さんならいけそうな気がする……見たことないけど」
「絶対美人なんだろうなあ……娘があんな美少女なわけだし」
「でも年齢的になあ」
「俺が推してるキャラは500歳なんだぜ!」
「俺の好きな声優さんは永遠の17歳だぜ!」
「そういや最近アニメ観てねえなあ」
その夜、グリムは寝つけずにいた。
友人たちにはデートではないとは言ってみたが、
心の中に熱いものが芽生え、興奮冷めやらぬといった感じだ。
(ちょっと顔洗ってくるか……)
それに日中は40度にまで達する猛暑日だったので、
単純にその疲れもあったのだろう。
この環境下で活動している高齢者たちは本当にすごい。
(それにしても暑いな……
これならダンジョンの中で寝た方がマシだ)
テントを開けると、外が微妙に明るい。
それになんだか暑いというより……熱い。
どこかからバチバチと大きな音が鳴っており、
なんだか生ゴミを燃やしているかのような異臭が漂っていた。
(ああ、ゴミ燃やしてんのか
でもこんな時間にやるか普通?)
それは非常識な行為に思えるが、
もしかしたらここでは正しいやり方なのかもしれない。
郷に入っては郷に従え、だ。
先輩方が何をしているのか見に行ってみよう。
その現場へ近づくごとに騒がしくなってくる。
みんな、ワーワーと大声を上げている。
ひょっとして祭りでも開催しているのだろうか。
だが、楽しそうな声を上げる者はいない。
それはなんだか、恐怖混じりの叫び声だ。
そして、それは祭りなどではなかった。
「火事だあああーーーっ!!!」