7話
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―――雨音が、止まない。
雨の中座り込んでいた彼女が立ち去り、無力感に苛まれていた彼女も、冷静さを直ぐに取り戻した彼と共に立ち去った。
残されたのも、立ちすくんでいるのも、もう己だけだ。
そんな俺に、騎士団長と躊躇いがちに部下が呼びかけているのも、わかっている。
―――だというのに、動けない。
脳裏に浮かぶのは、見開かれたルルリーア嬢の目、そして助けてと叫んだ彼女の声だけだ。
……そうだ。助けを求められたのに、その手を取ることすら、出来なかった。
不快でどうしようもなく耐え難く、己を殴りたい感情が抑えきれない。
あぁこれが後悔というものかと、他人事のように考える。――だが、そこで行き止まる。
………こんな風に呆然と立ち尽くすなど、子供時代でもなかったな。
ルルリーア嬢を吸い込んだ、あの地面から、逃げるように思考を逸らした。
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一番最初の記憶は何かと聞かれたら、父の背中だと答えるだろう。
顔をはっきり見た覚えもなく、気づけば使用人のばあやと暮らしていたから、『父』といってもその実感はない。
というのも、ばあやが言うには、その『父』が現れるのは、生活するための住処と食料諸々が買えるように金を手渡すときのみで、それ以外は一切接触がなかった、らしい。
だから、その『父』とされた男は、自分の中ではただそう言われただけの、それだけの人間だった。
けれども、俺がその話をする度に、人は様々な顔をする。
同情する者、怒りを露にする者、優越感に浸る者、嘲りに顔を歪める者。
―――それらを現すその感情が俺には、あまり理解できないモノだった。
『―――ば、ばけものっ!!』
悲鳴のように叫ばれたそれは、馴染みのある言葉だった。
その言葉に思わず、腕を赤く腫らした自分より年上だろう少年を見つめる。
俺を囲んでいた三人が、怯えたように後退りをした。………一体何なんだ?
「お、おまえっ!アゼルにこんな怪我させて、ただで済むと思うなよ!!」
「……おい、お前の兄さん、自警団入ってたよな?……呼んで来いよ」
「え、どうすんだよ」
「決まってんだろ?この化け物を退治してもらうんだよ!!」
そう叫んだ少年は、俺を指さして歪に笑う。
「……おい、何かあったのか?」
「あっ、兄ちゃん!」
その声を聞きつけたのか、四人の大人が茂みをかき分けて、こちらに近づいてきた。
その四人の中の赤毛の男に、対峙していた少年が、駆け寄ってしがみつく。
要領を得ない少年たちの話を、戸惑いながら聞いていた大人たちが、俺が持っていた木の枝を見た途端、険しくなった。
―――ああ、これは俺を敵だと、認識したな。
威圧するように顔をしかめた彼らの内のひとりが、俺の武器へ手を伸ばした。
敵を前にして取られるわけにはいかない。だから、その手を躱した。当たり前のことだ。なのに。
「っ!!このガキっ!!早くそれを寄越せ!!」
「敵に武器を渡すわけがない」
声を荒げるその男に、思ったことをそのまま言葉にすると、更に顔を険しくした。
「そう言って、アゼルの腕を折ったのかっ!!!!」
………アゼル。さっきの会話から、俺が棒を振り下ろした相手か。
腕が折れるなんて知らなかった。が、そう言うのならばそうなのだろう。
「そうだ」
簡潔に肯定した途端、四人の大人たちの空気が一斉に張り詰めた。……これは殺気か。
目の前の男が、今度は明確な敵意を持って、警棒を振り上げる。
男の、熱に浮かされたような目を見ながら、振り下ろされる警棒を捉えながら、反撃のために武器を突き出した。
―――ガッ!!
「ぐぇっ」
先に目に入ったのは、真っ黒い長い髪。……おんな?
するりと間に入ってきたその背中は、俺の突きを事もなげに受け止め、そして、俺に対峙していた男の腕を捻り上げていた。
……いつの間にやったんだろうか、全く見えなかった。
「何をしている、貴様。子供に」
込められた怒気に、その女の前に居た三人が後退る。そして、捻られ呻く男を気にしつつ、口々に彼女へ俺の所業とやらを喚いた。
『街の子がソイツに腕を折られた』
『子供たちは怖がっている』
『俺たち全員を敵だと思っているソイツは危険だ』
その主張に対して、返した彼女の言葉は実に簡素だった。
「先に手を出したのはその子らだろう」
よく見ろ、と、綺麗な服の少年たちと、土埃にまみれて擦り傷のある俺を目線で示す。
そして、どうだ?と無言で問われたので、口を開く。
「散歩していたら石を投げられた。親なし子の余所者には何をしてもいい、と言って突き飛ばして蹴ってきたな」
「なっ!!お前らっ!!」
「――では、お前たち」
コキリ、と指の鳴る音と共に、彼女の背中から重苦しい圧が感じられ、思わず後ずさる。
見ると、少年たちは青ざめガタガタと震え、大人たちですら目に涙を浮かべて及び腰になっていた。
……さっきまでは敵だったけど、何故だろう、仲間のように見えてきた。
「覚悟は、いいな?」
彼女が言い放った後、森に悲鳴が響き渡った。
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―――ひりひりと痛む額をさする。
大人たちを拳一発で沈めた後、大人たちから騎士団長と呼ばれた彼女は、少年たちと俺に向き直って、額を弾くか騎士団での雑用かの二択を提示した。
額を選択した俺に強烈な弾きをした彼女へ、少年たちは我先にと雑用に志願した。
……別れ際に俺を見る彼らの目が、少しだけ輝いているように見えたのは気のせいだろうか。
家まで送ると言われ、私といるときは手をつなぐのが決まりだと言われ、彼女と手を繋ぎながら道案内をする。
人と並んで歩くなんて初めてで、視線をどうすればいいかわからず、空になった手を見る。
空なのは、持っていた武器はそのまま、骨折した彼の添え木になったからだ。
ぽつりと彼女に問われるがまま、さっきの場所はいつも散歩する道だ、とか、毎日森をぐるりと周って一日を過ごす、とか、答える。
そうしている内に、唐突に切れた森の空間に、ぽつんと立っている俺の家に着いた。
どうするのかと思って、彼女を仰ぎ見れば、眉を寄せて何か考えているようだった。
「――そういえばまだ名乗っていなかったな。私はヴィディカと言う。君は?」
そう笑顔で問いかけてきた彼女に、俺は素直に事実を言う。
「名前、知らない」
「………………………は?」
「ばあやは坊ちゃまとしか呼ばない」
「……それ以外の人からは?」
「ばあや以外から、話しかけられない。さっきのやつらが二人目」
「……父親、は?」
「顔知らない」
「………………………少し、向こうを向いてくれ」
「?わかった」
よくわからないが、彼女に言われるがまま、向こうをむく。と、深く息を吸う音が聞こえてきた。
『―――――――――――――!!!!!』
聞いたことのない音で、彼女は吼えた。
それは荒れ狂う嵐に似ていて、思わず彼女の手を強く握ってしまう。
が、俺が握ったのに、痛いとも離せとも言わず、逆に彼女はもっと強く俺の手を握りこんだ。
吼え終わった彼女に、なんて言ったのかと尋ねると、私の国の言葉だが子供は覚えない方がいい言葉だと、笑顔で言われた。
「―――ライオネル」
どんな言葉だろうかと考えていると、唐突に、彼女が言う。
何だろうそれも異国の言葉か?と彼女を仰ぎ見ると、見たことのない表情をしてこっちを見ていた。
「君の名前だ。―――ライオネル」
聞き慣れない言葉。それを、ないと思っていた自分の名前だと言われても、正直戸惑いしか感じない。
………でも、目の前の彼女が、目を細めて大切そうに言うから。
「……らいお、ねる」
たどたどしく口にしてみる。すると、それが自分のモノのように思えてきてなんだか不思議だ。
舌の上でそれを転がしていると、彼女が膝を折って、真剣な目で俺を真っ直ぐ見つめた。
―――そして。
「私と一緒に来い。ライオネル」
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「――ライ!!おい、ライオネル!!!!」
鋭い声と共に、肩を強く揺すられる。
その衝撃で、途端に現実へ戻ってきた。ルルリーア嬢を失った現実に。
雨に濡れて張り付いた前髪を鬱陶し気に払い、俺の顔を覗き込むと、アレイは舌打ちをする。
「てめぇまさか、このまま腑抜けてるつもりじゃ、ねぇだろうなぁ??あぁん??」
「ま、魔術師団長っ!!魔力抑えてくださいぃっ!!」
……どうやら余程酷い顔をしていたようだ。
魔法を放たんばかりに握りしめていた拳を、アレイは苛立たし気に解く。
今は『場』を乱せねぇからな、と零す彼を見て、魔術師たちがほっとしたように息を吐いた。
「今は嬢ちゃんが連れ去られた空間の入り口を固定しようと、努力してるわけだが」
「単刀直入に言う。嬢ちゃんを救う方法は今んとこひとつだ。……固定された入口に、無理矢理誰かが飛び込んで、連れ戻すしかねぇ」
「―――行く」
気が付けば、答えていた。
詳しい話も聞かず、方法も聞かず、考えるまでもなく、もう決めていた。
即答した俺を見、アレイは眉根を寄せて思案する。
……その様子からして、行くのは魔術師の方がいいのだろう。当たり前だ、未知の空間など魔術に長けたものが行く方が成功率が上がる。
―――だとしても、そうだとしても、絶対に譲れない。
そう意思を固め、アレイの返事を待つ。
「ソランが、嬢ちゃんがいるはずの空間に楔を打ち込んじゃいるが、いる保証もねぇ。ましてや、何処につながってるかもわからねぇから生きてその空間に入れる保証も、帰れる保証もねぇぞ」
「それでも、お前が、行くか?」
「俺が、行く」
重ねて行くという俺を、アレイはほんの数瞬探るように見ていた。
が、ふいにニヤリと、見るものが見れば誤解するほど悪人面で笑う。……なんだ?
その顔を崩さず、腰に佩いていた剣を一振り、俺の目の前に突き出した。
「ったく、辺境伯んとこの大槌、試作しといてよかったぜ。今できる最低限度のことは、してやるからよ。――待ってな」
感謝を込めて、アレイと拳を合わせる。
そして、剣を受け取ると、互いに為すべき場所へと歩き出す。
アレイに示された楔のある空間の前へたどり着くと、そこで作業していた者たちがすっと場所を空けてくれた。
空間の固定のような大それた事象は、おそらく一瞬だろう。絶対に見逃すわけにはいかない。
………俺が腑抜けている間に、それが起きなくてよかった。
深く息を吸い、心を整える。
渡された剣を抜き、感覚を研ぎ澄まし、慣れ親しんだ動作で構える。
光を吸い込むような黒い刃の剣を、ひたりと一点へと集中させていく。
先程までの後悔や乱れた感情は、ルルリーア嬢を救えると言われただけで、すっかり凪いだ。
そう、彼女のそばに居れば心が湧き上がり、彼女を思い出せば笑みがこぼれ、彼女がいなくなればこんなにも心が乱れる。
……いくら俺でも、この気持ちが何なのかは、わかる。
―――告げれば、ルルリーア嬢は、どんな反応をするだろうか。
俺の襟首を締め上げ嘘だと叫ぶのだろうか、騎士を勧めたときのように懇々と説得するのだろうか、それとも問答無用で蹴ってくるかもしれない。
脳裏にくっきりとそんなルルリーア嬢が浮かんで、思わず笑みがこぼれる。
いや、きっとまた予想の斜め後ろな反応なんだろうな。
……でもまずは。
「―――名前、呼んでもらわないとな」
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ルルリーア:廊下をひたすら歩き中。
「いや……ほんと…果てしない、んですけどぉぉ…」
「きゅるぅ!!」




