5話
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ルルリーアさんを飲み込んだその空間は、必死で追いかけた私達をあざ笑うかのように、鼻先であっけなく消えた――彼女ごと。
そんな事実の前に、私達は、激しい雨にさらされながら、立ち尽くすしかなかった。
「嘘……うそよ……なんでどうしてリーアがっ……」
いつだって不敵な笑みを浮かべて、何でもあることを何でもないことのようにこなす、サラさん。
そんな彼女が、私の目の前で、泣いて叫んで地べたに座り込んでいる。
私は、只宥めるようにその背中を撫でるしか出来なかった。……どうすれば彼女の痛みを和らげてあげられるか、何も思いつかない。
今世で身に沁みついた貴族作法も殴り捨てて、思わず唇を噛む。
………何が転生チートだ。無力なことこの上ないじゃないか。
頬に伝う、うっとおしい雨の感触に、私は前世の死に際を思い出した。
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私は、転生した人間だ。
なんて堂々と言えば、頭のおかしな人間と思われるかもしれないけど、事実は事実。
違う自分だった人生を憶えているし、どんな世界に生きていたかも知っている。
今でこそ公爵令嬢なんて豪華な生活を送っているけど、前の私はど庶民で。
和菓子職人の父を持ち、下町でのびのび育った。
早くに母を亡くして、職人ならではの頑固さと無口さを持つ父を少し煙たく思いながらも、その揺るがない背中を尊敬していて。
いつか、父のような和菓子職人になるのが、夢だった。
『お父ちゃんなんか、知らない!!』
そう言って家から飛び出した。
裏切られたような戸惑いと信じられない怒りが頭の中をぐるぐる回って、衝動的に駆けだした。
『お前は、跡を継がんでいい』
その、たった一言で、自分のすべてを否定されたようで、苦しくて息が出来ない。
私じゃ力不足なのかとか女だから駄目なのかとか、疑問はどんどん湧き出てくるのに、答えを聞くのが怖くて、もっと決定的な何かを突き付けられたくなくて、逃げ出した。
外はお誂え向きのように本降りの雨で、十分悲劇のヒロイン気分に浸れた。
靴をぐちゃぐちゃと鳴らしながら、お父ちゃんへの文句や怒りを口にしても、徐々に不安や疑問に変わっていく。
『……そろそろ、帰ろうかな』
雨に十分降られて、全身ずぶぬれで物凄く寒い。
そして何より、お腹が空いてしまった。……私カッコ悪い。
ふん、いいのよ、ヒロインだってお腹は空くもの、なんて強がって、雨の所為には出来ないほどぐしゃぐしゃになった顔面を、制服の裾で乱暴に拭う。
そして、泣き過ぎて痛んだ目を両手で覆って落ち着かせる。
―――どんっ
耳元で大きな音がして、全身に衝撃が響く。
―――え?
訳が分からなくて、スローモーションみたいに灰色の空へ自分がゆっくり近づいていくのを、人ごとのように感じた。
べしゃり、と無様な音が全身を打って、頬にひんやりとした感覚だけが残る。
遠くで誰かが何かを叫んでいて、応えたくても指も顔も足もどこも動かない。
目も霞んで何もわからない、え、なんでどうして……?
指先に温かいものが触れた。じわりと広がっていく、温かい液体。
……ああ、これは、わたし、の、血?
―――じゃあ、わたしは、しんじゃうの??
ぼんやりとまとまらなかった思考が、急速に動き始める。
力いっぱい動かそうとした指先はぴくりとも動かなかった。……いやだ。
肌から伝わる、雨とは違うねばついたものがゆっくり広がって流れ出ていくのを、只々感じた。……いやだいやだいやだ。
しんじゃうわたし、だってそんな、まだおとうちゃんに、あやまって、ない、のに。
叫んでいたはずの誰かの声ももう聞こえなくなって、只々うっとおしい雨の音だけが、ざあざあと耳に入る。
私の命を、無慈悲に押し流していく、雨。
―――ああ、さむい、さむいの……おねがい流れないで、いやだいやだいやだいやだいやだ、だってまだ―――
「死にたく、ない」
喉から絞り出した、かすれた私の声は、多分誰にも聞こえなかった―――
―――少女の叫び声で目が覚めた。
目に飛び込んできたのは、雨でもアスファルトでもなく、周りを囲むレースの布。
怖さに荒げた呼吸を収めようと握りしめた胸元がじわりと湿っていて、その感触に慌てて手を放す。
「アイリーン!!!」
間を置かずにドアから男の人が飛び込んできた。……だれ??
その人は酷く心配そうな表情で私のそばに近寄って、そっと優しく抱きしめてくれる。
さらりと肌触りの良い乾いたシャツの感触とじわりと染みこむ体温に、酷く安心した。
「どうした?何か怖い夢でも、見たのか?」
柔らかく落ち着いた低い声と髪を撫でる優しい手に、恐怖で強張った顔がほどけて、ボロボロと涙がこぼれてきた。
突然泣き出した私に、一瞬手が止まるものの、促すように支えるように優しい感触が髪をするりと梳く。
………そう、だった。私は『アイリーン』で、この人は私の『お父様』。
改めて目線を上げると、涙で歪む視界に眉尻を下げるお父様の顔が見えた。
……ああ、何か言わなくちゃ。牽きつく喉を飲み込むことで、無理矢理嗚咽を押し止める。
「――死にたくない」
『だいじょうぶよ、お父様』と言うために開いた口から、こぼれたのは最期の言葉。
目を見開くお父様がわかったのに、言うべきではないのはわかっているのに、一度溢れ出した恐怖は濁流のように塞き止められなかった。
「アイリーン、何を」「いやだ私は死にたくない死にたくない死にたくないの!!」
お父様を遮って叫ぶ。全身に広がる冷たい恐怖を振り払いたくて。
それで喉が裂けても構わない、ただただ私は叫んだ。
途方に暮れるお父様へ、殴りつけるように、縋りつくように、叫んだ。
「―――死にたくない!!」
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「―――無様だな」
冷たい声に、はっと過去から浮かび上がると、パーシアス様が目の前に立っていた。
その温度とセリフに、私のことかと身を凍らせたけど、違ったようだ。
王弟であるはずのパーシアス様は、供もつけず、魔力の残滓から見るに、空間移動をしてきたみたい。
私に向けられたことのない恐ろしい無表情のまま、こちらへと近づいてきた。
そして、凍えるような目でサラさんを見据える。こ、こわい……。
パーシアス様の冷ややかな声に、綺麗な手を泥だらけにして地面を握りしめていた手を更に食い込ませて、サラさんがパーシアス様を睨みつける。
涙と雨で常人なら二目とみられなくなる様のはずなのに、サラさんは何故か常人よりその迫力を増していた。
さながら、世界を塵芥のように燃やし尽くそうとする羅刹のようだ。ひえぇぇぇ……。
目の前に立つもの全てを薙ぎ払わんばかりのサラさんの視線を、パーシアス様は事もなげに受け止め、あろうことか鼻で笑った。
そ、そんな酷い。親友を心配する彼女に、その仕打ちはあまりにも……!
思わず、抗議しようと口を開くと、ブリザードも恐縮して凍り付くような視線が返ってきた。
………ぅゎ……さむっ、視線だけなのに凍え死にしそうなんだけどっ!?!?
情けなく、励まそうとしていたサラさんに縋りついてしまった。
そんな私を振り払わずに、むしろ庇うようにその背中で視線を遮ってくれた。
触れたその背中は、少し震えていて自分の情けなさが倍増する。
そんな彼女を、一瞥し、凍える視線に苛立ちを上乗せして、パーシアス様は続けた。
「惨めに只泥にまみれる、それが君の選択か?愚かに只泣いて睨むだけ、それが君の答えか?」
らしくなく言い返しもせずに、サラさんは雨に打たれるまま微動だにしない。
その彼女の肩を、らしくなく乱暴に掴んだパーシアス様は、唇が触れそうなほど近づいてその目を覗き込んだ。
「私を、失望させないでくれ」
一瞬の空白の後、ぱしんと小気味よい音が響く。サラさんが肩に置かれたパーシアス様の手を勢いよく払った音だ。
「あなたの、勝手な望みなど、知ったことではないわ」
いつの間にか、彼女の背中の震えは止まっていて。
そして次の瞬間には、まるで舞踏会で踊るように優雅に立ち上がった。
全身泥だらけで雨で濡れて、ドレスは皺だらけ髪も乱れ放題―――なのに彼女は美しかった。
「誰が選択したと?誰が答えを出したと?憶測にもほどがあるわ」
「……まあ、そういうことにしておいてあげるよ」
不敵に笑いあう、その姿はもういつものサラさんで。
また何もできなかった自分に胸がちくりと痛みながらも、不要となった手を収めながら私もゆっくりと立ち上がる。
「それで?体制は整えてくださったのでしょうね、王弟殿下?私にあれだけ言って無策、なんてことはまさかありませんよね?」
「本っ当に、可愛くない部下だよ、キミは」
足早に意見を交換しつつ物凄い勢いで対策を検討していく二人に、ぽつんと置いて行かれる。
……結局、私は凡人なのよね。前世があったって、人より少しばかり魔術が使えたって、本当の天才には敵わない。役にも立たない私なんて。
「――アイリーン!」
「へ?」
自虐の沼にはまりそうになっていた私の思考が、ソランの声で引き上げられる。
目の前には、心配そうな赤い目。……なんだ、泣いてないじゃん。
いつもの泣き虫ソランだったら、絶対泣いてると思ってたのに。
……なんて、彼にも追いていかれたようで半ば八つ当たりのように目を逸らす。
「……大丈夫?」
「……ソランだって」
心配じゃないの?と言いかけて、愚問だと気づく。
なんたって私より先に友達になったし?……なんて拗ねてる場合じゃないのに。ルルリーアさんの一大事なのに。
………いや、だからこそ、かな。何していいかわかんないもう。
「いや、僕は、その、泣いてたらまた、リーアに頭突…怒られちゃうから、さ」
なんて、照れたように言わないで。
知らぬ間に成長したところをまざまざと見せつけられたようで、友達の成長を喜べない自分を誤魔化すように、ついなじってしまう。……こんなことしたくないのに。
「心配じゃ、ないの?」
「リーアを飲み込んだ瞬間に、楔を打ち込んでおいたんだ。だから、あの空間は一時的に固定できたし」
「そ、それだって!!だって、ルルリーアさんが、安全なわけじゃ、ないじゃない!!」
……もう、子供のような癇癪だ。恥ずかしいもうやめたい、でも抑えられない。
そんな私を宥めるように、ふわりと笑う、ソラン。
はっと、目の前に居るソランを見つめ返す。………あれ?なんか、背大きくなった?
嫌と言うほど恐れた『攻略対象者』の彼。国の名前も自分の名前も同じゲームの、自分の死しかないシナリオ、その象徴の彼。あれほど恐ろしい死への、片道切符みたいだった彼。
―――だけど、私の、大切な幼馴染み。
「考えても見てよ、アイリーン。あのリーアだよ?ドラゴンに乗って、龍紋なんてつけて、堕ちた英雄と対峙して、未確認物体に追いかけられて、ドラゴンと契約して、更に変身までさせて、無事だったんだよ?」
……そういわれると、今まで無事だったのが不思議に思えてくる。そして、何故か謎の安心感が広がってきた。
何かが変わったわけでもないのに、彼女のあのきょとんとした顔を思い出すと、それも当然な気がして、唇に笑みが浮かぶ。
こちらのトラウマだの過去だの前世だのに平然と肩を叩いて、ドラゴンの愚痴を言うような彼女だ。
それはもう、悩むのが馬鹿らしくなるくらいに平然と。
「まあ」「うん」
「ルルリーアさんだもんね!」
「リーアだもんね!」
図らずもユニゾンした声。こんな時だっていうのに、思わず顔を見合わせて二人で吹き出す。
……あーあ、もう、ルルリーアさんには敵わないなぁ……。
ソランの柔らかな笑みを見て、これもルルリーアさんが変えてくれたんだよな、と笑みを深めようとして。
―――胸の奥がチクリと騒めいて、途端にぎこちなくなる。あ、あれ?なんで??
突然湧き上がった感情に混乱していると、ふと感じた視線へ顔を向ける。
そこには、不敵に笑う、サラさんが居た。……隣の、頭を抱えるパーシアス様は見なかったことにしよう。
さあどうするの?と言わんばかりに目を細める彼女を見て、混乱した頭も少し騒いだ胸も、すっとおさまる。
私の貴重な友達を、助けないわけないじゃん。
―――やるわよ、口を動かす彼女に、もちろん、と返す。
「よしっ!ルルリーアさんを助けるために、頑張っちゃうぞー!!」
「じゃあまずアイリーンは―――」
隣から、ルルリーアさんを助けるための、ソランの小難しい理論解説が、始まる。
………ぐっ…が、がんばるんだ、から………!!!
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※アイリーン様でございました。
アイリーン様:ただいまソラン講義受講中。「あ、あたまが、溶けて、なくなる……」
主人公:ただいま絶賛落下中。「ええええぇぇぇ!!?ちょ、長い、ながいからぁぁぁ!!」
(コミカライズ開始いたしました!こっそり活動報告の方に詳細を更新いたしましたので、ぜひちらりと見ていただけますと幸いでございます)




